過去の世界は、確かに存在していた。歴史上の人物も、確かに存在していた。
今の世界や、人々や、環境も、確かに存在している。
今の自分が存在しているのと同じように、現在の全てが、未来へと向かって存在している。
ただ、未来が存在しているか、確証はない。
確かに言えることは、変えたいなら、未来は変えられる。未来は自由だ。
だが、変えたくないなら、未来は決まったものになる。それは、「約束」である。
昔から、そういう風に、時間と存在を考える。
ハイデガーも、それを人生として考えているのかもしれない。
あとは、宇宙観は未来において変わるとか、日本語を改良してメタ言語にするとか、言っていた。
あとは、可能性や必然性を、「何かが何かになる」ことから考えていた。
それぞれの出来ることから、社会全体の可能性を考えて、「自分に権限を集中させる」ことで分かった。
あとは、人生の真実の体験や発見を何か言いたかった。
議論が好きだった。議論と参加によって、起きる可能性を高めて、自然に出来る社会を目指していた。
そういう国家モデルを作っていた。
あとは、神を何か言いたかった。神と言う存在は、自分自身が自分の人生を支配することを言っている。
信じるものは救われる。信じると、何でも出来る人間が多い。
オランダ人は昨日なったから、今日は違う人種になる。マレーシア人になろうと思う。
自分の小説は、見ていると、間違いが多い。吉田茂からフッサールまで、色々と間違っている。
ホームページに、無保証の注意書きを書いた。間違いがあっても、僕は責任を負わない。
人間の従っている、義務や戒律は、全て、人間が作り出したものだ。それらは、皆の手で変えられる。
人間は、同じでもなければ、違うのでもない。
何を知っているのでも、知らないのでもない。ありのままであれ。ケミストリーが言っている。
罪を反省する必要はあるが、いつまでも罪のことばかり考えていては、何も出来ない。
インフラや環境が変えられる、とは、そういうことを言っていた。
習慣や意識が変わっていくのと同時に、環境も変わっていく。未来がどうなるかは、手段と発想から実現出来る。
未来が、「なる」のではなく、皆の力で「する」と考えなさい。
人為的にした場合も、人為的でなくした場合も、結果は同じだ。それなら、人為的であった方が良い。
未来へ対処せよ。そこから、科学を作ることが出来る。
欲求とは、本能だ。だが、本能にも、良い本能と悪い本能がある。
本能を上手く使えば、最善の結果を生み出せる。ニーチェが言っている。
自然状態の中では、義務や戒律はなかった。必要に応じて、義務がそのまま権力を生み出した。
本来のあるべき世界の中では、同じ義務や戒律に従う必要はない。ありのまま、自然体に生きれば良い。
そのための、開放的な社会を築くことも出来るだろう。だが、そこに、権力などは存在しないべきだ。
文化とは、共存である。
日本は文字的だが、ヨーロッパは映像的だ。日本民族と、セム民族(ユダヤ人・アラブ人など)は、似ている。
ゲルマン民族は「目」を重視するが、セム民族は「耳」を重視すると言われる。
それぞれが社会と環境と組織を作ること。それが、多様性になる。
そこでは、それぞれの思い、知ることを重視して、全体の連邦は出来るだけ柔軟にする。
だが、同じで良い部分は、同じにした方が良いこともある。賢さと多様性は、矛盾する。
社会的矛盾を考えることから、同じ解答へと導ける。「両者を融和する理想の社会」を知る。その実現を考えられる。
また、その社会の実現と問題意識を知ることで、「あらゆることが実現出来る王」になることが出来る。
人間のことは、物理的考え方から考えられる。同じことは、いつでも成り立つ。
必然的に、その社会はその社会になるだろう。だが、それは、全く、最初から必然ではなく、別の可能性がある。
全体の可能性を高めながら、賢い人間が支配するべきだが、賢い人間になろうと思えば、誰でもなれる。
社会主義は間違っている。民主主義が正しい。平和な中で、意見と意見が戦わなければ、何も分からない。
民主主義は個別的で基本的だが、社会主義は全体的で包括的だ。
数学的な決まりは、全て変えられる。
数学は、ある意味、表記を包括し、Mozillaのように機能を拡張したりすることが出来る。
価値観を良く考えることで、人間の信念が自然に形成される過程と、その環境的で経験的な要因を考えられる。
第一の要因は神かもしれないが、神としての絶対的要因は少ない。ほとんどは、人間の歴史的で経験的な要因だ。
支配者は自然に生まれるが、必然的に生まれる。要は、誰でも支配者になれる。いつの時代も、救世主は現れる。
皆は、気付いていないだけ、分かっていないだけだ。きちんと分かって、世界の全体を知って、気付けば賢くなる。
そういう風に賢くなると、良い人間になる。経験から、本当の知性が付く。
