人間がどう行動するか、何故その行動をするかを、場の心理学で分かっていた。
世界観と知性を構造的に捉えて考えた。
失敗しなければ、分からない。
勇気と守る気持ちを持って、必要としなくなれ。欲や執着を無くせ。
そろそろ、もう書かない。辛いから書きたくない。
普通の人間は、常に頑張るだけだ。頑張れば良い。
分析、状態、段階など、昔の分かり方や世界観を全部書いていた。
覚え方、知り方、捉え方など、認識の方法を書いていた。
全人類を融和して分かった。
あらゆる全ての世界を知って分かった。
歴史の全ての状態を知って分かった。
植物は、食べられたい生命だ。動物の糞とともに、種が芽を出す。
完全に消化出来る内臓は作れない。神が許さない。
そうすると、水洗トイレは、神の意に反しているのかもしれない。
意味と方法を良く考えていた。
場所とものは、いつでもそこにある。
人間の分かったことは、自分でも分かる。
正しいものは、いつでも正しい。
感覚と意識と想像力で、植物や動物など、ものを分かっていた。
心、記憶、遺伝子、宇宙、意識などが、全部分かっていた。
全て分かっている。そういう、涅槃の体験が多かった。
理性によってのみ、悟ることが出来る。ブッダは、理性的な人間だと思う。
理性は平等だ。誰でも、良く考えれば、全てきちんと分かるように、最初からなっている。
誰もが平等に、分かる権利を持っている。
自由が、世界を知るようになって、意識が高まり、美は倫理へと実存的段階を高める。
そして、それは世界の全てを愛するようになり、実感で全てを知る。
そのまま、高い立場で世界を見て、世界を変えるようになる。
そして、葛藤の中で戦いとなり、宗教的実存へと段階を高める。
経験や段階で分かっていた。それ以上、色んな経験を、引きこもりながら、していた。
その経験と段階を、主に書いていた。
キルケゴールが、そういう実存性の段階をいつも言っている。
人間関係も、社会も、チャンスと思えば、良く出来る。
時間を良くすれば良い。時間の流れ方がおかしくなった。
昔は、社会性と倫理性が高い、会社員のような引きこもりだった。技術も分かっていた。
人間の成長や人生の段階を、環境や世界観で分かっていた。
カントのように人間を考えていた。心理学のようでもあった。
ものの相対性、関係や作用、実験や方法などを考えていた。
そろそろもう書くことも無くなってきた。そろそろ終わりだ。
あとは、人間と人間の関係とか、自分の行動を相手から見た視点などを考えた。
色んなことを考えていたが、基本的に、関係とモデルを考えるだけだ。
あとは、途方もなく長い時間で分かっていた。繰り返しの経験で分かった。
学校には行かなかったが、その代り、自分で学校のように考えた。
学校の二歩も三歩も先を行く、引きこもりの科学者だった。
古代ギリシャの歴史のように分かっていた。
物理的な考え方で分かっていた。
理性的な考え方で分かっていた。バランスを保つべきだとか、きちんと準備や計画をするとか、今分かっていない、考え方のようなことを、全部吸収していた。
最近、そういうものが分からなくなった。
テレビが怖くなった。テレビが怖くなった理由を、心理学的に考えれば良い。本人が分かっていない、恐怖の原因がある。
そういうものを、認知行動療法のように考えれば治る。心理学はそういうものだ。
恐怖の原因を捉えるために、認識や記憶や学習の経緯を考えれば良い。
認識が、分からないものを分かるのは怖い。要は、本当に分かっていない。明らかに、フランスがフランスになると分からない。そういう風に、認識がおかしくなっている。
自分の昔が遥かに昔で、もう忘れてしまうのが怖いのだと思う。
もっと恐怖の原因を考えると、いくらでもある。世界と敵対したから、世界をきちんと見るのが怖い。自分だけ分からなくなるのが怖い。だが、もっと原因を心理学的に考えた方が良い。それでいつか分かる。
感情が、自分自身が怖くなった。自分が分かっているのに、その自分が分からない。
認識や恐怖の原因、思い込みや執着などを分かると、哲学が出来る。
哲学は心理学だ。認識と経験が分かる人間が出来る。
