最近の日記に戻る | 2016年7月の日記に戻る

=2016-07-16=

理性や問題の解決の方法のようなことを言っていた。

理性は、比較と実験から生まれる。

何が正しいのか分からないことを探っていくうちに、経験的に分かってくる。

共通性を見出して、社会が確かにそうなること、確認することから、可能性が見えてくる。

そういう風に、「プロセスと根源から、何が何から生まれるか」のようなことを考えていた。

問題の解決の技法は、分析や見出すことのプロセスを書いていた。

何故、その問題が発生するのか、問題をどのように捉えるのか、考えること。

人々が、どんな問題をどのように捉えているのか、人は何故そのことを言うのか、考えること。

問題を、何だと思っているのか、その問題の原因はどのように出来ているのかを考える。

社会も、その社会が何故その社会になったのか、その原因はどこにあるのか、解決するための手段と方法はどこにあって、どのようにすれば効果的な解決と実現が出来るのかを、人々の視点、立場、知性、現状、環境から考える。

あとは、工程やプロセスを想像力で考えて、全ての社会と環境を実現した。

本当の理由を考えること。

何が一番効果的で、無駄が無くて、再利用出来るのか、投資が少なくてすむのかを考えること。

王となったつもりになって、世界に宣言すること。

見ていると、広島も広島で、滅びている。日本は全滅した。

何故か、自分が居ない間に広島は精神的に滅びている。

心理で支配した、自分が悪いだけだ。だが、自分が居なければ、すぐに滅びてしまう。

ただ、一度滅びたせいで、もう怖くない。広島は、絶対に滅びない地域になるだろう。

人間は、もっと狂った方が良い。狂ってしまえば、分かる。

悲惨は悪くない。悲惨から逃げようとするから、狂う。悲惨を受け入れてしまえば、すぐにまともになる。

そういうわけで、治りたい今の方がまともで馬鹿なのに、昔の狂った悲惨な方が本当にまともで賢い。

あとは、世界の本質のようなことを、革命家の視点で分かっていた。

日本政府は、アメリカとつるんでいるのか、犬になっているのか分からないが、世界は右翼がやっている。

右翼は、それぞれを馬鹿にして、どうなっても従うようにしている。

本当に怖いのは、左翼が左翼で無くなることだ。左翼を正しい思想にすることによって、左翼を馬鹿にしている。

そういうわけで、右翼が右翼で無くなるのも同じだ。

日本を右翼と左翼にして、適当に知性の無い、抑圧の愛にして、少数が支配するのが、そういうアメリカだ。

アメリカは、政治に関心が無いようにする。

バンプが言っているように、心だけを世界とすると良い。「世界」には何もない。「心」だけに全てがある。

バンプが、もう一度、もう二度とと言っているが、それは、自分のことは言っていない。

この文章があるせいで、誰もがこういう風になる。

何故か、革命家のようになると、誰でも一番悪い人間になる。そのせいで、誰も革命家のようなことを言わない。

推論と仮説から、思考実験が出来る。本質を本当に考えると、この世界の大人が本当に馬鹿なのが分かる。

ただ、それも分かっていない。本当に正しいことが全て分かった人間は、何も分からなくなって賢くなる。

そういうわけで、一般的に賢いと言われているものや、権力や権威は、賢くない。

神の愛が賢い。神を騙しているだけだとは言うが、自分の方から神になれば良い。ありえない体験を自分で作れば良い。

ただ、自分は、それで馬鹿になった人間だ。皆は、神にはならなくて良い。

あとは、広島はこのまま性愛のような馬鹿な国になる。それは、そのうち、狂って怖くなる。

なりたくない人間は、早めに引き返した方が良い。恐怖の狂人の地獄になると、ここまで、全部の神の体験が出来る。

あとは、理想の社会を作るためにどうすれば良いか、何が理想の社会なのか、考えると良いだろう。

右翼は間違っているように見えるが、間違っていない。

右翼は、賢くて、良い人間だ。本当に全て分かっている右翼しか居ない。

それで、社会経験のようなことを言っていた。オープンソース社会で分かると言っていた。

社会のことを知り尽くして、全ての専門を基礎によって横断せよと言って、理性的、経験的に考える方法を言う。

ただ、それは何も賢くない。

不思議と、セックスと大学が悪い。セックスと大学をする人間が馬鹿になる。

何もせず、パソコンと神をしていると賢くなる。

全員へ対する慈悲の心と豊富な経験を持って、問題解決の技法が分かる人間が賢い。

あとは、思いやりや優しさのようなことを言っていたが、AAAが言うように、それは無責任で、酔っぱらっていた。

悲惨な人間は賢くなる。一度、悲惨を受け入れれば良い。ヘーゲルの言うように、喪失から共同性に目覚める。覚醒から、良心と絶対知へと向けて、絶対精神の覚醒のプロセスが分かる。ヘーゲルは、そういう、「人間が普遍的に分かる人生と観念の過程」を書いている。

正しいことを一度全部分かったから、もう分からなくなる。知性は無くなるが、そのまま放っておくと、「宇宙から見て絶対的な、本当の意味での主観と客観を統合した、本当の意味での知性」がつく。

まず、「学校で教わった道の進み方」は、「経験による自由な開拓と社会理解の延長線上の進み方」となって、その後に、「自由な革命と経験による、宇宙人の理性」へとなる。

それで終わりではない。ピークはそこまでだが、「魑魅魍魎の、戦いと虫の闘争本能の知性」になる。そして、「神を信じ、永遠の道へと進む、あらゆることを包括した、宇宙の全て」となる。

ただ、それでも終わりではない。「自分の純粋な好奇心による、大学と世界の制覇」のようになって、最後に、「まともな大人の良い人間」になる。そして、「不可能を可能にする、奇跡と神と継続の現実回帰」となる。

