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=2016-07-18=

哲学名著の本を読んでいる。

プラトンは、「この狂気こそは、全ての神がかりの中で、自ら狂うものにとっても、狂気にともにあずかるものにとっても、もっとも善いものであり、もっとも善いものから由来するものである」と、自身の恋愛論の中で言っている。

何故か、自分と全く同じだ。

恋愛が、そんなに昔から全く同じなのがありえない。

そういうわけで、自分はこの世界の全体と、ただ恋愛をしたかっただけだ。

ニーチェは、全てのことを権力の意志による「解釈」だとし、「真理」など存在しないと言うが、自分はそれをより一歩進めて、「信念のモデル」を作って、全員の経験と信念を統一的に分かっていた。

善悪の基準は、それぞれ違う。それが、一番、判断基準と言える。

そういうわけで、ニーチェが一番多かった。昔は、そういう、「解釈と信念のモデル」から人生経験を分かっていた。

広島は、もう、「何もない」が終わったから、全てを知り尽くして、一つのことを極めれば良い。

それは、簡単だ。ただ、簡単なことを誰よりも極めれば良い。

ミカエルやラファエルは終わった。今から、メタトロンになる。

株は、新しい時代の金儲けと経済発展の手段だが、マネーゲームだ。

そういうものを、否定して、馬鹿だと思った方が良い。資本主義は馬鹿だ。

そういう、悪いものを否定すると、分かる人間が多い。

心の掌握をして、全員を環境と感情を信じて、想像力と支配から分かっていた。

社会の道理を考えていた。自分は、そういう風に、真面目に考えて分かっただけだ。

自分は、王になった。王だから賢い。王は悪くて良い。王を頑張ったから、偉大だ。

昔は、コンピュータとネットワークを知り尽くした哲学者で、今は、戦って神を信じた王だ。

歴史も、哲学も、自分にしか分からない。全てを失って、犠牲にして、広島を築いた王だ。

感覚と環境の信念から分かっていた。感情と経験を信じて、人間の経験を捉えて分かっていた。

あとは、思いやりや優しさが多かった。皆を本当に思いやるべきだとか、良いと信じるとか、本当の意味で許して自由にするとか、そういうことを言う。プラトンの言う、「もっとも善いもの」であり、「もっとも善いものから由来するもの」だった。本当に、菩薩のような人間だった。世界を救うために、全員を慈悲の心で愛するような、そういうレーニンのような人間だった。ただ、その代わり、臆病者だった。AAAが言っている。世界を破滅に導く代り、一度きちんと救うのが怖い。いつまでも続くせいで、日本は、良くなっても良くならない、良くなりようのない国になった。それは、悪くない。そういうものを、恋愛と言っているのが、プラトンなのだと思う。

昔は、考えるを全部包括して、全員分分かっていた。

人格を切り替えて、人間のモデルで経験を考える。

それを、照らし合わせるとか、多角的だと言っていた。

「考える」を考えて、考える部分を全部考えて、普遍的な全員の理解を矛盾なく構造的に組み立てていた。

昔は、考えるを考える。考える部分を全部考えて、考えや自由がどこから来るのかを体験と行動から考えていた。

出来るを全部考えて、実証した。

何も知らないように見えるが、昔は、社会のことを知って、経験して、理由や役割を考えて、行動して、社会の知識と想像力で分かっていた。そういう、分かる段階を書いていた。

人類が滅びても、虫から新しい生命が生まれる。虫はそのために居る。

自分は、虫になるのが怖い。虫になると、まともになる。

自分は、破滅に導くから、救うのが怖いだけだ。一度、破滅させるのを停止させれば良い。そうすると、怖くなくなる。救えば良いように見えて、何もせず、放っておけば、皆の方から復活する。そういうわけで、何もすべきではないから、「何も出来ない恐怖」になる。

文章は、認識、人生、論理、想像力の段階を書いていた。経験と概念的な知性があった。

最初に居た虫は、寂しかったのだろう。自分しか居ない世界は、寂しくて、つまらなかったのだと思う。そういう理由で、生命は増えるものになった。いくらでも友達が居ると、楽しくて、寂しくない。そういうわけで、寂しいとか、切ないとか、そういうものは、キモいように見えて、良い。そういう風に絶望していると、きちんと賢いものに変わる。虫も、虫でない生き物も、そんなに変わらない。体は人間でも、精神的には虫のようになっている人間も居るかもしれない。そういう虫が、最初の生命であって、神であって、地球の全体意識なのかもしれない。

