日記に戻る | 2015年5月の日記に戻る

=2015-05-28=

日があいているのは、ノートを書いていたからだ。ノートを読んでほしい。

皆は、無になっている。無になると、何も起きない代わり、楽だ。自分のせいで、皆が無になった。神は、無にしかならない。

皆、無を止めて欲しい。無で無くなってほしい。無でなくなると、正常な楽しい世界になる。楽ではないが、無ではおかしい。そろそろ、良い世界になるだろう。

昔は、社会の変化と未来を、経験的に分かっていた。

どんな社会から、どんな社会になっていくか、分かっていた。

未来が分かっていた。未来学者のようだった。

僕は、最初の偉大な王だ。タリバンの王だが、正しい統治者の、支配者だ。ローマ帝国でいう、ロムルスだ。

価値観と成長の世界を分かっていた。そういうものを書いていた。

支配して、世界を自由にしていた。

可能性を保持して分かった。

意識を自在にして、自由に考えて分かっていた。基礎を作った。

自然な体験から経験的に分かった。

価値観の世界を分かっていた。

抽象的に予測して、数学的に分かっていた。

成長した。大人のように成長して、全てのことを宇宙人のように分かっていた。

昔は、そういう人間だった。賢い、理性的な大人の人間だった。

それは、まだ、どうなるか分かっていない。決め付けるべきではない。そのように、可能性を保持して考えれば、社会のことや環境のことが良く分かる。

だが、それは、分かっていない。分かってしまえば、誰でも、決めて演繹して分かるものだ。そういう発想が神だから、科学と宗教は、同時には出来ない。

スピノザが賢い。数学的に神を考える。そこがありえないが、哲学には、そういう、おかしな発想が多い。

デカルトからハイデガーまでの哲学史の本と、イギリス史の本を買った。

やりたいなら、世界が正常になると、すぐに出来る。

そのまま、大学を卒業すれば良い。正社員には、どこも大卒しか雇わない。

世界を正常にするためには、無で無くなって、退化を止めれば良い。

世界は、無になって、退化している。そういう発想が、虫のようにおかしい。

無であることは、非常に楽だ。それに、その間、自分のような賢いことが出来る。

無でなくなると、戦いの世界になって、楽しいものが増える。自分のような賢いことは、もう出来なくなる。

そうすると、世界は滅びて、悪くなる代わり、テレビや大学が賢くなるだろう。

あとは、歴史のようなことを分かっていた。

社会を見て、哲学的に考えながら、色んなこと、学校や社会や時代のこと、人間のことを考えて、社会を知って、歴史を分かっていた。

予測は、細部まで抽象的かつ具体的に、人間や社会、自然や体験のことを、全部捉えて予測していた。厳密に、パターンから積み重ねていた。

自分は、歴史や哲学には向いていない。最近、そう思うようになった。もっと、自然科学の方に向いている。そういうわけで、ここから理系の勉強をしたい。

宇宙への不思議や、科学への興味も多かった。原子や宇宙、地球や細胞を、想像力で、信じながら疑って考えていた。自然を信じていたが、運命も否定しなかった。

意識を物理的に考えていた。

人間の底力で、皆を守っていた。王になって、操って支配して、導いて分からせた。

子供たちが好きだった。社会問題を解決して、自分と同じように皆も分かると考えて、分かるためにどんなことを行動し、経験するべきか分かっていた。

社会を見て、色んなことを知って、オバマのように実地的に考えていた。

この文章は、もう書けない。そろそろ、怖い。もう、書かない方が良い。

自由とは何なのか、社会を見て、実地的かつシステム的に、法と決まりを考えていた。

自分が好きだ。

最近、知性の無い馬鹿になって、神を信じて対話するようになった。

だが、それも良かった。戦いの中で、自分の人生における一時代を作って、良い経験になった。戦争や革命も多かったのが、僕だ。本当の戦争では無かったし、誰ひとり死んでいないのが、むしろ、良い。日本は、滅びなかった。