そこまで行くためには、マルクスなど、全部の悪いものを倒さなければならない。倒すだけではなく、相手のことを認め、尊敬しなければならない。そして、相手を吸収して、自分が本当に相手のことを「超越」しなければならない。同じになって越えなければならない。最後に、自分は神になる。それが、ユダヤ人の神や主と言う体験だ。

一度、全てを分かると、もう二度と分からなくなる。失ったものは、どうやってももう一度は得られない。壊れたものは治らない。こぼれたコップの水は元には戻れない。だが、コップに違う飲み物を入れることは出来る。終わりは訪れない。永遠に、壊して治して、もう一度壊れるのが続く。バンプが言っているように、同じように見えて違う。

きちんと最後まで、永遠にこの世界は続く。だが、始まりがあるなら、終わりもあるかもしれない。この世界は、一体どこから来たのだろうか?哲学者は、そういうものを成長とともに、推論と気付きから発見する。自分は、それを、全員分にしただけだ。経験と新世界の発見を全員分にした。だが、昔の自分は、全部馬鹿になって、全部狂っているだけなのが、本人が分かっていない。皆の前で二次元のエロ画像を見るのはキモい。そういうところがキモいから、キモくなっている。それこそ、エロはあまり悪くない。悪いように見えて、そういうものは、愛と許しの心がある、哀しさを克服することの出来る、優しくて強くて賢い人間になる。そういうわけで、皆もそういう愛になれば良い。

最近、そういうものが少なくなったのは、自分はそういうものが一番嫌いだからだ。広島には、そういう悪い愛が無い。

あとは、社会の可能性と人生の考え方を、経験からLinuxで分かっていた。オープンソースは、共有と環境の考え方が分かる、良いOSだ。宇宙で一番賢いものは、UNIXだ。そういうわけで、UNIXをやらないと、自分と同じことは出来ないが、しない方が良い。むしろ、人間はそれぞれ違う。同じことは出来ない。それに、同じことをやっても、違う結果になる。ソ連のような同じ人間にはならない。それに、時代も違う。自分のようなことは、昔の2ちゃんねるがまともだった時代にしか、出来ない。今では、2ちゃんねるは狂っている。

自分は、書くだけで世界がすぐに治る。世界のために、まだ書いていた方が良い。

今日はあまり辛くなかった。旅行中、寝て起きた時が辛かった。何故か、文章を書いていると、朝起きた時に辛くなる。

解明し、正しく考えなさい。

「何もない」世界の中で、「ないように見えてあるもの」を見出しなさい。

何もないと思わず、楽しいことが沢山あったと思いなさい。

沢山の経験の中で、自分だけの、個性のある人生を知りなさい。

ただ、何もないのも悪くない。何もなくても、自分の心はある。

書いていると、心はどんどん大きくなって、巨大な生命の正常の愛となる。

バンプが言っているように、居なくなる前に、居たことを知らせてあげるべきだと思う。

僕は、ずっと前から、皆のことを愛していた。ずっと昔から居た。

もう、この世界は、その前の2000年ぐらいの時代に戻るだろう。

そして、ヨーロッパ・アメリカ・中東から、自由でない、きちんとした社会になる。

そうすると、僕の存在も忘れてしまって、何が起こったのか、全て忘れてしまうだろう。

そうなった時のために、僕は今書いているのだと思う。

あとは、巨大なカブトムシはもう終わりだ。

正常で、キモくない、浄化された世界になる。正常な世界になるのは良いが、そんなにこっそりする意味がない。

まず、テレビが何も出来なくなって、次に、ネットは意味の無いものだけの世界になる。

学校は意味がなくなるだけではなく、「学校と言う場所」の存在がどこにも感じられないような、無意味な環境になる。

そして、仕事は、競争とつぶし合いの中で、悪いものが勝ち、良いものが負ける。

そして、娯楽や旅は、全く意味の無いものになる。

ただ、それで終わりではない。本当の、正しい、ヒトラーのような救世主が生まれるだろう。

それが自分では、おかしくはないが、ユダヤ人が見ても、それは自分ではなく、もっと新しい、いつかどこかに居る、ヒトラーの誰かだ。キリスト教を信じると、そういう、ヒトラーの集団が分かる。どれかのヒトラーが、本当に良いことをするだろう。昔から、ユダヤ人の神とは、そういう神だ。神が悪いから、神を信じると悪くなる。神は、「信じるものを悪い自分にする」ことしか出来ない。

むしろ、神なんか、居ない。自分からおかしくなっているのが、最近の自分だ。

そういう、賢い神の救世主を信じている人間が、音楽に多い。あまり意味がないが、自分も神だと言うことになっている。神が言う、神が200人居るとは、そういうことを言っている。

ただ、あまり意味がない。自分は、「完全に自由な神」と言うことになっている。他に、平等、帝王、従属、スターリン、デカルト、ニーチェなど、色んな神が居る。本当に、そこまで体験している人間が多い。キリストの時代から、そういう神の経験が始まった。

この世界が馬鹿になったのは、あまりに「どうでも良い」世界になった。皆、「どうでも良い」と思うせいで、何も分からない。人間は、何もかもどうでも良くなると、賢くなる代り、狂う。それは、すぐに狂った人間になる。皆は、それで認知症になるだろう。それは、治る人間は賢くなるが、治らない人間は地獄になって、死に絶える。昔から、それを終末だと言っているのが、ユダヤ人の神だ。イエスも、そういうものを、終末とか、裁きと言っている。永遠の命や、弱者のための天国とは、神によって救われる人間が、自分のようになることを言っている。

