最近の日記に戻る | 2016年7月の日記に戻る

=2016-07-20=

人工知能は、画像を解析して、見ながら判断するようにしないといけない。

難しいのは、計算して答えを出すだけではないからだ。

あとは、自由を考えていた。夏休みの自由研究だと思えば良い。

自分で出来る自由、選択肢を与える自由、システムを皆で作る自由、自然発生と環境を守る自由など。

人生と行動の自由から、社会をどういう風に作るか、どうすれば良いかを考えていた。

自由は悪い。自分は、自由では誰も何も出来ないのが分かっていない。

基礎を作って能力を高めるとは、そういうことを言っていた。

発想とモデル、成長と人生経験、集団化、国家関係、客観視と留保、体験と想像力などを、自由に考えた。

そういう自由な文章だった。自由は、最高善を求めながら、悪を良いものとする。

そういうわけで、自由な環境とプロセスを書いていた。可能性と概念と存在の自由だった。

相手に自由を与えて、相手の自由にしなさい。

独裁権力を使わず、環境と個々の自由を守りなさい。

基礎を作って、体験を自由に考えなさい。

考え方を変えて、信じながら自分を変えなさい。

正解は、世界ではなく、自分の心の中にあることを知りなさい。

世界は、沢山の角度を知って、色んな実体験から考えなさい。

自由に世界を知って、自由に経験して、自分が出来るようになりなさい。

ものごとの客観性と、現象学的な人々の行動の目的や意図を考えなさい。

ものごとの関係を考えて、GPLのように自由な人間の関係を知りなさい。

ものごとの本質を全て知りなさい。

社会を、「自由にするとどうなるか」と言う視点から、正しく自由にして解決しなさい。

あとは、むしろ、昔の自分なんか、しなくて良い。もっと、最近をしなさい。

昔は、まともに考える力があった。それぞれ社会を作るとか、検査し部品化するとか、能力を高めるために体験するとか、そういう考え方で人生のことを分かっていた。包括することで、人生経験を全員分、分かっていた。

怖いものは、怖くなると怖くない。

批判、いじめ、支配、レイプが怖い。

要は、ネットの内容が怖い。

そういう怖いものは、怖くないのがおかしい。怖くないと、こういう風になる。

自分は、普通を信じた方が良い。普通を信じると、普通になる。

あとは、滅ぼさなくて良い。滅びるのは怖い。そのせいで、全部怖くなった。

社会は人間の一部だ。

植物にも、感覚と言う低レベルな精神はある。

社会の考え方と可能性を全部作っていた。

科学、人生、人間の心と認識を書いていた。

認識を良く考えれば分かる。

普通を信じると、普通が分かる。普通が賢い。テレビや仕事のような、生活や普通が賢い。

輪姦は怖いから、分身にすれば良い。心は、輪姦されるのが怖い。天使にすれば怖くない。

悪い人間には、悪いことが起きる。時間の流れなんか、関係ない。

僕は、セックスなんか、したくない。

単純に、怖いものは怖い方が良い。怖い方が賢くなる。怖くないのはおかしい。

2ちゃんねるの何が悪かったのか、考えれば分かる。

コミュニストは、あまり悪くない。慈愛と慈悲の精神がある、平等で自由な、マスターになった。

マスターになるために、豊富な経験をした。

悪いのは、自分勝手に支配し、破壊して、自分にしか分からないようにするのが悪い。

それから、言葉遣いが悪い。2ちゃんねるの言葉遣いを吸収したせいで、日本語の知性が無くなった。

知性を減らして、それで分かるのが悪い。

ネットで馬鹿を言って、馬鹿になって分かるのが悪い。

分からない点を、ネットで全部分かったのが悪い。それは、ネットの匿名が悪い。

ネットを普通だと思うのがおかしい。

そういうわけで、本当に頭も馬鹿で、知性が無いのが昔の自分だ。普通の人間の方が賢い。

2ちゃんねる漬けが悪い。そんな風に社会や意識を経験で分かるのがおかしい。

あとは、皆をネットだと思うのがおかしい。皆はまともにきちんと頑張っている。皆は普通だ。

ただ、それも間違っている。さらに馬鹿な人間が多い。それもそれで、怖い。

あとは、心理学のようなことを言っていた。全ては環境の捉え方であり、それが学習になって、経験になって、習慣として積み重なる。それが、次の環境を生んで、影響力を生む。それが人格となる。そういうことをいつも書いていた。

