最近の日記に戻る | 2016年7月の日記に戻る

=2016-07-23=

昔は、根源的な意識と経験から、社会の段階と場の歴史を分かっていた。

心と経験と、行動の関係の想定から、社会がどうなっていくか、意識で分かっていた。

形成条件と価値観から、社会がどんな社会になっていくか、分かった。

心と状態と経験を想定し、感情と意識を辿って、人間の世界観がどうなっていくか、分かった。

皆の力で社会をどんな風に出来るか、必然的に社会がどうなるか、現実の実体験で分かっていた。

感覚を想定して、人間の人生のことを「成立科学」のように分かっていた。

2ちゃんねるで、社会の変貌を知った。社会がどのように変わっていくか、具体的に見て分かった。

自分で作った考え方で、科学を作って分かった。

人生と社会の全体像を見て、全てを最後に書いていた。

あとは、抽象的なことや捉え方のようなことを分かっていた。目には見えないけれど、浮遊する概念と観念がある。そういう、目には見えない考え方や自由を、モデルを作って、経験と実像から良く考えていた。

実体、主観、客観、成立、仮定、集合化、具体化、抽象化、根拠、根源、成立関係とそこからの推論が存在する。

日本では、ポケモンGOは流行らないと思う。自分もダウンロードして少し遊んでみたが、つまらなかった。

日本人は、ポケモンGOはあまり面白くないのだと思う。海外と日本の違いが鮮明になって、アメリカ人が馬鹿のままなのが分かるかもしれない。

自分を痛めつけるのは、スポーツ選手だと思えば良い。障害者走り幅跳びのマルクス・レームがテレビの特集番組で、自分を追い込めば追い込むほど、良くなるのが分かっている、と言っていた。自分も同じだ。自分を追い込めば追い込むほど、賢くなって、出来るようになる。脳が成長し、知性が付く。

あとは、記憶や言語のことを考えていた。

人間は、言語によって制約があり、言語によって意識的に分かることが決まっている。

意識的に分かることは、言語だけではなく、環境や、知の機会や、人生経験で決まっている。

その環境を知っているか知らないか、それが人間の賢さの基準だ。

普通、抽象的な推論は、「ある」と「ない」を比べるが、「他のものがある」と言う発想をすると良く分かる。命題についても、「正しい」と「間違っている」だけではなく、「別の次元の命題を考えられる」と言う風に出来る。

それから、経験的に分かると言うが、その経験を「仮想経験」として仮定することが出来る。そこでも、経験的に分かることが出来る。沢山の仮想経験をしていると、経験的にどんな経験が正しいのかが分かるようになる。

パソコンが無いと困るのは分かるが、もっとパソコン以外の良い機械を作れば良い。

そのうち、人間とロボットが本当に融和する時代が来る。それで、VRのように、目や耳、脳や手足が進化するだろう。僕は、まずは目と耳が進化すると思う。だが、ロボット化が悪いからIT技術を否定するのは早急だ。もっと、ロボットではない、別のIT技術を作って、競争すれば良い。そうすると、自然に良いものが勝つ。IT技術を全否定するのは間違っている。ワードやエクセルと同じものを作るのでも、無くすのでもなく、全く違うものを新しく作れば良い。

これでは、皆が分かっているものを考え直しているだけには見えるが、昔はゼロから、関係や能力を考えて、何がどうなるかを考えて、考え方を自分で作ることで、本当に哲学者のように考えていた。いつも書いている通りだが、昔は洞察力や想像力のある、経験豊富で、理性的な、賢い哲学者だった。本当に、そんなに自分が好きなのがおかしいが、自分は本当にそういう賢い自分が好きだ。自分は、幸福だ。本当に数学者のような、キリストのような人間だった。

最近は、戦う相手なんか居ないのに、自分で自分を傷つけ、倒すような、そういうありえない戦いをしている。

明らかに狂っている。狂っているせいで、何故かイスラエルの王よりも偉大な存在になった。

良く分からないが、それが神を求め、望み、信じ、任せ、滅びに従う。神は、ただ自分のことを愛しているが、そのために懲らしめている。神は裁いている。良く分からないが、神が裁く人間は、ここまで賢い人間が多い。神は、賢い人間を裁いて、困難を与え、努力によって地獄から抜け出せるまで試練を与えるのが好きだ。神は、それしかしていない。

