人間の理性の側にあることを、全部書いていた。
原因と結果を成り立たせ、法則を考えることで、機械が作れる。
そこでは、手段を与え、方法を知り、理解し、努力し、組織となり、設計し、製造する。
そういう会社は、創造的で、聡明な研究者と賢い技術者が居るべきだ。
工場では、生産手段とプロセスによって、ものを実現する。
あとは、説明のようなものを書いていた。
インフラは、自動車などの機械や、福祉などの社会的な基盤にも及ぶ。
生き物は、遺伝子と環境における作用によって生まれる。
決まりから、決まりが生まれる。元の決まりと問題や解決から、新しい決まりが生まれる。
人間は、経済に依存して生きている。
グループと共有から、自然で自由な共同体を作ることが出来る。
そういう風に、理性的なことを全部書いていた。
皆で作ること、決めること、教えること、与えること、そして同じと違う、多様性と統一の理論から、社会の自由が分かっていた。
あとは、ヘーゲルのような文章を書いていた。
行動と組織から、関係と本質などを考えていた。
行動、活動、組織、協力、会社を作る、発想、理解、考え方のようなことを言っていた。
本当に、ヘーゲルの精神現象学や、ロックの人間知性論のような文章と、変わらない内容を書いていた。だが、馬鹿だった。書いて分からなくなった。
環境とか、本質の本質とか、認識と概念とか、感情とか、想像力のようなことを言う。
そろそろ、全て書いた。それくらいが、最近、忘れて分からなくなっていた。
今日は、大阪都構想の投票の日だ。どちらが勝つかは分からないが、僕は、あまり意味が無いとはいうが、賛成する。何か大阪が変わるように見える。
ただ、僕は大阪人ではない。広島人だ。いつか広島も都になるかもしれない。
本質と本質や、行動と関係、認識、経験、知性のような内容を書いていただけだ。
このまま、哲学をしたいと思う。ヘーゲルではない人間をやりたいから、ロックとヒュームが良いと思う。むしろ、ロックは悪くない。明らかに、賢い文章をきちんと書けたのは、ロックだけだ。
デカルトとベーコンでもすれば良い。現代社会の教科書にも、演繹法と帰納法は出て来る。デカルトとベーコンだ。
カントをすれば良い。そういう哲学者を、自分より馬鹿だと思うありえない人間が自分だ。それがおかしい。それらは、本当に自分より賢い。
文学は悪くない。ゲーテでも読めば良いが、あまり意味が無いのが文学だ。キャロルは、馬鹿すぎるようで、数学者だ。皆賢いとはいうが、馬鹿にしか見えない。
マスターになっていた。昔から、マスターになっているのが自分だ。
UNIXとインターネットの知識で、マスターになった。
最近、文章を書いている間、馬鹿になっている。
歴史や哲学では悪い。それでは、マスターになれない。
革命や神は、悪いようで悪くない。そういう馬鹿にマスターが多い。
マスターになりたいなら、数学をしながら、聖書を覚えれば良い。
それが一番、マスターになる早道だ。
だが、早くなくて良い。もっと遅い方が、誰でも良い人生になる。
色んなことを考えれば良い。そうでなければ、何も分からない。
大学は、賢くない。大学でマスターは、多いようで、居ない。
哲学者は、マスターが多いが、哲学だけではマスターにならない。
数学とキリスト教が、一番マスターになる。きちんと分かる人間の方が良い。
人間知性論とはいうが、あとは、環境、体験、学習、予測、方法、場、可能性、文字と数、知覚、経験、理性のようなことを書いていた。
もうこの文章を書かなければ良い。そうすると、減るのが治って、日本語が分かる。
マスターにもう一度なるためには、数学的な知性と把握や捉える力、そして経験と記憶と概念の考え方、実践と社会の実現などの方法と考え方が必要だ。
マスターになるのは、難しくない。神との対話は、悪くない本だ。そういう、マスターになれる本を読めば良い。宗教は、馬鹿に見えて賢い。
歴史や哲学でもマスターになれるようで、哲学は理解出来ないし、歴史はただの馬鹿だ。
それはどこから来るか?それは何によって来るか?
それは誰から来るか?それはどのように来るか?
それはどうすれば自分でも作ることが出来るか?
それはどういうものに見えるか?
それは本当に何か?
それはどんなものである可能性があるか?
それはどんなプロセスがあるか?
