仮象の世界を考えていた。
能力や因果性を考えた。
基礎を作って、知、本質、体験、行動を考えていた。
意識する、意識しない、を考えた。
全体を知ってから行動すると、違う。それをパソコンから考えていた。
僕は、自由が好きだ。
自由には、柔軟性がある。
社会主義は、体制ばっかり大きくて、押しつけ的だ。
もっと、独立性を高めて、共同体の連合にする。
モジュラー型の、離脱と結合を柔軟にした共同体にする。
個人の集団から、その時その時国家を作る。
国に参加するのは自由にして、領土は世界全体を目指す。
自由な経験を書いていた。
相対性と自由な感情と経験から、世界に対するビジョンと、「本当の知性」がつく。
全員の経験を複合し、包括する。哲学者になるのではなく、「全ての哲学者」になる。
経験から、全ての哲学者になることが出来る。
町は、昔の時代は違っていた。そういう、「歴史的な文化の変貌」を考えていた。
昔の時代では、街並みも、城も、人々の生活スタイルも、常識も、人々の意識も違う。
そういう変化と発展を考えた。
自由は悪い。自由は、嘘をつき、騙し、悪いことをする。不平等な悪いことをする。
だが、自由が無いのも悪い。自由意志の無い、ロボットのような社会になる。
そこでは、間違いを強制され、死ぬべきでない人が死ぬ。不自由は一番悪い。
そういうわけで、自由な中で、きちんと自由を禁止しなければ、良い社会にはならない。
神を色々と作った。
アルテは、優しい神で、皆のことを愛してくれる。優しくて、人々の意志を尊重し、努力を支えてくれる。
ベロードは、強い神で、色んなありえない経験を可能にしてくれる。
チェスタは、楽しい神で、感動出来る色んな物語を教えてくれる。
デリバルタは、理性のある賢い神で、悟り、知り尽くし、経験し、考え、自由な生きる知恵を与えてくれる。
エナルは、全能の神で、あらゆる全てのことを実現する。同時に、戦争の神だ。
ファゴットは、世界を変える神で、歴史的なあらゆる現象を支配し、時に人類にとって悪いことも起こす。
ジョールは、社会を支配する神で、思い通りに社会を支配し、実地的な社会経験をしながら、人々を賢くする。
ハラトルは、哲学者の神で、賢い知識や聡明な知恵を教えてくれる。大学の知識を全て知っている。
イノーは、聖なるものの神で、信じることによる善や奇跡、守るべき戒律を定める。
ジャマナは、宇宙創造の神で、人間やあらゆるものを創った。科学上の新発見が分かる。
カロールは、発明の神で、技術的なことを全て可能にする。本当に頭が賢くなる。
ルーンは、天体の神で、宇宙に居る沢山の宇宙生命と会話し、天使のようなテレパシーを可能にし、人々を導く。
どれを信じても良い。どれを信じても、本当に良い経験が出来る。
そして、この上に、キリスト教の主が居る。そういう、ある意味で一神教のようにしたいと思う。
最近良く書いているが、いつも、科学上のまだ分かっていない問題や、社会の課題を、自由な文章を書くことで、推測して分かっていた。そのせいで、最近科学者のように、未知を沢山分かっている。昔は、発想モデルや国家モデルを作っていた。最近は、ノーベル賞のように全部分かっているが、昔は、知性のある構造やプロセスのような文章を書いて、もっと賢く分かっていた。自分は、これで科学者だ。昔は、経験し、実地的に社会を理解し、物理的に考え、発想し、推測し、成り立たせて、再構築のように分かった。アインシュタインとアリストテレスを融和したような人間だった。
アルテを信じると、愛、平和、運命が分かる。マザー・テレサのようになる。
ベロードを信じると、人生、自由、奇跡体験が分かる。イエス・キリストのようになる。
チェスタを信じると、友愛、調和、成長が分かる。ゲーテのようになる。
デリバルタを信じると、悟り、真実、理性が分かる。デカルトのようになる。
エナルを信じると、実現、手段、戦争が分かる。スターリンのようになる。