テレビが単純に馬鹿で、学校に行かずテレビを見るのが終わっているから怖い。
今の日本をきちんと見て、きちんと分かるのが怖い。
そういう発想は、終わる。それが悪いだけだ。
それはどうでも良い。そういう風に、馬鹿に経験を考えるのは、止めた方が良い。
心理学的に考えると、何かが、怖い方が良い理由がある。
そういうわけで、分からなくても、怖いなら怖くて良いと考えれば、すぐに治る。
怖い理由は、学習をおかしくして、記憶がおかしくなったからだ。それが正しい。
昔のことだから、治らない。記憶は、何か体験すれば、そのうち自然に治る。
そういうわけで、心理学的に考えた方が良い。
不思議と、治ったかもしれない。安心出来るようになった。
記憶が全部おかしくなったのが正しい。学習が狂っている。
まだ書きたいのがおかしい。
昔は、Linuxに全部あった。最近は、執筆に全部あった。
そういうわけで、やりたいのはおかしくない。
Linuxで全部して分かった。会社や大学のようなことを全部していた。
皆も、そこをやれば良いと思う。普通に大学で出来るだろう。
記憶と場で分かっていた。それがいつまでもそこにあり、自然に変えることが積み重なることによって、歴史が生まれる。
目的を持って集まることで、場が生まれる。
利用、応用、共有、実現方法、手段、目的、可能性が分かっていた。
創造性と体験、抽象性と比較、感情と実感、などが分かっていた。
方法は、本質の支配と組み合わせだ。
発想は、理解による自由な発見と実現だ。
そういうことを言いたかった。場、理解、発想、方法などを、賢く記憶で分かっていた。
方法や考え方によるものの構築、理解と相対性の関係などを、全部書いていた。
実験と予測が分かっていた。会社や国は、構造的に作っていた。
心の現象学としての心理学や、前提と考え方の社会学を作っていた。
あとは、神を信じて、宣言して、世界を相手に戦っていた。おかしな支配者だった。
そろそろ、もう分からない。もう書きたくない。
哲学の簡単な本を図書館で借りた。哲学的なテーマや考え方が書いてある。読みたい。
ものは、皆で作り、皆で決め、皆に与え、それぞれに良いもの、最適なものを作るべきだ。
ものは、方法と場の考え方から、自由に作ることが出来る。
相対的な発見は、意識と経験の比較と実験から生まれる。
推測し、試し、挑戦することで、世界が広がって人間を分かることが出来る。
そういうことを言っていた。ヘーゲルが言っているようなことを言っていた。
全体を見て、それぞれの関係性、構造、そして見方を考えて、存在を捉えれば分かる。
全ては、認識の方法と本質、そして歴史だ。
昔は、そういう賢い文章を書いている。そろそろ、記憶が治ったせいで、書ける。
治ったとはいうが、さらに怖くなったようにも見える。あまり考えない方が良い。
こういう風に書けば、分かる。あまりしない方が良い。狂う。
あとは、環境、意識、構造、方法、経緯、プロセスのように分かっていた。
そろそろ全部書いた。それくらいしかしていない。
契約や取り決めのようなことや、ふるまいや現象のようなことを言う。
制度は経験だ。そういう、成り立たせるメタ思考が多かった。
昔から、そういう風に狂っている。最近、思い出して作り直すことで、まともになった。
生き物は、個別性と生態系だ。
ものは、相対性とプラットフォームだ。
人間は、環境と組織だ。
あとは、方法、応用、共有、決まりのようなことを言う。
それくらいしか、書いていない。昔はそういう風に、まともに書いていた。
あとは、真理や考え方のようなものを書いた。
自由な人生の中で、何をすれば何が分かるか、どうなるか、のようなことを言う。
そして、コンピュータの技術の歴史が、昔に多かった。
それも歴史と言うことにする。コンピュータ科学の歴史、哲学史、ロシアとドイツ、神の詩文学で歴史が分かった。それくらいの人間が、今の僕だ。
あとは、国会や国籍など、政治や経済のことを書いたり、理性、経験、理解、発想、そして環境や意識のようなことを、全部書いたりしていた。
昔は、これくらいを経験と思考で、理性を疑いながら分かっただけだ。
そういう、思弁哲学だった。ヘーゲルと何も変わらないが、色々と馬鹿だった。
