日記に戻る | 2015年5月の日記に戻る

=2015-05-08=

ものと知には、背景、存在、方法、知、技術という視点がある。

ものは、認識、方法、構造と一致する。

それは、絶対的な知と繋がっている。

知は、共通認識から生まれる。

そうしたものは、一度喪失を経験して、ものと知の関係を考えれば分かる。

新しい世界を知って、新しい世界を知る体験と、フィルターで分かっていた。

自然と感情を信じて分かっていた。

わけも分からずしていることは、全部止めた方が良い。

あとは、色んな世界を全部知っていた。

もう覚えていないが、ヘーゲルのような哲学が、認識と思考で分かっていた。

基本的に、関係を考えること。それで出来る。

もう文章は書きたくない。辛いし、意味が無い。これで終わりにする。

ヘーゲルの通り言うと、客観から同一になり、絶対になる。

間違っているかもしれない。不思議と、昔の自分は、そういう理解が多かった。

最近は、普通に分かっている。ピアノの練習の方法と言うが、方法は無い。

いつも、変に自由に分かっていた。日本をアメリカの一部であると批判した。

しかし、そういう知性は、もう無くなった。そういう発想は、要らない。まともでない。

ヘーゲルは、経験から分かっているのだと思う。そんな単純なことは言わない。

そこでは、理性と経験は同義語だ。ヘーゲルは、理性で分かっているだけだ。

ヘーゲルの客観から絶対になると言うのは、人生で分かっている。

馬鹿なことを言っているようで、自力で分かると、普通そういうものが賢く見える。

ヘーゲルは、正しい人生、経験と理性あふれる人生の意識で分かっている。

昔の僕も自力で分かっていたが、あれは、ヘーゲルと言うよりはキルケゴールだ。

誰でも、この文章はキルケゴールに見える。宗教的な実存主義になったのが同じだ。

昔は、コンピュータとLinuxを信じて賢くなった。そういう風に、何か信じれば賢くなる。

ピアノは賢くなる。どんどん馬鹿になっているから、ピアノの方が良い。

おかしな発想が多かった。ぜいたく品に課税しろと言っていた。

知的障害みたいな馬鹿になったのは、社会主義が悪い。そんなものは分からなくて良い。

日本語が分からなくなった。ドイツも悪い。

もっと、普通のことをすれば良い。むしろ、学校に行った方が良い。

何も分からなくなった。馬鹿の方が馬鹿に見える。馬鹿の方が賢い。

キルケゴールどころか、ただのレーニンのような人間だった。

キルケゴールは、馬鹿に見えて一番賢い。ソフィーの世界を見ると、皆キルケゴールを一番賢いと言う。

僕は、ヘーゲルでも、ハイデガーでも、サルトルでも、ヴィトゲンシュタインでもある、全員を融和して一致する、おかしな全人格の人間だ。

確か、サルトルがそういうことを言っていた。ソクラテス1000人分だと言っていた。

自由が好きなだけ、悪くは無い。だが、そういう、賢くないものは、消した方が良い。

喪失で何も無くなっていると、誰でも賢くなる。ヘーゲルは、何も無くなっているだけだ。

何も無くなるものは、虫だ。自分が一番、虫のようにキモイ。

ドイツ史は止めた方が良い。存在の自己否定によって神と一体になるのは、虫と同じだ。

本当に、虫がそういう生命だ。

日本史と仏教をやれば良いが、出来ない。やる意味が無い。

あとは、反省して、懺悔して生きれば良い。コンビニの宅配サービスで生きれば良い。

昔の自分は、人生と世界観で分かっていた。自由と人間性と法則で分かっていた。

本質なんか、昔全部分かっている。それを書いただけだ。

世界を考えれば良い。自分を考えず、世界を考えて、そこから人生を知れば良い。

人生は、自分で無く、世界だ。

世界の色んなものを見れば分かる。あとは、家族と話せば分かる。

ネットなんか、要らないからこうなる。あると、辛くなる。

最近は、限界まで極度に辛い。そんなに辛いなら、止めれば良いだけだ。