ファゴットを信じると、変化、歴史、支配が分かる。ナポレオンのようになる。
ジョールを信じると、王、権力、社会経験が分かる。レーニンのようになる。
ハラトルを信じると、哲学、知識、大学が分かる。ヘーゲルのようになる。
イノーを信じると、天使、神の愛、善が分かる。モーセのようになる。
ジャマナを信じると、創造、科学、発想が分かる。アインシュタインのようになる。
カロールを信じると、技術、プロセス、知性が分かる。ビル・ゲイツのようになる。
ルーンを信じると、地球、生命、導きが分かる。マホメットのようになる。
そして、主を信じると、ユダヤ教の神のようになる。主は全知全能で、あらゆる全てを創造し、支配している。
そして、天使として、ガブリエル、ミカエル、ラファエルが居て、悪魔として、ルシフェルが居る。
それらは、神の第一の人生、第二の人生、第三の人生、第四の人生である。
最近の日本の問題は、「馬鹿が普通」なのが間違っている。馬鹿は普通でない。賢いのが普通だ。
可能性を一つ一つ考えなさい。
「何を作るか」ではなく、「どう作るか」を考えなさい。
自分の同意出来ることだけを信じなさい。それ以外のことは、反抗も否定もせず、ただ信じないことにしなさい。
「社会的に、どのようにものごとを構築するか」を「考え方」として、考えなさい。例えば、大量生産など。
自分が知っていること、正しいと分かっていることが、何なのか、確かめなさい。
そして、正しい、と分かっていること、そこから推論して導き出せる、自分で分かった真実だけを信じなさい。
自分が、何を考えて行動しているか、何を意識し、何を意識していないか、考えなさい。
そこから、社会的な皆の考えていることが分かる。自分の実体験から、環境での意識を考えなさい。
そうすると、皆のことも分かってくる。
ある意味、この文章は推論だ。一つ一つ、分かったことを正しく記述して、そこから推論して分かっている。
一度、その推論を変えて、出来るようにした方が良い。
ただ、そこで、推論通り分かるのが悪い。推論は変えずに、いつまでも推論していれば良い。
そういうわけで、自分は自由だ。自由自在に考える。だが、自分は同時に、一番不自由な、ロボットのような人間だ。
いつも、すぐ前に言ったことを推論して分かっている。推論は、覚えているのを忘れた方が良い。
推論とは言うが、当たり前のことを考えれば良い。「コップは、ガラスだから、透明だ」と言った具合だ。
概念、認識、経験、感情を上手く作って、「こうなるから、こうなる。こうなるから、正しい。」と考えれば良い。
ただ、自分の心と自分の環境、社会の具体例と思考メソッドから考えるだけだから、簡単だ。
あとは、「実践的可能性」を考える。そのことが出来るようになることで、何が出来るようになるか、自由に考える。
そういう、考え方のような文章を書いていたのが、いつもの自分だ。
GPLで、何が可能になるか、何を目的にしている、と「言える」のか、そういうことを考えると、自由な関係が分かる。
ガラスと言う特性に、透明と言う特徴が既に含まれている。
窓は、明るいとか、日差しが入るとかが、すでに含まれている。
だが、関係はそうではない。
誰が作るかとか、何をするために作るとか、そういうことは、含まれていない。
特性と関係を考えることで、概念と目的が分かってくる。
そこから、モデルを作って、実現性と「社会的実現化」が分かる。
そして、人間の人生と理性の中で、それがどういう存在なのか、環境としては、何であると「言える」のかが分かる。
人間が何をしたいのかを良く考えることで、そのことがそこにある「意味」や「目的」が分かってくる。
実体と経験、その周りにある考え方を厳密かつ具体的に考えることで、ベーコンやアリストテレスのように分かる。
そこでは、「意味」による「区別」と、「自己意識」における「様相」が見えてくるだろう。
