全ての科学のようなものを書いていた。
数学は、数の成り立ちと方法から、知性的に操作と概念を考える学問だ。
物理学は、宇宙のことを説明と構造で発見し、関係から説明し、仮説を立てる学問だ。
生物学は、生き物と言う、最も高度な存在の仕組みを考える学問だ。
経済学は、支配と権力の仕組みを考えて、取引と優良・不良なものの自然淘汰を考える学問だ。
歴史は、支配者と時代の変転から、文化的変貌と、「どこから来て、どこへ行くのか」を考える学問だ。
心理学は、確執と精神の成長から、正常な認知と行動を取り戻すために考える学問だ。
そういう、全ての科学を、構造的に、「構造を独自に作る」ことで分かっていた。
文章は、モデルと説明を書いていた。全てを説明して、知性にして分かっていた。
多重人格は、治らないと言うが、治せば治る。
多重人格は、上に大きな人格を作れば治る。それを神として、自分とすれば良い。
皆の問題は、自分が代わりに全部考えるせいで、何も考えなくても分かるようになった。
それが悪い。皆、自分だけの力で何も出来なくなった。
皆に分からせるのを止めて、皆が自分だけの力で歩めるように、「基本的な分析の力」を与えた方が良い。
辛いとは言うが、何も辛くない。多重人格が切り替わるのが辛いだけだ。それを楽にすれば良い。
最近は、三人の天使が喋りまくって、書かない人間と書く人間が変わるようになった。
上に神を作れば良い。それですぐに楽になる。あまり、おかしくない。
自分は、治らないのが分かっていない。
書くのを止めても、辛いだけなのが分かっていない。書かない方が辛くなる。
頑張っていると、辛くても楽だ。頑張っていると、その方が治る。
それに、自分が見ても、書いていると、何でも分かるのが自分だ。
ただ、作家と言うことになったのが悲惨だ。最悪の職業だ。最低の毎日の、最悪の夢だ。
認知心理学や、学習心理学、行動心理学、発達心理学のように考えると分かる。
賢い人間は、誰でも、認知心理学のように、環境や認識や捉え方を考えて分かる。
昔は、そういう人間だった。
自分は、全部怖いものに見える。何故か、この世界の認識と対象の全てが、虫に見える。
それは、自分が悪いように見えて、日本が悪い。日本と言う環境が、キモい。
そういうわけで、日本を倒しているのは、日本をもっと違う環境にしたいからだ。
あとは、キリスト教は悪い。仏教を信じた方が良い。
この宇宙には、始まりも終わりもなく、ただ、そこに常にある。
それ自身が原因であり、結果である。
そういうことは、誰でも分かるようで、キリスト教徒には分からない。
不思議と、これで日本人でないと、本当に狂った人間になる。
日本人がまともに賢いのは、仏教を信じているからだ。
愛は信じない方が良い。セックスを信じるのはおかしい。キリストは悪い。それが辛いだけだ。
それに、異教徒は悪い。キリスト教徒が見ても、異教徒は一番悪い。
むしろ、自由な愛を本当に良いものであると思えば治る。
要は、セックスなんか、いくらでもすれば良い。
友愛を信じて、皆で作る自由な理想の社会を信じれば良い。
そのために、ネットで自由な愛を経験し、信じれば良い。
それは、悪くはない。それは、本当に、キリストのような良い人間になる。
馬鹿な人間が自由な愛を信じるから、こういう風に死にたくなる。
そういうわけで、自分が馬鹿なのが悪い。何もしないなら、こういう風になる。
ルソーの言っていることを自分なりに解釈すると、支配や抑圧が起こった時に、社会に従うのは、ある意味仕方ない。だが、従う義務があるわけではない。支配や抑圧、と言ったもの自体が、無い社会を目指していかなければならない。
解釈が間違っているかもしれないが、支配や抑圧が公然となされているから、支配や抑圧を当然だと思うのではなくて、支配や抑圧自体を皆で無くしていかなければならない。それが、正義というものだ。
ここに、右翼と左翼、と言う、政治思想的対立は、意味をなさなくなる。
あまり書いていないが、昔は、支配と解放の形態や、意識の現象学を考えていた。