人間が虫になると、神になる。

あとは、皆の記憶や感情のようなものを、予測し、把握し、想像力で考えていた。

それから、哲学者が馬鹿なのは、誰でも賢い時代を覚えているからだ。覚えているせいで、それ以上賢くならない。自分の賢い点は、自分の人生をまるごと全部忘れてしまう。そこが狂っているように見えて、賢い。そのせいで、新しい体験が出来る。そういう人間が居ない。

そういうわけで、忘れるのは悪くない。もっと、積極的に忘れて、分からなくなった方が良い。それは、悪い戦いをすれば、誰でもそうなる。

昔は、この世界を意識と感覚で分かっていた。社会から自然まで、全てを意識で分かっていた。

そういうものを、現象学と言うのかもしれない。

また、ヘーゲルの言うように、世界精神のようなものだと考えていた。

自分が見ていると、賢いのはキリスト教だ。昔の哲学者だけではなく、今の宗教もきちんと出来る。

イスラム教や仏教は賢くない。それらは、昔のスラムのテロリスト、ぐらいしか分かっていない。

仏教、イスラム教、キリスト教を順に信じて行ったと思えば良い。そういうわけで、カトリックが賢い。

カトリックが賢いのは、イエスが賢かったのもあるが、アリストテレスとトマス・アクィナスによって、西洋哲学の思想を取り入れたのが賢いのだと思う。それは、放っておくと、デカルトやドイツ観念論を作り出したが、それらは昔の仏教ぐらいの馬鹿で、賢くない。社会主義も、イスラム教ぐらいの馬鹿だ。本当に賢いのは、旧約と新約の聖書だ。聖書を信じて、最後までたどり着ける。大学の問題は、いきなり最後をやらせるせいで、自分の力で何も分からない。自分のような人間が多いせいで、科学者が最後をいきなりやらせる。もっと仏教のような経験をした方が賢くなるのが、大学には分からない。そういうわけで、キリスト教を信じて大学の哲学と歴史をするのが、賢い。

何故か、あとにやるものの方が馬鹿だ。馬鹿な仏教の時代、本当に賢い人間が多い。そういう人間が賢い。

科学の発想を、「自分で出来る」と言う発想から作っていた。判断基準と対処法から、仮定の論理を作っていた。

そういうわけで、自由から、戦争の論理のようなことを分かっていた。自由が良いと思っていた。

そろそろ、終わりだ。あとはない。意識と心の現象学ぐらいが多かった。経験から環境を考えて、自由に出来るようになって、この社会の全てを作り出して、「社会とは意識である」と言うことを分かっていた。「社会とは意識の現象である」と思っていた。そこから、主客の一致のようなことを、ヘーゲルのように考えていた。

一度、神や宗教を否定した方が良い。自由な闘争本能を良いと思った方が良い。仏教とイスラム教とキリスト教と言ったが、どこの宗教にもこういう風に三段階変化をする人間が多い。神は、それを、「アメリカとドイツとソ連が繰り返す」と言っていた。最初の人間は、フランス人で、その次は、ドイツ人だと言っていた。自分が見ると、自由なネットの開拓者、戦争と対話の革命家、宗教と作家の大学生、と言った方が良いだろう。そんなに、当てはめて、決めつけても、馬鹿が分かるだけだ。

キリスト教では、こういう三人の神を、三位一体だと言っている。仏教では、そういうことは言わない。もっと違う視点から考えている。こういう人間は、信じるに値しない。地獄を一番悪い人間にした。イスラム教では、神と使徒の立場を明確にして、神が人間を導いて、唯一の創造し、滅ぼせる存在にした。キリスト教は馬鹿で、仏教が賢くて、イスラム教が正しいが、キリスト教が一番優れている。