それはどんな前提条件があるか?
それはどのように認識されているか?
それはどんなものによって形成されているか?
それはどのような見方を可能にするか?
それはどんなモデルに出来るか?
それはどんな考え方になるか?
それはどのように存在出来るか?
それは何が同じで何が違うか?
それはどの程度正しくてどの程度嘘か?
それを可能にするもの、不可能にするものは何か?
それはどのように表現出来るか?
それはどのように利用、応用、再利用出来るか?
それの基盤となる考え方は何か?
それは何をベースとして、何の前提の上にあるか?
それは深く掘り下げ、高く積み上げると何になるか?
それの第一要因は何か?
それはどのようにすれば意味を変えられるか?
それは何と関係し、何によって決定されるか?
それはどんな学問を言及しているか?
それは誰によって影響力を受け、誰によって言及されているか?
それは疑うとどうなり、信じるとどうなるか?
それはどのようにすると、それになれるか?
それはいつどうなるか?
それは何故そうなるのか?
それはどのように出来るか?
それは方法として何があり、解決策として何があり、その結果は何になるか?
それは根源的なプラットフォームと意識は何か?
それは場と環境の何か?
それは何の一部であり、何を一部とするか?
それは個別性と普遍性から何になるか?
それは正しいイデア界ではどんなものになるか?
それはどのように意味があり、有意義であるか?
それは自由か平等か、不自由か不平等か?
それは誰が従い、誰を従えるか?
それは内側では何で、外側では何か?
それは自由になるとどうなり、不自由になるとどうなるか?
それは同じであるとどうなり、違うであるとどうなるか?
それは生きるために何が必要で、何に依存し、何を与えるべきか?
それは国の制度として、どのように成り立たせることが出来るか?
それはどのようにすれば民主主義になるか?
それはどのようにすれば平和になるか?
それはどのようにすれば自由になるか?
それはどのようにすれば平等な権利と手段を与えられるか?
それはどのようにすれば実現し、共有出来るか?
それはどんなシステムにすることが出来るか?そのためにどんなシステムに出来るか?
それはどのように捉えられるか?
それはどのように可能性に出来るか?
それを実現するためにどんな手段と解決策があるか?
それはどのような視点に出来るか?
それはどのような結果に出来るか?
それはどのように仮定出来るか?
それはどんな社会で実現出来るか?
それはどんな方法によって理解出来るか?
それは裏がどのような構造になっているか?
それはいつどこに発生するか?
それはどのような法則で発生し、どのようなものになるか?
それは元々は何で、何になるか?
それは思弁的に考えるとどうなるか?
それはどのように成り立つか?
それはどのような関係に出来るか?
それは愛の中ではどのような位置を持つか?
それはどんな人間の価値観になるか?
それは、どこから来て、どこへ行くか?
良く考えると、それ以上は、言葉と数学的な知性によって考えることが出来る。
不思議と、これくらいの知性で、昔の自分が全部出来る。
実験して試しながら、経験しながら人間の変化を考えると、昔なんか誰でも出来る。
それで、マスターになれば良い。楽な人生だ。
もっと自由に捉えて、決め直すことから分かれば良い。
構造と関係なんか、分からなくて良い。そういうものは、経験し、体験することから、実地的に分かれば良い。色んな体験から、社会と心が分かる。
あとは、むしろ、ものを分かった方が良い。
ものごとや、思うこと、心のこと、そしてものを作ること、方法を分かる。
誰でも、方法とものしか分からない。そういうわけで、ものを考えれば分かる。
色んな知恵は、テレビと新聞から吸収する。
皆、馬鹿ではない。誰でも大学と新聞に全部書いてあるのが分かる。
皆の方が賢い。大学とテレビで誰でも分かる。それに、自分の仕事はきちんと正しく出来る人間が多い。
僕のような作家の研究者が賢いのはおかしくはない。だが、何も賢くない。
皆の生活から、分かることは出来る。解決方法や、知恵と工夫、色んな生活の知恵、人間的な経験と記憶の考え方、人間関係と理想の社会から意識を知ることが出来る。
