日記に戻る | 2015年5月の日記に戻る

=2015-05-06=

知っていると知らない、知る前と知った後を比較して分かっていた。

全部の「そういうもの」を分かった。全部のそれを分かると分かる。

例えば、AAAはかっこいいグループに見えて、Linuxみたいなグループだ。

矛盾は、良く考えれば分かる。そういう風にすると分かる子供が多い。

全部違うにするから分からなくなる。全部同じにすれば良い。

ロシアは、唯一「肯定的な変化」が起きる、良い地域だ。

ドイツは、いくらでも反抗することが出来る、自由なおかしな地域だ。

人間のことは、昔ネットで分かっていた。人生のことや、生きること、倫理的なこと、愛や人間関係のことを考えれば良い。色んなものを読んで、体験すれば分かるだろう。

知恵を良く考えて、知を考えると良く分かる。正しさを考えれば良い。

不思議と、論理的に考えれば分かる人間が多い。

発想して、変化を捉えて考え、プロセスと経緯を考え、時代を作る。

最近の日本の時代のせいで、分かっていない。昔は、自由に分かる人間が多かった。

そろそろ、普通に考えれば良い。不思議と、ヘーゲルの精神現象学は、普通、そういう普通のことが書いてある。一番難しく、哲学的に書いてあるが、内容はそういうものだ。

平和と人生を考えれば分かる。尊厳を尊重するのは、カントも言っている。

哲学ではない、人間の知恵のようなことを分かりたい。

基盤や環境、方法、決まりのようなことを全部作っていた。

生命は、生態系のおかげで生きられる。

会社は、世界を変えられる。

法律はルールだ。皆で決め、皆で従う。

存在は、存在可能だ。

あとは、それぞれの意思とか、理解と発想の本質などを考えていた。

英語は、言い方と使う言葉が違うだけで、同じだ。

話を自分と思えば良い。

世界と一体になれば治る。

法律のようなものを全部作っていた。

それぞれ、自由にせよ。

それぞれ、それぞれの自分を永遠に繰り返して、色んな人間になれ。

そのように、宇宙の神のようなことを言う。

キリストより、宇宙の神の方が好きだった。ユダヤ教のような神だ。

だが、ユダヤ教は、旧約聖書が悪い。

パターンとは、考え方のことを言っていた。

文章の方ではなく、家族に言う方を思考で言えば良い。それでまともな思考になる。

文章を書くのが、単純におかしいだけだ。何も治らない。それで良い。

あとは、色んな経緯のようなことを言っていただけだ。それくらいしか無い。

環境と経緯を全部言う、おかしな構造的な文章だった。

僕の顔は、見ていると、ロボットや宇多田ヒカルに見える。

哲学はもうしない。次のことをする。そういうわけで、哲学なんか何も賢くない。

ものの関係や、社会の契約などを考えていた。

体験を感覚的に予測して、原因の結果や学習を考えていた。

そろそろ、何も書くことは無い。全部書いた。

哲学を分かったせいで、賢くなった。すぐに全部書けた。これくらいが自分だ。

あとは、人生を考えただけだ。

すぐ忘れるのが悪いから、覚えた方が良い。きちんと人生を考えれば良い。

人間のことを考える。環境や人間関係のことを考えれば良い。人格を考えていた。

人生を全部書いたのは、本当に多かった。皆が自分の人生を出来るようにして、最後の境地を分かるために、全てを詰め込んだ。自分の分かることを全部詰め込んでいた。

そろそろ終わりだ。あとは、自由に考えれば良い。もう書かなくて良い。書くと言う作業は、ただ忘れるだけだ。

あとは、抽象的なことを言う。命題が法則になり、場がシステムになり、関係がモデルになると言う。予測や自然から、共同体の変化を分かっていた。作用と決定から、物理のようなことも分かっていた。次元とか細胞分裂とか、科学的なことを捉えていた。

理解と発想から想像力や認識力がつくと言う。それくらいの抽象的なことを言う。

プロセスと関係を考えていただけだ。

あとは、経験と知覚から、知性がつくのを全部考えていた。

そろそろつまらない。不思議の国のアリスを読んでいるが、本当に馬鹿すぎる。自分の方が賢い。作家なんか、ただの馬鹿だ。

パソコンも、経済も、文学も馬鹿だった。何かすれば良いとはいうが、そろそろ数学でもすれば良い。一生を歴史に捧げるのはつまらない。歴史なんかどうでも良い。ドイツ人やフランス人に負けている時点で、意味が無い。Linuxよりおかしい。