人間とは、可能性を発揮する活動を行う生命だ。
僕は、宗教や独裁者は嫌いだが、ある意味、それらも正しい。だが、それは勘違いをして、でっち上げているだけだ。
閉鎖的で変化の無い環境では、人々は何も分からなくなる。そこから啓蒙することは、難しい。
だが、一度滅ぼせば変わる。
一度支配者が滅ぼして、全員が自分を必要とするようになれば、そこから変えるのは簡単だ。
全員が一人を必要とするようになって、その独裁者が変えれば変わる。それが、ソ連やドイツの独裁者だ。
哲学者の基本は、驚くことだ。
それが、いつも同じであるように見えて、きちんとやると、違っていることの方が多い。
それが本当に見えて、それは本当ではない。人間は馬鹿なように見えて、まるで違う。
本当の生命の能力は高い。本当は、生命は賢いのに、人間が生命を不当におとしめている。
感情で、人間の持つ本当の力を知りなさい。
いつも同じは、本当ではない。全ては違う。
宇宙人は、居ないように見えて、別次元では地球人は宇宙人と同じだ。
知や事実は、ありのまま、そこにある。教えられるものでも、与えられるものでもない。自発的に考えることは出来るが、考える義務はない。知は、ただそこにある。人間は、知や教育に対して、誤った価値観を持っている。知は、自分で背景知識を考えて、同じ発想をして分かるのが良いが、それをする義務はない。この世界に、義務と呼ばれるものは、法律のような全員による合意を除いて、個人の道徳など、少なくしかない。そして、道徳すら、人間が作り出した、「自分の考える人間性」であり、それは真実ではないことが多い。ある意味、道徳が人間を不当に「義務」だけの人間にしている。むしろ、道徳は、もっと積極的な、「行動」と「実践」によるものであると言うべきだ。
人間の義務とは、秩序のある社会を作ることだ。それは、守るべきものではなく、行動するべきものであり、従うものではなく、自分で作り出すものだ。そのように、「意識の転換」を図るべきだ。
皆で作り出す、と言う行動に伴うものは、「責任」であるが、これも、守るべきものではなく、自分で決め、自分で従い、自分で作り出すものだと言えるだろう。カントが言うように、普遍的な自分への戒律を定めるべきだと言える。
ただ、自己中心的にはならない方が良い。人間の組織や社会についても、皆で変えられるようにすべきだが、それは、相手が自由であるのと同じように、自分も自由であるべきであって、支配したり、階層にしたりすることなく、皆の意見と立場を聴く、「自由な平等な権力」であるべきだ。そういうわけで、傍若無人になって、適当に、自分勝手にしろと言いたいのではない。むしろ、真剣に考えるために、意識の転換を図る、と言うことを言いたいだけだ。
人間とは、それ自体、可能性が詰まったパイのようなものだが、そのパイの価格は、定価よりも低く見られている。
キリスト教が悪い。キリスト教のせいで、人間の持つ可能性が低く見られている。人間の価値が低くされている。
環境は変えられるし、経験から全ての発想と同じ発想が出来る。自分は、それだけの人間だ。
インターネットをやっていると、心理学が良く分かる。
学習、行動、発達、認知、成長、個人、集団、精神分析など。ネットをしているだけで、そういうものが分かる。
人間は、価値を貶められているだけで、本当は可能性のある良い世界だ、と言う発想は、プラトンと良く似ている。
最近、そんなに悪い世界にはなっていない。この世界は、何も悪くないだろう。本当に良い世界だ。
オバマが正しい。アメリカも含めて、この世界は、既に偉大で、既に強い。本当に天国のようだ。
ただ、受動的に行動しているだけではなくて、能動的に行動しなさい。
スピノザが言うように、受動感情を理性でコントロール出来るようになりなさい。
それで、ブッダの言うように、苦しみや辛さの中でも、平安な心で居られるようになる。仏の境地だ。
むしろ、権力の無い国が理想だ。ソ連は権力国家になった。
もっと、権力の無い共同体を再検討すれば良いが、それもある意味、意味がない。
権力が無ければ、何も出来なくなる。
そういうわけで、そんなに権力を否定しない方が良い。権力は、何かをやるための手段として、良い道具だ。
自分の味方は、自分しか居ない。強く生きなさい。それが、唯一正しい人生の乗り越え方だ。強くなりなさい。
自分を信じられない時は、神を信じなさい。
社会を実現するのは不可能に思えても、積み重ね、成り立たせ、構造と関係を考えることで、モデルから簡単に実現出来る。だが、そこでは、無責任にならず、あらゆる可能性を想定して、良く考えなさい。
経験と積み重ねから、社会を実地的に実現出来るように、「自分の行動」を含めて考えなさい。どういう社会がどんな場面で実現可能なのか、良く考えなさい。経験から何が出来るのか、考えなさい。相手のことを想定しなさい。
