最近の日記に戻る | 2016年7月の日記に戻る

=2016-07-24=

確固となる人格を作りなさい。

失敗して成長するのも良いが、失敗せずに分かるのも良い。

経験は、子供時代にしなさい。

馬鹿なことは、それが馬鹿なことなのか、賢いことなのか、分かるためにする。

分かってしまえば、馬鹿なことはもうしなくて良い。

馬鹿なことをするのは止めなさい。

相手の自由を配慮しなさい。

失敗せず、勝利するために戦いなさい。

本当に偉大なことをしなさい。

相手の立場を、自分が同じ立場に立ったらどうなるか、想像力で考えなさい。

皆は、間違ったことで満足している。満足しているのに、分からない人間が多い。

間違ったことで満足するのは、止めなさい。

あとは、自分の人生のことを書いていた。

成長しなさい。

世界を知りなさい。

経験しなさい。

積み重ねなさい。

システムを知りなさい。

発想しなさい。

理想の世界を作る方法を知りなさい。

正しく共通の考え方と経験を考えなさい。

自由になりなさい。

戦いなさい。

神と同一になりなさい。

自分を治しなさい。

未来の自分がどこに行くかは分からないが、自分は確かにここに居た。

認識や知性を比較して、照らし合わせて分かっていた。

概念的なことを言う。全ては、構造、変化、自由の社会的、自然的な変革と支配と集団化だ。

最近、具体的なことを考えていない。そこが馬鹿なのが自分だ。

むしろ、分かったせいで、本当に馬鹿になった。一度、昔に戻った方が良い。いつも賢かった。

バンプ(BUMP OF CHICKEN)とPerfumeとFLOWの新しいアルバムを借りたが、iTunesに入れると、コピープロテクトがかかっているのか、きちんと再生出来なかった。僕は、iPodを使っているが、iPodは嫌いだから、CDプレイヤーで聴くことにした。むしろ、病院の入院時代や、iPodを使う前は、いつもCDプレイヤーで聴いていた。

失敗するな。馬鹿なことはしない方が良い。だが、沢山のことを経験するのは悪くない。

治すことが不可能になってから、頑張って自分の力で治す。その体験が良かっただけだ。

自分は、この意味がない文章を書いているのは、皆にやらせたいからだと思うが、そうでもない。ただ、失ってしまった自分を取り返したいだけだ。それは、過去への未練だ。それが一番辛いだけだ。