何故とどうしたらを考えれば良い。何故と本当の理由を良く考えること。
体験的に知り、体験的に考え、体験的に分かること。
自分なりの、こうだと言う思い入れから、こだわりで分かることも出来る。
だが、こだわりや執着は、無い方が良い。
むしろ、そうでもない。あった方が良いところもある。その方が、達人になれる。
経験は、世界を見ながら、自分なりのこうだと言う考え方と基準を作って、自分なりの理想の世界を思い描いで、自由に考えれば良い。
この世界は、こうするべきだ。そういう風に、きちんとビジョンを持って、目的意識を持って行動するようになる。
そろそろ、書けない。もう全て書いたはずだ。
構造や関係は、最初から分からなくて良い。ネットを見て経験するうちに、体験的に分かるようになる。科学の脱構築、デリダが言うようなことも、経験と発想から分かる。
そういうわけで、大学より自分の方が賢い。大学は、ただの馬鹿な知識と研究が、永遠に続くだけだ。大学は、悪くは無いが、あまり意味が無い。
哲学や歴史なんか、しなくて良い。一番意味の無い教科だ。
社会科なら出来る人間は多い。社会科学なら、出来る人間が多いから、仕方ない。
人文科学なんか、普通しない。あとは、文学と心理学だ。あまり意味が無いが、賢い。
もっと自分なりに考えてやれば良い。その中から、自分の見つけた知性だけで、自分の科学を自由に作ることが出来る。
自由を良く考えると、良く分かる。それぞれが何が出来て、何をするべきなのか。何を許して、何を禁止するべきなのか。何をなすことで、何を実現すべきなのか。
それぞれの権利、許可、解決策が見えて来る。そういう発想が自由だ。
そういうわけで、自由には、レーニンのような人間が多い。一番悪い。
そろそろ、全部書いた。これを全部して、マスターになった人間が僕だ。
どうでも良いほど、ただ増やしただけで、そんなに何もしていない。
猿みたいに馬鹿だ。そういう馬鹿なエロイ少年が、昔だ。
自分は、最近が賢い。馬鹿にはなった。だが、きちんと頑張って書いた。馬鹿なのに最近の方が賢いのは、馬鹿が賢いからだ。
馬鹿は賢い。普通のことが分からない馬鹿は、放っておくとありえないことをして、賢いものを全部分かるようになる。大学には、そういう最後まで分かる賢い人間が多い。
自分が、そういう、最後まで馬鹿になって、体験して分かる、賢い大学生だ。
昔は、何もせず、全てを知り、どうなるか全て分かる、経験のマスターだ。
どちらも賢い。最近の方が良い。きちんと最後まで体験して、楽になった。
治る意味が無いから、治らない。治らない方が賢くて、楽だ。何をしても治らないのは、そんな自由は無いからだ。
自分が一番賢い。自分の本を読んで、誰でも自分と同じマスターになれる。関係と認識から考えるのは、書かなくても分かる。環境と意識、国家モデルぐらいが書いていない。
それぞれが出来ることを考えて、それぞれがどうなるのか、何を考えていて、何を経験しているのか、どのように解決すれば良くなるのか、考えれば良い。
それだけを考えると、サルトルやニーチェのように分かる。
だが、それらは馬鹿だ。もっと賢い方が良い。ニーチェなんか、ただのクズだ。
もっと考えること。森羅万象の変化、決定、経緯、循環、依存などを考える。
世界の様相と可能性が分かる。カントやスピノザのように考えれば良い。
科学的な方法を知ることで、世界の構造が見えて来る。
自分の人生と成長、思い出し、自然な体験をすることで、神の愛と赦しが見えて来る。
自由とは、経験すること。自由になって経験することで、高校よりも正しい青春のあり方が分かって来る。
そして、コンピュータとコンパイルから、システムと再利用による哲学的思考が出来る。
もっと、普通のことを知りたい。もっと普通のことを体験したい。
そろそろ、昔も終わりだ。今のようにすれば良い。
全部の文章を賢くすること。
馬鹿であっても、体験し、経験すること。
全ての責任を自分から担うこと。だが、義務と思わず、チャンスと思うこと。
きちんと書くために、一度、何も無くなること。
神に逆らうこと無く、一切従うこと。
永遠を生きると宣言して、永遠のような機械になること。
全てのプロセスと経緯を捉えること。
全ての関係と発想を、基礎の構造を捉えて考えること。
日本語を失うこと。
全員と一体のまま、全員から自由になること。