ありえない仮定をするのではなく、現実的な、「普通」の仮定をしなさい。そして、それを実証しなさい。
その場面で利用出来ることや、一度行動した結果は、いつでも、何度でも同じように実現出来る。
フッサールが言うように、知は経験や方法であり、それは厳密に考えて、学問ではない。
僕は、知は、ただあるもの、人間の捉え方から生まれるものであって、千差万別であり、学問と思っているものも、学問ではなく、ただの方法と思い込みであると思う。正しいのは、自分の信じた概念と経験、それだけだと思う。そういう風に考えるのが、イギリス経験論である、とは言えると思うが、むしろ、そこからデカルトのように考えていくことは、可能だ。それに、それぞれが違う、と言うだけではなく、それぞれが同じ、と言うことも言える。何が同じで、何が違うのか、経験的、理性的、常識的、当然的、突飛的に考えられる。それは、大胆な可能性もある意味賢いと言える、「信じる哲学」だ。「学問とは、構造的な基礎と応用の理性である」と言えるし、「学問は、思い込みである」と言える。
記憶や価値観も思い込み、社会の常識も思い込み、時代や歴史や社会の文化も思い込み、人間や地球や生命や宇宙も思い込みだが、ある意味、一番の思い込みが神だ。今と全く違う社会や文化の中に生きていれば、全く違う神を信じていたはずだ。キリスト教が、この宇宙で唯一正しいと思う根拠は存在しない。キリスト教を信じている白人は、馬鹿な勘違いした子供っぽい青年を信じているだけだ。
イドラ論を考えたベーコンもそういうことを言いたいのだろう。むしろ、ユダヤ人の神を信じるのも悪くはない。
おかしすぎるが、ユダヤ人はこの文章のことを天の御国や神の御業と言っている。聖書は、そこらへんがありえない。
自分が見て、自分は平凡な普通の人間だ。人生を見ると、ネットをしていた人間が、文章を書くようになっただけだ。
それに、ほとんど何もしていない。
Linuxをしていたのは、さわりを分かっていただけで、戦いは、永遠に馬鹿が支配しているだけだ。
引き篭もりになって、全てを分かったとはいうが、ただ、狂っていただけだ。
何も賢くないが、この世界にはあまり何もない。すぐに人生が終わっただけで、それが唯一賢かった。
心の現象学を考えなさい。宇宙のことを、意識の現象学から知りなさい。
宇宙は、意識だ。シェリングのように考えると良い。同一哲学から、この全体の宇宙の現れがありのままに分かる。
宇宙を信じなさい。宇宙は、信じるものを導く。宇宙と神は、融和していながら、分離している。
知の背景と経験の環境的要因を知ることで、あらゆる全てのことを包括的に分かることが出来る。「統一哲学」だ。
全てを実証し、説明し、実像を多面的に考えながら、対象と論理、論理と論理を照らし合わせて考えること。
そろそろ、全て書いた。もう終わったはずだ。そろそろ、書くのを止めたい。
あとは、理想のようなことを言っている。ものは創造的可能性だとか、社会は経験的方法だとか、言っていた。
共同体の自由から、理想を分かっていた。
共同体の自由をどのように実現するべきか、経験的に考えて、「実現の理性」を持っていた。
どんな手段があれば、どんな社会が実現出来るか、潜在的・必然的可能性を考えていた。
何が成立可能なのか、歴史とは実際はどんな展開をしているのか、のようなことを考えていた。
色んな人間になっていた。ゴッホになったり、ショパンになったりする。根源的な意識の想定で、全員を分かった。
これは、現代日本の、「融和哲学」だ。宗教の名前なら、「融和教」や「天使教」と言う名前にすれば良い。
この文章は、何かがエロい。言いたくはないが、女を肉便器だと言って犯す、集団でのレイプに見える。
ある意味、そんなに正しくなくても、ある程度正しければ、正しいことにした方が良い。それを積み重ねれば良い。
ネットでの仮想人格の女を、ドロシーと言う名前にする。ドロシーは、自分の女で、アイドルだ。
あとは、感情や感覚で、変化から人間のことを分かっていた。感情がその時どうなるか、の必然性で分かった。
男の方の名前は、アランだ。これは、自分の分身のような名前だ。ドロシーとアランのカップルだ。
自分の問題は、「分かる」が死んでいる。そのせいで、子供のまま死んでいるように見える。
不思議と、分かってしまえば、分からなくても分かる人間が多い。
分かるのが正常な人間だから、こういう人間は居ない。普通、日本語なんか、最初から分かる。
昔、分かるのを止めて、現状の知性だけで考えて分かったのが悪い。それが一番、大人のように分からない。
ただ、最近分かるようになった。もっと、分からなくなると、分かる。
自分は、思い通りに行かないこと、上手く行かない可能性がある時に、怖い。