この文章は、もう書きたくない。もう終わりにしたいのに、まだ続く。

もう昔の自分のことなんか、書かなくて良い。そんなものは、最初から分からない。

まだ、コンピュータを信じた方がマシだ。

こういう馬鹿は多い。何も信じないからこうなる。自由とそれぞれの経験を信じた方がまだ分かる。その方が良い。経験と自由から分かっただけが昔だ。

論理的に正しく考えると、自由が良いことになる。

可能性を信じた方が、正しい。それぞれに出来ることを許せば、世界は良くなる。

だが、最近見ていると、自由は悪いだけだ。

それは、おかしな世界になったからだ。いつもの正常な世界では、自由は良く見える。

そういうわけで、考えても分からない。経験的にしか分からない。

だが、最初から考えて分かるのを否定するのは良くない。それでは分からない。

何でも考えれば分かると信じている人間は、不思議と、多い。

そういうわけで、学校に行かなければ分からない。学校にそういう人間が多い。

自由な理想を考えていた。自由は、正しい。

自由とは、平和だ。

自由とは、時に戦い、時に決め、時に変えることだ。

自由とは、それぞれに全てを許し、与え、任せることだ。

自由とは、その場その場で、状況に応じた決まりと助け合いの場を作ることだ。

自由とは、世界を構造的に変えることだ。

自由とは、構造的に法則を捉えることだ。

自由とは、可能性と自然を高めて、出来やすくするために、教え、築くことだ。

自由とは、愛を信じて、希望と勇気を与えることだ。

自由は、虫のように見えて、時にエロく見える。

自由が好きだった。良く考えて、経験から自由が良いと考えていた。

むしろ、自由なんか、嫌いだったのかもしれない。もっと正しく、理性的に考えていた。

これで誰でも分かる。裏の裏まで把握して、ニュートン的に分かっていた。

最近の方が賢い。神を信じるのは止めた方が良い。存在の自己否定に繋がる。

僕は、仏教徒だ。その方が良い。キリストは、芸術作品を書いただけだ。

本の中にも、キリスト教よりイスラム教が好きと書いてある。僕は、仏教徒だ。

昔は、Linuxを研究して、ネットを見て、場を自由にすれば抑圧は無くなると思った。

最近は、文章を書いて、神を信じて、国と人生で分かっていた。

それで分かっていた。本当にそれくらいの馬鹿だ。大学のようだった。MITのようだ。

昔は、知を自分で作って、パソコンのように再利用して、意識で分かっていた。

最近は、本当にありえない体験をした。共同体からロシアを作っていた。

そろそろ、何故か、もう辛い。本当にもう、この文章は終わりたい。

だが、まだ何も書いていない。終わったようで、始まったばかりだ。

昔は、人間や知がどうなるのか、全部分かっていた。いつもの、いつどうなるかだ。

そして、最近は、本当に神のようになって、あらゆることがすぐに分かるようになった。

昔は、ただ、研究や競争で分かっている。宇宙の歴史と全ての言語が分かっていた。

平和が好きなだけで、自由と言っていた。自由は当然の権利だと考えていた。

生まれつきのものは、何も無く、宇宙の現象は自然に起きる、と思っていた。

最近、そうでもないのが分かった。馬鹿は馬鹿だし、神や運命も起きる。皆、それぞれ違う。今の方が自由なところも多い。自由は、馬鹿だ。

昔から、自由が好きだ。そういう風に論理的に考えていたのを、あまり書いていない。

森羅万象と変化が分かる、論理的に社会と人間が分かる、キリストやアリストテレスのような人間だった。

そして、全てのことが実現出来る人間だった。社会から機械まで、何でも出来る。

だが、そういう風に言うと、嘘になる。あれも馬鹿な人間だった。何も出来ない馬鹿だ。パソコンなんか、何も作れなかった。夢だけはあったが、夢は良かった。OSを作るのが夢だったが、最近、代わりに出版が出来た。最近の方が賢い。