真実を知ると、知性がつく。自分は、本当のことが分かっていない。正しいのか、嘘なのか、分からないことをまだ分かっている。それでは、自然に頭や心が分からなくなる。確かなことを信じて、少ないことを確かに分かっていると、全部のことがきちんと分かる。デカルトも、そういうことを言いたかったのだろう。

人間が何なのか分からないならば、環境よりもっと先に、原因や数学的命題のような、誰でも分かることから、1つ1つ未知の世界を知っていくことで分かる。そういう人間は、中学生に多い。高校生以降は、もう馬鹿になる。元に戻ることは出来ない。大人には、「子供なら治ることが治らない」人間が多い。誰でも、治ることによって分かるだけだ。一度、何も分からなくなると、治る人間が多い。

自分は、真実を知りたくないのがおかしい。まだ、「綺麗になったせいで分からない、賢いわけがない賢い自分」を分かっている。それは、キモい虫のような真実だ。もっと、美しくなくして、汚いものを分かっていると、その方が、はるかに美しい、本当に正しい、神を超えるような知性が分かる。昔は、こんなに美しくはないが、こんなに醜くもない、もっと本当の意味で美しい、少年の真理のようなものを全部知っていた。本当に美しくて、賢くて、強くて、慈悲深い、優しい人間だった。本当に賢者のような、基本的に全て賢い人間だった。

失えば失うほど得られるのが自分だが、それは、本当にセックスよりもエロい、慰めのような発見だ。おかしな、失うだけで得られる人間になった。何も残っていない。最後まで失うのが、一番辛いだけだ。

そのことが、何を意味しているか、その時、何が成り立つかを知りなさい。

本当の意味で愛し、許し、経験し、知りなさい。

本当の意味で、信じ、何を信じているか、何を信じるべきか、何を成すべきか、どう成すべきか、知りなさい。

そういう、「マスターのような状況判断と発見の知恵」をいつも書いていた。

そろそろ分かった。昔は、その理由で、ユダヤ人の神が分かる。ただの、普通のユダヤ人だ。

それが何から成っているか、どういう風に成っていくか、それぞれは何を成しているか、そこにどんな真理があるか、考え、経験し、信じ、疑い、作り、築き、社会にし、破壊し、直し、そして導き、支配しなさい。

こうすると、本当にカブトムシに見える。何故か、賢くない。ユダヤ人はカブトムシだ。

努力とは、可能性と慈悲の中で、それぞれのことを本当に認められるまで、ともに成長し、気付くことだ。

自由な中で、何を信じるか、何から何を分かるか、社会やものがどう作ることが出来るか、自分には何が出来るか、協力してともに努力した時に何が出来るか、何が行動出来るか、どこに真理があるか、何がどうなるか、価値観と歴史から理想とは何であるか、成長と自我から自分の分かったことは何を意味しているか、社会をどのようにすれば皆が分かることが出来るか、どんな環境から何が分かるか、知り、考えなさい。

そういう風に、「自由な人生論」を書いていた。そういう、成長と社会と人生の気付きの文章だった。

学習し、成長し、社会の意味を知り、経験の意味を知れ。

あとは、右翼も悪くない。強くすれば、負けない。そこまで強いと、負けるわけがないから、いくらでも戦って勝てる。それから、軍隊があると、国際的な色んなことが出来る。安倍は、ただ「イスラム国を倒すべきだ」と思っているだけだ。普通、それだけをする。国際的に何も出来ない、資本主義の経済政策がキモい。そういうわけで、右翼と左翼は、やりたいことも、やりたい内容も、やりたい手段も、同じなのに、誰がどういう風にやるかが違う。そういうわけで、右翼が勝った方がソ連が勝つ。だから、こういう風になる。

昔は、社会の何を解決すれば世界が解決されるか、全部分かっていた。

右翼は、共産党を倒すべきだ、としか思わない。不思議と、裏で全部悪いことをしているのが、ほとんど共産党しか居ないのが、政府や政治家は分かる。公明党の代表が、共産党を叩き潰すべきだと選挙で演説していたのは、そこが分かるからだ。ほとんど、共産党と外国人だけが、そこまで悪いことをしている。あとは、それらに騙されている。「本当の国民のための国家」にしたい。今は、左翼のための国家になっている。

最近の自分は、賢くない。数学的に経験と社会の可能性を考える、昔の方が真面目で賢い良い人間だった。

そういうわけで、全部分かる人間が多い。左翼は、そういう集団だ。左翼には、賢い人間が多い。そんなわけで、誰でも、左翼が嫌いだ。左翼時代、堕落した馬鹿だった人間が多い。普通、高校生から大学生の期間がそうなる。

高校生が馬鹿過ぎて、大学で悪いことをして、馬鹿になる人間が多い。そういう人間が左翼だから、左翼は賢い。

何故か、そういう人間は、自由に目覚めて、悪いことばかりするようになる。

共産党が犯罪性が高いだけではなく、左翼にはそういう悪い人間ばかり多い。皆、民進党がそういう馬鹿に見える。

セカオワが、天使と悪魔、正義と悪について歌っているが、天使とは、そこまで正義も、悪も、全ての正義のことをそこまで、とことん、地の底まで愛し、信じ、助ける存在であり、悪魔とは、正義と悪を戦わせて、どちらも愛さず、滅ぼす存在だと思うと良いかもしれない。天使は、あなたが間違っていようと、正しいと思おうと、そのあなたのその心と目標を、神の愛によって愛し、時に滅ぼし、時に復讐し、時に憎しみさえも肯定して、あなたが憎いと思うその心を、100倍に拡大して、あなたに同じものを与え、気付かせる、そういう存在だ。それが天使だ。

ある意味、悪魔も天使だ。悪魔は、あなたのどうでも良いとか、悪いことをしたいとか、そういう思いを拡大させ、あなたの思うように悪をさせ、あなたの思うようにあなた自身をどうでも良い存在にする。