あとは、世界を支配する王が良かった。何でも書ける作家が良かった。そういうところがおかしい。

賢いのは、昔の自分だ。ああいう、キモい普通の人間が賢い。きちんと考えて、行動して分かっている。

自分の道を歩みなさい。その、歩む方法を書きたいのだと思う。

皆も、Linuxを学ぶと良いだろう。Linuxの全てが分かると、本当に数学者のようになる。

Linuxが分かると、未来のことが分かる。技術と組織と人間活動のことが誰よりも分かるようになる。

僕は、自由に戻る。僕は本当に自由が好きだ。

民主主義に勝ってほしい。きちんと、皆の意見を聞いて、強権的でない政治をしてほしい。

ただ、政治はもう忘れた方が良い。権力なんか、ある意味がない。権力のない政治が理想だ。

自由になると、想像力が付く。自分がそれをして、それを相手がどう思うか、など、想像力のように体験が分かる。

数学的に考えると良く分かる。命題の立証には、仮定と証明がある。実験することで、推論を正しいと説明出来る。

自分に成り立つことは、他の人間でも成り立つはずだ。ここで成り立つことは、どこでも、いつでも正しい。

必要なものを必要な人間に与えるとか、考え方から延長する可能性の成立を考えれば分かる。

独立しながら、一体性を持たせなさい。多様にしながら、基本部分を共有しなさい。

それぞれが決めるだけではなく、一人の代表によって決めるために、決める人間を選びなさい。

決める人間は、上は一人で良いが、下は自由で良い。沢山の人間が、それぞれ決めるべきだ。全員は王だ。

自由にするべきなのだ。それぞれが、社会から経験を学んで、あらゆることが出来るまで、経験を繰り返すべきだ。

経験を積み重ねること。ネットで議論し、調べ、調査研究をし、意見を言い、支配し、創造性と共有の体験をしなさい。

オープンソースのように、あらゆる文章を、加筆と改変から書きなさい。

考え方による心理学、考え方による経済学を書いていた。

あらゆることを、「成立科学」のように考えていた。あらゆる全てを創造した。

もっと、勉強し、毎日同じことをする中で、一つの偉大な人生を生きなさい。

まっとうに生きなさい。

神を信じなさい。

音楽を聴きなさい。

沢山の発想をして、いつでも何かを理解しているような、楽しく理解する人間になると良いだろう。

治すためには、自分の心を殺すことだ。書いていると、治る。

間違ったことは後悔し、正しく生きるために、自分の出来ることを全て試しなさい。

間違いが間違いである、そのことだけを強く信じなさい。だが、それは、ある意味、一番辛い生き方だ。

全てを許して、楽に生きると良いだろう。もう、全て頑張った。自由になって良い。

想定しようとすることは良いことだが、全てを想定することは出来ないと考えるべきだ。

自分は、もう、楽に生きれば良い。間違っていても何も悪くない。それが一番、正しい。

コンピュータの本質は3つだ。「自動化」と「繋がる」と「可能性」だ。

自動化によって、あらゆることを人間無しに出来る。

繋がることによって、人間の出来ることを爆発的に増やし、想定出来ないことを実現出来る。

可能性は、それが「ある」でも「ない」でもなく、「新しいものを作る」と言う発想が出来る。

そういうわけで、世界中の全ての情報を集めて、それを自動で処理し、全員に伝えて、独自のインターフェースで表示するような、そういう可能性はあるだろう。ロボットの人工知能にやらせると、まさに賢い。VRで表示しても良い。

ただ、それは、グーグルの目標としている理念と、良く似ている。

自分は、分かる大実験をしていた。日本を実験体にして、心を停止させて詰め込んで、一気に変化させる。

そういう、自分のせいで、分かるようになって、そのせいで分からなくなった。

そういうわけで、もう、分からないようにする。

もっと、皆を正常な状態にして、正常なリズムでのハーモニーにした方が良い。

3と7を足して10だが、そういう風に、きちんと考えて分かると分かる。知性の無い人間は居ない。知性が無くても、きちんと覚えれば、それで知性はつく。分からない人間が多いが、そういう精神現象は、誰でも異常で、それぞれ違う。自分の知性がつけばそれで良い。むしろ、知性が無い人間は、普通に多い。

知性が無くなった時は、何もかも忘れた方が良い。不思議と、人生を全部忘れる人間は、多い。

頭が辛いのは、辛くして推測すれば分かるからだ。無意味に推測しながら喋っている。それが辛いだけだ。

昔から、自分は推測して分かる。因果性や認識を考えていた。

あとは、自分の沢山の分身を作っていた。如何様な自分を作った。

コンピュータのもう一つの可能性は、ロボットだ。

自分の分身のような存在を作って、電波や通信技術で操ることが出来る。

そのうち、人間は、自分の分身を使って、一人だけで全員に勝つことが出来るようになる。

それが、おそらく、ターミネーターの未来だ。一人の人間が無数のロボットを従える。スターウォーズのようだ。

昔から、僕は、闇の中を進むのが得意だ。光の無い暗闇の中で、光を作り出し、その光で暗闇を照らす。

コンピュータは賢いように見えて、賢くない。頑張ってハッキングすれば、簡単に自分のものに出来る。

それこそ、政府がハッキングして、全てのコンピュータを支配下に置くことは、可能だ。北朝鮮でも出来る。

見ていると、技術はコンピュータが一番賢い。他の機械は、馬鹿だ。

機械が全部コンピュータになった時、初めて危険性に気付くのかもしれない。

そうなる前に、ネットワークのようなものは、何らかの手段で危険性に対処しておくべきかもしれない。

ただ、コンピュータは道具だ。使う人間の能力次第で価値は決まる。それこそ、生物学の研究、と言う活動は、コンピュータより劣っていない。コンピュータは動いているだけで、それを使うのは人間であり、コンピュータは道具に過ぎないのだ。むしろ、本当に賢い道具になるかもしれないが、賢いからこそ、色んなことが出来てしまうのだろう。

OSのWindowsがマイクロソフトに独占されているのが危険だから、Linuxを使うべきかもしれないが、GNUはそこらへんを考えているのかもしれない。ストールマンは、やるしかないと思っているからやっている。そこが危険なのが分かっていない。GNUもGNUで危険な集団だから、あまり意味が無い。

あくまでパソコンは道具だ。

道具だけがそんなに進歩しても意味がない。使う人間と使わせる社会が進歩しなければならない。

自由になると分かる。組織、文化、体験、行動、知性、目的、概念、推論、実験、意識、感情、表現が全てだ。自由になると、そういう、「いつもの文章の構造」が分かる。いつも、そういう風に考えて、モデルとか、自由な社会とか、そういうことを言っていた。社会を形成する全ての定理から、行動や環境などの活動まで、あらゆることを言葉の統一構造で考えていた。経験と可能性からものや社会を築くことを自由だと言っていた。