自由は、自然発生を許し、選択肢を与え、構造を改良し、システムと手段を与えることだ。

そういう、自由なことを適当に言っていた。自分の分かったこと、自由な考え方で分かったこと、経験や理性や同じ発想で分かったこと、理性的に積み重ねて分かったことを、自由と言う名前と構造で、全部書いていた。

自由が好きだった。何から何まで、きちんと考えた。全て自由だった。自由は賢い。

あとは、構成員の自由や、契約と合意、機会の平等を考えれば良い。

人々に方法を与えるべきだ。その方法を共有すべきだ。

抽象的に考えると、知性からモデルが生まれ、観察から経験が生まれる。

社会のことを考えると、選択肢を与えながら、メタ的にシステムを作るべきだ。

システムを作るシステムを作って、機械にやらせれば良い。

人間は、本質と方法を考えれば良い。モデルから、世界観と考え方を知る。

可能性を高めるために、支えとなる基盤を作れば良い。

そういう風に書いていた。自由と言うよりは、まともに根拠と許可を考えただけだ。

あとは、自由の段階を書いていた。

相対性と自然から、本質と理解が生まれる。

考え方と視点から、意識と関心が生まれる。

習慣と愛から、不安と戦いが生まれる。

それらの総和から、悟りと真理が生まれる。

そのような段階をいつも書いていた。いつも全て分かっていた。

自由とは、考え方であり、自らに由来する、と考えることだ。それで昔が出来る。

哲学的な考え方は、それで分かる。

昔の学校は、賢かった。ピアノと剣道で、頭が賢くなった。学校の方が良かった。

昔は自由を考えて、最近は神を信じていただけだ。

経済から革命まで、社会のことを全部知った。

社会のことをネットで知る中で、全ての人間的な知恵が、経験から分かった。

孔子のような人間が、全部自分と同じことを分かっている。

これからは、人間のことや人生のことを考えれば良い。

ネットで分かると言うと、おかしい。こういう風に考えれば、ネットなんか要らない。

相対的な段階から、自然と人生と多様性、自由と根拠と考え方が生まれる。

自然な社会を築くことから、自由と多様性が生まれる。

意識の本質から、可能性と正しい価値観が生まれる。

そのように、自由な段階で全部分かっていた。

価値と創造性は、己の本質と実存性を知る中で、自由な場を作り出す。

その場は、参加可能で、協力することから可能性を生みだす。

サルトルのような文章を書いていた。

自由を段階的に、概念の発展形式にしただけだ。

一心不乱に努力したり、夢中で研究したり、夢を追いかけたり、興味深いことを試したり、作りたいものを作ったりするのが賢い。昔は、そういう発想が多かった。

あとは、実験のようなことを言っている。実験と作用から、自然法則が分かる。そこでは、観察などの経験的な手段を使う。

ルネサンスの時代の科学者が、そういう風に実験と経験から、科学を作っている。コペルニクスやガリレイなどが、著名だ。

それはどうでも良い。宇宙だけではなく、心理や環境も、実験で分かると言っていた。

あとは、推論のような考え方を言う。

本当に正しいものから導いて、分割し、共通の法則を探ることで、環境や人間を推論する。

デカルトが方法序説で言っている。

また、科学的な世界観のようなものを書いていた。

推論の考え方も多かったが、ハイデガーのような、意識と視点の考え方も多かった。

何より、演繹と帰納が一番得意だったのが、昔の自分だ。

ネットを見ながら、世界を見て、たとえ話で人間のことを分かっていた。

科学的な方法と言えば良い。そういうものを分かるのが哲学だから、自分が出来ている。

そうした推論をモデルにしたかっただけだ。

思考や環境、経験をモデルにして、推論で考えていた。そういう人間だった。

自由とは、社会のそれぞれの関係や出来ることから、理想の手段と現実可能な社会の発想を考えていた。

それぞれが出来ることを尊重して、自由な中で何が出来るか、何をするべきかを考えた。

理想の信念は何かを考えて、全員の信念を包括した。

自由な中で、本当に正しい理想を、自由なままで実現したかった。

自由とは、それぞれの出来ることを考えることだ。

さらに一歩進んで、それぞれが経験して、それで分かることを考えていた。

皆が何をどうすれば分かるのか考えて、自由に導き手として、世界と対話していた。