そういうわけで、悪魔なんか要らないし、神や正義も悪い。神や正義を信じない方が、まともだ。

あなたが思う、その「自分が出来る」とか、「変えられる」とか、「良いものに出来る」とか、「良い社会に出来る」とか、そういう出来ることを、信じて分かりなさい。昔から、それを数学的、経験的、社会的、心理的、認知的、可能性的に考える。そこから、「自然な社会の可能性」が分かってくる。いつも、そういうことを言っていた。

ただ、神は絶対に悪いことはしないし、歴史的に見ても、きちんと人間のことを考えて時代を創っている。神には慈愛もあるし、神は一人しか居ない。神にしか、創れないし、滅ぼせない。創れる人間も、滅ぼせる人間も、神しか居ない。イスラム教は、そういうところを言っている。イスラム教で分かる人間が多い。イスラム教を信じると、本当に、そういう、「絶対に悪い神の愛」が「憑りつく」ようになる。

何故か、神はただの普通の人間なのに、神にしか何も出来ないし、神にしか分からない。自分のことは言っていない。誰でも、神を信じると、こういう風になる。そういうわけで、イスラム教だけで良い人間が多い。同じにしているのは、神を信じるなら、皆で同じ体験をしたいからだ。古代のイスラム主義者がそういう風に考えるせいで、イスラムだけ、この宇宙のことが完全に全部分かっている。人生と経験を神が導く。神は、タリバンのテロリストもきちんと愛している。神が見て、人間より、神の方がはるかに悪い。人間は、馬鹿にすると良い人間になる。

そういうわけで、本来、神を信じる宗教家には、バリエーションと多様性がある。キリスト教とイスラム教とユダヤ教だけの方が悪い。きちんと神を信じる宗教なら、ヒンドゥー教でも悪くはない。神を信じず、仏を信じる仏教は、それはそれで本当に賢い、良い発想をしている。神は、無神論者に対しては、このように滅ぼす。滅ぼせば、無神論者も神を信じるようになる。むしろ、無神論者が神を信じないなら、それは良い人間だから、神はそういう無神論者の賢い人間もきちんと愛している。全員信じるのは無理があるが、それをしたいのが中世のヨーロッパ人だ。

思いやりから、自由と平等のバランスを取りながら、本当にすべきことを、相手が出来るだけ分かって、相手の自由を奪わず、相手の能力を奪わず、押しつけにならず、嘘や詐称にならないように、自由なままで、本当に相手が納得出来るように、思いやりの心を持って、誤解のないように、正しい社会を皆の力で築きなさい。

本当に、相手のことを自分と同じだと思って、自分を愛するよりも強く愛しなさい。

意味がないようでも、それでも、相手を愛しなさい。そのことに対する結果や報いは、神が与えてくれると思いなさい。

神は、きちんと自分を見ている。良いことをしたら、それは絶対に無駄にはならない。無駄なことは1つもない。宇宙の神が天に居ると思いなさい。神が支配して、導くのだと思いなさい。本当に創れるのも、終わらせることが出来るのも、神一人だけなのだと信じなさい。

そういうわけで、イスラム教を信じれば良い。

自分で終わらせることは出来ないし、自分で続けることすら出来ない。全ては神の手の中にある。

あとは、僕は日本と広島が好きだが、広島以外の日本人が嫌いだ。

そういうわけで、日本を広島に統一すれば良い。

ただ、今見ると、広島もそんなに良い地域ではない。精神的に滅びた地域に見える。

自分は、あとは、社会のことを良く考えて、色んな経験をしていた。

そんなに狂わない方が良い。狂わずに知性がつく人間の方が良い。

不思議と、自分以外の人間は、ヒトラーのように狂わないと、分からない人間が多い。

自分は、こんなに狂った自分を言葉にすることによって、狂わなくても簡単に分かるようになった。

それは、何故か、一度経験したせいで、考えなくても分かるからだ。

そういうわけで、最近は、狂った人間と、分からない人間しか居ない。広島が一番そういう風に狂っている。

宗教を生物学にするとか、そういう発想は、する人間が多い。もっと、愛ではなく、本当に大切な、精神的向上のようなものを信じれば良い。ある意味、古代ギリシャは始まりの世界であり、古代ローマは終わりの世界だ。