経験は、「その経験をすることによって、何が分かり、何が変わるか」と言う風に考えられる。
考え方から未知を分かる、だけではなく、未知を考える中で考え方を作る、と言う風に、経験的に考え方を生み出せる。
これでは難しく聞こえるが、判断するための基準を作るとか、方法的に考えるとか、社会的・方法的な立ち位置を考えるとか、そこでどんな可能性がその対象や存在の中に眠っているかとか、どんな対象の可能性が発揮出来るような自分の可能性を高められるかとか、そういう風に考えれば良い。難しく見えて、難しくはない。大したことは言っていない。
何事においても、まず現状を知ることだ。方法は、考え方を吸収し、組み合わせることで分かる。
あとは、哲学的な言葉の分類のようなものを書いていた。
体験は自発的に得られるものだが、経験は事後的、継続的に得られるものだ。
知覚、印象、観念、自己意識、感性、悟性、理性、などは、経験的に色んな段階として考えられる。
まず、そのままの知覚がある。それは、知覚して、それだけで終わる。
次に、それに対して何かを思う。それは、経験的に頭の中へと残っていく。
次に、その応用として、理性的なことを自分の力で考える。それは、経験的なものと、理性的なものがある。
次に、概念化し、構造化し、論証化する。それは、純粋な構造であると同時に、知識である。
次に、真偽を比較して、判断する。正しいものと間違っているものを、自分の力で考え、確かめる。
最後に、実践的で総合的な、プロセスを考え、実現する。
そこでは、社会的、環境的、意識的、経験的、発見的なプロセスが存在する。
そして、それらは、経験的なものと、生物学的なものがあって、変えられるものと、変えられないものがある。
いつも、そういう風に、理性と社会実現の段階を書いて、具体的な社会を書いていた。
社会は、まず、自分勝手な世界がある。
次に、王による権力の世界がある。
次に、自由を制限し、不自由にする世界がある。
次に、自由を少しずつ取り戻し、不完全ながらも自由なシステムで現実的に上手く行く世界がある。
最後に、自由な中で理性的に考えられる、システム的で、真に開放的な世界がある。
社会とは、そうした社会の実現を信じて戦う、実現する過程の環境と行動のプロセスである。
そういう風に、段階的な哲学を書いていた。
逆に、もっと自然状態へと戻っていく段階も考えられるだろう。
あとは、分類することで、方法、関係、意識を考えられる。
全ては、方法と関係と構造と意識であるとか、そういうことを書いていた。全部の脳を書いていた。
世界は、自然に戻っていくか、共同体の理想へと発展していくか、繁栄するか、今のままを続けるか、滅びるのを防ぐか、であるとか、そういう、「社会の生成目的による分類と、その中での社会の段階的発展」を書いていた。
あとは、認識のようなことを書いている文章が多かった。
神は、信じなくて良い。だが、そういうものは、ある意味、悪くないとか、それぞれ正しいと、心のどこかで「留保」していれば良い。自由も、平等も、左翼も、右翼も、ある意味悪くはないが、本当の理想はもっと別のところにあるはずだ。そう信じて、「自由を留保する」ことで、色んな人生経験が出来る。色んな社会や人々を知って、技術の仕組みを知って、何が考えられるのかを知って、あらゆることを「考えられることを可能にする」ことで考える。そこから、共同体の良さや、自由な関係の良さが分かってくる。本当の友愛や正しい理想も分かるだろう。
そういう発想が、右翼だ。右翼はドイツやアメリカに多い。むしろ、そういう発想を哲学者と呼ぶ。
ネットで「真実の経験」をして、理想の社会が「確かに作れる」のを分かっていると、本当に理想の社会が分かる。
理想から最悪まで、あらゆる社会を、経験的に「創る」ことが出来る。科学や社会の発想も同じだ。
一歩も踏み出せずに、足踏みしているのを悪いと言うが、自分はいつもそうだ。その方が賢い人間が多い。