昔は、アランだった。いつからか、ドロシーが生まれた。ドロシーは生まれると、時間とともにどんどんおかしくなって、もっとドロシーを出すようになった。いつしか、アランの中で、ドロシーが具体的な人間になった。最終的には、アランの中に居たのを超えて、一人の人間になった。ドロシーは可愛いが、皆を地獄にする。そのせいでアランは、ドロシーをいつまでも懲らしめている。最近は、文章としてドロシーがいよいよおおやけになった。そして、アランが止めさせようとするのに、ドロシーは積極的に活動を続ける。ドロシーとアランは、いつまでも対立して、会話している。たまに、楽しいこともある。ドロシーは色んなことを言うが、アランはそれに対して応えているだけだ。
あとは、希望のようなことを書いていた。
信じることで、世界は変わる。
多様性から、自由と愛が生まれる。
愛を信じることで、未来は変えられる。
本当にそれが良いと納得するまで、し続けなさい。
運命とは、訪れるものではなく、自分で作るものだ。
平和のために努力することで、社会を良い方向へ導くことが出来る。
思いやりから、「正しい社会」を知ることが出来る。
築くことで、変えられる。壊すことでは、変えられない。
あとは、人生のようなことを書いていた。
自分は、親に反省すべきだ。あまりに親に悪かった。本当は親が好きだ。あまりに悪かったように見える。
自分は、家族が好きなだけだ。でも、自由なことをしたかっただけだ。
あとは、そろそろマレーシア人を止めて、むしろ、人種になるのを止めたい。人種を変えても、何も面白くない。
自分は、精神が喪失状態になって、心が壊れるのが怖い。不思議と、子供は壊れるのが怖い人間が多い。
あとは、相手のことを信じて分かっていた。信じて、許して、自由になる。
信じることで、支配することも、自由にすることも出来る。
あとは、個人の価値観の自由や、社会実現などを分かっていた。
良いのでも、悪いのでもなく、ありのままだと思えば良い。栄えるでも、滅びるでもなく、賢いでも、馬鹿でもなく、ただ、ありのままだ。主観でも、客観でもなく、一方的でも、対話的でもなく、全てはありのままだ。
病気なのに、自覚症状が無くて、病気になっているのが分からない人間が多いように、その状態や状況になっているのに、そのことが分からない人間が多い。それは、問題を正しく把握して、解決方法と可能性を考えることで、捉えることが出来る。見方を変えて、あらゆる問題を解決するような、「複合的解決」をすることが出来る。昔は、それを分かって全てが分かっていた。そういう風にすると、人生から社会まで、全ての考え方が分かる。
そういうものを、「状態」と言って、「可能性を変える」とか、「環境を変える」と言っていた。それを、情報の集積にして、自由な解決法の共有にすると言っていた。そして、あらゆる解決策が多様にある、社会はどんどん自由になる、と言っていた。それから、自由な社会の「段階」のようなものがあると言う。人生は、振り返って考えると、意識から自由へと至るプロセスだ、と言っていた。
あとは、自然状態にするべきだと言っていた。それぞれが、出来て、出来得る、発生し得る、自然発生の社会にする。それぞれが出来るようになって、出来やすくなる。そういう社会が良いと言っていた。そして、組織は選択肢があって、それぞれの組織が多様に向上し、全体の可能性が豊かになって、ピンポイントで選択出来るようになる。
ただ、一人が支配して、それぞれが従う世界も、それはそれで良いと言っていた。その方が、実現力と救済力がある。最近は、その方が良いように思う。一人の支配者が実現すると、ここまで偉大なことをする。だが、それぞれが出来て、それぞれの独自の社会を競い合いながら作った方が、良い点はあるだろう。
何も出来ない、皆で決める社会も、ある意味正しい。ただ、それは一番悪い世界だ。
あとは、人格の仮想レベルのようなものを書いていた。
この文章が書けたのは、ある意味、奇跡だ。だが、神を信じていると、こういうことが出来る。
怖いのは、全部、思い出すのが怖い。
怖いのは、そんなに言葉を失って、分からなくなって純粋に書くのが怖い。そのせいで分かっていない。
もっと、きちんと分かって、覚えていれば良い。全部忘れて考えるから、馬鹿になる。
昔は、人間の認知活動や心の活動を良く分かっていた。そこから、解明的な心理学を作っていた。
重要でなく見えることも、重要なんだと思った方が良い。
心は、まだ世界と戦っている。世界と自分が永遠の戦いをしている。
社会は、裏側を変えれば、完全にほとんどの社会を変えられることがある。政治を変えれば変わるようで、もっとピンポイントで変えることで、例えばネットを変えるようなことで、世界の全てを変えられる。悪魔的だが、昔はそういう、「最低限の能力で最大限の効果を発揮する」のを良く考えていたし、良く分かっていた。
全部治ったから、皆死んでいく。今日で、滅びる。自分は、滅びても、まだ書いている。