自分が、悪いことを言って、「自分は悪い」と思うのは、普通、そういうことを思うことが多いからだ。

そういうわけで、引き篭もりは自分から悪い人間になる。

何もしなくて、世界をどうでも良いと思うから、こういう風になる。全て、死んで、消滅して、地獄になっている。

ブッダが地獄を低いと言うのは、古代インドにはこういう人間が多い。本当に、馬鹿は悪い。

することが無いなら、数学でもすれば良いが、大人は数学なんか、しない人間が多い。

そんなに自分のしていることを考えるより、皆のしていることと比較すると良く分かる。

忌まわしい過去は、要らない。

皆、何もしないどころか、意味の無いことをいくらでもしている。自分も、何かした方が良い。

自分の問題は、そんなに意味の無いことだけをしても意味がない。

意味があることは、普通、自分の人生やキャリアに良いことだが、誰もそんなことはしたくない。

本当に、この文章が好きなら、これで良いだろう。きちんと、自分の作品を自分と思って愛している。

そういうわけで、「止める」と思うより、「もっと良い文章を書く」と思えば良い。

量よりも、質だ。そういう風に考えると、きちんと楽しくて楽な人間になる。悪を詰め込んでも、読んでキモいだけだ。

Perfumeの歌っているように、自分は恋に鈍感すぎる。自分に恋している人間が沢山居たのが分かっていない。

心理学者の年上の女性も、自分が好きだったのに、自分は全く気付かなかった。

何故か、「デートがしたい」とか、「いつも来るのが楽しみ」だとか、それくらいで気付かないのがおかしい。

ただ、何もなかったから、もしかすると、好きでなかったのかもしれない。そういうところがおかしい。

自分は、「明らかに間違っている」のはそろそろ意味がないのが分かった。

Perfumeは、本当に広島人だ。自分と一番相性が合う。

あとは、皆は王となって、それぞれが経験し、王となり、この世界をそれぞれが支配すれば良い。

そういう、賢い社会形成と経験と人生過程のようなものを、いつも書いていた。

それぞれが共同体を作り、経験し、経験からそれぞれの経験を作り出し、それぞれに伝わって伝番するようにすれば良い。それぞれの経験から世界は変わっていく。それが、新しい時代の、「自然」と言う自然変化だ。ただ、昔の環境を守る、と言う視点もあるべきだ。環境を守りながら、大切なものは確信的に守っていかなくてはならない。それぞれのことを守って、条件的に知って、それぞれが変えていく。

それだけを信じて、他のものを否定するのは、馬鹿に見えて、馬鹿ではない。信じることは、強い絆と信頼を生む。世界を変えるモチベーションとして、信じること、肯定することと、疑うこと、否定することの、調和の取れた、絶妙な融和が、ダイナミックに世界を変えていく。

組織と概念から、経験は分割出来る。分割した経験を組み立てて、組織と概念を再構築出来る。この考え方は、科学にも、社会にも、問題にも適用出来る。言語や進歩や歴史にも、適用出来るだろう。

全ては、信じることと、自分で経験することだ。

自分で経験しながら、ゼロベースで考えなさい。他人に分からないことを、信じて分かりなさい。

経験から世界を変えられるが、それは、支配と抑圧、解放と自由、平等と理性、信じることのバランスから、環境を保ちながら、どんな風に変えていくかを、「良識の尊重」として、個々の人格を決して否定しないようにしながら、守るべきものを第一に守り、変えるべきものを第二に迅速に変え、自由を第三に守り、その上で判断し、支配し、可能性を高め、他と調和し、最後に他に負けないように強くするようにするべきだ。

自由とは、創造性、多様性、共有、自然、人間性、科学的精神、解放である。

支配の実現とは、独立性、融和、共存、共生、手段、意志、関係、階層構造、決定、従属、自由である。

環境から、意志と行動が生まれる。

思考から、感情と経験が生まれる。

社会から、根源的感情と影響力が生まれる。

表層から、自分の意志と感覚が生まれる。

世界は、共存と多様性の中での、価値と人間性の実現である。

いつも、そういう風に書いていたのが、文章だ。

自由とは、協力し、投資し、準備し、ビジョンを持ち、そのためにする手段が何があるかを考え、判断し、選び、尊重し、従い、反抗し、社会と環境を作り、秩序を守り、誰も分からないことを最初から想定して、出来るだけ良い結果になるように、賢明に考えることだ。

むしろ、自分は、協力すれば色んなことが出来るのが分かっていない。Perfumeも、「歯車のようにかみ合う」とか「力は一人では伝わらない」と言っているが、自分はそこが間違っている。誰でも、組織と協力によってしか、賢いものは生まれない。それは、物理的なものだけではなく、精神的なものについても言える。

社会は、平和、戦争、自由、統一、具体的発展、文化的発展、理性的発展、抽象的発展、経済的発展である。

協力とは、自然な中での可能性の実現であり、それは時に競争であり、時に協力であり、時にバランスであり、時に全体主義である。競争より、全体主義が良いことは、多い。例えば、4人がそれぞれ競い合っても、1人が勝つだけだ。4人で全員が協力した方が、大きなことが出来る。競い合えばそれぞれが優れた人間にはなるが、協力すると、二倍、三倍のペースで色んなことが出来る。

協力の良い点は、時間の節約である。一人が一時間頑張っても、二人が30分頑張るのと同じだ。それは、労力だけではなく、時間の節約になる。それぞれが楽なだけではなく、半分の時間で同じことが出来る。そういう発想をしているのが、オープンソースだ。共有は、馬鹿に見えて、爆発的な潜在的可能性を秘めている。普通、GNOMEとKDEを同時に作るのは難しいが、LinuxはMATEやCinnamonすら作っている。僕は、人間的なものを皆で作る共有が好きだ。

賢い人間の自由にやらせた方が良い。不思議と、100人が頑張っても、賢い人間と同じものを作ることは出来ない。独裁者が一人ですべきだとする人間も多い。不思議と、その人間が賢いか、馬鹿かは、顔を見ていれば誰でも分かる。そういうわけで、民主主義や社会主義より、独裁者の方が良いことはある。マルクスをやっていると、「指導者がきちんとやれば、もっと良いことが出来る」のが分かる人間が多い。不思議と、マルクス経済学に一番多いのが、右翼だ。右翼思想は、マルクスと良く似ているものが多い。