文章は、イギリスからロシアまで、全部の国を、地球統一的に分かっていた。
神をアルファベットで書いて、覚えやすくする。
アルテ - Alte - 愛の神。
ベロード - Belodo - ありえない体験の神。
チェスタ - Chesta - 楽しさと感動の神。
デリバルタ - Derivalta - 理性の神。
エナル - Enar - 全能の神。
ファゴット - Fagot - 世界を変える支配の神。
ジョール - Georl - 王と社会経験の神。
ハラトル - Haratol - 哲学の神。
イノー - Inor - 聖なるものの神。
ジャマナ - Jamana - 創造の神。
カロール - Karol - 技術の神。
ルーン - Lune - 導きの神。
問題は何か、その人はそこでどのように生きているか、どう解決出来るか、どう解決すべきか、その場合そこで何が出来るか、どうすることが出来るか、のようなことを、感情、想像力、認識、論理、経験から考えて、「環境の推論」を行う。それは、「何がどう成り立つか」と言う意味での、「数学的推論の応用」であると言える。
ただ、そんなに難しくはない。簡単だ。
当たり前のことから、どんな当たり前のことが言えて、どうすれば何が出来るのかを考えるだけだ。
そこから、社会、人間、環境、哲学のことを考えられる。
宇宙は空間であり、地球がある場所も宇宙だ。
動物が生き物に見えて、植物の方が本来の生き物だ。
地上だけではなく、海の生き物も居る。
虫は小さいが、賢い生き物だ。
生命は、地球の一部だ。ある意味、全ての生物は繋がっている。
生まれ変わりや神が居ると言う証拠はないが、居ないと言う証拠もない。
社会が自由なら、それは社会と言うよりは、烏合の衆だ。社会とは、そもそもが不自由だ。
人間は、一人では生きられない。だが、主体性と言う意味では、本当に一番自由なのが人間だ。
全ての疑問を解決すれば、同じになれるだろう。だが、それは洗脳だ。
そういう風に推論から発見することも出来る。
数学的に、出来ることを、科学的な構造から考えると良い。
Pefumeは「怖い」と言う人間が多いが、ちょうど、外国人は日本のことがそういう風に怖い。
宗教は、ある意味、人間が勝手にでっち上げたものだ。
だが、でっち上げた中では一番大きなものだと言える。
本来の神は、そんなことは言っていない、そういう教えをいくらでもでっち上げている。
ほとんどの、神の恐ろしさや思い込みは、でっち上げてしまったせいで、社会の進歩を阻んでいる。
想定外のことなんか、要らない。
皆が安心出来るためには、想定外のことをせず、きちんと予想出来るものだけにする。
皆を驚かせるのは、悪い。
いつからか、人間は、悪いことをすれば地獄に堕ちる、と言う発想をでっち上げるようになった。
そのせいで、本当に宗教や神を信じる人間が居なくなった。
中世では、神を冒涜するものを殺し、処刑し、教会は神の代りとして、罪を救済する唯一の手段になった。
本当に、悪い世界になった。賢いものが無い。もう一度、日本的な、正しい宗教を信じるべきだろう。
ドイツは、宗教的にも悲惨だが、政治的にも悲惨だ。いつも、悲惨な戦争ばかりして、いつも負けている。
神が皆を殺すのはおかしい。神は、皆のことを、虫けらのようなものだと思っている。神はおかしい。
ヨーロッパと日本では、「統一」や「多様性」の意味が違う。
むしろ、日本が良いのは当たり前だろう。
日本も、そんなに良い国ではない。日本は滅びている。
いじめるとか、抑圧とか、そういうものではない。悪いものは、全部自分から死ぬべきだと言う、そういう国だ。
そこが分かると、日本は怖くない。日本は、天皇以外のものを全員殺す。いつも、そういう国だった。