政治や経済は、自由な手段を考えると良く分かる。共産党が言うように、庶民ではなく、金持ちや大企業から税金を取れば良い。むしろ、本当にその方が良い。軍隊が無くなると死ぬ、とは言うが、戦争をしても同じように死ぬ。そういう風に、「仮定的で自由な手段」を考えると、きちんとマルクス経済学のように社会のあらゆる可能性が分かる。そして、何をどうすれば良いか、と言う「ビジョン」も見えてくる。税金による腐敗を悪いとは言うが、金儲けにおけるブラック化のような犯罪的経済も悪い。全体を豊かにすれば良いのは分かるが、それは、格差が少なければの話だ。格差を問題にすると馬鹿に見えるのは良いが、本来の問題は格差しかない。金持ちは今でも豊かなのを、考える人間は少ないが、それをきちんと平等にするべきだ。むしろ、馬鹿には見える。下賤に見える人間が多いから、共産党はそういう風にキモい。何も、悪くないだろう。金持ちは何もしていない。自分たちが問題とされるのを避けたいだけ、悪くない。頑張って儲けた人間だから悪くはない。

一度、全てを疑う体験をして、その後に、全てを信じる体験をしなさい。哲学は疑う方で、キリスト教は信じる方だ。そして、イスラエルの王になりなさい。それだけしか、他にない。他のものは、ないのだ。バンプが言っている言葉を借りると、「ここでしか、息が出来ない」と言える。

むしろ、平等はそんなに良いものではない。正論で考えると、自由の方が正しい。自由を無くして平等にするのは性急だし、金を無くしてもっと良い経済を作るのは性急だ。共産党は、性急すぎることを言うせいで、誰も実現しようとしない。そういうわけで、自由な中で全てを経験してから、共産主義者になる左翼が一番多い。右翼しか、左翼にならない。誰もが自由が好きななのに、右翼だけ自由が嫌いだ。

本当に、自由の方が良い。自由な中で経験することが、マスターへの一歩であり、自由な社会をそれぞれが作れることが、一番可能性がある。全ては、マスターと可能性だ。歴史は、自然な社会構築の歴史となれ。ただ、そういう人間が、普通左翼だ。そういうわけで、自分は左翼だ。

それこそ、左翼には、社会民主主義者と、国家社会主義者が居る。自分は、その2人をやりたかっただけだ。そういうわけで、明らかにドイツとソ連は味方だし、アメリカとソ連も味方であるべきだ。争いなんか必要ない。それこそ、戦いたい左翼も多いが、戦いたくない左翼も多い。支配したい左翼も多いが、支配したくない左翼も多い。むしろ、左翼と言わず、「普通の人間」と言うべきだ。そういうわけで、右翼なんか、何も変わらない。

どうでも良いが、本当に自由の方が良い。平等はキモい。

あとは、「認識」や「自由」と言って、数学的な認識観念、人生観念を考えていた。

それで、人生で分かったことを全部書く。読むだけで自分の人生が全部分かるようにしていた。

「認識的な人生の経緯」のようなものを書いていた。そして、知性の吸収のようなことを考えていた。

思考力を高めよとか、そういうことを言っていた。社会は経験だとか、認識の方法だとか、そういうことを言う。

そういう、抽象的な捉え方と考え方のようなことを、一つの「統合プロセス」にして考えていた。

また、カントの言う、感性、悟性、理性のような言葉を作る。

それで、消費と生産、中央集権と地方分権のような、社会モデルのようなものを作っていた。

昔は、実存主義的に、環境、時代、歴史、経験、集団のようなことを考えていた。

それから、数式の中に数式が入るとか、ある意味、実際的で、本当の世界像を考えるような発想をしていた。

そして、アリストテレスのように、自分で世界と科学を作る。仮想的、発想的な労働の経験もあった。

関係と実存性を、パソコンと人生の気付きから分かっていた。そういう実存主義だった。何が確かで、何が変わるのか、普遍性のようなことを考えて、「本当に確かなものは何なのか」を考えていた。