僕は、本当にLinuxに勝ってほしい。マイクロソフトのやっていることは、会社として限界がある。もっと、オープンソースにした方が良い。それこそ、最初から配布しているアプリケーション以上、配布しない方が良い。グーグルのようにやれば良い。僕は、最近、グーグルが好きだ。YouTubeとかアクセス解析とかで、グーグルにお世話になっている。

オープンソースが勝っても、あまりおかしくはない。後付けの理由で、会社として開発するのは限界があったから、オープンな開発体制に移行した、ということになる。

ただ、むしろ、Androidが勝てば良い。それが一番良い。僕は、Androidに勝ってほしい。

見ていると、普通を信じるのが一番良い。日本には、「普通」しか居ない。

昔は、色んな人間の言っていることを考えて、自分なりに考えて分かっていた。

自分は、地獄なんかもう終わったのが分かっていない。

地獄を治すのが、一番辛かった。

もう、楽になった。あとは、何もしないのが悪い。

普通を信じると、四六時中常に話しているのが治る。神と普通は矛盾するから、こうなる。

昔は、感情がその時どうなるか、どう出来るかから、経験や悟りを分かっていた。本当にブッダのようだった。

ブッダを信じれば良い。誰でも、それだけでもっと賢い人間が出来る。

感情の「たが」を取って、感情の裏側を考えて、自分と他人の感情を比較して、客観的に実存の本質を考えて、皆の感情を考えて分かっていた。やっていることは正しかったが、オタクのような馬鹿な人間だった。ネット漬けになっていた。

自分と他の人間が関係ないように、他の人間と他の人間も関係が無い。そういう風に、客観的に、気付きと疑うことから分かっていた。ある意味、ドイツの逆のドイツのように分かっていた。

皆、自分の人生しか分かっていない。自分の見ている世界を世界だと思っている。昔は、そこから、実体験を考えて分かっていた。だが、あれもあれで馬鹿だ。こんなに賢い人間が居るのが分かっていない。大学や革命家や宗教家が賢いのが分からなかった。そういうわけで、あれは、一人だけ、全部の世界を見て分かった人間だ。

もっと、「自分の意見」を持てば分かる。社会は、必然的に自由になっていく。平等は、保守と同じだ。

昔は、良いものや悪いものを全部信じて、良いものを全部知っていた。

自分は、昔より、今の方がさらに引き篭もりなのが分かっていない。心が怖いのや、分からなくなるのは、引き篭もりが悪い。昔は、まだインターネットをしていたから、馬鹿でも賢かった。最近は何もしていない。文章を書きたいのは、まだまともな人間のままで居たいからだ。それが、怖いだけだ。学校のようなところに行った方が良い。引き篭もりは、おかしく分からなくなる。

ソクラテスは、対話と言うよりは、弁明なのが最近分かった。

対話して、色んな人間とじかに話すと、分かる人間が多い。昔は、そういう風に経験して分かっていた。

きちんと大学の勉強をした方が良い。良い大学に入った方が良い。それが一番賢い。

音楽を聴いて、たまにこの文章を書いて、もっとたまに本を読んでいるが、それは赤ちゃんぐらい何もしていない。

人間は、怖いものが怖くなると狂うが、その怖いものを治すとさらに狂う。何も治さずに、放っておけば治る。渦中でなくなって、時間が過ぎれば怖くない。そういうわけで、そのままでまともになって、その後に治る人間が多い。おかしいことは、そのままでも、放っておけばまともになるのが心だ。心の傷も、肉体の傷と同じで、放っておけば、悪いものは自然に無くなって治る。生きるのが辛くても、生きていれば楽になる。