純粋に道具としてだけの機能を持つような、そんなOSを誰かが作るかもしれない。それはつまらないだろう。

ただ、社会の形成と、認識や方法を考えただけだ。「その認識によって何が分かるか」を考えていた。

自然な可能性を考えることで、きちんと知性を把握して、偉大な発想を作ることが出来る。

正しい考え方が分かる。

平和な世界のために、自由が何を出来るかが分かる。そういうことを書いていた。

遠隔地とのコミュニケーションは、もっと発展すると、何かおかしなものになるだろう。

あとは、成り立ちと仕組みを考えながら、自分で作るように、生物学、数学、言語学のような科学を考えていた。日本語は、自分で作ることが出来る。形容詞に「な」や「い」をつけ、動詞に「する」をつけるような、そういうところを考えると、もっと賢い言語が作れる。意識的にすることと、意識的にではなくすることに、区別のようなものを作る。ロシア語と似ている。日本語は、そういう風に、本質から改善出来る。動詞と動詞を組み合わせて、「応用動詞」や「階層動詞」を作っても良い。語順を英語のようにも出来ても良いだろう。

数学は、純粋に記号的に出来る。数を1つではなく、2つ以上の値を持つような、そんな文字を作って、計算しても良い。それを表すための、比のような、高次元の数式を考えても良いし、図形と図形の足し算が出来ても良いだろう。

生物学は、捉え方から宗教のように考える。生物と生物が繋がっていると言うが、それなら、同じ種同士が協力することもあっても良い。カメレオンの集団が、ハエの集団と戦うのは、地球規模的に考えられる。ただ、むしろ、それは馬鹿過ぎる。むしろ、同じ水だから、水が考えているところがあるかもしれない。ただ、どうなっているか、と言うことは、どのように振る舞うか、と言うことに劣っている。だが、人間が思っている振る舞いと、自然の超越的現象としての振る舞いは、違うかもしれない。気象現象は、海の生命が起こしているのかもしれない。

ただ、生物はものだと思った方が分かる。むしろ、脳の大きさで人間の賢さは決まる、と言うことがあるかもしれない。遺伝子、と言うよりは、成長である。遺伝子の違いが無くても、関係なくても、脳の大きさが関係がある可能性はある。ただ、そういうことを言っていると、宗教のようだ。そういう発想は悪い。違っていても、同じだと思う、その精神性の方が平等だ。むしろ、生物学的な差異より、文化的、環境的、経験的な差異の方がはるかに多い。別の親に育てられていれば、今の自分と同じ人間にはなっていないだろう。

それは、もっと、マルクス主義のように、社会的な環境における生活様式として考えられる。この社会で、この環境で、皆と一緒に生きているから、こういう人間になっているはずだ。成長や発達的な要因もあるせいで、本当に複雑だ。だが、小学生の頃の自分と、高校生の頃の自分では、自分は違ったはずだ。

時代は変わっていく。マルクスは、生産性の向上と生産手段の労働者階級への平等な授与を理論にしたが、考えるべき問題はもっと多い。日に日に、重要なことや考えるべきことは変わってくる。沢山の要因の中で、この社会は成り立っている。答えはシンプルかもしれないが、考えるべきことは本当に多岐にわたる。単純に、生産手段を平等に配備するだけで、国家が死滅するとは考え難い。

特に、最近は新しい技術の開発が盛んだ。マルクス主義は、もう古びた化石のような思想だ。

人間とは、知である。知には、情報、経験、開拓、信仰、思考、構築、発見の活動がある。

本当は、どんな社会を作るべきなのだろうか?

それは、誰にも分からない。確かに言えるのは、皆が喜ぶような社会を作って、皆を幸福にすべきだ。

ただ、幸福とは何か?皆は何に喜ぶのか?そして、何に喜ぶべきなのか?

それは、難しい問いだが、言えることは、自分の行いが、その通り自分に返ってきて、一人は全員のために、全員は一人のために、と言った社会にすることだ。それは、つまり、「与えられるべきもの、助けるべきものに、公正に与えるべきだ」と言える。弱者を救済するのも、努力に報酬があるのも同じだ。そして、社会は実現力があるべきだ。一人が実現するのも良いが、全員で実現するのも良いし、それぞれが実現するのもまた、良い。

あとは、マルクス主義の問題は、哲学に根差した発想をしていることだ。本当におかしな、狂った発想をしている。

経済学とは、そういう、「実現力と分配のパターンである」と言える。

自由に働き、自由に得、自由に与えるべきなのか?