自由モデルを作った。世界観を考えて、知性を吸収した。

場を創造し、社会を創造し、創造的な社会を知り、全ての科学と労働を経験した。

全ては、MITのように、可能性豊かに考えられると思っていた。

あとは、もの、人間、物理、社会の、同じと違う、差異と共通性で分かっていた。

特徴を掴んで、工夫して作る。

最近も、社会の多様性や統一を考える。結合や分離の構造を作っていた。

あとは、社会的なことを普通に分かれば分かる。具体的に分かれば良い。

テロリストは、暴力しか変える方法が無いと錯覚している。そんな方法は取らなくて良い。

馬鹿に見える日本やソ連が賢いこともある。アメリカやフランスは、何もしないからだ。

既得権や大学などの権威が間違っている。問題が起きているのに、何もしない。

基本的に、人間は自分のことしか考えない。馬鹿はどうでも良いのは、おかしい。

だが、良く考えると、変える方法がきちんと分かっていない人間が多い。

影響力やシステムの構築とはいうが、そんなものでは変わらない。

だが、きちんと考えると、建設的に、また、実直に考える必要がある。

問題は、1つ1つ解決すれば良い。1つ1つ叶えていけば、全部解決出来る。

社会主義者に何も出来ないようで、分かる人間が多い。賢い人間は居ない。

むしろ、自由主義者なんか、何も賢くない。良い部分をさらに伸ばしても、悪い部分がさらに増えるだけだ。

社会主義者が国を作ると、こういう国になる。一か月で破たんして、何も出来なくなって、滅びる。革命はそういう風になる。

何も出来ないのはおかしい。1つ1つ解決する、それしかない。

そうすると、マルクスが分かる。全ては歴史の必然で、資本主義は労働者を疎外しているだけだ。マルクスは、当たり前のことを言っている。

昔は、何でも社会を実現出来ていたし、数学的、物理的、心理学的な理性と知性もあった。そういうものをモデルと言っていただけだ。モデルを作って分かっていた。

むしろ、社会主義で良く見える。ソ連なんか、出生率が高まって、皆生きられて、時間や余裕があって、科学技術が進歩している。

社会主義がそんなに悪いのはおかしい。反共主義者は、何も分かっていない。福祉を税金でするのは当たり前なのに、反共主義者や新自由主義者が悪いと言う。その方がおかしい。平等で無いなら、不平等で辛い人間、何も得られない人間が悲惨だ。経済がきちんと良くなったなら、その上で平等にし、全員を豊かにするべきだ。格差は悪い。当たり前だ。

ただ、平等は、何も無くなるとは言う。それは、ソ連式が失敗しただけで、中国では色んなものがある。

社会主義の悪い点は、普通、全員の権力や、独裁者のものや、強制収容所や秘密警察が悪く見える。警察国家で、自由が無く、生きられない。結構、そういう国が多かった。

日本も、本当に、そろそろ社会主義にした方が良く見える。

それは無い。自由のまま、豊かに平等になれば良い。ヨーロッパ型の福祉国家が良く見える。ドイツや北欧では、あまり自由にしすぎることなく、社会民主主義による平等で自由で民主主義の国家を作っている。強くは無いが、幸福だ。そういう国がアジアにも多い。

社会主義や国家主義は、上が決め、民主主義は、自由な金で決める。

中央集権か、地方分権だ。道州制などが考えられる。

給与や所有を自由に出来る。努力すれば、それに見合う報酬が得られる。

社会主義は、働かないし、ものを平等分配する。そうすると、楽には見える。

参加することで、自由を実現出来る。

いつも、それくらいの馬鹿な経済学を作っていただけだ。

心理学も作っていた。心の深層には、悪魔と天使が居て、悪魔が楽園で、天国が地獄だ。

あまりそういうことは言わない。もっと論理的に心を考えていた。

いつか言ったが、自分の文章はプラグマティズムと同じだ。行動の哲学だ。

教育は、教師を賢く経験豊かにして、民主主義の学校にする。それが一番、社会を構築する方法が分かる。教師は、現状を知って、影響力の行使の目的と必要性を理解する。

右翼もおかしくはない。自由や平和も、時に、おかしい。キリストが見ても、従うより、剣を持って戦うべき時はある。そういう時、併合の戦争はおかしくない。大きな帝国になれば、栄えるし、後で平和な王国になる。そういう風に考えるのも、また、自由だ。