最初から、怖いものを怖いと思わないのがおかしい。まともな人間は、怖いものが怖い人間しか居ない。馬鹿は治らない。アニメのようなものを見ていると、誰でもそういう風になる。オタクはすぐに狂う。Linuxも同じだ。

自分は、皆がおかしいから、自分もおかしくなると、環境や影響力を考えるのがおかしい。それでは、治らない。自分だけまともになれば良い。世界のことを治したいのは、世界のことを狂わし続けているだけだ。

だが、それは、まともな発想だ。それも悪い。世界は自分のせいで本当におかしくなっている。それで、無責任に逃亡して、自分だけ良い思いをするのは悪い。神が見て、そういう風におかしい。そういうわけで、簡単に治せるのに世界を治さないのがおかしい。世界に対して、嘘をついて、真実を教えないのがおかしい。真実を教えると、嫌いになるとは言うが、皆はその方が嬉しい。皆のために本気で頑張っているし、偉大だし、昔から良い人間で、真剣に皆のことや未来のことを考えている。それなのにタリバンのようなことをするのがおかしい。それでは、全部無駄になって、最悪の馬鹿に見える。本音を言えば、それが怖いだけだ。

あらゆることを本気で考えて、限界まで頑張ったから、それで良い。ただ、それもそれで悪い。自分が一人だけ、そんなに頑張るのはおかしい。皆を自分にしたいのは、皆にも頑張ってほしいからだ。

そういうわけで、自分だけまともになると、つまらない。それが哀しいから、狂っている。

ネットの匿名や嘘が悪い。何も真実を教えないのは、ネットで見た内容がほとんど全部嘘だからだ。

何も変わっていない。脳は、嘘をついて、嘘を信じて、嘘を愛しているだけだ。

真実と嘘を織り交ぜながら、分からないように巧みに語るのはおかしい。ペテンだ。

きちんと人間のことをしっかり考えると分かる。それでしか、分からないだろう。ペテンで分からなくなった。

昔は、人間のことを真剣に考えていた。建設的に、愚直に、慎重に、大胆に考えて、全て真実を分かっていた。

最近は悪いとは言うが、ただ、「自分が勝ちたい」と思っただけだ。そんなに負け続けているのがおかしい。

あまり意味がないが、あとは、ただ、限界まで頑張って、楽に支配して、最後まで導いて、本気で戦った。

そういう、戦いが良かっただけだ。それで、きちんと文章を書いて、神を信じて、世界のことを考えていた。

今、ピアノでやっている、「大人のピアノ やさしいピアノソロ クラシック名曲とともに」と言う楽譜は、最初の方の簡単な曲で、右手(メロディー)だけなら、練習しなくても、見ただけで弾けるようになった。左手はつけていない。いくらか、数曲弾いた。ピアノは、電子ピアノが家にあるが、もう古くなっている。たまにおかしな音が鳴る。今日は、今から、ピアノ教室のレッスンがある。先生に、「右手だけなら練習しなくても弾けるようになった」と言おうと思う。

昔は、環境への適応から、客観視して、ネットで操って支配していた。それくらいがおかしい。

昔は、社会形成ぐらいが多かった。自由な社会、理想な社会を良く考えていた。

集団化の条件のように考えた。経験から考えていた。

価値観から、社会や歴史は生まれる。その、価値観を自在に変えられると思っていた。

そろそろ、昔は忘れた方が良い。「昔」と思うせいで分からなくなっている。

自分は、ピアノを弾いた方が良い。不思議と、これくらいが弾けるようになってから弾く人間が多い。あとは、左手をつけて、暗譜すれば良い。子供の頃は覚えて弾いていたのが自分だ。見なくても弾けるどころか、弾けない間から、あまりいつも楽譜を見ないで、手を真似して覚える子供だった。手を覚えて弾いていた。そういう子供が一番多い。今では、逆に、あまり手を見ずに、楽譜を見てすぐに弾くようになった。