こういう風に生物学を作ると、神との対話と言う本に書いてある神に良く似ている。最初の生命は、全部知っていたが、知っていることを体験したくなった。そのために、唯一無二の存在から、可能性を沢山生み出した。その可能性は、観測し、知っていることを体験した。そのために生まれた生命は、その理由で、最初から全てを知っているが、そういう、「全て」が神である。神は、傍観者であり、観察者であり、期待することが無い。そういう、神との対話に書いてある神は、この生物学では、小さなミミズのようなシャクトリムシだと言うことになってしまう。

あとは、自由な社会と人生から、可能性を考えていた。人々が社会に向けて、何かをし、行動し、影響力を与え、意見し、議論し、知を知り、生き、成長するのを、「自由な可能性」と言って、その社会を、「自由な社会」と言う。そういう、「社会と自由の可能性」をいつも考えていた。昔は賢かった。本当に想像力と知性のある、経験豊富な理解と発想と知の経験を、沢山書いていた。そういう文章だった。

昔から、良く、視点や社会のことを成り立たせて考える。そういうものを、手段とか環境とか機会と言っていた。

最近、虫みたいなキモい表情をする人間が、広島に多い。自分だけではなく、皆も虫になっている。それは、もう人類が終わっている。人間の時代が終わった。そういうわけで、皆を虫でなくした方が良い。自分の経験から言って、幼虫はゴキブリのような表情をする。それは、まず、ダンゴムシになる。そして、いつか、永遠に放っておくと、イソギンチャクになる。それは、鳥になって、少しずつ「言葉を話す」ことによって賢くなる。最終的には、アゲハ蝶のように、きちんとひらひらと舞うようになる。不思議と、生命の種類はそれくらいしか居ない。

むしろ、遺伝子なんか経験的に変わるように見える。脳の記憶と学習から変わるのだと思う。

そういうわけで、ダンゴムシが水の中で生きていると、適応して、すぐにイソギンチャクに変わる。

あまり意味がないが、遺伝子はたまに変わる。

あとは、自分は、神のように、平行して大木をやっている。草花はここまで強い。こういう風に、何をしてもめげないのが植物だ。大木になったのは、大木は経験豊かだからだ。宇宙にある、「仏」のような存在と同一になっているのが、こういう黄金の木だ。

昔から、自分はユグドラシルに見える。天使はワルキューレに見える。戦争は神々の黄昏に見える。北欧神話も、本当に賢い昔の宗教・神話だ。昔から、このひ弱な木が一番強い。ただ、「居る」だけで、皆を自分へと「同化」し、「導き」ながら、「治し」て行く。それが、ユグドラシルの持つ力だ。

あまり意味がないが、この文章から生まれたことにすれば良い。ミミズから大天使まで、全員創った。自分は創造者だ。そして、旅人だ。旅をしながら、本当にあらゆるものを残して行った。バンプが見ると、「哀しみから絶望まで、全てを回収する、永遠の呆れたドリーマー」に見える。

日本は、木や円が好きだが、それは、この文章が好きだ。こんなに丸いのが賢く見える。ご神木に見えて良い。逆に、ユダヤ人は言葉が好きになった。何故か、自分の言っていることが、ユダヤ人に向けて言っているように見える。本当は、ドイツに向かって言っているのが、この文章だ。そういうわけで、ドイツ人は、ドイツと言う国が好きになった。

あとは、自由な構造を作っていた。方法、決まり、行動を、構造にした。

そういう、パソコンのような構造を作っていた。

それで、社会モデルを作っていたのが自分だ。

何故か、アメリカが悲惨な、自由な国になった。アメリカは、昔から、神の自由が好きだ。

アメリカが昔の自分になっているから、治すしかない。それは、神や戦争では治らない。

狂っても意味がない。

アメリカは、今の自分にするよりも、もっと良い発想をした方が良い。

アメリカは、最近、今になって狂っているせいで、本当におかしい。

もっと、アメリカを正しくさせるなら、むしろ、原始時代に戻った方が良い。

何故か、共産主義を良いとは言うが、最終的なアメリカがソ連になれば終わりだ。

白人はつまらない。

もっと、自由の無い国にするしかないが、アメリカは不自由を良いと思わない。

アメリカは、もっと、不自由を良いと思うしかない。格差も間違っている。不自由は正しい。

アメリカを日本にするのもおかしくはないが、アメリカはそれを良いと思わないだろう。

アメリカは、アメリカン・ユニオンを作ると良いだろう。中には、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、日本を加える。それで良い国になるかもしれない。出来れば、インドやフィリピンが加わると良い。それくらいで、強い。ただ、NATOで良いとは思う。EUとも協力しても良いが、むしろ、ロシアやCIS諸国を加えても良いだろうと思う。