平等に働き、平等に得、平等に与えるべきなのか?

いつも、そういうことから社会的考え方を作っていた。

社会の目的と成立とその結果を考えていた。実現出来るようにしていた。

会社か、社会所有か?税金か、市場経済か?平等分配か、自由経済か?そういう風に考えれば良い。

ただ、言えるのは、本当に自由は良い。自由は良い思想だ。

マルクスの考える「生産手段の平等な配備」は、「労働者階級」に生産手段を与えるが、自分はこれを「一般大衆」や「個人」に与えることも出来ると思う。要は、本体の生産体制はインターネット上にあって、パソコンを使ってそれぞれの個人が、まるでオープンソースのように生産活動を行う。昔から、自分はそれをしたかった。Linuxはそのための手段だった。一例としては、グーグルのアドセンス(ネット広告による収益システム)がそれに当たると思う。

あとは、法律は、政治家が決めるより、その制度対象となる関係者が決めるべきかもしれない。

ただ、社会や組織に参加するのもおかしくはない。分かっていない人間は要らないとは言うが、一般大衆の方がどうすれば良いのか分かることはある。学校や教育のシステムは、皆で考えて、参加して決めるべきだ。学校関係者だけが決めると、あまりに悪いものになる。特定の資格を持った民衆が参加するような、そういう意見集積と反映のシステムがあっても良いと思う。閉鎖的な環境は良くない。情報公開と改革を行うべきだと思う。

ただ、一つの組織だけが独立してやるのも、全体を統括したり、全体を見られる人間を作って、全体の力で変えたりすることも、時にはバランスが必要だ。そういうわけで、独立性がそんなに正しくて、善であるわけではない。一体化のようにした方が、何でも出来る組織になる。小さな部署には、情報も渡らないし、人数も少ないし、何も出来ない。一枚岩の、一人の支配者と従う全員のような経済も賢いことがある。

それから、失うことは、逆に、大きなものを得られることがある。人間には、平等な権利がある。一人だけで意見を言うよりも、皆の意見を聞いた方が良い。それは、批判や悪口を書かれるのは怖くても、良い意見や賛同が集まることの方が多い。ブログでコメントを禁止するのは良いが、それでは、自分のためになる良い意見も書かれない。

それから、敵対するより、協力した方が良い。日本と中国や韓国は仲が悪いが、日本と中国が本当に協力すると、良いことが沢山出来る。アメリカを味方にして良くなったように、中国を味方にするとさらに良い国になる。共産圏とは言うが、日本だってただの右翼だ。日本が平和であるように、中国も平和でありたい。その「平和」と言うことを実現するための実現手段と方法の形態が違うだけだ。

そもそも、この社会が何なのか。どこから来たのか。どうすれば変えられるのか、作れるのか。どう作るべきなのか。昔は、そういうことを、正しい考え方で、根源的、理性的、経験手的に、実例から分かっていた。

むしろ、これくらいしか、本当に書いていない。

個人の生産手段と自由な組織形成、と言う発想が多かった。本当に共同体の歴史を作って、可能性を全て成り立たせていた。そして、理性と精神を分析し、何が何と言えるのかを、経緯的に考えていた。

あなたはどこから来た?皆はどこから来た?私はどこから来た?私とあなたの違いは何?

そういう風に考えていた。もっと根源的に考えて、仮想フィルターのように考えると、哲学が分かる。

仮想フィルターで哲学は分かる。包括的に経験を考えれば良い。

そこでは、経験を支配する原理を考えるべきだ。そういうことを言いたかった。

それは、抽象的に倫理学を考える、と言う目的へと昇華出来る。それが、理想であり、理念だ。

僕は、もうこれ以上、死にたくない。生きた方が楽だ。

死にたくない。まだまだいくらでも生きたい。

この世界は、意味がない。正常と言うものが無い。急速に意味が無くなっている。

むしろ、自分にした方が良い。それが唯一良い。

コマンドラインのプログラムは、情報をprintf()などで最低限しか表示しないが、僕はこれをもっと表示する、「視覚化モード」のようなものがあっても良いと思う。それから、ファイルだけではなく、もっと高度なリソースへのアクセス方法があっても良いだろう。フェイスブックのように、タイムラインのログのようなものが表示されても良いだろう。