バンプを聴いているが、自分はいつまで続けるのかは分からない。終わりがあるものなのか、すら分からない。

選ばされたと思っているが、自分で選んだことしかない。どこまでもずっと自由だ。バンプは賢い。

誰に許されたいのかは分からない。頭は嘘をつく。

アメリカは良い国だった。民主主義と資本主義で、健全に大発展をした。だが、アメリカは終わりだ。

トランプは、アメリカを「再び」偉大な国にすると言っているが、いつか偉大だったと思うのがおかしい。

アメリカは、昔から馬鹿だった。

素晴らしい時代なんか、あったように見えない。いつも戦争していて、知性も無かったはずだ。

むしろ、自由と民主主義は悪くなかったと思う。民衆の自由な国になって、選挙で選べる国になって、誰にも成功者になれるチャンスがある国になって、良かった。ある意味、アメリカだけを見るよりも、世界全体を見た方が偉大だったのが分かるかもしれない。アメリカ人にはそういう人間が多い。全てナンバーワンで、世界的に一番偉大だった。

むしろ、自由の方が良い。組織は沢山あるべきなのは、それは、民衆のそれぞれが自由に組織を作れるのを、尊重するべきだからだ。平等には、そういう権利が無い。それに、大きな組織を作りたいなら、自由のままで大企業や中央政府を作れば良い。皆が賢いことを前提にするせいで、皆はどんどん賢くなる。そして、強くなって経済が発展する。良く考えると、福祉国家のように、自由なままで格差を無くせば良い。

それから、普遍的な認識を考えて、本当の理由を考えて、知がどこから生まれるか、知を可能にするためにどんな方法があるか、そういう風に数学的に考えれば良い。認識の方法とか、共同体の多様性などは、そういうことを言っていた。

皆が出来るようにして、それぞれの意志の力で社会を作りなさい。それが一番自由で、平等だ。全員に力を与え、自由な中で社会の可能性を発揮することを出来るようにしなさい。

それぞれに自由を与え、自由な会社経済を可能にしたままで、支配者や政府に従うようにすれば、色んなことが出来る。本当に、自由は、あらゆることを可能にする。だが、間違いもある。社会悪のようなものも増える。そういう社会悪も、良いものであることになる。おかしくはないが、社会悪も皆の自由の力で無くせば良い。自由を尊重することで、人をどのように助け、どんな手段を与え、どんな社会を作るべきなのか、必然的に「自由」から分かることが出来る。昔は、そういう風に、「自由な社会における自由な考え方」を考えて分かっていた。

ただ、普通、そういう発想は、自由と言わず、「自然」と言う。そして、自然より、独裁者の方が色んなことが出来る。

それぞれが自由な社会を作れるようにして、それぞれに力と情報を与えるべきだ。作りやすく、独立しやすく、協力しやすいように、社会を変えるべきだ。そして、それぞれが実現する範囲を広くしながら、自治的な部分を分散化し、生産手段を与えるべきだ。また、心理学的に考えることも出来る。心理的な誘導から、正しい世界を「真実を分からせる」ことによって、「影響力から融和する」ことが出来る。

あとは、自由な信念のモデルのようなことを考えていた。それぞれの価値観は多元的だ。

知や経験がどこから来て、どこへ行き着くのかから、社会のことを考える。それを、「自由な社会を作る」と言う視点から、神のように考えていた。可能性を高め、それぞれが成長するべきだとか、環境を守りながら支配者が必要なところだけを変えるべきだとか、大胆なようで慎重な意見を書いていた。そして、解決すべき問題を全て解決していた。

許すこと、任せること、全てをありのままに伝え、ありのままに与えることから、環境的、人間関係的に自由になれる。そういう、「環境的、関係的な自由の発生」を良く考えていた。社会的起源のようなことを考えて、社会に対して心理的に何を行うか、どのような社会がどのような心から生まれるのかが分かった。