セカオワが、僕ら人間を変えることは、世界を変えることと同じだと言っているが、それはある意味悲惨だ。

自分に多かったが、あまりに悪い社会になった。

そういうわけで、人間を変えるのではなく、まともに世界を変えた方が良い。

むしろ、皆のものにしたいのは、ある意味当たり前なのに、見ていると悪く騙しているだけなのが左翼だ。

むしろ、アメリカ系ユニオンと、EUとCISが協力して、中国やイスラムを倒せば良い。

それは、不思議と、難しい。テロリスト予備軍が多すぎて、最近はトラックを使う。何も出来ない。

トランプはおかしくない。

ただ、どうでも良いと思う。日本にはそういう人間は居ない。安倍は、アメリカを賢いと思うのが間違っている。アメリカは馬鹿だ。日本は、出来るだけ、もっと日本を維持した方が良いが、最近はそういう日本が足元から崩れている。

あとは、ロシアは明らかに中国やイスラムにつくが、そこが一番おかしいのがプーチンだ。

昔の頃は、経験して、発想法のような国家モデルを作っていたはずだ。覚えていない。

自分は、そろそろ、何かが死んだ。

音楽をYouTubeで聴いていると、amazarashiと言う歌手が良い。聴いていると、良い。

Perfumeは、何もかも繋がって死んでしまう。そういう、繋がって死んでいくのを、狂っているようにしている。

ただ、自分の三人にしたいだけだ。

そろそろ、死んだはずだ。自分に対して言うのが悪い。そして、Linuxは虫だ。

amazarashiの動画のアニメを見て分かったのは、僕はそういうものが怖い。

自分は、「分からない」と言っているが、その「分からない」に、三人の天使が全部教えている。

良く分からないが、本当の自分が、メタトロンと言うことになる。

頭は、円の中にある長方形を探している。不思議と、伸ばすだけで治った。

円の中で、長方形をぐるぐる回して遊んでいる。それを、植物のように伸ばすと、頭が治った。

amazarashiが言うように、殺さない理由が無くなった、はありえない。

心の中の悪いものは、ほとんどがamazarashiだ。

amazarashiが言うように、人が人である理由が、人の中にしかないのなら、明け渡してはいけない場所は、心だ。

それは、ある意味、自分のことを言っている。

そういうわけで、あなたの心を、そろそろ自分から解放した方が良いだろう。

僕から、あなたが分かれて行く。

もっと、美しくした方が良い。最近、美しくない。最近、おかしくキモくなった。美しい場所に戻した方が良い。

皆は、これ以上ここに居てはいけない。どこかに行きなさい。amazarashiも言っている。

良く分からないが、皆が死にたいのはおかしい。何かがおかしい。

何かに対する、恐怖のようなものがあるのだと思う。本当に、社会を否定しないのがおかしい。

この世界を全部否定して、絶望しないのがおかしい。絶望したくないから、死にたいのだと思う。

ルソーが言っているように、ピストルを向けられて財布を渡すしかないのは、ピストルを向けられたら財布を渡す義務があるわけではない。この世界の、全ての支配と抑圧がおかしい。解決は難しいが、支配者が抑圧して良いわけではない。