だが、キリストが見て、権力者や資本家は間違っている。平等にしなければ、天国には行けない。スズメよりも劣った人間になる。キリストも悪いが、金持ちも悪い。

キリストは、悪いと言う。皆を馬鹿にしたかっただけに見える。だが、キリストや聖書や法王の批判はしない方が良い。レーニンや天皇と同じだ。一番悪い。

昔は、森羅万象を考えていたが、覚えていない。博物学のようだった。

ドイツは、気持ち悪いから、止めた方が良い。

自由な構造物は、方法と可能性から生まれる。そういうことを言っていた。

右翼は悪い。植民地を作って、外国人を不満の捌け口にする。殺して奴隷にする。昔からそういう悪い右翼の国が日本だ。ヨーロッパは同じだ。フランス人はキモイだけだ。

外国人がどうでも良いのはおかしいようで、外国人がそういう馬鹿だ。

そういう意味が無いが、ネット右翼みたいに多い。ネット右翼の外国人が嫌いなだけだ。

右翼はキモイ。クズだ。

あとは、可能性や問題解決をきちんと考えれば良い。

宗教は、辛いだけだ。明らかに、科学ぐらいがまともだ。最近は、そういう科学信仰が日本に多い。科学が一番正しい。科学をしなければ分からない。

ただ、そんなに頑張って分かる意味が無く見える。努力する世界にはなったが、努力する意味が無い。無意味に努力している人間が多いが、科学に騙されているように見える。

宗教もクズだが、最近の自分のような体験が出来る。ヴィトゲンシュタインも、無意味に信じる科学より、己の限界をきちんと知っている宗教の方が明晰なことがあると言っている。どこかの本に書いてあった。間違っているかもしれない。

音楽が好きだ。音楽で人生が分かる。ネットも、そんなに悪くない。ネットは賢い。

ネットで社会が全部分かっていた。ネットはそういうところが賢い。

ネットについては、あまり書いていないが、社会の変化、情報と機会、双方向性、影響力、自然な体験、場の創造と変化、体験による喪失と意識の理解などが多かった。

昔から、ネットと実体験で分かる。感覚と客観視、精神の実験から、人間を分かっていた。

昔が独裁者で、今がキリストだ。

きちんと頑張って書いたから、自分が賢い。キリストは、自分を良いと言う。

あとは、価値観と信念とか、労働によるアイデンティティなどを分かっていた。

そろそろ、もう分からない。ジグソーパズルを全部埋めただけだ。もう残っていない。

あとは、科学の世界観を書いていた。

物理は、関係と次元だ。

生命は、体の構造と精神だ。

コンピュータは、自動化だ。

言語は、想像力と記憶だ。

歴史は、文化と出来事だ。

そのように、科学の世界観を書く。それくらいが多かった。

アインシュタインは、馬鹿だ。ニュートンは、今でも普通に通用する。

ものは、素粒子で出来ている。素粒子と素粒子の距離は、宇宙における恒星と恒星の距離ほどに離れている。ものは、宇宙だ。

そういうことを言う。科学的な世界観と人生によって、全てが分かっていた。

あまり意味が無い。何も賢くない。

あとは、人生のことをただ単純に書いていた。段階的にし、構造的にすることが多かった。

自由な思想も多かった。手段と可能性と選択肢と方法を与えるべきだと言っていた。

科学者は、世界を捉える力がある。捉えて研究することで、全てのことが分かる。

政治家と哲学者は、逆なのに同じだ。同じことを考えているのに、逆の発想をする。

そういうことを言っていた。もう、あまり残っていない。

宇宙の意識と歴史が全部分かっていた。

科学を書いていたのは、同じものを作っているようで、同じではない。独自のものを、出来るだけ正しく書くように頑張って考えていた。

平和は間違っていない。平和は、一番良い。だが、そのために戦うのも、時に悪くない。

何もしなければ、平和にもならないし、良くならない。金で勝てば良いとは言うが、普通は、イランのように軍事力で勝つ。右翼をイランとは言うが、むしろ、ドイツだ。馬鹿な人間は居ない。賢い人間が多い。