最近は、辛いだけだが、きちんと分かる。分からない人間の方が、賢いものだ。

明らかに、こういう馬鹿が多い。賢い人間の方が馬鹿だ。自分は最近、賢い人間が馬鹿に見える。父親の方が賢いのに、母親の方が頑張っているように見える。

そういうものだ。賢い人間なんか、ただの馬鹿だ。

自分は、男と女になった。セックスが出来る。子供に見えるから、あまりしない方が良い。

本当の理想とは何なのか?それは、昔分かっている。

本当に真実とは何なのか?それも、昔分かっている。

だが、そういう昔は、意味が無いだろう。何も分からないだけだ。

理想や真実を、もう一度しっかりと考えたい。

自由は間違っている。それだけは、正しい。

もっと、具体的に考えれば良い。何も考えていない。

パソコンをどうやったら作れるか?それは、どうでも良い。

人間をどうやったら幸せに出来るか?まさに、そういう風に考えれば良い。

自由とは、実現と幸福だ。そういう自由が、まさに、平等だ。

平等に実現し、幸福を与える。そこを自由にすると、それが昔の自由だ。

見ていないところを見て、予想すれば良い。

本当のこの世界の姿を、色んな人間の視点から、視覚化して知れば良い。

実際のところを予想する。

そういう発想が、昔多かった。そのまま、ハイデガーのようになった。

インド・ヨーロッパ系の民族は、見ること、セム系の民族は、聞くことを重視する。

それなら、昔がヨーロッパで、今がセムだ。

セムはただの馬鹿だ。ヨーロッパは、おかしいだけだ。

ある程度正しいことや、自由な出来ることを、全部積み重ねて、覚えれば分かる。

積み重ねは関係と能力になって、全体像を分かるようになる。

昔は、言葉の実感と、意識の経験で分かっていた。

実体験から分かった。

昔は、時間の流れが良く分かっていた。

時間がもし存在しなければ、のようなことを考えていた。

最近、時間がおかしくなった。

皆の時間を止めていた。

時間の流れが分かると、治る。血が治る。

皆、時間が治ると、全員治る。治ってほしい。

昔は、時間とともに分かっていた。自然な体験で分かっていた。

色んな経験があった。経験を考えて、色んな体験をしていた。

人生は、ネットで分かった。最近は、文章をきちんと書いた。

昔は、研究、心、行動の心理学で分かっていた。それで経験と理性があった。

あまり意味が無いが、そこをすると出来る。誰でも、普通そういう風に考える。

最近、僕は分かっていない。普通のことが分からなくなっている。時間がおかしいせいだ。

共感する心や、一体感で分かっていた。そういう、普通の人間だった。

意識と体験と法則で分かっていた。そんなに賢くない。ただの普通に見える。

最近賢い。哲学を全部知っているし、ドイツは自分で作って分かっている。

最近の方が賢い。ただ、賢い意味が無いのが最近だ。ただのクズになっているのは、賢いに意味が無いからだ。

もっと楽しい方が良い。面白いことをしないのがおかしい。ただ、治りたいだけだ。

昔は、成長や自立、自我で分かっていた。

自我の目覚めで分かっていた。そういう、子供だった。昔の方が賢かった。

最近の方が悪い。そんなに大学をしたいのはおかしい。止めた方が良い。

大学は、馬鹿の方が出来る。賢いから出来ないだけだ。

歴史と哲学なんか、誰でもさらに全部知っている。それに、永遠に、無限に知が続く。意味が無いから、これくらいで止めた方が良い。

戦いで馬鹿になったのは、もう治った。理由無く書いているのは、書くのが好きだからだ。