ノストラダムスの言う大魔王とは、自分のことを言っている。世界は滅びた。皆は、自分のことを、皆を自分にする右翼と言っている。

自分は、スターリンのような人間だが、ニーチェやデカルトのような人間だ。

神は、それを神と言っていた。永遠に、そういうことをいくらでも話していた。

自分のことを神と言いたいだけだ。

そろそろ終わりだ。あとは、もう書けなくなる。

自由な社会と、経済のシステム、共同体のモデルから、最近、全ての国を作った。

生産は、良く分かっていた。自由経済も良いが、計画経済は悪くないだろう。

平等を破たんするとはいうが、単純に平等配給とノルマだけをすれば、破たんしない。

独裁は悪い。許すべきではない。だが、自分が一番独裁だ。悪くないだろう。

左翼の独裁は悪くない。独裁しなければ、少数派まで、平等にならない。

だが、左翼政権は、滅びる。収容所送りで良いのは、おかしい。革命が勝利すると、政府は軍事政権にしかならない。

もう終わりだ。そういう、おかしな左翼と神が多かっただけが最近だ。

自由が好きだった。左翼なんか、要らない。左翼は、普通、こういう体験をして、死ぬ。

左翼とは言うが、極左は悪い。

まともな民主主義の、やや社会民主主義的な左翼が良い。

福祉国家にして、税金を取って平等にし、競争は少なくして、大きな福祉政府にする。

平和にして、戦争せず、話し合いで解決する。

強者だけのことを考えず、弱者を支援する。

それが、ソ連や右翼になると、キモイ。そういう、穏健派の、普通の左翼が良い。

それで落ち着いたはずだ。

右翼は悪い。自分をフランス人とドイツ人にするのは、最近の文章のことを言っている。

おかしいだけが、そういう、極左と極右だ。

民主主義の右翼は悪くない。きちんと経済成長して、創造性を高め、競争力をつける。

それもそれで、悪くない。民主主義は、左翼と右翼が、議論して、協力するべきだ。

そういうわけで、ブサヨと言わず、市民の左翼政治をすれば良い。

ただ、競争の自由もあった方が良いと思う。昔、そういう、自由な発想が好きだった。

左翼のような、完全な自由だから、右翼にも見える。

あまり、そういう、思想で考えない方が良い。実益と政策と裏付けから考えるべきだ。

右翼は悪くは無い。朝鮮などのいつまでも言いなりになっていると、おかしい。

政治家は、戦って武力で勝つのが普通だから、安倍も悪くない。

悪いと思うなら、右翼を悪いと思うのが良い。昔から、僕は競争や戦争は嫌いだ。

左翼は、悪くない。ソ連なんか、本当に高度な社会を目指しているだけだ。

穏健派の左翼が良い。福祉国家が良い。だが、小さな政府も悪くは無いし、教育も今のままで良いとは言えない。

良く考えるべきだ。思想に流されず、自分の力で考える。僕は、そういうところが得意だ。

現代も悪いが、昔の権威や知も良いとは言えない。フーコーがそういうことを言う。

民主主義にしない左翼はおかしいだろう。左翼は、きちんと自由と平等を信じるべきだ。

平和で、民主的で、平等な左翼が良い。

税金は、取る取らないではなく、きちんと再分配と生産手段・条件・関係を考えるべきだ。

社会問題は、きちんと解決すべきだ。マルクスは、アイデンティティの哲学者だから、そういうところがきちんと解決出来ると思う。

だが、マルクス主義は良くない。もっと、平和で、穏健な民主主義の左翼が良い。

これで分かるわけがない。何も考えていない。

計画経済を本気でやり出すと、おかしくなる。しない方が良い。

最近の安倍は、北朝鮮と何も変わらない。あまり意味が無いが、批判はすべきでない。

しかし、平和な方が良いと思うが、自由で無いと、何も行使出来ない。

そういうわけで、軍事力は必要なことが多い。右翼は、それだけしか出来ない。

左翼には、色んなことが出来る。福祉国家を作ったあとは、競争を止めて格差を無くし、出来るだけ民主的な制度を作って、環境保護を頑張れば良い。

意識しなくても、それはそこに存在するし、法則を知らなくても、それはそうなる。

社会がどのようにそうなるか、考えていた。

想定し、成り立たせれば分かる。

網の目になっているカーテンと窓の関係を考えれば良い。それは、透明になるだろうか?