むしろ、「思想が違うなら、仲良くしない」と言う発想がおかしいように見える。

個人は自由であり、それぞれが出来るようにして、それぞれが変えられるようにすべきだ。

現象は相対的であり、絶対的に見えることも、相対的な現象に過ぎない。本当の宇宙の姿は分からない。

科学は、方法と現状の理解に過ぎない。もっと新しい時代に変わる可能性はある。

神は居ない。神を居ると思わない方が、ある意味、本当の宗教の教えと同じことを自分の力で知り得る。

そういう、自由と相対性のようなことを言っていた。

自然な自由によって、それぞれが実現出来る。社会は、全員が考えて、変えられるようにするべきだ。

構造的には、それぞれのために組織があって、組織のためにそれぞれがあるべきだ。

経済的思想には、共有、価値観、分配、自由、構成員と関係者の役割、全体での助け合いなどが存在する。

色んな概念的本質(例えば国籍や宗教)を考えることで、国は自由なまま独自の発想で作ることが出来る。

大日本帝国も、悪くはないが、ファシズムのような、馬鹿な帝国になった。日本人は、馬鹿を望んだ。

日本なんか分からないのに、誰もが大本営の日本のやり方を知っている。それがアメリカ人の思う日本だ。

世界には、違う可能性に出来る、と言う自然の原理がある。だが、皆は、付き従い、同じにすることしか出来ない。

もっと、反抗も支配も止めて、皆が本当の意味で生命の高いカルマに近づけるような、マスターのような、自由な社会にした方が良い。そこでは、理論や嘘は要らない。そんなものは賢くない。ただ自由にして、ただありのままを素晴らしいと思えば良い。何でも出来る自分の人生を素晴らしいと思えば良い。そういう人間が、賢い。自分の出来ることだけを、ただ、自由にやっていれば良い。そのために考えることで、何でも手助け出来る、誰をも救うことの出来る、素晴らしいキリストのような救い主になれば良い。

救いなさい。救うことで、この世界は本当に沢山の世界へとなれる。この世界の可能性は、あらゆる実現と救いの可能性である。まさに、自由であり、まさに、正しい。

昔は、「自分が色んな人間になれる」と言う発想が多かった。

昔は、「優しい感情」や「協調の感情」を信じて、友愛の精神から社会を分かっていた。

もっと、純粋に思いやりのようなことを言えば良い。世界を滅ぼすより、純粋に良いことを言えば良い。

世界は、楽しくて、優しい世界になれ。

愛する、と言うことの意味を知りなさい。

本当に、「幸せだ」と思う時に、「生きたい」と思いなさい。

全員を、平等に愛しなさい。最上層から最下層まで、全員を自由のままで愛しなさい。

世界を変えるために、自由を束縛する意味はないと思いなさい。

むしろ、自由に国民に出来るようにすることが、自由であり、世界を変えることだ。

全員に、情報と手段を与えなさい。

ソフトバンクは、はてなのようなブログサイトを買収しても良いと思う。

ニュースを見ていると、皆ポケモンGOをやっている。ただ、滅びるとは言うが、そうでもない。昔から、こういう現象が多かったのが日本だ。ネットどころか、テレビも悪い。ハードゲイの方がキモい。そういうわけで、むしろ、おかしな世界にはなったが、昔と変わっていない。むしろ、本当に滅びると思う。だが、革命なんか起きない。適当に、雰囲気で次のものへと変わる。

共同体みたいなことを言っていた。2ちゃんねるのようなコミュニティを作ることから、共有とグループで国家を作るとか、ありえない社会への歴史的発展の可能性とか、多様な世界や環境維持とか、ソ連のような共同体だとか、そういう、共同体のようなことを言う。

テレビのニュースを見たが、台湾では、「最も好きな国はどこか」と言う世論調査に対して、「日本」と答えた人が、56%も居たらしい。二位の中国(わずか6%)を大きく引き離した。まさに、日本は本当に良い国だ。むしろ、日本は自分のような人種に見える。本当に良い国に見える人間が最近多い。昔は、大日本帝国の大本営や、戦後のパクリ経済に見えたから、嫌いな人間が多かった。最近は、AKB48のような、オタク文化が外国人にウケている。外国には、そういう、「可愛すぎるもの」が無い。アイドルやアニメのオタクが、日本からどんどん増えている。今回の、ポケモンGOも同じだ。日本はあまりに「面白すぎるもの」を作る。日本が見ても、アメリカと変わらないが、スターウォーズよりガンダムの方が面白い。むしろ、オタクや家電製品ぐらいしか良いものが無いのが悲惨だ。