あとは、昔から数学は出来ている。天使のように、知性や決まりを考えて分かった。本当に数学者ほどに分かっていた。ただ、数学はもう出来ない。忘れた方が良い。自分は、「数学病」と言う病気になっている。ここまで馬鹿になるのは、数学病が酷くなるとこうなる。

あとは、宇宙の必然的な法則のような「真理」や、仏教で言う八正道のような「生きる上で大切なこと」を書いていた。

自分は、言葉と言葉の間にある「センテンス」のようなものが分かっていない。

何を主題として話しているのか、それを話す前提にはどんな意味があるか、そもそも何を話しているのかが分からない。

あとは、最近は世界史を分類するが、そういう風に、世界の本質を全て分類して、網羅して言葉にして分かっていた。

全ては、心から発生する。第一原因は、心だ。

それぞれの心と、その自由な融和としての魂が、宇宙に漂って、全てのことを起こす原因になっている。

あとは、次元、公理主義、順序、主題、因果性、正しい考え方、経験など、博物学のように科学のことを言っていた。

昔から、主題を良く考える。言語モデルのようなものを作っていた。言葉遣いと言語の限界によって分かった。

社会と関わる中で、自由と環境が分かる。

環境は人間の一部であり、誰もが変えられる。

歴史は、自由な形成結果である。

そういう、宇宙、社会、人生、成長の真理のようなことを言う。

環境と触れ合う個人の経験を、必然法則である真理にしていた。それを、自由にしていた。

自律的に変化することを考える、生命現象のようなことを言っていた。

この世界を、そういう風に、自由な知性の構造から考えて、真理にする。そういう文章だった。

自分の生き方を変えれば治る。

分裂と融和でも考えれば良い。分裂すると、大きくなるのか、小さくなるのかは分からない。

そういう時は、分からないのが普通だが、場合によってどうなるか、実験すれば分かる。

あるいは、経験的に分かるかもしれない。一度全てが逆になると分かる。

そういうことを言っていた文章が多かった。

文章は賢くない。全てを破壊する、おかしな恋愛の文章だ。

細胞分裂が合理的なのは、個々の小さな細胞に分割するのが、一番、個別的にも、全体的にも、形成しやすいからだ。それから、環境と個体を分けると、強くなって、滅びにくい。多様性と自然があることで、強いものが自然に生まれる。そういう発想が、宇宙の自由だ。

自分は、根回しのようなことは分からないが、政治的変革力はあった。2ちゃんねるで経験しながら、ブラウザを作るようになって、Linuxの情報をまとめるようになって、影響力を発揮して、その上で、世界を支配する戦いをして、テレビを操るなど、革命のような「悪くない戦い」をして、その後に、世界を治し、教え、分からせ、導くようになった。

あとは、経験から資本主義を改善するような、賢いことを言っていた。

考え方で、組織とグループと言ったり、社会を変える方法が、選挙や金だけではなく、試験や支配構造を変えることでも出来ると言っていた。そういう、「あらゆる世界を変える考え方」のようなことを言う。試験だけではなく、組織への参加や、共同体の評議会、抽象的なグルーピングのようにも出来る。そういう、オープンソースのような、考え方の網羅による世界変革と社会構造を書いていた。戦争や社会主義でも変えられるかもしれない。インターネットや右翼の全体主義でも変えられるだろう。それ以上は、発想法とモデルで、社会の可能性を考えていた。ありえない社会を作って、歴史を独自に記録していた。そういう、「世界を変える」と言う発想が多かった。多様性や共有のような、「あらゆる全ての社会」を作って、全ての信念と理想が矛盾せず、自由なメタ構造から、包括可能であることを書いていた。あるいは、それぞれが決められるようにすべきだとしていた。