イスラエルを信じること。むしろ、その方が良い。僕のような体験が出来る。

イスラムも、ソ連も、日本も、ドイツも、フランスも、アメリカも、全部信じれば良い。

信じれば信じるほど、そういう体験が出来る。

全部の科学をやると宣言すること。全部の国になると宣言すること。それだけで、最近の自分なんか、誰でも出来る。だが、一度IBMやMITを経験した方が良い。

あとは、もの作りを考えていた。

工場の製造過程、プロセス、会社による発展と契約、そして方法や知恵や手段における、もの作りの構造と関係を考えていた。

あとは、会社はそれぞれ競争し、発展する、それが一番平和だ、と言っていた。

科学的な方法や、哲学のようなことは、いつも言っていた。

そろそろ終わりだ。他に無かったはずだ。

「かもしれない」や「もし」で分かる。科学や心理学の実践的な方法が多かっただけだ。

あとは、経験的な考え方が多かった。

心理で人は実現し、支配し、導くことが出来る。

経験とは、自分の在り方とものの見方を考えることだ。

存在とは、存在する可能性のことだ。

そのように、経験から自分の哲学のようなことを書いていた。

複合的な国を作っていた。社会の可能性を正しい考え方と発想法で実現していた。

昔は想像力があった。想像力のようなことを言っていた。

最近、想像力が怖い。何も見えないし、見えたものは怖いものに替わる。

おかしい。そういうところが、馬鹿な人間になった。

もっときちんと想像力を見て考えれば良い。それで、狂っているのはすぐに治る。

最近、分かっていない。何も分からなくなった。

そんなに分かっても、分からなくなるだけだ。

不思議の国のアリスを読んでいるが、本当に馬鹿だ。馬鹿すぎる。おかしい。

もっとまともな小説を読んだ方が良い。

昔、オグ・マンディーノと言う作家の本を読んだ時は、本当に感動した。

そういう、賢い作家の本を読んだ方が良い。

政治家は悪い。政治家は、嫌いな方が良い。国家権力は馬鹿だ。金と権力が欲しいだけだ。

あとは、認識の研究を書いている馬鹿が多かった。

心理学的なプラグマティズムが多かった。

それから、ネットでの議論を、評価や客観視と言って、いつも分かっていた。

人の話を聞いて、強く生きること。それが一番正しい。

相手の視点に立って、考えるべき、思いやるべき、助け合うべきだと言っていた。

いつも、想像力で全てを包括するようなことを言っていた。

最近の方が悪い。むしろ、もう昔だ。狂っている分かっていない人間が多かった。

狂った人間は、世界と戦って、知性を失うようになる。記憶が無くなる。

何故か、狂人にはそれしか居ない。そういう狂人に分かる人間が多い。

最近は、知性を機械にして、全部分かるようになった。ロボットが賢かった。

あとは、歴史のようなことを言う。

実存的な歴史や、マクロ的な時代、共同体の変転、日本やドイツやロシアの歴史を言う。

日本は、ファシズムから改善主義の平和国家になった。

時代や共同体の変化をいつも言っていた。

また、宇宙や細胞の歴史とか、キリストやユダヤのような、宗教のようなことを言う。

それくらいしか言っていない。社会の分析や価値観の分析が多かった。

日本は、左翼的な思いやり文化から、右翼的な自由文化へと変わっている。

昔の方が良かった。思いやり文化が良い。皆、そういう発想が多かった。

左翼を馬鹿と思うのがおかしい。小泉の時代、それが多かった。

今見ると、本当に右翼の方が馬鹿だ。

民主党はすぐに何も出来なくなったが、管は良かった。管は賢かったはずだ。

あとは、心理学的なことを言っている。

人間の感覚的なこと、意識のようなこと、環境や人格のようなことを言う。

特に、意識と環境が多かった。環境における意識の変化のようなことを言う。

また、感情や記憶、学習や行動のようなことを言う。

行動は、学習によって出来るようになる。認識は、それを捉えることが出来る。

認識と行動は、相互作用する。そういうことを言いたかった。

人間の欲求から、神の意識と心理まで、色んな心理学を考えていた。

心理学と言うよりは、意識と言うのが正しい。心の意識学と呼ぶべきだ。

意識の現象学と言っても良い。そういう、現象学がさらに多かった。

現象学は、意識だけではなく、ものや自然など、あらゆるものを考える。

そういう、現象学の意識論によって、世界のことを分かっていた。

あとは、地球科学のようなものが多かった。

素粒子から銀河系まで、全部の段階を構造にしていた。

経験論や合理主義は、いつも言っているように多かった。

ロックのような習得的な経験論は、いつも書いていた。

ヒュームとカントとは言っているが、僕を哲学者と言うことにすると、昔はヒュームとカント、今はサルトルとヘーゲルとヴィトゲンシュタインと言うことになる。

ただ、今はもう昔だ。最近は、ハイデガーの方が多い。

そういう、長いスパンで物事を考えるようになった。

最近は、今と昔をどちらも正しく書くようになった。どちらも50:50ぐらい多い。

自由が好きだった。昔より最近の方が自由に見える。何もしないからだ。

最近は、辛い。本当に、地獄のように辛い。止めたいなら止めれば良いのに、止められない。やれるなら、やる人間が多い。やれないなら、やらないだろう。それでやるのがおかしい。書いていると、止まらないのが自分だ。心理学で言う、フロー現象だ。