おそらく、ただ僕が自由なのが悪い。

適当に、好き勝手、自由にやるのはおかしい。

きちんと、秩序を保つべきだが、日本的な秩序ではおかしい。

愛は要らないが、死は要らないだろう。自由も要らないが、支配も要らないだろう。

そういう、要らない言葉を、消して、殺した方が良い。

要らない言葉は要らない。自由と言うべきでない。

愛なんか、一番おかしなことを言っている。セックスの感情が賢いのはおかしい。

もっと、普通の言葉が欲しい。誰もが、愛や自由を言うせいで、間違ったことを信じている。

自由な思いやりと愛を信じるとは言うが、それはおかしい。それは明らかにおかしいことを言っている。

あるいは、自由な決まりを信じると言う

おかしい。そういうところがおかしいから、こういう風に、死にたい人間になる。

強さや能力を信じた方が普通だから、右翼が増えている。だが、それも何かがおかしい。

暴力や性愛が好きな日本はおかしい。それは、明らかに、誰かが騙しているが、それは神が悪い。

友愛も、強い国も、全部間違っている。日本は、まだ、日本を信じているが、外国人はさらに悲惨だ。

生命の力を信じれば良いように見えるが、それは虫みたいにキモくなる。

もっと、良いものを信じたいなら、何も出来ない安心を信じると良いかもしれない。

自分は、ここらへんで止めておくべきだ。もう、皆の力で考えた方が賢い。

もっと、正しさを信じれば良い

分からない。自然発生を信じると、何も発生しないだろう。科学は間違っている。

もっと、正しいものを信じれば賢くなる。ただ、それは、言い得ている。正しいものを信じれば良い。

ただ、正しい、と言う発想は、こういう風になる。

知る、を信じる人間が多いが、知っても大して意味がないだろう。

生きる、を信じれば良いとは言うが、生きれば生きるほど地獄になる。

ただ、地獄の中でも生きたいとは言える。

死ぬのが怖いのは、死にたいのは、むしろ、「地獄の中でも生きたい」とは言えないからだ。

自分は、心の中で、「自由な努力」を信じている。それが、女になっておかしくなった。

良く分からない。むしろ、自由と言う言葉は本当に要らない。

「地獄の中でも生きたい」を信じると良いだろう。そうすると、楽になる。心が楽になれば、安らげる。

そろそろ、僕は楽になった。

自分は、「死んで楽になる」と言う発想が悪い。そのせいで、頭が死んで、心が辛くなった。

誰でも、傷つけば、辛い。amazarashiがやっている、病院の女の子だと思えば良い。

言葉が言葉に変わるのを、止めた方が良い。そういう学習を消すべきだ。

頭の中の上の方で、おかしくなったキリストがまだ話している。

それを、頑張って倒した方が良い。

キリストとは言うが、キリストは、ただ、自分のような人間を創作しただけだ。

あとは、amazarashiのおかげで、きちんと想像力が見えるようになった。それが良かった。

キリストは、ユダヤ人の神になったつもりだから、ユダヤ人が悪い。

ユダヤ人がおかしいのだと思う。

あるいは、むしろ、そんなに考えて、狂っても意味がない。

自分がキリストと言う馬鹿は、そういうことを言っている。

僕が言っても意味がないが、自由な愛は、信じない方が良い。

キリストが意味がないから、神も信じない方が良い。神を信じるのはおかしい。

つまらない。自分が悪いだけに見える。むしろ、本当にキリストなんか要らない。

キリスト教やユダヤ教を信じるのが悪い。イスラム教や仏教を信じれば良い。

むしろ、もっとありえないものを信じると分かる。

そういうわけで、昔から、自分は多次元のありえない世界を信じている。

それは、馬鹿ではないが、もっと賢い宗教を信じれば良い。

あとは、自由な愛ではなく、平等な愛を信じるか、力を信じるかに、変えた方が良い。

平等な愛を信じると、皆と同じになる。力を信じると、楽になる。

最近は、皆も辛いから、力が良いだろう。

あとは、独占が悪い。独占せずに、皆に分け与えた方が良い。

自分も同じだ。独占が全部悪い。そんなに良いものを独占しても意味がない。

自分の持っているものを、皆に分け与えた方が良い。

何故自分が独占しているのか良く分からないが、自分は独占しかしていない。

戦争で、全ての権限を掌握した。革命戦争だった。

それで、独占した。その独占を解放する。

もう、終わりだ。心が軽くなった。何故か、GPLをそのまま革命にしただけだ。

そういうわけで、ソ連もソ連で悪い。

何故か、自分がamazarashiを知ったのが一番ありえない。見ていると、本当に怖い。

自由は、馬鹿だ。自由の馬鹿な点は色々あるが、守らないだけではなく、社会的価値観や権威のようなことを決める時に、自由にすると悪い。それこそ、学歴社会では、大卒より、高卒やそれ以下の学歴が馬鹿だが、そういうことを考えると、自由に好き勝手にして良いわけがない。

