日記に戻る | 2015年5月の日記に戻る

=2015-05-31=

構造を信じて分かった。

モデルは、ストーブの暖かさのようなことから、哲学的な人生と知恵の発見まで、森羅万象から身近にあるもの、思考や記憶のようなことをモデルにした。

生命と思考のパターンから宇宙を分かった。

公理主義と構造主義の、スピノザのような文章を書いていた。

もう、世界は明日滅びる。

戦争が始まるように見えて、皆がこちらになる。昔で無くなる。

いつでも昔に戻れる。馬鹿なことを考えれば良い。

広島以外は、死んで行く。だが、そんなことは信じなくて良い。

大学は、教科書をノートに書き写すだけだ。それが出来ると分かる。

昔は、積み重ねで分かっただけだ。

自由を捉えて、照らし合わせて、認識や経験のようなことが全部分かっていた。

そういう、全部分かっているのをいつも書いていた。

認識は、全部分かっていた。

認識は、自然や人工などの考え方と、自由な関係から知ることが出来る。

認識は、最初から最後まで、全部分かっていた。

まず、それがAなのか、Bなのか、推測して、比較して考える。

経験から見方を変え、取り組みから判断基準を持つ。

数学的な体得と、客観視と全体像から分かる。

そして、実地的に社会を経験して、共通認識から分かる。

物理的に関係を考えて、本質、関係、意図を吸収する。

そのように、認識のことを全部分かっているのを、いつも書いていた。

森羅万象の変化は、馬鹿なことを考えていただけだ。

動物は、脳と内臓と4本の脚によって、自分自体を生かし、変える生き物だ。

環境は、それぞれの意識から、それぞれが変えることが出来る。

そういう、考え方のようなことを言っていた。馬鹿なことを考えれば良い。

ストーブの暖かさのようなモデルもあったが、哲学的なモデルも多かった。

あとは、もうない。もう、全て分かった。

もう書かないだろう。

あとは、「もし」や「かもしれない」を考えれば分かる。

僕は、何故か未来が予知出来る。辛いことは、事前に分かる。そういうわけで、滅びる。

認識は、本当に全部分かっていた。

哲学上の発見や、もの作りのプロセス、設計や会社のようなことを考えていた。

認識は、良く疑って、可能性を捉え、共通性と論理性を考えれば良い。

もの作りは、何がどのように出来るかを考えて、正しい発想と具体化を行う。

そして、心は、どんな状態がどんな状態になるかを考えて、現象と作用を考える。

そのように、考え方のようなことを分かっていた。

認識と経験が全部分かっている、前提と状態の文章が多かった。

全て分かっている。もう終わりだ。

知を集めて、差異を捉えて、可能性と多様性を大切にして、土壌とデータから知り、発想と手段から具現化し、研究から改良する。そういう風に考えていた。

そろそろ全部書いた。もっと、認識を考えれば昔が出来る。

皆、最近になれ。もう、世界はそれでおしまいだ。

最近になっている人間は、昔に戻れ。それで、全てが逆になって、全て良くなる。

考え方は、順序と方法と経緯だ。そういうことを全部言うだけだ。

自由とは、可能性と関係だ。

原因と結果から変化が分かる。

論理的に、自分が支配し、行使する時のように考えることが出来る。

全ては、そのように作ったからそうなっている。理由など、無い。

もう終わりだから、もう何もしない。

大学は、書き写さないと出来ないが、書き写せば誰でも出来るのが、歴史だ。

イギリス史をやりたいから、いつか書き写したい。

もう終わった。あとの内容は、本当にあまりない。

多様性の創造、宇宙と生命の創造、認識と記憶、経験的な変化、可能性と現実化、組織と協力、変化と構築、体験と適応のようなことを言っていた。

美しい。本当に美しい文章だ。

いつもの文章は、本当に醜かった。そういう醜い生命が、美しい生命になった。

哺乳類だからと言って、賢くない。虫の方が賢いことがある。

それぞれの数だけ、正しさがある。正しさは、相対的なものだ。

観測と習慣から、意識が分かる。

視点と環境から、個人と全体が分かる。

協力から、可能性と組織と変化が分かる。

意識の考え方によって、組織が意識的に把握出来る。

ネットを使って社会を変えることは、本当に出来る。Wikiを書けば良い。

研究し、試行錯誤し、人間を知り、現状を分析し、未来と社会の変化を考えた。

自分独自の大学を作った。

昔は賢くない。ただの引きこもりだ。今の方が賢い。全部思い出せて、ありえない。