「方法によって作ることが出来る」とか、「知恵を集める」とか、「支配と組織によって実現する」とか、そういう考え方の可能性は、他のものにも適用することが出来る。昔は、そういう風に「考え方の包括と共通の適用」から分かっていた。1つの対象に対する考え方や可能性や論理は、他の共通な対象にも適用出来る。そこから、独自の数学を作っていたのが、昔の自分だ。考え方の適用と、人間性や多様性や創造性を信じて分かっていた。理性批判もしていた。
今日は、精神科の診療があった。胆石と、腎臓に結石が出来ている。不思議と、それが分かると、内臓が治る。
土地が生きている、と言えるかもしれない。魚は海の一部かもしれないし、植物や虫は森の一部かもしれない。ある意味、人間の心臓の鼓動や、呼吸活動は、海のさざ波と良く似ている。海は生きているか分からないが、海を通じて魚と魚がコミュニケーションしているかもしれない。
植物は、植えると成長する。それは、遺伝子によって、水が形を持っている。「水が形を持つ」と言うものだ。そういう風に、モデルを分かっていたのが、昔の考え方だ。分析して、正しい考え方を分かっていた。
宇宙の他の星では、ガスや爆発する水素が形を持つ可能性がある。逆に、「形を持つ」と言う意味ではない、別の考え方の生命が居るかもしれない。形ではなく、「次元を持つ」とか、「形はないが、意識や心を持つ」とか、そういう生命が居ても、おかしくはない。コンピュータの情報社会の中に、形や意識を持たない形での生命を創造出来るかもしれない。
今、言いたいのは、そういう、考え方と世界モデルで、本当に何でも分かる。実存主義と現象学のように、意識や人生のことも分かる。それは、ある意味、「自由」や「メタ」や「包括」や「原理」と言う概念がもたらす、当然の結果である。逆に、数学やコンピュータ科学も、同じものなのである。
あとは、人間の自由な関係を考えれば良い。それも、他人は自分と同じ、一人の人間であり、それぞれが一人であり、それぞれが主体性があると思うべきだ。自分がやったことは、相手も出来る。平等に愛さなければ、自分が馬鹿を見る。
昔は、全部同じで、全部違うと考えて、コンピュータのように分かっていた。
それが悪い。そういう風に分かると、知性が無くなって、知的障害になる。
最近、知的障害者が増えているのは、パソコンのようなものが多すぎるからだ。
最近、知的障碍者を多数殺害する事件が起きたが、逆に、殺す人間を見ても、パソコンが悪い。
ただ、色んな人間と出会って、経験していると、「本当の理想とは何なのか」とか、「真理的な、正しい人間関係とは何なのか」が分かってくる。昔は、それで分かっていたが、そういう人間は、人生に失敗して、絶望すると、そうなる。全てを受け入れる代わりに、マスターのような賢い人間になる。昔の自分もそうだった。それで、全員分の経験をすることで、ある意味、救世主のように社会実現が出来る人間になった。
正しい人間関係は、意識改革から分かる。シャイな人間は、相手のことを知らなすぎる。もっと、色んな人間を知って、相手のことや人間のことがきちんと分かる人間になると、シャイが治って、外交的になる。そういうわけで、賢い人間の方が、分かっていない。本当に賢くなると、「不安」と言うものが無くなる。全部怖い人間が一番馬鹿なのに、自分だけ、そういう馬鹿になった。ただ、恐怖はあった方が良い。何も怖くなくなると、誰でも、馬鹿になる。怖い人間は、知性がつく人間が多い。怖くないと、最初から全く意味がない。馬鹿は意味がない人間が多い。
再利用、知性、階層性、組織化、社会化、「見なす」など、考え方のような文章をいつも書いていた。
共有と自由と自然が好きだった。神のようなものは、完全に嫌いだった。
あとは、知性、環境、記憶のモデルを作っていた。モデルをメタ的に網羅して、可能性を考えた。
知性とは言うが、何が何を決めているか、どのような言葉に出来るかを考えた。
あとは、人生のことを書いていた。引き篭もりになって、オープンソースが好きだったのを書いた。