あとは、動力源やエネルギーのことを言っていたが、決定から考えているだけだ。

そろそろ、大学はもう良い。大学は、ほとんど間違った人間を生んでいるだけの機関だ。

自由から、平和、真実、発展、体験、関係、価値、意味、役割、成立条件を知りなさい。

見ていると、Perfumeののっちに見える。

精神がおかしいのは、広島がおかしい。広島以外の場所に居ると、すぐに治る。

あとは、適当なところで終わりにすれば良い。そんなにやり続けるのがおかしいだけだ。

悪いことは言わなくて良い。悪いことを言うのがおかしいから、それを殺す。

存在理由のようなことを考えれば良い。目的を考えると、皆が何をしているのかが良く分かる。

自分は、顔が沢山あるのがおかしい。顔がおかしいから、のっちのような顔にすれば良い。

顔が変わらないのに変わるせいで、ニキビになった。病気だから、治らない。

パーキンソン病は、ニキビと同じ病気だ。

あとは、死なない方が良い。

そんなに、殺して、死んで、狂って、滅ぼすのが悪い。治るように見えて、辛いだけだ。

目的をモデルにしていると、皆が何をやっているのかが良く分かる。昔は、それで分かっただけだ。

モデルにするだけではなく、積み重ねて、気付いて分かると良い。きちんと実際のところを考えると良く分かる。

あとは、ただ、2ちゃんねるのように狂っていた。

顔をのっちにすると、すぐに治った。何故か、顔が何もないのがおかしい。

不思議と、小中学生の頃は、のっちのような顔だった。

昔は、意味を考えながら、目的、環境、社会、人生、体験、心を考えていた。

それで、前提条件のようなことを経緯で考えていた。

自分は、喋りながら顔が変わるのがキモい。自分が言った言葉になっている。

そういうわけで、それで終わりだから、もう分からない。

のっちになった。のっちは賢いから、賢くなる。

しないことはしなくて良い。

良く考えると、元に戻れば良いだけだ。

あとは、バンプのボーカルになりたい。

中学時代、バンプのボーカルと良く似ていた。女みたいなカッコいい男だった。

学習と成長と記憶から、人間の実像と能力を考えていた。

何をいつどのようにすれば、社会が成り立つか、構造的、関係的に考えていた。

この世界には、何もないようで、そういう、成り立ちと可能性だけがある。

目的と意味を考えれば良い。リモコンでテレビをつける、と言う行動は、無意識にやっているようで、目的がある。

そういう風に、「意識的、無意識的に行動することの、意味と目的」のように考えれば良い。

何が、何を意味しているか。それを考える。そして、それがある時は、何が出来るか、何が違うかを考える。

例えば、生産手段などがそういうものだ。

テレビがあると、テレビ番組を見ることが出来る。情報社会では、不可欠な必要性がある。

そういう風に考えれば良い。

そして、実像と関係から、主観と客観の無い「事象そのものへ」のような現象学が分かる。

あとは、基盤と環境、歴史と人間関係がある。

人間の集団を、社会だと思えば良い。そして、社会を作るためにどう出来るのか、考えれば良い。

そして、関係から、論理学を考えられる。何がある時に何が出来るか、逆に、無い時に何が出来ないか、考えると良い。

あとは、経験と習得、環境の形成のようなものを、人生と集団から考えられる。

社会は、構造的にモデルにして、関係を考えられる。

生産と労働は密接に結びついているし、消費を高めることで、給与を上げて、成績から昇進することが出来る。

そこでは、賢いものが上の階級へと昇進するような、そういう、「自由な昇進」を考えられる。

そういうものは、自由だと思えば賢い。自由でないと、チャンスが無い。自由とは、チャンスだ。

そういうわけで、数学的な相互関係と対応関係を考えれば、分かる人間が多い。

心の中で、何をしたことが、別の何へと繋がっているか、能動的な行動の結果として受動感情がどうなるか考える。

ただ、そんなに賢くなるのは良くない。神のようになると、分からなくなる。

平凡な、普通の人間の延長線上にある、「賢い人格」になるべきだ。それが、賢い人間だ。

普通の人間の分からないことを分かっていると、「自由で聡明なマスター」になることが出来る。

そこでは、豊富な経験と、鋭い洞察力と、高い想像力と思考力がある。

感情も良くて、理想と現実のバランスもある。

そういう人間が、自由な中で、人々の経験を知って、数学的知性と哲学的な理解を、自分の力で築く。

そして、自由な人生の開拓をする。そういう人間も良いだろう。

そして、社会の成り立ちや形成を考えて、「自分の力で世界を救う」ことが出来る。

ただ、最近、そういう人間は広島以外に多い。

感情とは、それぞれの知ったこと、信じたこと、経験したこと、生きた場所、夢、希望、関係、思い込み、執着である。

あとは、地球、記憶、概念、のような、歴史のような宗教のようなことを書いていた。

神は、男から女を創ったと言うが、生命は、最初は繋がっていて、同じものだった。

おそらく、海から空を作り、木から枝を作り、葉から虫を作り、カエルから魚を創った。

進化論は無視して良い。進化論は間違っている。

何故か、生命がそれぞれ進歩して分かれて行った、と言う説は正しい。

だが、神が居ない、とする説は間違っている。

神はきちんと居て、それぞれの生命や自然から、他の部分を作って、自然に神の手によって分かれていった。

だが、神を天に居る、とする説は怪しい。僕は、神は宇宙人のようなものだったのではないかと思う。

突然変異で進化するとは言うが、そういう偶然の変化も神が起こしていると思えば良い。そうすると辻褄が合う。

ただ、ユダヤ人は何も分かっていない。宇宙人がユダヤ人を救うのはありえないだろう。

ただ、神はたまに居るからありえない。こういう、宗教を信じると、神によって救われる。そういう人間は多い。

ライプニッツの言う、予定調和のようなものだと思えば良い。

神は、起きて良い時を見計らって、盛大に起こす代り、終わる時は、何事もなかったかのように終わる。

昔は、ネットで色んなことをしながら、いくらでもやり直して、挑戦して、再挑戦して分かっていた。

今、テレビでブラタモリを見ているが、タモリは、笑っていいともが終わったから、楽になっている。

何故か、タモリは本当に賢くなっている。

昔の自分と良く似ている。自分は、学校が終わって、何もかも楽になってから、本当に賢い人間になった。

だが、それは、すぐに馬鹿になる。本当に、自分から馬鹿になって、治らない人間が多い。

そういうわけで、人間とはそういうものだ。タモリも、最後まで賢くなって、充分満足してから、馬鹿になるだろう。

あとは、自由な人生を書いていた。どういう光を求めて、どこに光があって、どういう生き方をしたのかを書いた。

自分は、本当にやることが無いから、勉強した方が良い。

むしろ、仕事をすれば良いのは分かるが、仕事は難しい。

いきなり、放送大学は、出来ない。もっと、下の勉強をした方が良いだろう。

哲学は止めた方が良い。哲学は、考えているように見えて、何も考えていない。

昔は、神のように、その人のことを最大限尊重する。その人の愛も、思想も、憎しみも、全部尊重して、許して分かった。あらゆる因果性を、その人のせいではなく、環境や経験のせいにして、自分でも変えられると考えた。捉え方と考え方から、経験的に、ある意味、ヒュームやバークリのように分かっていた。