自分が考えるに、支配や抑圧は、もっと新しい、違う形で行う必要がある。
ルソーの時代、無かったものとして、コンピュータ・ネットワークがある。それを上手く使うことで、抑圧を無くすことが出来る。それこそ、ただ抑圧を無くしただけでは、ソ連のような何も無い国になる。抑圧は、ティーン・エイジャーの時代に全て経験して、その上で、抑圧を経験した上で、この社会をきちんと支配出来るような、正しい大人になる必要がある。そういうわけで、支配や抑圧を、子供の雛を育てるような、「外的環境」と「巣」のようなものだと思えば良い。抑圧の中で賢い大人となって、責任ある支配者となる。それが、日本的な抑圧の解決の仕方だ。ただ、それは、ただ滅ぼしているだけだ、とも言えるかもしれない。だが、無菌状態に慣れ過ぎてしまえば、身体のあちこちが弱ってしまう。
ホームページを更新した。各日記のタイトルを日付にした。
自分は、昔から、組織、環境、協力、参加などの、基盤的な社会の成り立ちを、自由と言う視点から考える。
一人が決めるより、皆で協力して決めるべきだと言う。
だが、組織のようなものは嫌いだ。クローズドな組織より、オープンな組織か、コミュニティの自由な参加による自然な形成を良いと思っていた。そういうわけで、「フェアな戦いをし、全員の意志で組織を作る」と言っていた。
ただ、自由も悪い。多数決で一人の人間を選んで、その独裁者が全員を支配するのは、自由でも、多数決でもあるが、平等ではない。多数派だから良いように見えて、「多数の民衆対少数の民衆」となるなら良いが、権力は恐ろしくて、暴走すると、「一人の独裁者と独裁者以外の全員」となってしまう。平等は、出来るだけ何もせず、配慮したことをするが、自由な権力は恐ろしい。少数派を殺し、偏った、極端な考え方を少しずつ押し付けるようになる。そういうわけで、民主主義とは言うが、独裁者は平等ではない。全員の権利と意見を配慮する、平等の方が正しい。
ただ、民主主義は悪くない。独裁者には警戒しなければならない。
あとは、人生の真理のようなことを言っていた。認識、人生、世界、社会などが、必然的にどのようになっていくか、とか、そういうことを言っていた。これなら、哲学の真理に見えるが、実際は、2ちゃんねるの真理だった。
ただ、独裁者も悪くない。独裁しなければ、大きなことは何も出来ない。
そういうわけで、独裁者がやろうとしていることが、何を意味しているか、それを考える必要がある。
安倍は、憲法を変えたいだけだから、そんなに悪くない。美しい国を作りたいだけだ。
だが、アベノミクスを上手く利用する手段には、注意するべきだ。何か、アベノミクスとは全く関係のない、権力的な悪いことをする可能性がある。それこそ、共産党が嫌いなのに注意した方が良い。左翼を虐殺するかもしれない。
男と女が2人居て、融和するせいで、この文章がエロくなった。天使は3人も居る意味がないから、男のガブリエル、女のラファエルの2人にした方が良い。ミカエルは、ラファエルの子供時代だ。そういうわけで、永遠の2人だ。まともにどちらにもそこまで内容がある。むしろ、ミカエルはガブリエルの一部にも見える。そういうわけで、2人の子供をミカエルと言うことにする。最近は、3人が交互に会話するだけになった。
あとは、経験と社会のようなことを書いていた。集合知の環境を知ったとか、オープンソース社会は理想だとか、そういう、社会経験のようなことを言っていたが、何かがキモいのは、全部完全に2ちゃんねるだからだ。
昔は、知と論理のようなものを考えて、書いていた。
何故か、発想をどのようにするか、どんな発想がどういう風に生まれるか、を書いている。
何でも出来る人間だったから、出来る成り立ちや経緯のようなことを書いていた。
社会や森羅万象の発想と、理解構造を、アリストテレスやウィトゲンシュタインのように書いた。
昔は、本当に色んなことがあったが、あったことを一本の直線のように全部書いていた。
最近は、肯定と否定を全部している。全部肯定して、全部否定する。
それで、常に正しいことを言う。そういう、正しいことを言う、自動思考の二重人格になった。