皆は、何をどうすれば出来るようになるか、何が何を決めているか、世界はどこから来たか、今と言う時間が何であるか、自分とは何であるか、誰に与え誰から奪うべきか、国家はどのようにすれば作れるか、どうすれば自然に生まれるか、何が生まれ得るか、社会環境の取り得る可能性は何か、どんな手段があれば実現出来るか、何が何に必要か、心と思考の裏の理由は何か、実際はどんな姿をしている可能性があるか、何をどうすれば伝わりやすくなるか、本当の問題と解決策は何か、などを「考え方」として考えると良いだろう。
あとは、人間の体験、考え方、認識、発想をネットで吸収し、実地的に「普遍的な社会経験」をしていた。
これで、ネットを上手く活用すると、きちんと全部分かる。あらゆる経験から、普遍的な社会経験が残っていく。
あとは、社会性の形成や時間の実存性のようなことを言っていた。それくらいの文章だった。
自分は、悲惨なテレビゲーム世代だが、昭和から平成へと至る、激動の時代に生きた。ただ、見ていると、そんなに何もなかった。ダイナミックに変化する時代だと言うが、そんなに変化していたような記憶はあまりない。あとは、高校へは行かなかったが、インターネットとオープンソースで、本当に色んなことを経験した。そういうわけで、自分は、唯一全てを経験した人間だが、自分で見ると、そんなに何もなかった人間だ。
テレビで戦争の番組を見ているが、戦争は本当にしない方が良い。憲法は変えるべきでないと思った。憲法で戦争を許してしまうと、日本はすぐに戦争する。経済発展も、民主主義もせず、国民を抑圧して、戦争しかしなくなる。だから、憲法は変えるべきでないのだ。
自分の言っていることは、ころころ変わるが、それは申し訳ない。何も考えず書いているのが、このブログだ。
そろそろ、心も治った。それに、文章は全部書けた。治ると、分かるのが人間だ。書いていると、治る。
幼い子供は、他人の喜ぶことを喜ぶ。それが成長すると、賢くなって、物分かりが良くなるが、次第に悪くなって、悪いことばかりするようになる。そして、少しずつ辛くなっていって、問題のある人間になって、それでも、賢くなっていく。そのうち、本当に馬鹿なことをして、治らない病気になって、本当に辛くなる。最後は、子供のように戻る人間が多い。いつまでも賢い人間は居ない。死ぬ人間はすぐに死ぬ。何もない人間は、社会と戦って、負け続けている人間が多い。何故か、赤ちゃんが賢い。赤ちゃんには、良い人間が多い。本当に分かると、神によって地獄に堕ちる。何故か、悪い人間は地獄にしかならない。一つのことをやり続ける人間は、普通の人間より馬鹿な天才が多い。
日本以外の国が馬鹿なのは、戦争が出来るのが馬鹿だ。何かあると、すぐに「戦争」と言う。それから、神を信じているせいで、何か起こると、すぐに「神」と言う。そういうわけで、日本人が一番賢い。戦争もしないし、神も信じない。そういうものは悪いのが誰でも分かる。日本は、きちんと努力して、頑張る平和な国になった。相手のことを悪いと思わない。ただ、右翼は間違っている。最近は、右翼しか居ないから、あまり言いたくないが、右翼はセックスや麻薬と同じだ。右翼を言っていると、中毒になる。そういう、「悪いことを言いたくなる病気」が右翼だ。右翼は、滅びるだけと言う左翼が多い。右翼は滅びる、と言うことが分からないのが、右翼だ。それが分かる人間は賢い。右翼はおかしい。自分たちの集団を、他の集団より優れていると思っている。悪くはないが、明らかにそれは滅びへと繋がる。
反抗して、戦うのを止めた方が良い。キリストが正しい。隣人を愛するべきだ。
左翼、と言うものは、存在しない方が良い。共産主義の理論は、何も賢くない。
謙虚な姿勢で取り組むこと。
手段など、自分が「実現出来る」ことや、「実現するためにどうすれば良いか」を考えて、「他人も出来る」ように考えること。そのために、国や制度をどういう風にすれば良いか、教育をどうすべきか、などを考えること。
