構造を信じて分かった。
モデルは、ストーブの暖かさのようなことから、哲学的な人生と知恵の発見まで、森羅万象から身近にあるもの、思考や記憶のようなことをモデルにした。
生命と思考のパターンから宇宙を分かった。
公理主義と構造主義の、スピノザのような文章を書いていた。
もう、世界は明日滅びる。
戦争が始まるように見えて、皆がこちらになる。昔で無くなる。
いつでも昔に戻れる。馬鹿なことを考えれば良い。
広島以外は、死んで行く。だが、そんなことは信じなくて良い。
大学は、教科書をノートに書き写すだけだ。それが出来ると分かる。
昔は、積み重ねで分かっただけだ。
自由を捉えて、照らし合わせて、認識や経験のようなことが全部分かっていた。
そういう、全部分かっているのをいつも書いていた。
認識は、全部分かっていた。
認識は、自然や人工などの考え方と、自由な関係から知ることが出来る。
認識は、最初から最後まで、全部分かっていた。
まず、それがAなのか、Bなのか、推測して、比較して考える。
経験から見方を変え、取り組みから判断基準を持つ。
数学的な体得と、客観視と全体像から分かる。
そして、実地的に社会を経験して、共通認識から分かる。
物理的に関係を考えて、本質、関係、意図を吸収する。
そのように、認識のことを全部分かっているのを、いつも書いていた。
森羅万象の変化は、馬鹿なことを考えていただけだ。
動物は、脳と内臓と4本の脚によって、自分自体を生かし、変える生き物だ。
環境は、それぞれの意識から、それぞれが変えることが出来る。
そういう、考え方のようなことを言っていた。馬鹿なことを考えれば良い。
ストーブの暖かさのようなモデルもあったが、哲学的なモデルも多かった。
あとは、もうない。もう、全て分かった。
もう書かないだろう。
あとは、「もし」や「かもしれない」を考えれば分かる。
僕は、何故か未来が予知出来る。辛いことは、事前に分かる。そういうわけで、滅びる。
認識は、本当に全部分かっていた。
哲学上の発見や、もの作りのプロセス、設計や会社のようなことを考えていた。
認識は、良く疑って、可能性を捉え、共通性と論理性を考えれば良い。
もの作りは、何がどのように出来るかを考えて、正しい発想と具体化を行う。
そして、心は、どんな状態がどんな状態になるかを考えて、現象と作用を考える。
そのように、考え方のようなことを分かっていた。
認識と経験が全部分かっている、前提と状態の文章が多かった。
全て分かっている。もう終わりだ。
知を集めて、差異を捉えて、可能性と多様性を大切にして、土壌とデータから知り、発想と手段から具現化し、研究から改良する。そういう風に考えていた。
そろそろ全部書いた。もっと、認識を考えれば昔が出来る。
皆、最近になれ。もう、世界はそれでおしまいだ。
最近になっている人間は、昔に戻れ。それで、全てが逆になって、全て良くなる。
考え方は、順序と方法と経緯だ。そういうことを全部言うだけだ。
自由とは、可能性と関係だ。
原因と結果から変化が分かる。
論理的に、自分が支配し、行使する時のように考えることが出来る。
全ては、そのように作ったからそうなっている。理由など、無い。
もう終わりだから、もう何もしない。
大学は、書き写さないと出来ないが、書き写せば誰でも出来るのが、歴史だ。
イギリス史をやりたいから、いつか書き写したい。
もう終わった。あとの内容は、本当にあまりない。
多様性の創造、宇宙と生命の創造、認識と記憶、経験的な変化、可能性と現実化、組織と協力、変化と構築、体験と適応のようなことを言っていた。
美しい。本当に美しい文章だ。
いつもの文章は、本当に醜かった。そういう醜い生命が、美しい生命になった。
哺乳類だからと言って、賢くない。虫の方が賢いことがある。
それぞれの数だけ、正しさがある。正しさは、相対的なものだ。
観測と習慣から、意識が分かる。
視点と環境から、個人と全体が分かる。
協力から、可能性と組織と変化が分かる。
意識の考え方によって、組織が意識的に把握出来る。
ネットを使って社会を変えることは、本当に出来る。Wikiを書けば良い。
研究し、試行錯誤し、人間を知り、現状を分析し、未来と社会の変化を考えた。
自分独自の大学を作った。
昔は賢くない。ただの引きこもりだ。今の方が賢い。全部思い出せて、ありえない。