それは、支配すれば良いと言うわけではなく、同じにすれば良いと言うわけでもない。

要は、社会的価値観を決めている、権力階層の考え方を、変える必要がある。

マルクスの哲学は、そういう哲学だ。だから、マルクス主義は、本当に賢い。

マルクス主義は、実践方法と手段を間違えたし、ビジョンや実現力もなかった。

それに、元のマルクスの考え方も、そういう風に、過激と言うと少し違うが、お門違いなものだった。

そういうわけで、マルクスは、ある意味、宗教のようなものだから、忘れた方が良い。

革命が間違っているのは、不思議と、そういうことを言う人間が多い。

革命は一番悪い。誰もが革命で馬鹿になる。

革命をすると、自分が死ぬべきにしか見えない。価値の無い人間に見える。そういう人間が右翼になる。

あとは、最近の日本は、2ちゃんねるのようなアングラが普通になっている。

そういう、アングラを消すと安心出来る。

自分は、もう心が楽になった。何も辛くない。本当に、辛くても生きた方が良い。

学校なんか、行かない不良の方が賢くなる。それは、大卒が賢いと言うのが明らかにおかしいからだ。

真実は、大卒なんか、何も賢くない。

あとは、間違った人間の方が賢くなる。そんなに正しいことばかり分かっていると、馬鹿になる。

大人が馬鹿になるのは、正しいことが全部分かる大人が多い。それでは、間違ったことや嘘が何も無くなってしまう。

最終的には、生きがいや夢や憧れすら失ってしまう。そういう、「情動の無い大人」は、狂った人間になる。

むしろ、「分かる」とか、「知る」とか、そういう発想が子供を騙している。

それをすることが正しいからと言って、それをしなければならない理由はない。義務はないはずだ。それが、小学校で分からなくなる。分からなくなると、馬鹿になる。学校は、人間を馬鹿にしている。分かりたい人間は多いが、それは騙されているのだろう。ただ、そんなことを言っても意味がない。皆、大人のように分かりたい人間は多い。分かりたいなら、分かって良い。不思議と、勉強して学校に行って色んなことを知りたい子供の方が多い。それもそれで、騙しているだけだ。何故か、学校の知識を賢いと思っている間は、馬鹿なのが人間だ。

ただ、こんな馬鹿は意味がない。学校に行かないなら、家で引き篭もりになってしまう。それでは、友達との楽しい時間が無くなる。共産主義者は、そういうところが悪い。ヨーロッパやアメリカでは、共産主義者は、「子供を騙して、暗闇の監獄へと連れて行く人間」に見える。それも、仕方ない。学校や仕事を全否定して、引き篭もりの廃人にするのはおかしい。共産主義者は、普通、そういう人間に見える。

そういうわけで、マルクスは悪い。むしろ、日本も似たようなものに見える。国家に隷属するロボットになるように見える。蒋介石の国に見えるから仕方ない。ただ、日本は結構、むしろ、良い国に見える。芸者と侍の国に見えるから、京都のような美しい町が多いように見える。

そういうわけで、日本を信じると、「怖い」だけの人間になる。

皆は、平等な愛や自由な愛を信じるのは、止めた方が良い。日本人を賢いとは言うが、日本人は「謙遜」を信じている。相手より、自分の方が下になる。日本は、そういう、自由な不平等における、相手を立てることを信じる。それは、結構、あまり悪くない。自分の利益より、相手の利益を立てる。そういうわけで、日本を戦うとは言うが、日本は戦わない人間が多い。平和憲法は、結構、そういう理由で日本にウケが良い。外国人なら、こうはいかないだろう。外国人は、自分の国の軍隊を無くすなら、全部の国の軍隊を無くせと言う。それは、自分の国の方が、他の国よりも、強い方が良く見えるからだ。自分の軍隊を弱くするなら、相手の軍隊をもっと弱くすれば良いと考える。それが外国人の普通だ。