そういうわけで、何が仕方ないのか、何がどうあれば出来るのか、を分かっていた。

それによって、支配や導き、執筆なども出来るようになった。

何が起こるのか、どうすれば起きないのか、何に対処すれば成功するのか、それがここまで続いた。

自分は、もう、哲学と歴史はしない。パース(哲学者)を見ても馬鹿だし、歴史の漫画を見ると、キモい。

心理学は治るわけがない。自分は、生物学のことをしたいと思っている。

学校は忘れた方が良い。学校の知識なんか、賢い人間は誰でも全部知っている。中学・高校でやっているのは、覚えて忘れる意味の無い勉強だ。受験は覚えるだけだ。何も賢くない。教科書の知識を賢いと思うなら、本を読めば良い。

昔は、馬鹿な発想が多かった。自分で教科書を作って、皆の知恵を共有すると言っていた。

それから、矛盾しない、と言う発想が多かった。皇帝を選挙で選べば良い。平等配給の内容を、皆で自由に決めれば良い。選挙と社会所有は矛盾しない。個人所有と計画経済も矛盾しない。神が進化を起こすなら、神と進化論は矛盾しない。核兵器だけにすれば、軍隊は要らない。昔の馬と剣が銃と戦車によって無くなったように、核兵器にすることで、軍事力を無くすことが出来る。そういう風に、融和的に、矛盾しないように考える。科学と宗教は矛盾しない。神が居て、方法的に科学を理解するのは、矛盾しないだろう。

あとは、自分は、きちんと参考書と百科辞典を読めば良い。だが、生物学なんかしなくて良い。

生物学をしたいのは、テレビもパソコンもせず、学校も仕事もしていないからだ。社会や計算みたいなものが分かっていない。ある意味、経済学や心理学のようなものが終わった。生物学は、図鑑でも見れば良い。細胞の仕組みが知りたいなら、参考書はすでに買った。そういう、賢いものを知りたいのに、何もしないせいで、何も知らない。それは、生物学では意味がない。それ以上、考えていない。

税金で自由な会社とノルマにすれば良いし、計画経済の政府を自由にすれば良い。政府が自由に会社を税金で作れば良い。最初から、税金なんかなくて、きちんと与えたものにそれ相応の報酬を与えるようにすれば良い。それで、金を無くすのは、矛盾しない。資本主義で計画経済をやれば良い。金で考えながら、国のことをきちんと考えて、善く発展させるのは、当然の発想だ。

あまり意味がないが、自分は何もしたくない。何故か、賢いものが何なのか、分かっていない。欲しがっているのに、欲しいものが分からなくなっている。宇多田ヒカルが言っている。

あとは、信じないと分からない。したいのか、したくないのか、分からなくても、「したい」と言ってしなければ、分からない。そういう風に、子供みたいに信じて分かれば良い。子供は、悪いものはすぐに嫌いになる。子供は、そういう風に成長する人間が多い。

自分は、パソコンはしたくない。

自分は、馬鹿なことはしたくない。

自分は、もう分かっていることは分かりたくない。

自分は、楽になりたい。

自分は、もっと人々の手助けになるような、正しいことがしたい。

自分は、楽しいことはしたくない。

自分は、自分のためになる、将来に向けての準備や投資になるようなことがしたい。

自分は、知識が知りたい。

自分は、教養が欲しい。

そうすると、放送大学が良いだろう。

自分が悪いと分からないことでも、悪いと信じなければ、分からない。

何か、悪いと思えるものは、全部悪いと信じて分かった方が良い。

そういうわけで、神を信じないと、人は治らない。

神を信じないものと、自分を疑わないものが悪い。どちらでもない人間は、悪い人間だ。

そういう風に、「自分だけ分かる」ようになると、もう分からない。それが一番分かる。自分だけ分かれば良い。

テレビが悪いのは、馬鹿を効果的に使って人々を支配するからだ。馬鹿で人間を支配するのは、簡単だ。そのせいで、自由で馬鹿なのがテレビだ。馬鹿を強いことにすると、強いだけの馬鹿な人間になる。テレビは、そういう理由で、自分から馬鹿になっている。賢く見えて、大したことは全く何も出来ないのがテレビだ。自分から馬鹿になっているだけで、全てに負けているのがマスコミだ。

ただ、宗教も右翼も左翼も、皆を騙しているだけに見える。そういうものに関わると、悪い。パソコンが一番悪いから、パソコンの馬鹿には関わらない方が良い。その点、音楽は悪くない。悪いFLOWみたいな音楽は多いが、あまり悪く見えないから、僕は音楽が好きだ。漫画やアニメは悪い。暴力表現が多い。テレビゲームも悪い。むしろ、音楽も明らかにコミュニストみたいに悪い。そういう、悪いコミュニストの日本が悪いから、「日本は悪くて、コミュニストの島」だと思った方が良い。日本が一番、自由の無い悪い国だ。