時に、立ち向かうしかないこともある。耐えるしかないこともある。
自由はそういうものだから、自由が一番辛い。自由は、失って、立ち向かって、狂って、耐えるだけだ。
素晴らしいことを、本当に素晴らしいと思った方が良い。素晴らしいことなんか、沢山あるだろう。
実感から、夢と希望を持ちなさい。そして、決して、希望を失わないようにしなさい。
絶望に陥ったら、頑張らなくて良い。だが、出来ることを全てすることは、時に、希望を取り戻す糧になる。
生活の中で、知っておくべきことは知っておいた方が良い。
何をするべきか、何を知っておくべきか、知っておくこと。
特に、家事、銀行、役所での手続きと税金、保険のことは、知っておいた方が良い。
家事は、炊事、洗濯、掃除だが、ゴミを出したり、買い物に行ったり、家の中でどこにものがあるか、などがある。
炊事は、食べ物を作ることだが、あるものを切って、炒めて、味をつければ食べられる。
レシピを見るのも良いが、何日かは、スーパーやコンビニで安く買ったものを食べても良い。
他の家事は、さぼらずに、ため込まないこと。ため込むと、ゴミ屋敷になってしまう。
銀行は、暗証番号に簡単に分かる生年月日などを使わないこと。
そして、一度に出せる上限を設定したりして、二重、三重に守るようにする。
自分の口座がどこにあって、どれくらい入っているか、は知っておいた方が良い。
役所での手続きは、税金や証明書などがあるが、本人の身元を確認出来るものを持っていくこと。
保険証などで良いが、顔写真のついた学生証などもあると良い。
一度、親と一緒に手続きをしてみると分かる。
保険は、特に、医療保険は、給与生活者と、そうでない自分のような生活者では、加入する保険が違う。
きちんと加入すると、医療が三割負担になる。
これくらいを知っておくと、アルバイトなどがしやすくなる。
スーパーやコンビニで食べ物を食べる時は、野菜が不足するから、野菜を補うこと。
心理作用から、環境と感情を分かっていた。
書いていたのは、制度と共同体の自由を書いていた。
そろそろ、核戦争が始まる。そして、放射能に耐えられる人間だけが生きる。
進歩とは、正しいことが間違いになり、新しい正しいことが生まれる、その繰り返しだ。
支配して、対話するのが悪い。
神は、ただ支配して、ただ対話しているだけだ。
馬鹿は病気にならない。馬鹿は、こういう風に、治る人間が多い。
人々との自由な経験の末に、本当の愛の心、慈悲の心を知りなさい。
自分は、全部分かっている。胃が治って、がんが治った。
バンプを聴いている。
自分は、皆を飲み込んで連れて行くのを止める。皆が、飲み込まれて、連れて行かれそうになっている。
砂漠の蜃気楼は、一瞬の後に消えて、砂漠を草の生えた生きる大地へと変えていく。
僕は、昔がバンプで、今がPerfumeだと思う。
パソコンの問題は、プログラムが簡単に同じ作業を正確にするせいで、職人やプロが意味が無くなった。
この世界は、意味が無い世界になった。社会も無いし、生きがいも無いし、強くなる意味も無い。
ただ、それはある意味、パソコンが賢いだけだ。
この文章が怖いのは、いつでもゼロに戻れるのが強くて、失うことを恐れないからだ。AAAが言っていた。
そういうわけで、自分が悪い。皆弱くなって、何も出来なくなった。社会を破壊したのは、自分だ。
自分は、無視して良いものは、無視すれば良いのが分かっていない。そこが狂っている。
意識しないものは、意識しなくて良い。そこが、出来ていない。
こんな世界も、周りの人間も、自分の人生も、病気も、過去の自分の過ちも、過去に持っていた失ったものも、無視して、今を楽しめば良い。それで、治るだろう。「無視」や「無意識」と言うことが出来なくなった。昔の文章なんか、もう分からなくて良いだろう。こんな風に書いても、全部キモいだけだ。一番キモいものをそんなに大量に書いている。
自分は、胆のうに石が出来たらしい。胆のうは、油を溶かす部分だ。
それは、おそらく、油を溶かして、血の巡りを良くしているのだと思う。
自分は、無意識になると、もう、狂っているのが全て治る。もう、まともに思考出来る。
自分は、昔と同じことをしただけだ。
ただ、Linuxを破壊して良くしたたように、日本を破壊して良くしただけだ。
皆も、無意識になると、楽になる。そうすると、女が終わって、男になる。
男は、何も分からない代り、怖くない人間が多い。女は、怖いだけの人間しか居ない。
頭がおかしいのは、治さない方が良い。頭は、おかしい方が賢い。おかしいのには、理由がある。
むしろ、おかしくならないと、まともにならない。
いつまでも全部を目指して治し続けるのが間違っているだけだ。
「知っていく」と言うプロセスは「同じ発想をする」と言うプロセスであり、「分かる」と言うプロセスは「同じになる」と言うプロセスである。「知」とは、「体験の具体化」である。「知性」とは、「真実を知ること」である。