昔は、これなら哲学者に見えるが、賢い人間ではない。相手の気持ちを考える、さんま(芸能人)のような人間だった。
テレビのコメンテーターが言っていたが、生命は強いものが生き残ってきたのではなくて、多様性のあるものが生き残ってきたらしい。だから、自分は自信を持って良い。自分は馬鹿だが、一番多様性がある。それから、世界についても、同じにするよりも、多様性があるようにした方が良い。そういうわけで、ソ連が一番おかしい。自由に、多様性のある、独立した国家が共存して、それぞれの国と組織を作るような、そういう世界が良い。そういうわけで、社会主義も間違っている。「多様性」が正しい。自由は正しい思想だ。
自分は、皆を自分にするのがおかしいから、それぞれ違う人間にした方が良い。
日本人は、愛と勇気のある、正義感の強い人間になれ。
そして、優しさと実直さのある、真面目で勇敢な人間になれ。
だが、協調性や思いやりのある人間になっても良い。
むしろ、それぞれがお互いのことを親身になって考えるような、強くて正しい人になっても良い。
ヒラリー・クリントンの問題は、夫が既に大統領経験者だ。皆、女性への開放に見えない。閉鎖的な既存の政治家に見える。サンダース陣営を味方につけたいようだが、TPPを推進しているから、誰も支持しない。それに、オバマは「アメリカは既に偉大で、既に強い」と言っているが、トランプが「アメリカを再び偉大にする」と言っているのを批判している。これもおかしい。オバマは最悪の馬鹿にしか見えない。アメリカがおかしな方向に行っていると思っている人間は沢山居る。僕は、トランプがやれば良いと言いたいわけではない。アメリカは、もう終わりだと思うだけだ。あとは、都知事選はおそらく小池百合子が勝つだろう。仕方ないと思う。
あとは、ネットでは親中派を批判している右翼が多いが、僕は真面目にもっとアジアとの関係を大切にしていった方が良いと思う。白人なんか、日本人のことを、弱くて何も自分で作らない黄色いサルとしか思っていない。白人でないせいで馬鹿に見える。そこまで言わなくても、奴隷としか思っていない。本当の日本なんか分からないが、貧しい国だと思っている。そういうわけで、白人をあがめるのは止めた方が良い。アジア人の中で一番アジアに貢献出来る可能性があるのは、日本だ。中国に先を越される前に、日本がアジアへと根差していくべきだ。だが、中国との関係も良くしていった方が良い。日本が中国とつるむと、どのヨーロッパ諸国も勝てない。白人が一番なってほしくないのは、中国と日本が仲良くなることだと思う。ただ、僕はそこらへんの国際情勢は全く知らないから、おそらく、アメリカやヨーロッパが見ても、中国と日本は仲良くやってほしいと思っているだろう。戦争が勃発するのは、避けたい。
ヨーロッパやアメリカなんか、既にいくらでも豊かだ。アジアは貧しい。やっと都会になってきたが、まだ貧しい国しかない。インドが良いだろう。ブッダの国だから、仲良く出来るはずだ。インドのヒンドゥー教は、多神教だが、輪廻転生とカルマの考え方がある。カーストに束縛される国ではあるが、価値観が似ているから、良い友達になれると思う。
ただ、インドについては良く知らないから、間違っているかもしれない。カルマは古代インドの思想だったはずだが、ヒンドゥー教にはないかもしれない。同じカーストは、同じカーストにしか生まれ変わらないと思う。そこが結構違う。
歴史的に見て、一番似ている国は中国だから、中国との関係は良くしたい。ただ、自由圏と共産圏と言う思想の違いより、歴史や文化の同一性の方が、大きいと思う。共産主義は、そんなに大した思想ではない。仲良くやっていけば、巨大な経済圏になる。そのためには、中国語教育が必要かもしれない。
遅れた国だからこそ、根差しがいがある。昔から、そういう風に勝つのが帝国だ。