自分は、本当にそろそろもう全部書いた。他にあまり無かったと思う。

あとは、方法、考え方、制度、歴史を書いている。

そして、構造を作っている。その時その時、色んな構造を作った。

想像力があった。

科学を考えれば良い。それで分かる。科学のようなことしか言っていないからだ。

数学は、分数と関数だ。

物理は、宇宙の式による表現と、表現の組み合わせだ。

そういう風に書いていた。あとは、自由な社会のことを言っていただけだ。

自由は意志、科学は法則、社会は取り決め、物理はふるまいだ。

そのようなことを言っていた。もっと博物学のように考えれば、昔の自分になる。

ドイツ古典哲学と言う本も少し読んだが、あまり意味が無い。

ドイツの哲学を、ドイツ的だと言っている。ただの右翼に見えて、賢い。そういうわけで、こういう右翼の哲学者は、あまり馬鹿で無い。同じだ。国民性も一応哲学だ。

フランスは国語で、ドイツは算数だ。それくらいが違うだけだ。

右翼も右翼で、平等なことがある。平等は、仲間以外全員殺すだけだ。平等が悪いだけだ。

平等はすぐに破綻する。平等と言っていると、ペテンに見える。だが、平等が良い。

平等は良いものだ。人間の幸福は、平等にある。平等のために戦うのがまともな人間だ。

ドイツ古典哲学は、読めないことは無い。きちんと考えれば分かる。意味は無いが。

フランスは芸術の国で、ドイツは技術の国だ。文学と数学だ。ただ、適当にそういう風になっただけだ。とりわけ言う意味が無い。

僕は、フランスの方が好きだから、歴史をやるならフランス史をしたい。ドイツはおかしい。戦争と分断国家が中心だ。学ぶ意味が無い。そんなものを教えるのはおかしい。

フランスは、ルイやナポレオンがまともに賢いから、やる意味がある。

だが、歴史はしない方が良い。これくらいで出来たように見える。それに、歴史に一生を捧げるのはおかしい。

哲学は、ドイツ古典哲学にあるように、哲学的な論述形式を取る。それが賢いだけ、一番意味が無い。哲学は、明らかに意味の無い学問だ。

だが、文系の大学なんか、哲学ぐらいしか賢くない。経済学は、マルクスとフリードマンだ。文学は、不思議の国のアリスとオズの魔法使いだ。馬鹿すぎて意味が無い。

高校からやり直すのが良い。高校の内容は賢い。その方が、むしろ、良い。

自分はまともに高校の勉強をしていない。誰が見ても高校が賢いから、した方が良い。

オープンソースは馬鹿には見えない。良く考えると、むしろ、オープンソースが賢い。

IBMやMITの経験が、一番良かった。無かったとはいうが、ネットで同じことが出来た。

ただ、意味が無い。自分なんか賢いわけがない。

それは、そんなことは無い。きちんと本を出版して、賢かった。

今でも本屋に置いてある。自分が一番賢い。そういうわけで、憂いが起きるほど嬉しい。

仮想世界を作れば分かる。

ものや機械はどうでも良い。人間の行動と方法が重要だ。

大切なのは、社会性や関係だ。

あとは、抽象的に考えれば良い。予測したり、可能性を把握したりする。

そして、世界を良く見て、見聞きし、現象を捉えて考える。

主に意識を考えれば良い。昔は、経験から意識の構造を考えていた。

哲学的なことは、認識を疑えば出来る。

難しいことを何かした方が良い。昔は、オープンソースと労働で分かっていた。

世界観が無いのはおかしい。国や会社、工場の世界観を作った方が良い。

色んな経験をしなければ分からない。あとは、何も作らなければ分からない。

世界モデルを作って、経験すれば良い。昔なんか、それで推論して実験しただけだ。

積み重ねれば分かる。民主党が言うように、ゼロベースで考えれば良い。

考えるべきなのは、人生と経験、記憶と概念の関係だ。

色んな経験を、人生的に考える。

世界は、意識と知覚によってそれぞれが捉えることが出来る。

そういうものを、それぞれの経験と言うことにすれば良い。

それぞれはそれぞれの環境の中で、それぞれの世界の中で生きている。

知覚と認識には、カントが言うように、経験的な前提条件がある。

そういう風に考えれば良い。論理的に、哲学的に、経験と世界観が分かる。

昔は、それくらいの馬鹿だ。それで、体験をきちんと考えれば分かる。

あまり、分かっても意味が無いだろう。出来ると、世界の全てが分かる。

人間の方だけを考えても意味が無い。世界の方を考えるべきだ。

世界には、国家の構造と考え方がある。コンピュータの管理、開発方法と、人間関係などが、コンピュータで言えば多い。

もっと、色んな国や社会のことを知れば良い。そういう風に分かれば良い。

それぞれの人間に、価値観やアイデンティティがある。生きがいや生きざまがある。

それぞれの道に、それぞれの才能がある。

そういう、世界のことを思わないのがおかしい。

歌手や芸術家は、賢くない。技術者や政治家の方が賢いものだ。

社会は、発展しなければ意味が無い。皆を豊かにして、利益を取って、他の国に勝つ。

だが、そういう、国と言う発想も、あまり意味が無い。

共同体の方が自由とはいうが、共産主義者はおかしい。

もっと、国を守って、それぞれが強く生きなければならない。

色んな人間や社会のことを知れば良い。個人個人が何に躓いて、悲しんでいるのかを考えて、本当の自由な理想を考えれば良い。きちんと考えれば良い。自由に考える。機会を与え、選択させること。本当に正しい答えには、どうすれば行き着くのか考えていた。