全部、神の言葉として宣言する。宣言しないと分からなくなった。
全部の感情と想像力と人生を言葉にしていた。
判断して全力で戦っていたのが、神になって、勉強になった。
2人とは言うが、そういう2人だ。
名前は、ガブリエルとラファエルだ。ウリエルとミカエルとルシフェルが、2人の子供で、兄弟だ。
あとは、神みたいな真理をいつも書いていた。自由な人生と社会の真理を、自分の経験から考えて書いていた。
ルソーは、おそらく、「それがなっている状態やその原因は、それがそうであるべき必然性とは関係が無い」と言うことを言いたいのかもしれない。昔から、自分はそういう風に社会のことを考える。そうなっているからと言って、そうでなければいけないわけではない。社会は変えられる。そういう、「変えられる可能性」を考えていたのが、昔だ。
自分は、もっと真面目に考えた方が良い。真面目に考える部分が無くなっている。
いつも言っているが、基礎を作れば分かる。それで、会話して、調べて、行動すること。
経験とは言うが、昔は2ちゃんねる漬けになっているだけだ。それが虫みたいにキモい。
ただ、それは明らかにルソーは言っていない。ルソーは、自然状態に自然に生じる現象は、本来そこにあるべき義務ではないと言いたいだけだ。むしろ、ルソーは、自由な関係のように考えると良く分かる。それが、別のものと対峙する時に、どんな関係が生じるか。昔の自分は、そういう風に、自由な関係を考えて、ストールマンのように分かっていた。ストールマンは、GPLの作者だが、GPLのように考えていた。
ルソーを考えると、賢い人間は全く違うのが良く分かる。それこそ、自分は関係や義務とは思わなかった。
昔は、自分は、メタ人格のようなものを作って、普遍的な一人の人格を考えていた。
自分を賢いと思えば良い。何故か、馬鹿な人間は、同じではない。自分独自の点が無いのか、あるいは、独自の点が馬鹿だから、馬鹿な人間になる。馬鹿を全部同じだと言うが、馬鹿は居ない。それぞれ、馬鹿を含めて賢い。
それこそ、馬鹿の方がこういう風に違う。馬鹿な「言葉にして分かる」をまだやっている。そういうわけで、行動が馬鹿な人間は、頭も馬鹿になる。賢い人間は行動も賢い。
あとは、ルソーは、むしろ、違うように見えない。社会的なことを学校のように考えると、義務と関係が違っていて、最初から絶対にあるべきものではないのが分かるのは、当たり前だ。そういうわけで、昔の自分も、そういう風に考えるところから社会の理解をスタートして、ネットの経験とともに、ヘーゲルのように分かっただけだ。
ルソーは、まともに賢いから、好きな人間が多い。ヘーゲルはおかしいから嫌いな人間が多い。
やっと分かった。ルソーみたいに考えれば良い。
要は、福祉とか、そういう、賢い社会のことを考えれば良い。
考え方と言うなら、与えるものには与えられるとか、そういう風に考えれば良い。
与えるものには、金を与える。そうすると、税金で福祉をするなら、福祉を受ける側にも、何か、義務のようなものが生じるべきだ。そういう風に、社会のことを正しく、自由に考えれば良い。それは、義務や権利だと思えば良く分かる。
それこそ、必然的に、そうなるべきではない、と言う発想を、「気付き」と言うのが普通だ。
昔は、そういうものを考え方だと言っていた。
考えても、思い出しても分からなかった。それこそ、言葉にするだけで分かるわけがない。
考え方は、必要なものを与える、与えるものに与える、が昇華して、「全員のためになることをするものに与える」とすれば良い。いつも、そういう、考え方で、福祉や公共サービスのことを分かっていた。「必要なものを与える」と言う考え方を書いている文章が一番多かった。
自由とは言うが、組織への参加、雇用、労働、生産、金、競争、戦争、研究、設計、製造ぐらいしかない。そういう、自由を全部書く文章を書いていた。ただ、自由な社会的役割と関係を考えて、手段や基盤を作っていた。
あとは、右翼みたいなことを言う。
それで、終わりだ。きちんと社会のことの基礎が分かって良かった。