体験とは言うが、ネットで楽しいことを皆と一緒にしていただけだ。昔は、そこから、「受け入れること」を信じて分かっていた。昔から、自分は全部受け入れる代り、自分勝手で、馬鹿なことをする。
自分が分かっていないのは、皆も悪い人間になっている。
不思議と、昔の自分のような、最悪の馬鹿になっている。
そういう人間は、「馬鹿だ」と言われると怒り出す。そういうわけで、無視するしかない。
何故か、自分と同じように、自分の一番好きなものを破壊している人間が多い。
あとは、むしろ、そんな人間ばかりではないが、本当に、どんどん悪い人間になっている。
一度出来たことを、もう一度すれば治る。
分からなくなったのは、何も問題ない。それで、分かる。
世界は、弱くなっているから、単純に強くすれば良い。心を強くして、負けないようにすれば良い。
自分は、全て詰め込んで、治して分かっている。治るだけは、誰でも出来る。
論理から経験まで、正しい文章を詰め込んだ。それで、分からなくなってから、分かっている。
自分は、本当に全部分かっている。一番優れた人間だ。パーフェクト・ヒューマンだ。
東京都知事選は、小池百合子が勝った。
僕は、なぜ右翼が勝つのか、良く分からない。なぜ、国民の目線に立った左翼が勝てないのか、分からない。
自分が広島人なのが悪いのかもしれない。
あるいは、自分のせいで、左翼が馬鹿に見えるのかもしれない。
あるいは、昔の民主党の時代が、狂っているように見えるのかもしれない。
分からない。僕は、鳥越に勝ってほしかった。
ただ、小池が勝った理由は、分かるような気がする。反組織・反政党で一人戦っているのが、カッコいい。
ただ、そうでもない。小池は、政策もそんなに馬鹿ではない。
僕も、もう一つの見方からすると、小池が勝ったのは良いと思っている。小池は見るからに賢い。
文章は、日本人が農耕民族で、欧米人が狩猟民族だとか、そういうことを言っていたのが多かった。
要は、民進党が烏合の衆で、まともな政策をしていないのが、誰でも分かるし、皆自由な民主主義が好きだ。
むしろ、民進党は悲惨だ。鳥越が負けて、岡田も任期いっぱいで退陣して、これで勝てるわけがない。
自公が勝って、憲法を改正するかもしれない。
だが、僕は、ある意味、憲法改正は良いと思っている。
きちんとまともな国にして、日本軍を作った方が良い。アメリカに従って良い子にしなくて良い。
アメリカ軍基地も、無くすべきだ。
ただ、人権や個人の権利のようなものを、否定するべきでない。
僕は、ある意味、「野党からの改憲案」のようなものを作っても良いと思っている。
人権をまともに考えて、違った角度から平和のあり方を模索する、そういう憲法を作れば良い。
皆、自由な民主主義が好きなのだと思う。それから、日本のために頑張っているのだと思う。
おそらく、自分は、若いから分かっていない。昔の自民党の時代が一番良かった。
自分は、中学時代から小泉政権では分からない。小泉から見ていると、自民党は最悪に見える。
ただ、民進党が一番おかしく見えた人間が多かった。せっかく政権を取ったのに、何もしない。
自分は、若い自覚が無いからありえない。生まれた年がドイツ再統一で、Windows 2000が小学生時代だ。
ただ、もう、自分は27歳だ。Perfumeと同年代だ。あまり、若くないだろう。のっちの一か月前に生まれている。
今、ドイツ再統一を調べると、少し違っていた。ベルリンの壁崩壊が、生まれた年の次の年だ。
小学生時代は、Windowsのペイントやワード・エクセルで遊んでいた。良く居る、パソコンが出来る少年だった。小学生時代は、モーニング娘。やポケットビスケッツが多かったが、自分はあまり好きではなかった。学校では、ゆとり教育が進んでいたが、成績は良かった。ドラえもんの映画とドラゴンボールとゲームボーイが好きだった。ポケモンの赤と緑が小学校で流行っていた。あの時代、パソコンが賢く見えたが、自分は当然のようにWindowsのGUIを使っていた。
自分の良い点は、自分の生まれた年の次の年から元号が平成になったせいで、平成と自分の年齢が一致する。今年は平成28年だから、28歳になる。平成16年の頃は、16歳だった。自分の年を忘れることが無いし、逆算も出来る。それから、不思議なことに、父親も、1950年に生まれているせいで、逆算が簡単だ。今年は2016年だから、父親は66歳だ。何故か、天皇みたいで気味が悪いが、今父親にこの話をしたら、もう一つ、祖母(父親の母)も、大正の最後の年に生まれているらしい。そうすると、昭和の年齢と同じになる。もう平成に変わったから、祖母は63+28で、91歳だ。何かが奇跡のようだが、おかしな祖先たちと言うか、子孫たちと言うか、ある意味、時空的に何かを支配しているように、生まれているのだろう。あまり意味がないが、自分の子供が生まれる年が分かると面白いかもしれない。