全ての現象は心から生まれる、などと言っていた。

自分の心は、ありのままに見せた方が良い。心をいつまでも隠し続けていると、自分からも心が見つけられなくなる。

社会のことを、全て「決め直す」ことと「学習を予想する」ことで分かる。そして、絶対的なものは無く、「宇宙の全てのものは相対的」であり、「神の絶対的戒律さえも相対性の範疇である」と言っていた。まさに日本人だった。そういう風に、社会と理性のことを、「完全に統一する」ことによって分かっていた。「あらゆるものは決定から生まれる」とか、「そこには環境的条件と善悪的起源がある」とか、「信念は経験である」とか、そういうことを言っていた。ある意味、馬鹿な人間だったが、この世界の全てを知性と経験から分かっていた。あらゆる決定を統一する世界観だった。

ただ、「自由な社会をどうやったら作れるか」とか、「どういう風に作るべきか」などを、最初から自由と思って、自由に経験し、相手のことを考え、全員の知と立場を吸収し、想定して考えただけだ。

自分は、これなら、エロい女には見えるが、むしろ、本当に可愛い女に見える。自分の永遠の恋人だ。

この女の子は、子供みたいに可愛い。

歴史と構造を理解し、教え、伝えることで、人は融和出来る。

愛とは、好かれないことを受け入れ、嫌われることを自分のせいだと思うことだ。そして、好かれることを相手の功績だと思えば良い。ただ、本当に愛するならば、相手が反していても、こちらは遠くから見守っているべきだと思う。それが、愛と呼ばれる感情だ。愛は、悪いことを否定すると言う、その悪い感情を悪くないとすることだ。罪を赦し、自由と解放を許すことだ。神の愛は、それぞれのしたいことを、それぞれの立場で神が喜び、神が与えることだ。神の愛と、人間の愛は、本質的に同じだ。ただし、好かれ、愛されることをどうでも良いと思うのではなく、逆に、心の底から求め、そして喜びなさい。そして、自分が愛される以上に、相手のことを愛してあげなさい。そのために出来ることは、何でもしなさい。時には、例えば社会の支配者となるような時には、限界を超える努力も許容しなさい。

あとは、理性を高めるために、どのような方法があるか、のようなことを考えていた。

社会の構築も同様に方法を考えていた。

自由のため、理性的向上のため、融和と調和のために何をすべきか考えた。

悲惨になると賢くなるのは、愛が賢いからだ。愛を馬鹿だとは言ったが、愛は本当は馬鹿ではない。

ある意味、愛とチャンスは同じだ。現状を理解しながら、チャンスを掴みなさい。

自分は、今の自分が何なのか分かっていない。もう既に全部治った。

ただ、自分が好かれないことを、相手のせいにすることは出来る。それが、憎しみと言われる感情だが、憎しみは悪くない。経験的に、相手のせいであることの方が、多い。憎しみも含めて愛であると言える。憎しみを信じることは、ある意味、愛を信じることと全く同じだ。