あとは、歴史や感情など、普通のことを言っていた。

人間は、赤ちゃんから始まるのではなく、胎児から始まる。その理由で、最初から分かる。

ピアノに行ってきた。

ピアノで分かったのは、左手も、左手だけなら、同じように弾けるのが分かった。だが、両手は出来なかった。先生は、両手を読むスピードも上がったと言っていた。それから、作曲についてもレッスンを受けた。

昔は、どうなればどうなるのかを考えて、社会、環境、人間、体験のことを、目的や手段から、どう出来るかを考えて、社会の第一要因を考えていた。教育を変えて、知る機会を与えるべきだと考えていた。一度、環境を変える体験をすべきだと考えていた。そして、自分のように、沢山の体験をして、マスターのような経験をすべきだが、ある程度は自由にして、教えるのは助言やアドバイスや道案内を与えることぐらいにすべきだと昔は考えていた。

むしろ、自由も悪くない。

自由に経験しなければ分からないし、能力と選択肢があった方が良いし、意志も尊重されるべきだし、自然発生と自己責任と多数派の自由によって、強くなるし、いつでも正しい社会を自然に形成することが出来る。

信じなくて良い。そんなに信じる意味がない。皆は、僕のことは、信じたい人だけが信じた方が良い。それこそ、全部は信じなくて良い。信じたい部分を、信じたいように信じれば良い。

ある意味、昔にも、こちらにも、最近にも、自由にも、平等にもなれる。

あとは、悪いことをしない人間が賢い。悪いことをしない方が良い。

そういうわけで、むしろ、全部は信じるべきでない。昔を全部して、こちらを全部すると、誰でも一番悪いだけの共産主義者になる。昔だけをするか、こちらだけをするか、今だけをした方が良い。ただ、僕はそうでもないと思う。ここまで全部、全員やるのも、ある意味理想だ。

生命は作れないと言うが、分からない。卵から孵化するぐらいだから、卵の構造を真似ると作れるかもしれない。

テレビが怖いのは、コミュニケーションが怖い。コミュニケーションすると、世界が復活する。

あるいは、分かるのが怖い。昔からいつも分かっていない。テレビを見ないと分からない。誰でも怖い。

生命は、卵から生まれたのかもしれない。虫ではなく、卵から生まれた。おそらく、海の中で、卵のような環境が出来て、そこから生まれた。地球は考えていない。

物理的には、卵から生まれた。だが、精神的、遺伝子構成的には、海や全体意識が考えたのだと思う。そういうわけで、進化はしているように見えない。そこは、虫が頑張って色んなものになっただけで、全部の遺伝子を海は考えていない。最低限の遺伝子がどこからか生まれたのだろう。

むしろ、へばりつくだけのものや、伸びるだけのものは、適当に生まれるように見える。いつからか、それが成長して、別のものに変わるようになった。頭のようなものは、進化に進化を繰り返すことで、生まれたのだろう。

遺伝子は、オスとメスが融和して、増えるようになった段階で、適当に形状を記憶するものが生まれただけで、最初はなかったのだろう。最初の生命は、突然生まれたものが、死ぬこともなく、生きることもなく、永遠に存在していたのだと思う。それが、いつしか、一度死んで、増えたものを残すようになった。それは、遺伝子を残すとともに、自分を進化させる、虫の知恵だったのだと思う。

要は、最初は永遠に生きる、神のように賢い生命が居た。それは、おそらく、寿命が長すぎて、自然に賢くなった。幼虫よりもキモい、おかしな生命が居たのだと思う。それが、自分の賢さのあまり、もっと生命を増やすようになったのだ。