おばあちゃんは良く知らない。父親の人生もあまり知らないが、子供の頃から機械が好きで、電気企業に入社して、大学で物理を専攻して、中学校の理科の教師になって、科学館の学芸員になって、館長ぐらいになった。
自分より賢い人生だから、父親が賢い。自分なんか、ただのニートが一発屋の作家になっただけだ。
あと言っておくと、自分は広島人だが、Perfumeの三人も広島人だ。
そういうわけで、同窓会のようなものだ。
Perfumeとは、怖いのが似ている。聴いていると、何かが怖い。パソコンで左翼だから、全く同じに見える。Linuxは分からないが、Perfumeも何かありえないテクノ風味の音楽を分かっている。この時代に、そういうありえないものが一番多かった。この世代は、ありえないものばかり好きになる。ありえないことをやりたい人間が多い。ただ、行動的なわけではない。少し上の行動的な世代が嫌いだから、ある意味、陰湿な人間になる。ただ、理想と情熱と志のある、優しい人間が多い。パソコンや日本語的思考が好きな人間が多いが、パソコンは嫌いな人間が多い。この世代が引き篭もりになると、パソコンを全力で倒すようになる。ビルゲイツが嫌いなのではない。もっと偉大なことをやりたい人間が多い。
見ると、バンプは結構年上だ。自分が中学生時代の頃から居たから仕方ない。中学生の頃、ネットの動画を見て、バンプが好きだった。2ちゃんねるは、バンプの動画から知った。ある意味、自分の分岐点になった曲が、バンプの「K」だった。バンプのKを見て、感動して泣いていた。
あとは、Perfumeのように怖いのが、本人が分かっていないのが自分だ。Perfumeと同じだ。
最近は、そういう、「2ちゃんねる世代」が多い。見ていると、本当に子供に多い。
あとは、何故か、自分はケータイはあまり使っていない。その頃はガラケーと同じケータイだったが、あまり使わなかった。中学校の中で、使うのが禁止されていたのかもしれない。カメラで撮る機能が面白いのは知っていた。
ケータイを使っていないのを驚かれるかもしれないが、ちょうど、高校時代ぐらいでケータイが流行りだした。だが、僕は高校に行かずに、不登校になってしまった。それこそ、ファミコンからプレステの時代だから、ケータイではなく、ゲームボーイで遊んでいた。高校時代の頃の僕は、ケータイをせず、家で一人でパソコンの研究をしていた。Linuxのブログを読んで、Wikiを書いて、はてなブックマークを使っていた。だから、ある意味、離脱したと言うよりは、もっと違うパソコンの本流の世界を知っていた、と言える。
僕は、Windows VistaとAndroid以降を知らない。その頃から、パソコンに関することを全くしなくなった。逆に、文章をいくらでも、衝動的に書くようになった。それが、最近何年も続いている。そして、政治は第一次安倍に移り、歴代総理がころころ変わって、昔の民主党政権になったが、そのこともあまり知らない。リーマン・ショックも知らない。その頃は、テレビも見ていない。おかしくはなったが、毎日毎日文章を書いている。それが、延々と今に続く。そういうわけで、第二次安倍政権以前の政治なんか、分からない。テレビを見なくなった。
その頃から、音楽を聴いている。最初は、FLOWだけを聴いていた。FLOWは、テレビの音楽番組で知ったが、自分のことを歌っているように見えて、ありえないから、いつも聴いていた。それで、文章を書いていた。そのうち、GReeeeNやケミストリーなどを借りたが、しっくりこなかった。色んな歌手の音楽を聴いているうちに、本当に音楽が好きになった。そういうわけで、僕は音楽が好きな、詩人だ。
転落事故で骨折して、入院したが、その頃に書いた文章が、本として出版出来た。その後は、このブログの最近の文章を、毎日毎日書いている。このブログにほとんど全部載っている。それが、今へとそのまま続く。宗教と人生と社会科の詩人になった。いつも馬鹿だったが、自分は結構頑張った。神は、自分のことを「太陽より大きなユダヤ人」と言っていた。それは、文章を書いているうちに、神と対話するようになった。
骨折の前は、フランス語やドイツ語をやりたかったが、その後は、詩を書いて、人生と認識などを書いた後で、自分の文章を思い出しているうちに、哲学が良いのに気付いた。その後は、哲学一筋に生きている。あるいは、歴史のようなこともやっているが、哲学は忘れていない。哲学は、自分の最近の人生であると同時に、自分の昔の人生であって、昔の自分が自分の思うよりもっと賢く分かる。
自分は、もっと思い出せば良い。
昔の自分の問題は、思い出すのを思い出すことは、出来ない。