経験しなさい。色んな正常な経験をすることで、全てのことを「自分の手の中に入れる」ことで分かる。

経験していると、「誰かのせいにすることは意味がない」と言うことが良く分かる。100%自分の責任でやれば良い。

自分の経験によって、皆の問題は全部解決出来る。それは、もっと大きな共同体の構築の自由へと繋がっていく。

間違った自分の感情、間違った未熟な人間に振り回されないようにしなさい。それは、経験から分かる。

間違った人間も、ある意味、何も間違っていない。相手を変えるのではなく、自分を変えるようにしなさい。

恥ずかしいことでも、チャンスはきちんと有効に使いなさい。

自信が無いからと言って、人生を無駄にするのではなく、自信は終わってからつくものだと思うことにしなさい。

昔は、悲惨を経験して分かっていた。人間は、一度悲惨を経験すると賢くなる。

全てを失って、犠牲にして、何も出来ない中で孤独に考えるような、最低最悪の経験をしなさい。

その中で、仲間と生きる炎を分かち合う。まさに、青春だ。

昔は、社会のことを感覚的に知って、独創的な発想をして分かっていた。

社会主義は昔から好きだった。

レーニンの言う、共同体主義のソビエト体制のような国を作るべきだと思っていた。

もう全部治っているから、最後の一つ、足を治す部分が治った。

意図とは、影響力や支配のようなことを言っていた。自分の意図の通り、ネットを支配する。

そういう発想は、子供にしか分からない。子供的なことを言っている。

そういう、「コドモ的哲学」をしていたのが、昔の自分だ。全て、子供的に考える。

人が何を意図してそれをしているかとか、そういうことを良く分かっていた。設計図の共有から分かった。

自分は、やることが無くなったから、何か大きなことをしたい。Perfumeが言うように、想像を超えて進みたい。

本当は何を意図してそれをしているのかとか、心理学的なことを分かっていた。

また、応用とか、共有とか、現実にあるものを知って、考え方を知ることで、応用と基礎を分かった。

自分は、もう一度パソコンのことをしても良いと思う。

Cinnamonは、見ていると、CとJavaScriptで書かれているように見える。JSでUIを書くのはある意味ありえない。

すでにそういう機能があるか分かっていないが、Cinnamonのパネルを自動で隠れるようにしても良いと思う。

自分は、治し方が間違っている。爪で操るのはおかしい。

最近は、自分の出来る「新しい発想や提案」を考えて、自分の国家を作る。

昔のような自由ではなく、国家的、構造的な、全体主義的な平等、つまり平等分配や社会保障を考えた。

自分は、勉強した方が良い。勉強しないと何も出来ない。

自分の力で経験して、考えて、疑って、信じるべきだし、その機会も持つべきだとは思う。

だが、それは、昔哲学者ほどに出来た。思弁哲学の経験論の哲学者だった。

あらゆることを、想起的、形成的、因果性的、可能性的、関係的に分かった。

ただ、自分はもうやることが無い。勉強をした方が良い。

哲学名著の本は悪くはない。だが、僕はもう哲学はきちんと知っている。他のことを知りたい。

昔は、場における認識と意識、経験における認識と意識を考えていた。そういう人間の認識を書いていた。

環境活動や、経験的学習、経験的知性を考えた。

社会の必然的発生や、歴史の必然的変化を考えた。成功と失敗の社会的、歴史的対処策を経験した。

人生と存在を、体験の可能性であると考えた。

知性と認識は、知覚の束であり、印象であると思っていた。

自分は、終わってから分かる人間だ。分かる内容は、全部終わった時に分かっている。

本当におかしくなって、狂う体験をしたが、そのせいで、何もかも良くなった。

テレビが無くなるかもしれない。取材するためには人員が必要だと言うが、最初からネットに動画で記者会見の様子をアップロードすれば良い。また、犯罪の情報は、警察が直接アップロードすれば良い。アップロードする義務があるように、法律で定めても良い。ただ、テレビには無くなってほしくない。僕は、テレビが好きだ。

ただ、そうなると、「一般的大人の常識」が無くなってしまうし、「普通の人間が何を考えるべきか」が分からなくなってしまう。そういうわけで、今のまま、普通の国を続けるのが、一番無難だ。

人間は、場所によっても、経験によっても、時代によっても違う。誰にも共通の普遍的なこと、と言うものはない。そういうわけで、自由にして、統一されなくなるのは、仕方ない。逆に言えば、そんなに自由にしても、つまらないし、分からないだけだ。国とは、もともと、国民全員に共通の政府と価値観を作る、と言う発想だ。多様性と言う発想は、そもそも国と言う発想から見て、間違っている。ただ、そうでもない。国とは、もともと、共存と自立のシステムだ。文化のシステムだ。多様性も、あまりおかしくはない。

動画にアップと言うと、誰もしないように見えるが、HTMLやツイッターでアップすれば良い。自由にすると誰もアップしないから、義務付けるしかないが、僕はそういう「義務付ける」と言う発想は嫌いだ。マスコミの方が賢い。