そのように、想定から関係を考えれば、色んなことが分かる。

昔は、分かっていた。人間がどうなるか、どう行動するか、関係するかなどから、全部分かっていた。

そういう、分かっているだけを書いていた。何でも全て分かった。

コンピュータやものづくりと思えば分かる。コンパイルしたり、加工したり、変換したりする。そういう、具体的な方法から考えると、色んな行動や人生が分かって来る。

それ以上、社会と行動と認知のことが分かっていた。そういう文章を書いていた。

心と場を想定すれば、人生が分かる。コンピュータなんか、要らない。

人は、生きる上で、環境を知り、知識を知り、ものとシステムを構築し、体験し、信じ、考え、知恵と真実を発見する。そこには手段と方法があり、可能性からシステムを構築することが出来る。

それは、それぞれが関係して、愛と平等と平和の中で、社会を築くことが出来る。

人生は、納得と役割を知ることから、真実と平等の必然性となり、仕組みと本当の理由を知りながら、真実を捉えて、正しさを分析し、人生を実体験で知り、自分で知識と考え方を作って、哲学的な理性と融和に成長し、実感から納得出来る。

昔から、そういうことを言う。全部分かっていた。

そろそろ、もう終わりだ。

あとは、全部実現して、手段を作って、成り立たせていただけだ。

自然を信じること。協力のために何が出来るか、そもそもこの世界では何が出来て、そのために何がどうあるのか、考えること。

それぞれの自己が本当に花開くために、どんなことが出来るのか、考えること。

そのために、マルクスは参考になるようで、ならない。自分で一から考える必要がある。

誰でも、それでヘーゲルのような哲学者になる。

自由をきちんと考えて、いつ何が出来るか、それぞれに何が出来るか、そのためにどのような組織と社会と協力関係を築けるか、何を教え、何を発見し、何を本当に考えられるか、考えることで、哲学は誰でもきちんと出来る。