ただ、最初から神が居たのではないと思う。ある程度の進化の状態になって、充分一人だけで宇宙の全てが分かるような、恐竜のような生命が居たと考えられる。その生命は、最後まで分かってから、最初に全部を創造して、最後まで存在し、支配している。それが生命の神だ。

ただ、あまり意味がないと思う。むしろ、それなら、進化論で良く見えるが。

まとめると、最初に神のように賢い生命が、卵の状態の海から適当に生まれた。その神が、遺伝子を作って、進化するおかしな生命を創った。そういうわけで、本当に神が創造したことになるから、進化論も、創造論も、どちらも正しい。

最初の生命は、進化も遺伝子も何もなかった。へばりついて、伸びるだけの生命だった。それが、神ほどに賢かった。

ユダヤ人は、おそらく、そういう祖先のことをアブラハムと言っている。

この仮説は賢いが、もっと考えられる。神は地球に最初に居たのではなく、どこかの他の星に居たのかもしれないし、何かのきっかけで突発的に生まれただけで、「誰かが神を作った」と言う可能性も考えられる。どちらにせよ、神は、本当に賢い知能を持っていて、地球の生命は、すみずみまで考えて作ったのだろう。知能が高かったのか、寿命が長かったのかは分からない。

むしろ、宇宙には、賢い生命が沢山居るのだと思う。それが地球の生命を創ったのかもしれない。

もう、分からない。こういうことを真面目に考えていると、分からなくなるから、止めた方が良い。ただ、知性はつく。

賢いとは言うが、脳のような知的機関が巨大なだけで、そんなに変わらない。もっと大きな星ならあり得る。

自分が辛いのは、仕方ない。辛い方が、分かるように見える。地獄でも生きるしかないと思うなら、そういう人間の方が賢くなる。経験から言って、辛い経験をすると賢くなる。皆が辛いのは、賢くなっているからだ。楽な馬鹿は良いように見えて、最近日本に居ない。最近、全員辛い。

ただ、逆に言えば、皆は賢くなっているように見えて、辛くなっているだけだ。自分は、皆を辛くしているだけで、何も良いことはしていない。賢くなったのは、皆が自力で賢くなっただけだ。そういうわけで、「皆を賢くしたい」は悪い人間になる。自分は悪い。もっと、世界にマシなことをした方が良い。単純に、皆を楽にすれば良い。そのためには、皆を辛くしなければ良い。