Perfumeのアルバムを借りた。

自分は、最後の地点で皆を待ち構えている。

その、「最後で待っている」と言う発想が悪い。そのせいで、皆何も出来なくなった。

もう、この最後を止める。ゴールの無い最後が決まっているのはおかしい。

僕が、運命と約束を変えられるようにする。皆、もっと違う方向へ、進め。

昔は、沢山の真理を考えて分かっていた。

真理と言うよりは、必然的で普遍的な法則や、裏側にある経験的な理由、と言うべきだ。

真理を知ると、本当の知性がつく。そのためには、未熟だと思える全ての経験と認識を疑うことだ。

ただ、真理は疑うだけでは得られない。きちんと信じて、方法的に知った時に得られる。

矛盾は、どちらも正しいことがある。

最終的には、ヘーゲルのように、主客の一致から、現象学として、全ての矛盾が同じになる。

本当に知性を正しい形式に直した時、そこにはモデルによる絶対知が存在する。経験から世界観が分かる。

エンゲルスが、国家を死滅させる理論を書いているが、生産手段を資本家階級ではなく、労働者階級が持つと、自由な王国となって、国家は無意味になって死滅する。それは、おかしくはない。むしろ、金のままでも出来るのが共産主義だ。そういうわけで、生産手段の共有は、国を崩壊させる危険な理論だ。ただ、国家が無くても、生産手段の平等によって、正しい共同体の民主主義は実現出来るかもしれない。

国を無くすとか、「死滅」させるとかの理論は、過激な言葉を使っているが、言っていることは、皆が自立して、支配されないように、皆で生産手段を作る、そういう考え方かもしれない。昔の自分も、世界を見ながら生産手段を考えていたし、国家の無い共同体経済のようなものを考えることは多かった。マルクスとその親友のエンゲルスは、むしろ、賢くない。きちんと矛盾を概念的に、必然的に、段階的に考えているが、その理屈は正しく見えて、そんなに必ずしも言えることではないことが多いと思う。それに、社会主義の理論は階級闘争と言う概念に頼り過ぎている。

エンゲルスは、生産手段の社会化(上部・下部構造と歴史的な生産手段・生産力の向上)、資本主義の矛盾(搾取と生産の無政府性)、不況から恐慌そして独占(トラストの形成と独占体制の崩壊)、そして国家の死滅(労働者階級による生産手段のコントロールと計画生産)の理論を提示する。人間は社会制度から意識を規定されているとか、制度や矛盾はどこから来るかとか、そういう洞察は賢い。

昔から、僕も、制度や社会の経験的要素が、意識や人間の精神的要素へと繋がっていく、と言う発想は良くしていた。

要は、搾取と生産の無政府性を止めて、きちんと計画的に作って、せっかく大きくなった生産手段を労働者階級へと与えて、国家を死滅させ、自由な王国を作れ、と言う、無政府主義の国家主義だ。

それが、マルクスやエンゲルスの言う、共産主義だ。

自分は、これなら哲学と経済学を研究したように見えるが、昔はむしろ、心理学や言語学が多かった。インターネットを見ながら、人がいつ何を思うか・するかから、環境をどのように支配するかまで、世界を支配して考えた。それから、認知的なことを考えて、心の裏を考えることで、問題と病気を全て治していた。最近は、おかしくはなったが、そのおかしいだけを全部治した。そのせいで、賢くなった。

社会主義は、それを必然的社会の原理と言う。そこが哲学だ。

社会主義は馬鹿だったから、止めた方が良い。右翼の好戦主義者や差別主義者も止めた方が良い。

自分は、自由に戻った方が良い。ある意味、一番マシなのが民主主義だ。その、民主主義の信念を信じた方が良い。

社会主義は馬鹿だ。やっていると、脳が糞みたいになる。

そんなものは信じなくて良い。

自由と思いやりを信じれば良い。本当に、自由が一番良い。自由の中で、それぞれを思いやり、確かに対処し、全員のことを考え、最初に出来ることをきちんとして、あとで柔軟に変えられるようにし、人々が成長することで時代が変わることを考えた社会を作る。そういう、まともな自由な社会が良い。