ものを知り、考え方を知り、手段と本当の理由を知り、考えられるありとあらゆる社会の可能性、成り立ちの可能性を知ること。

自然や社会の科学は、そこから全て生まれる。自分の実感として、良く分かる。

平和と人間性から、皆の言っていることがきちんと理解出来る。思考に先立つ、実地的な経験を積むことが出来る。

あとは、カントのように考えれば良い。

あとは、価値観や環境のようなものを書いていた。

信仰や古代復興、啓蒙や人間主義など、色んなことを考えていた。

そろそろ、全部書いた。あとは、あまり残っていない。

いつもの文章は、クズだ。クズを書いて、皆を操って支配する。悪いだけだ。

僕は、この文章が生きがいだから、今日はこれで良い。

最近は、もう止めたいのに、まだやっている。この文章を書くのをもう止める。

止めると、僕の支配が終わって、この社会が正常な良い世界になる。

僕自身は、楽になって、きちんと分かるようになる。

それで大学をすれば良い。

おかしな戦いや支配は、すぐに止めるべきだ。

神なんか、信じなくて良い。対話なんか、出来ると思うのがおかしい。

自分が好きだ。そろそろ、もうあとわずかで、死ぬかもしれないが、まだ生きたい。

辛かった。本当に、全部地獄のように辛かった。

もう全部治った。

考えて治るのもおかしいが、きちんと考えれば、意味が分かって、治る。

平和と自由が好きだったが、最近自由は嫌いだ。

でも、僕のテーマは、自由だった。皆を自由にして希望を与えるだけではなく、経済システムや条件を考えて、自由な世界を全部作っていた。

制度や影響力を自由にする。そういう、インターネットのような発想が多かった。民主的に自由に制度を決め、影響を与え合う、そういう学校のようなものを考えていた。

自由とは、それぞれが好きなようにすることだ。

平等とは、皆で考えて、皆で決めることだ。

それは、平等の方が良く見えて、自由の方が良い。平等は、何も出来ない。

個人の自由と解放から、選択肢と個人主義と組織や許可の概念が分かっていた。

ニーチェのような、信じない自由、権力の自由は、馬鹿に見えて、賢い。

ニーチェもニーチェで悪い人間に見えて、賢い良い人間だ。

僕は、ニーチェと全く同じだ。そういうわけで、僕の通名は、チェニータだ。

自由が好きだった。僕は、ニーチェと同じように考えて、全ての哲学が分かった。

平和より自由の方が良い時もある。そういう人間は、賢くなる。

弱者なんか、救済する意味が無い。強者のものを分配する、と言う発想がおかしい。

相対的で、神なんか信じなくて良い。もっと自然と相対性を信じた方が分かる。

ニーチェもおかしくはない。そのまま、生の哲学をすると、強く、正しく、宇宙の全てが分かる。ニーチェが一番賢い、詩人の哲学者だ。

そして、キリストは、その後に信じるべきだ。何も分からなくなった、狂った人間を、きちんと治して、きちんと救う。ドイツ人のようになる。

ニーチェとキリスト教は、そういう風に同じだ。矛盾しない。自由と神は同じだ。

生の哲学は、昔自分も良く書いていた。

自由とは、己の生を信じて、情熱的に生きることだ。

自由とは、相対的な可能性の中で、信じて、考え抜くことだ。

そういう、ニーチェのような文章が、一番多かった。

生の哲学どころか、自由や相対性や自然の内容は、ほとんど全てニーチェと同じだ。

自然な諸法則は、経験的な理性から導くことが出来る。

そういう、賢いことを言いたかった。最近、分かっていない。

世界モデルを作ることで、認識の方法や性質が分かっていた。

あとは、認識の諸法則でも考えれば良い。

認識は、愛から感じることが出来る。

認識は、調和と共通性から信じて分かることが出来る。

認識は、自由から平和になり、相対性から自然になる。

認識は、同じと違うから、それぞれの個性を知ることが出来る。

そういう風に考えて、認識を考えていた。色んな違いを考えて、自由な認識が分かった。

自分の名前は、シュバルツといつも名乗っていたが、これはドイツ語で黒いと言う意味だ。意味が無い馬鹿に見えるから、使わない方が良い。

白いと言う名前のヴァイスという言葉も良く使っていた。それは悪くない。

自由を信じるのは、止めた方が良い。自由では、平和にならない。

自由は、こういう風に、馬鹿になる。

自分の自由なんか、無い方が良い。その方が賢い人間になる。

あとは、自由な諸法則を考えたりしていた。

自由では、色んなことを知る中で、色んな発見と観察が出来る。

その上で、人々と関わる中で、自由な体験を全てすることが出来る。

それは、自分の実感から、全ての愛と感情を知ることに繋がる。

そのまま、その愛を信じることで、平和で楽しい世界が分かる。

そういう楽しい世界で、積み重ね、社会を知り、色んな影響力を行使する。

そして、そういうことをする中で、色んな自由の段階と道が分かる。

それは、俯瞰的に世界を見ることに繋がり、数学的な発見をすることが出来る。

とりあえず、そういう風になれば、あとは、コンピュータを使って、色んな体験をする。

競争のようなことから、議論のようなことをして、コンピュータの技術を知る。

罪悪感のようなものから、至高の愛のようなものまで、全ての感情とその成り立ちを知る。

精神の働きを知って、精神現象学が生まれる。そのまま、純粋な理性を批判する。

そういう風にすれば、あとの哲学は、きちんと疑って、積み重ねれば分かる。

構造と関係を知る中から、世界モデルが生まれ、自由な感情によって、道徳律が分かる。

あとは、そこから、全ての科学を作ることが出来る。

自分で発想し、構造を知ることから、あらゆる全ての科学の基礎を考えられる。

そして、発想し、システムや考え方を知り、環境の変化の可能性を知る。

そこから、全ての社会を知って、あらゆる国家モデルを作ることが出来る。

自分の手で社会の全てを創造し、実現することが出来る。

心理学と社会学、物理学とコンピュータ科学が分かってしまえば、あとは全て分かる。

そういう風に、色んな哲学を作って考えていた。