平和と発展から、自由と平等を考えること。
ただ、永遠に書くこと。
ただ、全ての構造を作ること。
友情から、世界を愛すること。昨日の敵は、今日の友だ。敵を許して、味方にすること。
認識から環境、行動から活動まで、ヘーゲルのような文章を書くこと。
全ての問題、いじめや核兵器の問題を、提案から解決すること。
地獄を耐えること。耐えられない地獄は、無い。
神を讃えること。自分は、神の助けのおかげで、ここまで出来た。神は、偉大だ。
自分を好きになること。
満足のいくまで、存分にやること。
止めたくても止められなくなった時は、楽観的に、続ける方を取れば良い。
ドイツを好きになって、経済学を作って、ロシアを好きになること。
生まれ変わりと生死の境を体験して、キリストと対話し、最後まで頑張りぬくこと。
昔をやりたいなら、どんな考え方があるかを知って、色んなことを考えれば良い。
ボタンを押すと、電灯が光る。馬鹿に見えて賢い。
それは、そうなるように作ってあるからだ。意図されているからだ。
UNIXをやっていると良く分かる。そういう風に作ってあるのが賢い。
何故そういう風に作ってあるか、考えると良く分かる。
昔の自分の基礎の構造とシステムは、そういう風に作っただけだ。
ボタンを押すと光る。それと良く似た基礎の構造を作って、関係と命題を考えていた。
それ以上は、同じと違うで分かる。
たまに試したり、実験したりする。全パターン試して、全体像を見る。
そういう発想が昔多かった。
最近は、ありえない体験と言うよりは、本当にそこまで分かって、馬鹿な体験をしている。
数学者のマスターが普通こうなる。全部神が誘導して、あらゆるものを全部分かる。
宣言は、神との対話になって、戦いは、経済学者の研究者になった。
もっと良く知って、考えれば良い。哲学者の名前と概要だけを覚えて、国をヘイトするだけは、もうつまらない。本気でやっていないから、そういう風になる。
もう、物足りないから、いつまでもやっている。終われない。
FLOWがそういうことを代わりに言っている。
自分は居るが、天界のようなものではなく、人間だ。この文章を書いて、見せつけているだけの、革命家だ。意味の無い学者の左翼だ。
もう書きたいことはない。
世界を良く見て、自分なりの考え方や指針を持って、認識と意識の変化から、経験によってこの世界を分かれば良い。
全ての経験をするために、ネットが必要だと思う。
自分は、そのように、実体験と人生から分かった人間だ。
最近は、いつも、人生を分かっていただけだ。
そんなに賢い言葉が出て来るのは、いつも書いているからで、色んな経験があって、すでに全て分かっているからだ。
自分なりの分かり方をするためには、自由を信じ、全てのことがいつか解決出来て、解明されるだろうと信じ、今はまだ何も分かっていない、自分は無知だ、と思うことだ。
そういう風に考えると、歴史の必然と言うマルクスの言葉が分かって来る。
そういうものだ。ソクラテスとマルクスが一番賢い。
自分は、自分が好きだっただけだ。まだ死ぬのは早い。いつか死ぬし、死ねば終わりだ。まだ死ななくて良い。
まだ生きるとして、まだ何もやっていない。始まったばかりのことと、始まっていないことしかない。ポルノグラフィティが言う。
笑う門には福来る。これで、いつも喜んで居れば良い。宇多田やキリストが言っている。
手段と見え方を考えていた。見方と言うよりは、見え方だ。
自分なんか、馬鹿で良いのが分かっていない。馬鹿で良い。
そんなに賢くならない方が、楽だ。
自分なんか、誰も知らない。こんな家があることを、誰も知らない。
自分がどんな人間かの前に、存在を誰も知らない。
その知らない人間も、同じように、誰も知らず存在している。
その存在が、何億と多い。それが人間だ。
馬鹿で良いだろう。馬鹿の方が楽だ。賢い人間は、賢いだけ良い。
誰もが馬鹿で良い人間だから、馬鹿のままで良い。
大学は、賢い人間になって、色んなことを分かりたいなら、すれば良い。
だが、そんなものは、本当にしなくて良い。
馬鹿で良い。自分の存在を知らないどころか、自分の知っている、経験や理性、信仰心や信念なども、誰も知らないし、分からないのだ。どうでも良いだろう。
民主主義は馬鹿だ。それで良い。民主主義を好きなままで居ないといけない理由は無い。