良いものは全部アメリカだから、アメリカを良いと思う人間が多いが、それはない。アメリカは最悪の地域だ。東京の100倍ぐらい悪い。皆、何も従わない、暴力的なのに開放的で、自由な中で恐怖の論理の中で生きている。社会は、おかしくなった地域が多い。日本は、アメリカに比べると、良い方だ。特に、広島は良い地域だ。田舎の都市だが、ある程度のものはある。ただ、広島は、県民性が悪い。皆優しいのは良いが、公立の学校が悪いとか、そういうおかしな地域性がある。ただ、県民性を悪いと言うと、怒る。田舎だから、優しい人間が多い。それに、一応中国地方の大都市でもある。仙台ぐらいの、中くらいの都市だ。

最近、日本は、統一が出来なくなってきている。東京と大阪は全く違う。広島なんか、宇宙人みたいに違う。単純にアベノミクスと言っても、それぞれの地域が違うせいで、一概に成功とか失敗とか、そういうことが言えなくなってきている。皆、広島人は気付いていない人間が多いが、広島は他の地域の100倍は良い地域だ。本当に、悪くなって意味が無くなった地域が多い。昔のままに見えて、共産党のようになっているところが本当に多い。広島は、そのうち、全く違う賢い地域になる。何故か、古代に戻ったようにしか見えないのが日本だ。

自分は、馬鹿にならないのが賢いのが分かっていない。賢い人間は、馬鹿にならない。2ちゃんねるで馬鹿になって分かる自分は、ただの馬鹿だ。何も分からない、父親や母親の方が賢い。こういう馬鹿な賢い人間は、すぐに馬鹿になる。自分が一番馬鹿なのは明らかだ。

昔賢かったのは、昔はきちんと賢いことを色々と行動して、考えて、経験していたからだ。今の自分なんか、全く何も賢くない。最悪の革命の戦いを賛美するのはありえないし、神には騙されただけだ。大学なんか、もっと知っている人間しか居ない。自分はただの馬鹿だ。

自分は、本を書いたのが賢いから、きちんと書いた方が良い。それだけが唯一賢い。

アメリカで、ポケモンGOが流行っている。これはバーチャル・リアリティではないが、僕は、今後、こういう、バーチャル的なものがどんどん流行ると思う。日本ではまだダウンロード出来ないらしい。父親は、「人類が馬鹿になっている。何かの陰謀だ。」と笑いながら話していた。

一番賢かったのが、狂って世界を支配する王になったことで、一番馬鹿だったのが、オープンソースのWikiを書いていたことだ。そういうわけで、賢いことが馬鹿に見えて、馬鹿なことが賢く見える。

あまり意味がないが、見ていると、テレビは東京だから馬鹿だ。でも、皆の方が賢い。Perfumeなんか、きちんとダンスが出来る。きちんと頑張って曲と振り付けと詞を考えている。本当に、自分なんか、まだいつまでも馬鹿をやっている。馬鹿はしなくて良い。

普通、馬鹿は馬鹿に見える。そんなに馬鹿が好きなのはおかしい。それに、普通、賢いことが賢く見える。そんなに、賢いことが意味が無く思えるのも、おかしい。賢いことが出来る人間が賢い。神は、そういうところを、因果応報にした。頑張っている方が本当に賢い。悪い人間の方が馬鹿だ。そういうわけで、神はそういう風に、その人を本当に愛した結果にする。神は、平等に全ての人間を愛しているが、愛は自由だ。

昔、中学生時代に試験勉強が出来ていたのは、テレビゲームが賢かった。何時間もゲームをしているせいで、何時間も計画を立てて、自力でノートに教科書を写して、赤と緑のペンとシートで隠して、教科書を暗記していた。数学は、ネットゲームをしていたせいで、本当に知性が高くて、難しい問題を解いていた。数学だけは、学校で理解した内容だけで、試験勉強はしなくても良い得点を取っていた。あとは、小学生時代賢かったのは、親が教師なのが良かった。小学一年生の前の頃から、すでに小学校でやる内容をいくらか知っていた。

そういうわけで、学校がしたいなら、ゲームをすれば良い。何時間もゲームをやっていると、勉強が出来る。ただ、大人がゲームなんか、しないだろう。本当に、勉強なんかしなくて良い。引き篭もりの経験は、本当に、一度完全に離脱した環境に入って、インターネットでコンピュータと社会のことを知れば出来る。そういうわけで、こんな馬鹿は居ない。それこそ、おかしな人間は多い。

最近馬鹿になったのは、あまりに悪い戦いをしたからだ。それは、頑張ったから良い体験とは言うが、精神衛生的に悪い戦いだった。ただ、それが唯一賢かった。神を信じるから、こういう人間になる。

こういう、ゲームが賢い人間が、Linuxと2ちゃんねるになる。オープンソースは賢いから、それで良い。ただ、2ちゃんねるを変えて、皆の力でWindowsを倒したい人間は居ない。誰も、オープンソースの存在を知らない。

社会のことも、全部知っている。何故か、こんなに分かる人間は居ない。自分が一番賢くて、一番何でも出来る。仕事の経験は、昔きちんと分かっている。世界を滅ぼす戦いは、恐ろしい。そんなに、道連れにして、全員を狂わせる。それを反省したかった。こんなに人々を崩壊させる意味がない。皆、本当に自分になりたくなっている。こんな馬鹿になりたいのはおかしい。自分は虫みたいにキモい。

自分は、精神や脳を治した後のことを考えていない。脳を一度治して、それで置いてけぼりになっている。そのせいで、脳が死ぬパーキンソン病のようになっている。治した後で、きちんとそれぞれを支配して、自分を統合すれば良い。分裂で治した後で、何もしなくなっている。そこがおかしいから、昔の方が賢かった。治っても知性はつかない。ある意味、一度、免疫機能から変えた方が良いかもしれない。