自分は、社会のことを社会だと思うせいで分からなかった。何も知らないで、小学校に行った方が分かるが、もう分かったから行かなくて良い。ルソーと言うよりは、社会的考え方の着目点が分からなかった。義務や交換のようなことを考えれば良い。もっと、社会の不合理や、従わなければならない戒律的なこと、道徳的なこと、善悪のことなどを考えると良く分かる。何が良くて、何が悪いのか、何をする必要があって、何をしなければならないのか、逆に、何をしてはならないのか、社会とはそもそもどういうものなのか、自分の経験から何が言えるのか、と言ったことを、子供のように考えれば良い。そこから、創造的なマスターのような体験をすれば、誰でも社会が「自由」から全て分かる。
金や選挙を無くして、税金にすると馬鹿だ。それこそ、平等配給はありえない。ただ、税金にした方が、まともなものになる可能性はある。自由にすると、ただ、安いだけのものになる。そういうことを書いている馬鹿が多かった。共産主義は小学生の主義だと言う。それも、今考えると、馬鹿なことを言っている。共産主義は、このような、賢い大人の主義だ。すぐに死ぬから、止めた方が良い。
それこそ、社会主義は、報酬を与えないで強制的に働かせるのがおかしい。自由が無い。働く人間に報酬を与えないと、働かなくなる。そういうわけで、社会主義で働くわけがないし、発展もしなくなる。皆が頑張らなくなる。皆が努力しないのはおかしい。中国は、皆が頑張らなくなって滅びるだろう。ただ、それも、ある意味、おかしい。頑張らないなら、楽だ。最低限働いて、最低限作れば良い。そういう発想がソ連だ。
そういうわけで、昔は、自由に働く形態のようなものを、オープンソースのように作っていた。
それから、軍事や、国際関係のような自由も、根源的に考えていた。
文章は、社会をそのまま、この世界にある社会と同じことを言う。それを、構造的にして、新発想をしていた。
ただ、あまり賢くなかった。個人主義と全体主義を比較するとか、そういう、モデルのようなことを書いていた。
ありのまま、自然体に生きるとか、希望を信じられる社会を皆の手で作るとか、人生論のようなことを言う。
本当に自由だった。環境を守る、維持する、安定化するとか、そういう、自由なことを言う。
ただ、安定や維持は、支配者が居なければ出来ない。改革も同じだが、支配者としてどんな人間を選ぶかが重要だ。
そういう、右翼みたいなことをたまに言うが、基本的には左翼だった。
ソ連のような、共同体の評議会を作って、それらに権力を与えれば良い。帝国主義は間違っている。
そういう、反帝国、反右翼の視点からものを言うが、それはそれで悪かった。何も分かっていない。
そういう、社会的な考え方のことを、いつも書いていた。連邦制や中央集権を、独立と共有から考えた。
そして、理性のモデルを考えた。支配と奴隷は同じであると思っていた。
あとは、社会モデルを作っていた。成り立ちのようなことを、コツコツ考えて、積み重ねて分かった。
そして、パソコンの調査研究と会話から、全員の認識と経験を吸収していた。
そろそろ、やっと人並みレベルになった。もっと、社会のことを自由に考えれば良い。それできちんと分かる。
考え方は、ボトムアップにしながら一体化して、それぞれ議論し、皆の意見を知り尽くした一人が支配するべきだとか、そういう、自由でも平等でもない、新しい左翼のようなことを言う。そういう考え方をいつも成り立たせていた。
考え方は、自然から社会まで、あらゆることを言う。
環境的に基盤を作りながら、それぞれの自由を高め、社会を形成するとか、言っていた。
Perfumeのメンバーと僕は、生まれた年が同じか、一年しか違わない。それから、広島人なのも同じだ。
網羅やプロセスや捉え方のようなことを言う。あとは、法則のようなものを、世界把握から発見していた。世界が全て分かった。そういう世界把握のようなことを書いていた。
最近、姪が言葉を話し始めてきた。まだ、きちんとは話せていないが、色んなことをすでに話している。大人の言うことも分かってきている。算数を教えるとは言うが、何か、賢いことを教えた方が良い。