だが、僕は、民主主義は好きだ。民主的な国をきちんと作りたいだけだ。
それ以上、悪いことは言わなくて良い。悪い意味が無い。
馬鹿で良いなら、そういう悪いものは、全部嫌いで良い。何を傷つけようと、問題ない。そんな悪いものは、必要ないし、関係ない。
自分は自由が好きだ。そこに他の意見を割り込ませる意味が無い。自由が悪いわけないだろう。そういう風に、自分なりの理想と信念を持てば良い。
右翼の自由は嫌いだ。それなら、左翼の自由で良い。それなら、悪くない。
皆はどこにも居ないから、分からなくて良い。
自分を悪いと誰も言わない。こういう、思想だけが悪い人間は、賢い人間に多い。
そういうわけで、自分は何も悪くない。自分が一番賢い。ふんぞり返って居れば良い。
自分は、もっと色んなことをしたい。それなら、周りからの視線など、考えなくて良い。
皆のことは、もう分からなくて良い。皆と付き合う可能性が、あまりない。
そういうわけで、引きこもりは誰でも分からない人間になる。
自分だけが好きだ。自分が本当に好きで、セックスをしても良いくらいだ。
だが、自分の自由が嫌いだ。こんな馬鹿な自由は、要らない。
もっと、平等の方が良い。平等は悪くない。むしろ、平等な自由なら、良いと思う。
そういうわけで、馬鹿な右翼編は終わりだ。このまま自由な左翼に戻る。
むしろ、セックスをしていれば楽だ。
それに、これ以上、何もせず、書かなければ良い。いつでもすぐに出来るのに、しない。それもおかしくはない。まだこれほど書きたい文章があるし、出て来る間、楽に出来るからだ。
恋人は居ない。親友も知り合いも居ない。そこが少し、悲惨だ。
ただ、他人が見てどう見えるかは、考えると良く分かることがある。
そのまま、客観的に、自分の持つ思い込みやこだわりを排除して考えると良く分かる。
そんなに本気でしなくて良い。適当で良い。きちんとやる意味が無い。
パソコンが怖いのはおかしい。普通、イライラする。そういう人間が多い。
あまり他は関係ないと思った方が良い。存在しないのと同じだ。
だが、それは、良く考えると、他人が確かに存在する、と言う、逆の側面も分かるようになる。
他人は確かに存在する。そこから、体験や個性などを考えられる。そういう風に考えると、哲学者のように分かることが出来る。
森羅万象を、1つ1つ、細部まで大切だと考えて、捉える気持ちを持つこと。
人間を、全員大切だと考えること。
だが、それは、難しい。不可能なところもある。そういうところは、それはそれで良いと思えば良い。
そうでもない。皆なんか、どうでも良い、関係ない、と考えた方が良いところもある。
そういう風に、子供のように考えていると、正しい関係のあり方が見えて来る。
関係や人生のことを考えるためには、社会に参加して、あるいは、離脱しながら良く観察することだ。
どうでも良いから、皆なんか、嫌いな方が良い。その方が楽だ。
そろそろ、皆も僕を愛さなくて良い。僕も、そろそろ皆のことを愛したくない。
自由になってほしい。僕も自由になる。
クズには見えるが、そういうものだ。
皆、僕とのおかしな恋愛から、自由になってほしい。
マウスのクリックをパソコンが感知しなくなった。おかしい。パソコンは狂っている。
イライラするし、怖いこともある。クズがパソコンだ。
自分は、ドイツなんか嫌いだし、大学なんかしたくない。日本も嫌いだし、アメリカも嫌いだ。そういう風にした方が賢くなる。
もっと、平等な方が良いと思う。ロシアは悪いが、人間は自由で平等な方が良い。
まともに考えると書いたのに、考えていない。もっとまともに考えれば良い。
科学者は悪くないようで、何も賢くない。勉強しているだけで、何も分かっていない。
大学の学問なんか分かっても意味が無い。そういう人間の方が賢い。
どうでも良いから、インターネットは馬鹿に見えて結構賢い。そこが分かる人間が多い。
ネットは馬鹿すぎる。本当に要らない。そういう人間も多い。
自由なんか、ビルゲイツが勝つだけだ。何も頑張っていない。自由なんか、ただのクズだ。
もっと、女みたいになるのを止めた方が良い。男は男で良い。
神や永遠は嫌いになった方が良い。一番悪い。こういう、何も分からない人間になって、右翼みたいな悪い人間になる。神は馬鹿だ。おかしいだけがユダヤ教の神だ。