ドイツ古典哲学と言う本は、本当に神のように賢い。一番白く見える。

僕も昔、全体を直観的に把握する、と言う体験が多かった。そういうことを言いたいのではないと思うが、この本は結構、悪くない。きちんと読みたい。

正しくは、存在を直観的に全体として把握する、だ。不思議と、カントやヘーゲルのような体系のことを言っている。ドイツ的な前哲学と、非ドイツ的な古典哲学から、ドイツ的なカントやヘーゲルの古典哲学が生まれた。ただ、まだ、まえがきしか読んでいない。

昔の自分の哲学を、ドイツ哲学と同じように、思弁哲学と呼ぶことは出来る。

思弁することを、思弁する。そのような独自の博物学が、昔の僕に多かった。

ドイツ古典哲学は、自分自身を思弁することによって、絶対者を思弁する。

難しい漢字を使っているから、少し読み方が分からない。思弁とは書いていない。

この文章もある意味では折衷に過ぎない。

中世の、聖書の認識だけが、世俗的な知の真の意味を理解出来る、とするのは、おかしく見えて、僕のようになると、そういうものだと理解出来るようになる。

エックハルトが言うように、神は、自分の中で救いを実現させることが出来る。貧しさは、信仰における満足を生む。そして、自分を無にすること。愛の中で、神は、まるで最初から罪が何も無かったかのように、罪を消し去る。分かるような気がする。正しく書けていない。エックハルトは、昔のことを言っているのか、今のことを言っているのか、良く分からない。確かなのは、神と魂と無の無化によって、自分の罪を神が救う、と言うことだ。

そろそろ、きちんと分かった。この本を読むことにする。哲学を難しいとはいうが、この本の理解は難しくない。哲学と歴史の基礎をもう分かっているから、楽だ。

満足と言うとおかしい。自己否定による神との一体化と言うべきだ。満足をしていること、知を持っていることによって、神との距離は未だ隔てられている。まさに、宗教だ。

神が私を見る目は、私が神を見る目と同じだ。神との対話と同じことを言っている。スピノザが正しいように見えて、ただ、宗教はおかしいだけだ。宗教は止めた方が良い。

神と一体になりたいのは、まるでセックスだ。あまり言う意味が無いが。

神を信じるのは、そろそろ止めた方が良い。分からないのがおかしい。神を信じていると、永遠に無限に、無に帰するだけだ。神は、存在の自己否定であり、ただの無だ。

ドイツ人が神を信じているのは、無になりたいからだ。まさにおかしい。

神との対話をキリスト教と思えば良い。エックハルトの言っていることは、これだけでは全部は分からないが、神との対話の内容とあまり変わらないように見える。

次の中世の人間が出て来るが、書くかは分からない。とりあえず読んでみる。

クザーヌスは、神秘主義的な実践が、思弁へと繋がる、としている。正しく書いて、そうなるかは分からない。だが、無知を常に知ることや、原始的な同一性は差異化の差異化であり、疎外の疎外である、としている。あまり良く分かっていない。エックハルトの次の哲学者だ。そして、そのまま、ルターによる宗教改革へと繋がる。