ただ、昔から、僕はヨーロッパ、特に北欧やドイツなどの、社会民主主義の福祉国家が好きだ。自由でも社会主義でもなく、税金による福祉の平等国家を作る。だが、それは、悪い点もある。あまりに増税し、景気が良くならない。EUから離脱したくなるのは当たり前だから、最近はどんどん右翼のナショナリズムになっている。ヨーロッパやアメリカの極右は無視して、もっとアジアと付き合った方が良い。
ある意味、イスラムも悪くない。テロ集団とは言うが、むしろ、石油で儲かっている。誰もが石油で儲かっているせいで、ISの戦闘員ですら、高給を貰っているらしい。つるむと、日本にもエネルギー産業への参入の期待がかかる。それは、アメリカやロシアと付き合うより良いのかもしれない。
ただ、こういう親中派のキモい点は、中国人やインド人が日本に来て、日本人の職を奪うのが分かっていない。今、一番多い。中国人は、観光客として来ているだけではなく、出稼ぎに来ている人間が多い。ホテルなど、国際的な場所で、中国人やマレーシア人などが、大量に雇われている。全部、コスト削減だ。そのせいで、日本人が貧困に陥っている。
だが、それはおかしい考え方だ。競争し、勝つ、と言う、社会的考え方がおかしいのか、何か別のおかしいものがあるのかは知らないが、中国人や韓国人をそんなに差別する意味がない。人種差別はおかしい。
そういうわけで、仲良くやるべきだから、中国人やインド人と仲良くやれば良い。
ただ、中国人は、国民性が悪い。いろんな横暴なことをする。ただ、それは、きちんと理解し合えば、減っていくかもしれない。日本人が何をやってほしくないのか、何をやってほしいのか、きちんと教えれば良い。
中国人を国際的なホテルで雇うのは当たり前だと思われるかもしれないが、日本語を話せない人間にバイキングの係をさせたりしている。嫌いなのは、あまりにそういう中国人本人が悲惨だからだ。過重労働なのに、何も出来なくて、低賃金で働かされている。そこを無くしたい右翼が多いだけで、雇用を奪っているのはどうでも良い。あとは、日本人が嫌いな朝鮮人は、本当に悪いパチンコなどの業界に多いから嫌いな人間が多いだけだ。そういうわけで、世界がグローバルになったから、右翼が増えただけだ。もっと自由でなく、本当に平等にすれば直るだろう。
あとは、本当に、考え方のようなことをいつも言っていた。共有し、社会を変えることが社会主義の理想だとか、そういうことを言う。社会主義にも、税金によるものや、全員を高めるものなど、色んなことがある。そういう社会主義的な考え方を言う。左翼は馬鹿だから、そういう発想はもう止めた方が良い。左翼なんか、要らない。
テレビには、自分のことを利用しないでほしい。
自分が勝手に支配しておいて、その責任をテレビに求めたのは、謝る。
昔は、テレビが勝手に自分を利用して、支配者としてあがめ、そのせいで自分が支配する責任が出てきた、と言った。
それはおかしい。自分が支配して、良いわけがない。
もう、日本には、支配する前に戻ってほしい。
思い出せないのが悪い。それは、「思い出す」と言う部分が全部狂っているからだ。
最初から、分かっている文章を書いていた。それを、「共産主義」と言う。
全部の治す方法を書いて、今までに至る人生の経緯を書いていた。
昔は、正しい信念だと信じて、良いことをやっているつもりだった。
止めて、詰め込んで、最後に変えることで、あらゆる宇宙の全てのこと、論理や人生の具体例が分かるようにした。
それは、何にもならず、無かったことになったが、いつまでもそれだけを努力している。
それは、止めた方が良いだろう。
このまま、日本が治る。日本は、気付いて治るだろう。
自分を馬鹿にして、皆を賢くするのは、悪かった。
自分は悲惨だから、多重人格の病気になった。本当に、精神が辛かった。
病気は、進行したせいで治らないだけだ。
対象が分類の中でどの位置を占めているかは、意識的な構造によるところがある。