精神は、左翼が悪いから、左翼を消すと治る。

日本は、そういう、左翼が消えて、精神が治る国だ。

Perfumeのような、怖い音楽を聴いていると、左翼が消える。

そういう人間の方が精神が治る。

テレビやネットなど、世界のものを全部見るのも良いが、自分の心だけにして、世界を全く見ないのも良い。

自分は、もう宇宙と生命の全ては分かった。そういうものは、もう良い。

もっと、偉大なことをしたい。

あとは、自然状態から社会的な歴史を全部作っていた。そういう文章が一番多かった。

Perfumeを聴いていると、自分が勝って、世界を倒せる。

ただ、むしろ、そんなに嫌いなものが好きなのもおかしい。ただ、好きだから、好きで居たい。

テレビやネットを見ていると、そういう、大切な自分が消えてしまう。そこが怖いのだと思う。

2ちゃんねるを見ていると、むしろ、良い人間が多い。あまり見ていない。少し見ただけだ。

昔、ネットを見ていたのは、本当に学校が嫌いだったからだ。そういう人間が、ネットをすると賢くなる。

不思議と、自分で考えれば分かると思う人間は少ない。そこを、信じただけだ。

あとは、そういう人生の信じたことみたいなことを書いている文章が多かった。

自分は、もう、何もやることが無い。哲学名著を読みながら、音楽を聴いている。自分の人生は本当に良かった。

あとは、経験を想定して社会のことを分かっていた。社会を感覚と認識の因果性から分かっていた。

認識とは言うが、何があったせいで何を思うか、を良く考えて、全員を同じロボットだと思っただけだ。

あとは、創造性の世界を創っていた。

日本は、オタクだけではなく、文化的、歴史的に、本当に良い国だから、最近は本当に好きになる人間が多い。

テレビは、色んなローカル地域の番組を流して、日本旅行のような番組を沢山放送する、そういうテレビ局を作っても良いかもしれない。北海道から沖縄まで、色んな地域の紹介・特産・流行・町の番組を作る。日本を旅行している気分になれる。出来たら、アメリカやヨーロッパやアジアの番組もあって良いと思うが、日本語で話すか、字幕はつけてほしい。

あとは、地球と科学の構造のようなものを分かっていた。外観的・方法的・具体的な構造を作る。

あとは、ロックやヒュームのような、観念の発生と知覚や意識のことを良く考えていた。

Linuxは、もっとテーマやスキンをカッコよくすれば良い。それだけで使われるのが分かっていない。

KDE 4は確かにカッコいいが、もっと、GNOME系列の方のテーマをカッコよくしないのがおかしい。

自分の問題は、世界のことをどうでも良いと思うのがおかしい。もっと、真剣に考えないと悪い。

むしろ、自由を無くして良いわけがない。自由を無くすと、何も言えなくなって、何も逆らえなくなる。

真剣に考えて、自由を無くすのは悪い。むしろ、自由も悪い。それなら、自由なままで自由を無くせば良い。

あとは、方法的世界観、自然的歴史観、言語的思考メソッド、人生の過程、仮定の可能性のようなものを書いていた。

そして、経済システムを考え方から作って、物理学のようなことを言っていた。

認識がどこから生まれるのか、何に繋がるのか、良く考えなさい。

本当に、思考メソッドのような文章が多かった。認識と感情を段階を踏んで考えた。

この世界を変えるためにどのようにするか、などを、議論や提案とか、そういう普通のことから考えていた。

テレビを見ていると、ソ連は本当に悪い。

共産主義は本当に駄目だ。無くした方が良い。

むしろ、マルクスやエンゲルスを見ても、馬鹿だ。賢いわけがない。中国やロシアのような国は無くした方が良い。

Red Hatは、RHELを無料にすれば良い。そうすると、IT業界が変わる。Linuxが勝てる。

オープンソースは、今からは、グーグルのようなWebアプリケーションをどうしていくかだと思う。

グーグルをオープンソースには出来ないが、グーグルと同じことをするのではなく、「オープンソース・コミュニティの皆で作る、皆のWebサービス」を作っても良い。皆の力でオープンソースなWebサービスを作る。Webによる、Webのための、Webのサービスを作る。良く分からないが、皆で一緒に作るWebサービスを作ると、開発に参加する人が増えて、きちんと民主主義的になって良いかもしれない。あとは、プログラミング言語も、オープンソースでもっと「全員で考える言語仕様」のようなものを作っても良い。