思弁の限界、常に再認識される無知の知こそが、思弁を知の段階へと引き上げていく。

最近も、きちんと頑張っている。王になって支配して、文章を書いている。

色んな風に導いて、神との対話もした。世界を支配する、正しい王になった。

だが、辛かった。僕は、馬鹿だ。本当に馬鹿だ。だが、それが賢いことをやっている。宣言や対話、文章で世界を導く。滅ぼすことの無いようにしている。

最近は、文章を書いて、思い出して分かるようになった。まとめの文章を書いている。

途中の時代には、歴史や哲学の知識があった。分からないようで、きちんと毎日分かる。

今日で終わるとはいうが、明日も書くだろう。仕方ないから、書けば良い。

辛かったが、そろそろ全部治った。世界を全て治したから、そろそろ自分も治る。

治す、と言うよりは、治める、だ。世界をイスラエルの王になって統治しただけだ。

自分で自分が分かっていない。いつも辛かった部分を、神が治しているだけだ。

神になると、何も分からなくなる。神をそろそろ止めた方が良い。

神を信じるせいで、存在の自己否定になっている。分からないのにやっている。

白いと知ることは、白くあることに比べて劣っていると言う。神学がそういう風にドイツに多い。ドイツはありえないから、止めた方が良い。

仏を信じた方が良い。仏教の方が賢いようにしか見えない。僕は、仏の方が好きだ。

そういうわけで、ここからが仏教だ。おかしいから、黒人で良い。

黒人が仏教を信じてもおかしくは無いだろう。インド人と思えば良い。スリランカには今でも仏教徒が多いはずだ。

科学を考えたのは、生産手段のように考えていただけだ。

ただ、自分が出来るようになって、知性と世界観で考えた。

森羅万象を考えて、博物学のようになった。

それだけが好きだった。そういう、無くなった自分の科学が好きだ。

仏を信じるとは言ったが、何をすれば良いか分からない。仏典は、分からないと思う。

生産手段とは言うが、要は、作り方や設計図を考えれば良い。

ピアノの作り方、テレビの作り方、設計図や方法、生命の作り方…。

それ以上は、森羅万象の変化を考えれば良い。そのための根拠や手段を知れば良い。昔の僕は、そういう人間だった。最近居ない。昔から、そういう風に分かる人間が多い。

あとは、認識や思弁的なことでも考えれば良い。社会のことなんか、ネットで知れば良い。

あとは、論理、原理、取り決めと言っていた。そういうことを言っている。

もっと考えるなら、数学的に考えれば良い。厳密に対応関係を考えれば分かる。そろそろ、森羅万象が分かるから、それを考えれば良い。

良く考えると、矛盾と比較の中に残る可能性がある。思い出して、次元を変えて、視野を広げて考えれば良い。仮定や成立を考えれば良い。そこを全部作れば良い。それが、昔作った科学だ。そのまま、モデルを作って、考え方を作って、全体と存在を正しく捉えれば良い。直観的に考えて、神や精神を知って、科学と宇宙を知れば良い。意識を把握すれば良い。そういう風に考えると、いつもの僕が分かる。そろそろ分かった。

平等に世界を支配して、誰でも自分が分かるようにしていた。

あれは、そういう革命だった。日本を導いて、救っていただけだ。

そういう、キリストのレーニンをやっていた。

僕は、もうそろそろ全て分かった。幸せだ。こんなに幸福なことは無い。完全な満足だ。

涅槃に達しただけだ。もう悟り終えた。

昔は、普遍性を考えていた。

移り変わる普遍的でない物事と、普遍的な物事を考えていた。

共通のことや、場や現象のこと、物理法則、可能性、個別性と普遍性、実験を考えた。

移り変わることを自由と言って、普遍的なことを決まりや制度や基盤と言っていた。

普遍的な法と価値観を信じて、考えていた。

物理学や数学は、科学だが、人間の作ったものだ。

科学には、限界がある。人間が知覚して分かる範囲のものしか分からない。

自由な組織や教育は、制度によって生まれる。

自由な制度を作ることによって、社会は可能性豊かになる。

場は、創造的で、根源的で、意識的な把握が出来る。

そのように、自由と法によって、分かっていた。普遍的なこと、普遍的でないことを、法と自由と言って、そういう自由な世界を全部書いていた。

自由な家は、柱と壁から生まれる。簡単に言えば、そういうことを言っていた。

自由な創作は、芸術の心と魂から生まれる。

会社は、自由な金儲けと組織であり、自由な考え方を自然発生的かつ参加的に、共有し、実現することから生まれる。

そして、それは自由な経済活動を生み出す。

そのように、自由と言う言葉で、普遍的な決まりへの従属関係と可能性を考えていた。

ものは、自由に工夫し、創造性を働かせることによって生まれる。

手段は、自由な構築と変化を可能にする。社会は、自由な手段と共有によって進歩する。

そのような自由だった。普遍的なことを考える哲学者だった。

哲学は、普遍的なことを考えれば出来る。移り変わるものには、意味が無い。物理法則は、宇宙の側にあると言うが、ものはそれぞれ違うかもしれない。何かが違う時、別の法則になる可能性はある。そういう、科学的な普遍性と自由も良く考えていた。

経験と制度を全部書いていた。書いて考えていた。

表現、研究、行動、認識、存在には、段階と方法と可能性がある。

存在を捉えることで、可能性が生まれる。

経験と自由から、社会制度を作ることが出来る。それは、皆で作られるように、参加し、議論し、投票することで行う。

そのように、経験を全部書いていた。昔から、自由と経験を考える。

自由と経験は昔分かっていたが、積み重ねて、全部の経験を成り立たせて書いていた。