そして、色んな裏の構造と、段階的なものを全て分かっていた。

自由とは、そういうものを表現するための、当たり障りのない言葉だった。

この世界観には、色んな環境の経験が多かった。

啓蒙や古代復興など、全ての考え方があった。

そして、自然のことを考えたり、組織や協力のことを考えたりする中で、マルクスのような、生産手段などの考え方が生まれた。

そして、ヘーゲルの価値観のようなものを分かった。喪失から全てのことを知った。

絶望に至るまでの過程を知ることで、全員の感情と経験を融和した。

そして、全ての認識から、正しい認識と、原因と結果の方法を知った。

良く分からない。もう、覚えていない。いつか、何か、全て分かっていた。

見方を変えることで、あらゆる考え方を知った。

悲しい世界を直視することで、全員の争いや議論を知った。

もう覚えていない。馬鹿みたいな人間だった。

最近でも書けば良い。

戦いから、全てのことをおかしくして、客観視のようなものを作っていた。

馬鹿なことから出発して、最後には全部分かる。そのために、全てを書いていた。

森羅万象の全ての変化から、あらゆる記憶と場の理論を作った。

神を信じて、平和な未来を知った。死ぬのが怖かった。

自由とは、全てを表現するための、茶番のような言葉だった。

森羅万象の全てを、正しい考え方で発想した。

数学とは、表記と法則性を知ることだ。そのようにデカルトのような考え方をしていた。

最近、もう最初から全て作り直した。

歴史と哲学は、分かったように見える。神学と経済学は、全部創っている。

もう忘れて良い。そろそろ、忘れられる。

覚えていないことで、まだ覚えていることを、もう忘れた方が良い。

書いた内容は、ニーチェと同じだ。

分かった内容は、サルトル、マルクス、ハイデガー、ヘーゲルと同じだ。

やったことは、ヴィトゲンシュタインやスピノザと同じだ。

最近、デカルトやヒュームのように分かった内容を、もう一度思い出した。

認識を全部書いていた。

経験から愛を知って、想像力から認知と自由を知った。

そのまま、1つ1つのことを積み重ねて、モデルにした。

そして、構造的に関係を分かっていた。

経験から関係の内容を知って、それぞれの自由を考えていた。

存在の可能性が分かった。

意識の考え方が分かった。

平和と理想が分かった。

システムの考え方を知ることで、世界の法則性が全て分かった。

全ての発想法を作った。

そういうことを言うのは良いが、その時書いているだけで、きちんと覚えていない。

きちんと思い出した方が良い。

最近、認識が全て数値になった。

数値で分かっている。そのうち治ると思うが、ロボットになっている。

分からない。もう一度、最初から考え直した方が良い。

経験から、他者との関係性と、自由な愛を知った。

想像力から、世界の全ての構造を知った。

調べること、読み書きすることが、そのまま競争になった。

そして、世界を全て包括する、オープンソースの解説文章を書いていた。

そういう中で、色んな経験をして、色んなことを知った。

それ以上の何かがあった。それを書きたいだけだ。

経験して、オープンソースをやっていただけだ。

経験の内容は、自由だっただけだ。

それ以上は、想像力と思考力で多角的に分かっていた。

その想像力を考えれば良い。

もう分からなくなった。もう何も分からない。

いつ何がどうなるか、から、全ての何故を考えて、理由と根拠を分かっていた。

役割と制度を知る中で、経験的に全てのことを知った。

調べることから、書くことまで、研究と競争を全てやった。

自由とは、信じることだ、と言うことが分かった。

文章を読み、会話することで、日本語が良く分かった。

記憶の深層から、習慣や自然法則が分かった。

意識をすること、しないことから、自由と意図が分かった。

実地的に社会を知って、経験から感情で分かった。

数値を消した方が良い。ロボットになっている。認識を思い出すのがおかしくなった。

あとは、いじめや抑圧から、教育や自由な場を考えていた。

そろそろ、天使の話が止んだ。天界から去る。

虫が成虫になる。頭を付け加える。

脳は、脳を食べると、虫が成虫になる。

あとは、根拠に乏しいことを言っていた。

自由とは、それぞれが平和に生きられることだ。

宇宙とは、諸法則の原理だ。

そのようなことを言って分かっていた。

虫が成虫になって、天使になる。そのまま、アダムとイヴと、天界の父になる。

天界は、強いことを言う。強いのをもう止めた方が良い。

文章を書いていると、全部分からないだけだ。

全部分からないのが、こういうおかしな虫だ。ドイツ人に多い。

そういうわけで、虫が成虫になるだろう。何かになるから、ありえない。

おかしな女になっているのを、そろそろ殺した方が良い。

女が死んだ。おかしな、アニメチックな女だった。

頭が伸びていく。そのまま、天界が分かる。天界に終わりを告げる。

成虫になるから、ありえない。

諸科学の諸法則のようなものを作っていた。

定理を打ち立てることが多かった。

もう分からない。そろそろ、死ぬように見える。

死んだように見えて、何か天使に変わったように見える。

まだ死なないと思う。

諸科学の諸構造と関係のようなものを作っていた。

天使になると、時間が数になって、言葉が数値になっているのが治る。

天使になると言うよりは、成虫になる、が正しい。

おかしく分からないのが治る。

構造と方法から本質が分かる。

推論することで、当たり前のことから真理が分かる。

パソコンが使えなくなった。クリックしても、出来ない。おかしい。

分からない。もう嫌だ。止めたい。

辛くならなければ良い。そんなに辛くなるのはおかしい。

皆を辛くすると、治る。皆、辛くなれば良い。

腹が治った。それでもう終わりにする。

あとは、自分の出来る範囲で、現実的な発想のようなことをしていた。

ありえない世界を作る。発想を全部網羅していた。

そろそろ、皆、辛くなれ。それで、皆が治る。

青虫みたいにキモイのが、そろそろ死ぬ。