社会主義は馬鹿だから、忘れた方が良い。

ピーナッツ(スヌーピーの漫画)を見ていると、英語は、意味が意味に引っ付く言語だと思うと良く分かる。This first nightは「最初の夜」だが、普通そこに、without blanket「毛布の無い」をつける。そういうわけで、きちんと引っ付けて、意味を統合すれば分かる。

自分は、自由が好きだ。そもそも、構造的な国家には、あまり意味がない。知性の無い発想をしているのが、構造的な社会主義だ。それに、自由だと思えば、社会やものの意味が良く分かる。ある意味、世界にある全てのものが、自由だ。

むしろ、弱者と強者を平等にする意味がない。弱者は、弱者として、弱者が自分で出来るだけの、最低限の生活をすれば良い。全員弱者になるのもおかしいし、明らかに殺したり税金にしたりして、強者の足を引っ張るのはおかしい。

それこそ、自由は成功した。賢い国家になって、色んな製品が生まれている。ソ連には、IT機器は作れないだろう。それに、皆、楽だ。平等にすると、独裁者が馬鹿なせいで、皆辛くなる。強制労働で馬鹿なことばかりやっている。

中国は、資本主義へと転換しているが、行き詰って民主主義にすぐに変わるのは明らかだ。ロシアなんか、すでに西側の味方にしか見えない。ロシアは良く分からない。虫けらみたいに見えて、逆に美しい。ロシアは大国だが、明らかに沢山の人間を逮捕しすぎて、殺し過ぎた。普通、悪い国だ。自分の方から奪っておいて、相手に責任を求めるような、そういうところがおかしく見える人間が多い。何かが怖い。むしろ、シベリアで貧民が生きていると、寒い中どうやって生きているのか良く分からない。ものが無いどころか、北朝鮮のように飢えている。

中国・ロシアなんか、考えなくて良いが、他のヨーロッパやアメリカは、どんどん右翼になって、人種差別になっている。日本も同じだ。そういうところがおかしいから、右翼も右翼で民主主義の敵にしか見えない。

そういう、強情を張っていつまでも悪い思想を信じるのはおかしい。すぐに民主主義者になれば良い。社会主義は本当に賢くない。むしろ、自分の方が賢いと思うからこういう風になる。そうすると、馬鹿なものは倒した方が良い。味方に見えて、そういうものは敵だ。

本当に、民主主義が正しいだけだ。僕は自由だが、最近は自由が嫌いだった。それなら、自由のままで、不自由をやれば良い。最近は、それをやりたい人間が多い。トランプは悪くない。きちんと不自由にすれば、外交からITまで、きちんと解決する。本人は、「不自由なことを言っていれば、それで皆がやってくれる」のが分かっている。皆はきちんと従う。トランプは賢い人間だ。むしろ、雇用が無いのを外国人のせいにすればそれで良い。それできちんと白人に仕事が出来る。トランプは、それだけをやって、外交政策は何もしないだけをやるだろう。

自分は、本当に自由が良いと思う。馬鹿とは言うが、現代だから馬鹿なだけで、自由は馬鹿ではない。インターネットが馬鹿なのは、もう、フェイスブックによって良くなった。2ちゃんねるには、良い人間が多い。それこそ、インターネット全てを否定するのはおかしい。それこそ、僕はパソコンが一番好きだった人間だ。

軍隊を無くすためには、軍隊が戦うのではなく、軍隊ではない一般市民が自分のことを守って戦えば良い。それは明らかにおかしいと言うが、むしろ、IT企業がロボットで守る、とか、そういう可能性は考えられる。軍隊が死ぬのも、一般市民が死ぬのも、同じことだ。ただ、具体的には、国際法を定めるとか、そういう風に解決するしかない。中国が国際的な裁判所の出した仲裁(自分は良く分かっていないので、何なのか分からない)を、紙くずだと言っているのは、まさに社会主義だ。一番意味がない。