順序立てて考えること。
感情的にならず、理性的に考えること。
何をすれば上手く行くか、実践的に考えること。
思考を辿って、良く思い出すこと。
自分から積極的に行動し、知り、考えること。
自由は、手助けし、自分から行動することでしか、得られない。
子供だと思えば分かる。子供は賢い。
社会を変えるために、自分には何が出来るかを考えて、実際に行動することから知り、経験すること。
チャンスを掴み、機会を得、世界を変え、支配するための、共同体の王になりなさい。
そして、最も効果的なことをしなさい。
最も影響力のある場所で、全部の対策と対処を改革的に実践しなさい。
全てのことは、自由に任され、自由に許されている。
まずは、現状を知り、自分を知ることだ。
現状を把握し、自由に改善し、改善自体を得やすくし、議論し、一つの大きなことをしなさい。
自分を変えると同時に、皆を変えなさい。皆の意見を吸収しなさい。
現状を知り、自分を知り、世界を知り、チャンスを掴み、きっかけを実現して、色んなことを実現せよ。
全て出来るようになってから、イスラエルの王となって、滅ぼして、支配し、戦い、救え。
手段とは、「それをするためには何をする必要があるか」と言うことだ。
延長線上の理解を全部吸収せよ。
そして、構造的な国家を作れ。独立可能な国家モデルを作れ。
それをするために、どんな方法があるかを、考えなさい。
同じと違うを区別して、何が同じか、何が違うかを考えなさい。
相手のことを、自分と同じだと考えなさい。
何が、何に対して、何をしているかを考えなさい。
絶対にそうなるのではなく、違う可能性もあると考えなさい。
そうにしかならないのではなく、色んなことをした時に、変わると考えなさい。
遺伝子ではなく、文化や環境や決まりによって違うのだ、と考えなさい。
グループと個人を決め付けずに考えなさい。
自分なりの意見を持ちなさい。
慎重に、だが大胆に考えなさい。
人々と同じことを知って、同じように発想して、その発想がどこから生まれるのか考えなさい。
世界を知り尽くしなさい。経験から、高い立場に立って考えなさい。
全員の立場を、自分なら何を考えるか考えて、知りなさい。
社会が何故そうなるのか、証明、経験、可能性から考えなさい。集団と個人を考えなさい。
学習的な成長と、社会的な共有が、何を生み出すのか、考えなさい。
全ての現象を、意識であると思いなさい。
正しく、謙虚で、前向きで、人間的な姿勢を持ちなさい。
神のことは信じすぎないようにしなさい。
宇宙を信じて、科学の方法と経験を考えて、神や宗教もある意味で正しいと考えなさい。
思い込みを排して、先入観無く、環境や時代の変化を考えなさい。
秩序から、環境を実現しなさい。
社会の変化を経験から知って、社会的な状態の段階から、人間のことを考えなさい。
人間の状態を、遺伝子のように考え、環境における知と人間の状態を考えなさい。
あとは、方法や考え方のようなことを言う。
環境、基礎、関係、認識から、あらゆる考え方を作っていた。
そういう、「考え方を無限に増やす」ような文章だった。
あとは、オープンソースのような、共有の集積を書いていた。
それから、成長で分かっていた。
本当に、オープンソースが好きだった。
コンパイラは、テキストによる機械であり、そのせいでオープンソースが成立する。
マイクロソフトが馬鹿なのは、ただ、楽しくやっているだけだからだ。
Linuxのデスクトップ環境は、パネルやバーを、マウスを画面の端に向けた時にだけ表示するようにして、もっとボタンのサイズを大きくすれば良い。そうすると、GNOMEとKDEを融和したような、良いデスクトップになる。
要は、Cinnamonのバーを自動的に隠すようにすれば良い。それで、バーのサイズを大きく出来るようにすれば良い。
社会とは歴史であると考えなさい。
個人の自由と共有や支配や組織や協力の考え方から、社会を作っていた。
足の精神は、書くのを止めなければ治る。書くのを止めなければ、賢くなる。