手段があれば、自由でも出来る。社会は自由に出来る。そういうことを言っていた。

自分は、まだ、この文章を書いているのが楽しいだけ、良い方だ。皆、楽しいことが全く一つもない。

そういう理由で、ネットが狂っている。楽しいことが無い人間しか居ない。

自分は、世界に同意すれば良いのが、分かっていない。

あなたは、それで良いと思う。テレビも、ネットも、歌手も、民衆も、それで良い。あなたの思うようにすれば良い。

自分は悪い。皆は自分のことを愛しているのに、自分は皆のことをいじめている。

最初から、自分がクズなのが分かっている。それでも、どうしようも出来ない。

まさに、悲惨だ。そういう悲惨になっている。

そういうわけで、むしろ、皆が出来るようにして、自分のことをクズだと思わないようにする。

ただ、それはどうかしている。洗脳にしか見えない。

皆、自分のことが本当に嫌いだ。そういうわけで、むしろ、自分も嫌いだ。

つまらないからそれで良い。

むしろ、もっと、最初からやり直した方が良い。

全部、自分の行動が、最初の時点に間違えただけだからだ。

自分は、何も出来なくなった。

皆は分かっていないが、自分は悲惨に、全く同じことを喋っているだけだ。

そういう、同じことを永遠に繰り返す。不思議と、最近は、それで良い人間が多い。

世界が治った。

自分は、皆と同じ、平等な労働者の方が良いのが分かっていない。

皆は、辛い中頑張った人間が多い。自分は、辛いとは言うが、逆に、何も頑張っていない。

皆は色んなことを体験したのに、自分は何もせず、全部放っておいているだけだ。

こんな、何もしない王は意味がない。ただ、結構自分も頑張った。

そういうところが皆と違うから、昔から自分が一番違う。自分はそこがおかしい。

何故か、世界が正常な世界になった。不思議と、昔の悪い世界に戻る。

むしろ、この時代が好きだった人間が多い。賢くて、良い人間が多かった。

ただ、それはない。最悪の時代だ。何もかも、全部最悪になった。

もう、皆が分かるようになった。永遠の暗闇は終わる。

正しく考えれば分かる。数学的に、論理を実証し、帰納的に正しい考え方で考える。

昔は、経験から正しい考え方が分かっていた。

一度、世界が滅びると、そういうことが出来るようになる。

何故か、滅びない方が滅びている。自分は、ただ、正常のまま異常にして、滅ぼして救った。

自分は、これでは人間に見えないが、自分はれっきとした人間だ。

昔から、人間的な経験を全部している。ただ、Perfumeのような、無機質な人間には見える。

論理学を全部実証して、デカルトの言う「最後にまとめて、ひとまとまりの全体像を作る」と考えていた。

認識とともに、論理学を全部作っていた。主題と条件を考えていた。世界モデルを作った。

そろそろ、暗闇が終わる代り、皆は馬鹿に戻る。馬鹿な人間が正常だ。異常の方が分からないし、辛い。

自分は、皆に全部責任を負わせておいて、自分だけ逃亡する、卑怯者の臆病者だ。

自分は、宇宙の始まりを知っている。ユダヤ人の神と、その創造の革命を知っている。

不思議と、ミカエルはまともだ。

ミカエルは、常に支配して、常に導くが、その結果どうなるか全て分かっていた。

ガブリエルの方が狂っている。

むしろ、ラファエルは結構良い人間だ。全て奉仕して、皆のために尽くす。そういう女神だった。

意識の深層、労働の経験、社会の希望で分かっていた。

皆を、強制的に昔にすると、精神が治る。ただ、それは明らかに意味がない。

自分が良いのは、普通、テレビなんかない。テレビなんか、無い方が、賢い人間になる。

労働や勉強は、今から、分かるようになってからした方が良い。むしろ、哲学が出来たのは、良かった。

世界は、今から、分かるようになる。

昔は、ただ全部環境だと思っただけだ。可能性を場であり、場を可能性だと思っていた。

それぞれが、何から生起されるのかを分かっていた。

意識の現象学を分かっていた。

全ては場の創造、体験の創造、捉え方の創造、関係の創造である。そういうことを言っていた。

関係が積み重なって、環境となる。環境とは、人生だ。

分裂した人格を全部消せば治る。

自分は、何が悪いのか、自分が今何になっているのかが分かっていない。

昔は、民衆による共和国の連邦とか、自由な政治体制とか、世界観と政治のようなことを言っていた。

足は、もう治った。人格を消すだけで、もう、精神が楽に安らげるようになる。

いつも、自分のすべきことが常に分かっていた。

そういう、精神科医の王だった。宣言と理解の力で全て治し、解決していた。

自分は、反応がおかしくなっただけだ。反応を伝えないのがおかしい。

自分は、分かっているどころか、何も分かっていない。良く思い出した方が良い。

そんなにこだわらない方が良い。目標なんか、諦めれば良い。目的を忘れて、冷静に考えるべきだ。

書いて、支配して、人格を増やしたせいで、思考がおかしくなった。

罪悪感のせいで、感情が悪くなった。

精神は、治すからおかしくなる。元の状態にならないと、精神分裂が治らない。一度、諦めた方が良い。

感情、組織参加、想像力を想定して、人間のことを具体例と成り立ちから分かっていた。

あとは、記憶がおかしい。全部、記憶が狂っているから、こういう風になる。