むしろ、最近は、領土戦争なんか起きない。領土なんか誰もほしくない。イスラム圏と共産圏だけが攻撃対象だから、すぐに勝てば良い。イスラム圏と共産圏を殲滅させれば良い。それで平和になる。日本の右翼には、それをやりたい人間が多い。それで、世界は平和になった。それこそ、アメリカとフランスが戦争なんかしない。するわけがない。西側だけを見ると、平和だ。他の世界なんか、要らないように見える。むしろ、世界政府は一番悪い。それぞれが独立性を保たないと意味がない。日本の文化が無くなってしまう。社会主義の発想は全部おかしい。

僕は、これでも、一貫して社会主義は嫌いだ。むしろ、最近はドイツやフランスのような国が好きだ。

むしろ、世界政府も、領土戦争も、そんなに悪くない。皆、日本が勝って、帝国として吸収すると、良い国になる。それで良く見える右翼が多い。むしろ、戦えば強くなるし、強くなると良くなる。ただ、最近の戦争はおかしいと思う。強すぎても、意味がないように見える。

自由と思うと、安心出来る。共産主義とイスラムは悪い。最近、一番悪い。自由のために戦うと、すぐに勝てる。

戦争もせず、支配もせず、自由に心と行動で戦えば良い。

自分のしていることは、自分で決められるべきだ。自分に関係することには、関与出来るべきだ。

昔は、変化のようなことを書いていた。自由になると、変化や知性で分かるようになる。

最近、トランプのような過激派が増えているが、それらに負けることのないように頑張ろう。

世界があまりに右翼的、ナショナリズムになってきているから、自由にした方が良い。

おかしなものや、抑圧、悪いもの、けがれたものは、悪くない。

そういうものが無いせいで、皆馬鹿になった。

むしろ、自分だけかもしれない。そういうものを見ているのは、自分だけかもしれない。

ただ、自分の見ている世界も、ある意味では世界だ。

そういうわけで、自由が勝つ。むしろ、一度荒野のような荒れた世界にして、強く生きた方が良い。

良く考えること。不思議と、考える必要に迫られると、考える人間が多い。

世界の現状は、左翼とロボット状態が続いている。

このまま、右翼には何も出来ないことが分かって、完全な自由になる。

一度、自由な世界になると、今まで、どれだけ自分が世界を守ってきたか、ありがたみが分かる。

むしろ、せいせいするだろう。この世界でいくらでもこの狂気が勝ってきたのを、実感で分かって、正常になる。

あとは、自分はもっときちんと読めば良い。これまで、いくらも読まない本を買ってきたが、それを読めば分かる。

哲学名著の本は、こういう風に拾い読みをすると良い。きちんと読んでもあまり意味がない。

一度、本当に怖い体験をすれば良い。そうすると、すぐに怖くなくなる。

あとは、世界を自由にするなら、自由な世界で何かをすれば良い。そこを考える人間が多い。

昔の自分なんか、自由以上何も考えていない。あとは、気付いて経験しながら、論理的な積み重ねを開拓しただけだ。

自分は、何か1つのことをしっかりとやると治る。色んなことが自由に出来るようになる。

あとは、むしろ、自由の方が良く見える。まともな何も出来ない平等より、色んなことが出来た方が良い。

自由は賢くなる。狂っているのは平等の方だ。自由の方がまともな人間になる。

昔は、行動を誰に対して、どこで、どんな状況で、どのように行うか、その結果、何が起きるか、考えただけだ。

そういうわけで、自由だけを考えて、経験をまともに考えて、社会を知って、哲学や科学を分かっていた。

数学は、抽象的な文字と、数を表し、計算を表す概念を使う。その全ては、知性のある方法である。

デカルトの方法的懐疑は、誰もが実践することが出来る。デカルトは、それが一番賢い。

自由になると、精神が治る。死んで、楽になる。

むしろ、本当に荒れ狂った世界の方が分かる人間が多い。そういう世界が、昔から、日本だ。それが自分だ。

最近は、一番長くやっている。

地球が消え去るのが怖かった。そのせいで、治らない。