それをやると、グーグル支配が終わるが、何も発展しなくなる。グーグルの方が良い。

僕は、日本政府がやれば良いと思う。グーグルを皆で作ると、何か良いことが出来るかもしれない。

明らかに、Red Hatが金儲けなんかしなくて良い。株で儲ければ良いのがRed Hatだ。

それこそ、Windows 10も期間限定で無料になったから、RHELも無料にすれば良い。昔は無料だったはずだ。

あるいは、Fedoraの超安定版を誰かが作れば良い。Debianのように、完全に安定しているだけのFedoraを作れば良い。

ただ、それは誰も作らない。Debianで良く見える。

むしろ、Fedoraなんか、普通に安定している。Debianなんか、ただの玄人向けディストリビューションだ。

要は、Linuxで儲けられるような、そういう発想が出来ない。Linuxで儲けるために、どうすれば良いか考えれば良い。

むしろ、広告で儲ければ良いように見える。それは出来ない。オープンソースだから、誰でもコードを改変して消せる。

オープンソースで儲けるモデルが無い。そこを考えるべきだ。

周辺サービスやサポートで儲けるしかないのだろうか?Linux学習センターのようなものを作って、授業料で儲けるのはどうか。Linux関係の書籍を沢山出版して、その印税で儲けるのはどうか。意味がないほど馬鹿だ。

ソフトウェアはオープンにして、ハードウェアで儲けるとか、考えられる。

有料版でエンタープライズ・システムをサポートすると言うRHELの発想は馬鹿だ。もっと、エンタープライズではない、もっと違った分野への進出が考えられるかもしれない。むしろ、Linuxを管理出来る技術者の育成をして、その育成にかかる色んなことへ出資すると言う発想もあるかもしれない。Red Hatは資格試験を実施しているが、もっと、Red Hat専門の技術者を育成すれば良い。その学校や講義で金を儲ける。

ただ、そういう大学的な発想は、ただの馬鹿なものになる。試験が馬鹿になるだろう。

Linux関係の企業を沢山買収して、Red Hatは一番上で管理するだけになって、色んなソフトウェアの有料版で金を儲ける。ただ、もう少し良く考えると、グーグルやアップルのアプリ・ストアみたいにして、Red Hatポイントと言う仮想ポイントを作って、そのポイントでLinux関係の色んなものを安く買えるようにする。オンライン・ショップの通販みたいになる。あるいは、雑誌を刊行する。

まぁ、意味の無い発想だ。もっと意味の無い発想をすると、GCCのIDEを作って、それの有料版でだけ使えるようなWindows版のプラットフォームを作って、それで儲けるとか、意味が無い発想は多い。

RHEL自体を、有料版と無料版に分ける。有料版では、Red Hat謹製の沢山のサービスが受けられるようにして、OS自体は無料版でも使えるようにする。この無料版はFedoraではなくて、きちんと最高に安定したRHELだ。ただ、そういう風にすると、多すぎてややこしくなって、自壊するだろう。そういう発想が一番悪い。

むしろ、Red Hatの事業が少なすぎるのだと思う。もっと多くの事業をすれば、RHELの一つぐらい無料にしても成り立つのかもしれない。最高のゲームを作って、それをLinuxだけで動くようにして、ゲームは、ただのゲームじゃなくて、本当に物凄くありえないゲームを作る。

むしろ、Linuxは本当に昔良かったから、昔通りやれば良いように見える。フォントぐらいは有料版でつければ良い。むしろ、サーバー構築のサポートを行うとか、普通のサポートをきちんとやれば良い。本当に、考えても分からない。

Red Hatは、基本的、基幹的なソフトウェアは、無料の方が本当に良いのが分かっていない。応用的なソフトウェアを有料にして、本当に優れたものにすれば良い。そうすると、嫌われない。Fedoraを安定させただけのものを売っているから、嫌われている。もっとやりようはないものかと思うが、Red Hatは良くやっている。Linuxコミュニティは、皆Red Hatが好きだ。ただ、RHELがあると、Fedoraの開発なんか、誰もしないだろう。Fedoraの安定化なんか、しない。

むしろ、RHELの方が無くなった方が良い。Fedoraは、Red Hatから離れるべきなのかもしれない。

オープンソースを上手く利用して、Windowsで作るよりLinuxで作った方が良いのを示して、それで自分でシステムを開発出来る社員を育てて、そういうLinuxのシステムを作って儲けるようにすれば良いが、おそらくはそういう風に儲けているのかもしれない。僕は良く知らない。むしろ、Red Hatがどれくらい大きな企業なのか、良く分からない。小さな企業なら、グーグルが買収すれば良いように見える。

テレビを見ている。ソ連は本当に、止めた方が良い。貧しくて、何も買えないし、肉もろくに食べられない。日本の方が、食べ物が美味い。自由を悪いと言うが、悪くて良い。悪い自由が一番普通だ。働いたものに金を与えるのは、市場経済では当たり前のことだ。おかしいと思うのがおかしい。誰でも、金でしか働いたりしない。誰もが、働いたら、その分の金が欲しい。金と市場経済は、人間の労働意欲から来る、当然の欲求であり、当然の正しいシステムだ。何も悪くない悪いものを悪いと思うと、狂って、馬鹿になる。2ちゃんねるが嫌いなのも同じだ。自分は、ただ、悪魔が嫌いなだけだから、金と自由を嫌って資本主義を否定するのは、早すぎる。まだ何もしていない。