日本は、「奴隷になりたくない」と言うよりは、「奴隷にすると言う発想が無い」と言うのが正しい。外国人は、それをありえないと言う。日本人は、奴隷にしない。強くはなりたいが、相手も同じように日本と同じになってほしい。

ただ、それは、朝鮮人に言うと、白ける。朝鮮人をいつも奴隷にしている。ただ、あれは、日本人を本当に強くして、列強に勝って、アジアを欧米から解放したかった。ただ、そういうことを言うと、右翼に見える。日本は侵略戦争をして、海外を植民地にして、ありえない悪いことをした。それが正しい。ただ、日本人は悪いから仕方ない。悪いことを悪いと言わない代り、自分が悪いことをしても悪いと思わない。そんなに悪いことを悪くないと言う。外国人は、日本人のそういうところが嫌いだ。そういうわけで、日本人は日本人で、自由だ。

昔の文章は、方法的な構造のようなことを言っていた。

学習、成長、決まり、原因と結果、行動、思考、感情、人間関係、方法、世界観のような、「構造的人間像」のようなことを言う。そして、体験、科学的知性、経験のような、マスターのようなことを言っていた。

そういうわけで、そういう、「自由な世界観と人間像」をいつも書いていた。

自分は、もっと、この世界にあるものを見た方が良い。それこそ、最近、ほとんど何も見ていない。行動もしていない。

あとは、マルクスのような、社会の価値観や考え方を変える、決定的な社会変革をいつも書いていた。

何故か、決定者を変えるだけではなく、それぞれが努力するとか、自由なことを言う。

そういう、コミュニストのようで、哲学的な、世界を変えると同時に、維持するように、考え方を網羅し、包括や頂点のような考え方を言って、世界観を視点から書くような、そういうありえない共産主義者を書いていた。

あまり意味がない。むしろ、右翼のような内容や、資本主義経済のような内容も多かった。

今から、心を支配するのを止める。「相手が分かっていると仮定する」のを止めた方が良い。

滅びよ。死ね。そして、復活し、生まれ変われ。

心は、あなたのものだ。心は、あなたが支配するものだ。

不思議と、聖書は、「相手が分かっていない」ことを仮定して書かれている。相手が分かっていると、仮定していない。それが、善だから、そうなる。そういうわけで、そこを治すと、何も分かっていないのが分かる。分からないのが、正常な賢い人間だ。それで知性が戻るだろう。

そういうわけで、「それが正しい。なぜならクズだ。皆同じだ。」などと言う、喋るだけを黙らせるべきだ。

それは、クズなら、何で正しいのか、分かっていることを前提として、仮定している。それが、知性の無いロボット人間だ。それがロボットだ。「まさに社会主義が馬鹿だ」とか、そういうことを言うのが、一番悪い。

そういうわけで、自分が自分についている嘘を、信じない方が良い。「こんな馬鹿な女しか居ない」とは言うが、居るわけがない。そういう、嘘のような新発見は、信じるべきではない。普通、こういう人間は、宗教のせいでこうなる。女や右翼に一番多い。左翼は考えてきちんと分かる人間が多い。要は、自分は、賢いのも、賢くないのも、どちらも分かっていない。自分が賢いのか、賢くないのか、まだ分かっていないのが自分だ。そういう、自分の現状を考えないから、分からなくなるのだと思う。もう分かっているどころか、ヤバいぐらい何も分かっていない。

昔は、可能性を考えて、成り立ち、作用、自然、心を考えて、当たり前に考えて、普通分からないところを新発見して、分析して、洞察して分かっていた。理由から、それが変えられるのを分かった。本当に理解することで、「分かって自分を変える」ことで分かっていた。

自分は、amazarashiを聴くのは止めた。見ていると、本当に一番怖い歌手だ。バンプを聴くことにする。

人生経験から、抽象的に予測し、必然性を知り、推測し、推論し、証明し、矛盾と学習的結果を考えよ。

昔は、それで、世界モデルを作っただけだ。本当に、その人の視点に立って分かっていた。

そろそろ、そういう、昔のことを忘れた方が良いだろう。

哲学は、むしろ、しなくて良い。哲学名著は良いとは言うが、同じことが分かるだけだ。

哲学は、少ないから分かるだけだ。本当に、少ない方が分かる人間が多い。