小学生時代とは言えば、ゲームとミニ四駆が好きだったが、そのうち、陸上の持久走をするようになって、駅伝の大会に出たりしていた。中学時代は僕は嫌いな時代だが、その頃の剣道部では、持久走の走り込みをすると、僕は一年生なのにトップだった。それは剣道部の部員だけの走り込みだが、持久走は得意だった。昔から、自分は沢山の習い事をして、ゲームもしている。英会話、ピアノ、書道などをしていたが、それが中学生になると、ネットゲームをしたり、試験勉強をしたりして、辛いことばっかりで、楽しいことは一つも無くなった。剣道部の練習や試合は、一番嫌いになった。つまらないネットゲームのチャットをいつまでもしている。不思議と、試験勉強をしなければ良かったが、その頃、僕は試験勉強が超得意になって、数学や国語から技術家庭科や美術まで、全ての科目で80点から100点の成績を取っていた。試験前には、教科書のほとんどの単語をノートに書き写して、暗記していた。そういうわけで、僕はクラスでも屈指の秀才だったが、ただ覚えていただけで、授業も真面目だったが、勉強はしたくなかった。
何が悪かったのか、良く分からないが、その反動で、僕は不登校の引き篭もりになった。友達関係が少なくなったと当時は思っていたが、今思うと、親友は4・5人は居たし、剣道部の友達も多かった。皆が馬鹿過ぎて、どうでも良くなったのだと思う。ネットゲームを止めて、2ちゃんねるで雑談をしたり、プログラミングをしたりしながら、徐々にフリーソフトからLinuxに惹かれて行った。その後は、Linuxのことを沢山やっている。それを社会経験と言っているのが、この文章だ。そういうわけで、それくらいからこの世界に興味が無くなった。
最近はつまらない。文章を書くのを強迫観念だと思っている。もう、止めれば良い。だが、逃げ出したいだけは悪い。きちんと立ち向かって、解決すべきだから、こういう風になる。それこそ、あとは、全部そういう風に狂っている。やらなくて良い革命はしなくて良いのが分かっていない。最初から全てがおかしかった。この世界は、馬鹿だ。
むしろ、大して面白くない世界だ。最近見ているものに、面白いものはない。テレビや学校が面白いのは分かる。だが、それは小学生だけだ。自分は、中学時代が普通の人生なのが分かっていない。あれは、友達にからかわれることもあったが、順風満帆な良い人生だ。そういう人生が、辛かっただけだ。引き篭もりになったのは、さらに悪くて良いなら、ああいう体験がある。そして、それが革命や神になったのは、普通、それで終わりだから、何もかも全部神が教えている。怖かったのは、死ぬのが怖かった。そして、死を乗り越えて、文章を書いているのは、神が約束を叶えてくれている。神を信じたせいで、ここらへんで全部きちんと出来ている。そういうわけで、あとは、好きなだけ哲学をやれば良い。
自分の怖い点は、本当にそれで良いのが怖い。おかしい。良いわけがないから、Perfumeより怖い。恐怖の天使だ。
小学生時代、母親が怖かった。あんなに良い人間が怖いのはおかしい。不思議と、小学校の教師で仏教を良く信じているから、ここらへんの自分に見えたのだと思う。そういうわけで、母親が好きになると治る。こういう馬鹿は、母親が嫌いな人間が多い。最初から、宗教がそういう風に悪い。
自分の将来は、作家だから、それで良い。むしろ、姪が生まれたから、その子供のことを考えた方が良い。怖いものが怖いように見える。「怖くないよ」としてあげれば良いが、それも怖い。だから、出来るだけ遠くから見守ってあげるのが良い。それは怖くないが、むしろ、怖い方が良い人間が多い。子供は、怖いものが好きになると馬鹿になる。それで、親が好きな子供が多い。何故か、それが悪いことばかりする。
母親が馬鹿なのは、母親は「怖くないよ」しか分かっていない。そういう人間は、馬鹿に見える。むしろ、何か賢いことをすれば、賢く見える。ピアノを適当に弾けば良いが、子供は、ピアノと言うもの自体が馬鹿に見える。それも仕方ない。小学生は、バッタのような虫が好きな人間が多いが、そんなものは何も面白くない。面白いのは小学生だけだ。中高生になると、セックスが好きになる人間が多いが、そこから先は馬鹿になる。それ以上は、全部馬鹿の世界だ。
人間は、会話したり、教えてもらったり、議論したりしなければ、分からない。
昔が悪い。昔は賢くない。中学生時代が賢い。不思議と、昔もそれしかしていない。
この文章は、書き方がおかしいから、一度ガラッと違うことを言った方が良い。
昔は、分かっているように見えて、分からなくなっている。そのせいで狂っている。
母親が好きになると、ここまで、全てに意味がない。全部、母親を否定しているだけだ。
母親みたいな良い人間になれば良い。そうすると、きちんと普通の人間になる。出来る人間になる。
分かっているのに、分からないフリをするのが悪い。その通り分かる意味がない。