Linuxは、なんとなく適当にやっているから、それで良いと思う。適当に、今のままで開発がきちんと動いている。Red Hatなんか、居なくなっても何も困らない。儲けたいなら、好きにやっていればそれで良い。儲けるのを誰も悪いと言わない。「なあなあ」で動きながら、たまに見当違いの批判をして、自分が馬鹿を見る、そういう発想がLinuxだ。

Red Hatの問題は、パッケージ形式のRPMだ。要らない。全部DEBに統一すべきだ。むしろ、最近はありえないパッケージ管理システムがどんどん増えているから、悪くないように見える。それも違う。DEBに統一すべきだ。

日本を見ていると、皆どうでも良いことで満足している。その、満足の仕方が間違っている。もっと、満足せず、色んなことを追及して、こだわって生きた方が良い。仏教では執着やこだわりを馬鹿だと言うが、僕はこだわりは馬鹿でないと思う。むしろ、満足するのが馬鹿なのだ。誰もが、おかしな地獄の世界を生きているのに、どうでも良いことで満足している。その満足するのが、馬鹿だ。

Linuxは、まだまだ使い物にならない。前、Fedoraを使った時は、LibreOfficeが日本語表示にならず、英語表示になった。Debianは、KDE 4が起動しなかった。Linux Mintは重いだけだった。それらの問題は、統一が出来ないことで起きている。皆で統一して開発しないのがおかしい。

自由は悪くない。むしろ、分散や民主主義が馬鹿だ。それぞれの自由にすると、どんどん分散して、馬鹿になる。もっと統一して自由にした方が良い。賢い人間がやると、統一で全部の世界が良くなる。統一は馬鹿でない。賢さの基本は、「統一すること」と「馬鹿なことをしないこと」だ。

最近は、色んなディストリビューションがあるから、分散も悪くはない。むしろ、FedoraやDebianからディストリビューションを簡単に作れるような、「ディストリビューション開発キット」を作って、メインの開発はFedoraだけに統一するようにすれば良い。それが一番良い。

コンピュータは、ある時急に発展し、盛り上がるものだから、どうなるかは分からない。むしろ、自由で良く見える。最近は本当に色んなディストリビューションがある。そういう風に発展するのも悪くはない。だが、本命が無い。そういうわけで、もっとFedoraやDebianが強く、強く、強くなった方が良い。中央政府を強くして、独立した自由都市も強くするような、そういう管理をすれば良い。

やることが無いから、最新のFedoraを入れても良いかもしれない。今度はLibreOfficeが日本語になってほしい。

むしろ、もっとディストリビューションの開発の方針を変えれば良いかもしれない。コマンドライン版とか、オフィス版とか、そういう風に作れば良いように見える。Fedoraサーバーと言うのが出来たが、Fedoraオフィスのようなものもあって良いだろう。Windowsを普段どういう人間がどういう風に使っているのかを考えれば良い。Fedoraゲームとか、Fedoraフォトとか、Fedoraミュージックとか、Fedoraポルノとか、どうでも良いものを作れば良い。

ただ、なんとなくFedoraは入れたくない。僕はDebianの軽快さが好きだし、Fedoraを入れても全く面白くないのが分かっている。つまらないから、今のままDebianを入れたままにする。だが、Debianの入ったパソコンは全く使っていない。Windows 10の一台しか使っていない。

iTunesやiPodを使わないことにしたし、ブログに書くせいでプリンターは要らなくなった。ワードも、HTMLやブラウザにコピーしたから、LibreOfficeは使うかどうか分からない。ただ、大量にワードのファイルがあるし、印刷はしたい。Windowsは消すわけにいかない。ただ、僕は自分のサイト以外、ネットをあまり見ない。ネットには、見るものが無い。むしろ、Linuxを使う積極的動機もない。

Linuxはキモい。2ちゃんねるなんかを見ていると、本当にキモく見える。

キモい女が見える。自分は、引き篭もりの女にしか見えない。クズな、首輪の女だ。

あったことを覚えれば分かる。

文字が見えるのは、時計を消せば治る。1つ1つ治っているから、もう治る。

自分は、皆に何かすれば良いのが分かっていない。

openSUSEを入れようか、と考えている。