手段は、ものを作る手段だけではなく、国や会社を作る手段や、交流の手段など、考えていた。そういうものを書いているのが多かった。
もっと、言葉を良く考えれば分かる。そういう風に、応用的なことを考えれば良い。
色んな基礎、体験、目的、意識、理由、などを考えれば良い。日本語的に考えれば良い。
これで、もう、僕よりも皆の方が賢くなるだろう。僕も、もう分かった。
基盤、システム、環境、共有などが、それに当たるだろう。それで昔なんか誰でも出来る。
昔は賢くなかった。オープンソースと2ちゃんねるで分かった、おかしな人間だ。そんな人間にならない方が良い。ただ、頭は賢かったのが、今より昔だ。
昔は、色んな応用を考えていた。もの作り、社会参加、システム構築から分かっていた。色んな応用や考え方を網羅する文章をいつも書いていた。今は、もう書けない。そろそろ、もう覚えていない。色んな応用と言えば良いが、社会的かつ心理的な応用が多かった。人生の経緯と段階の応用のようなものもあった。言語や物理も多かった。そういうわけで、色んな応用が分かっていた。
心機一転。新しいファイルを作った。気分を変えるためではなく、前のファイルが大きくなりすぎて、スクロールバーをつまむのが難しくなったからだ。
そろそろ、もう昔は分からなくて良い。もっと、今、出来ることをすれば良い。
難しいことじゃない。出来ることを始めていけば良い。FLOWも言っている。
昔は、Linuxと意識と経験で歴史を分かっただけで、今は、心で世界を支配して、神を信じて、おかしな対話と宣言をするだけだ。
そういう、昔と今は、もう忘れた方が良い。もっと、未来のことを考えれば良い。
希望の鐘が鳴る。世界は、解き放たれて、自由になる。
昔は、それぞれの経験を全員分分かっていた。
最近は、全部書いて、それで昔が分かる。
そういうことを、もうしたくない。真面目にやりたいだけだ。
抽象的に考えると、テレビは映像を映すものだ。
そのように、概念と実現、そして共通意識と認識から、ものを分かっていた。
生命には、分類がある。
コンピュータは、自動でプログラムを実行する。手順を自動化出来る。
映像と言う概念と、写す機械と言う抽象化、それによる説明と定義がある。
色んな可能性と状況と場合を想定して、方法を考えれば分かる。
色んな方法を知って、分析から方法を作り、認識の仕方と経験によって分かる。
想像力で変化を予測すれば良い。そういう風に考えれば、日本語が分かる。
日本語が分からないのはおかしい。狂っている。何も分かっていない。
昔、日本語はきちんと分かっていた。人の話を聞かないのがおかしい。
何もしていないだけだ。
詩を書きたい。僕は、詩人の才能がある。
さあ、生命の息吹を感じて。
苦しみと葛藤から自由になって、自分のことを好きになろう。
自分は賢い。本当にきちんと色んなことが出来る。
皆も自分のことを好きになってほしい。もっと、仏の慈悲を信じてほしい。
自由とは真実。自由とは時間。自由とは変化。自由とは治癒。
そして、本当に好きなことを、永遠に続ければ良い。
疲れたなら、休めば良い。深刻に考えるよりも、もっと夢中で好きなことをすれば良い。
自分の好きなことなんか、自分で決めるだけ。
他人の許可を待っていても、意味が無いだろう。
昔は、抽象的なものと意識の捉え方を全部作って、正しい認識の方法を考えただけだ。
そういうものを、自分の数学と言っていた。
厳密に条件と仮定から、積み重ねて、数学を作っていた。
そろそろ、そういう昔はもう良い。
今からのことを考えれば良い。僕は、自由だ。この世界を、自由に飛び回れば良い。
何かの歴史をやっているのは、宇宙の歴史をやっている。
宇宙を、始まりの概念から、終わりの滅び、黄昏まで、全部作っていた。
時代を作っていた。プレアデス星人の共産主義の革命だった。
政治思想は止めた方が良いし、神もキモイ。共産主義や、存在の自己否定はおかしい。
もっと、色んな本を読んだ方が良い。そろそろ、真面目に大学をしたい。
日本語が分かりたい。それは、宣言すれば良い。
僕は、日本語を分かって、大学を出来るようになって、哲学、歴史、文学をし、卒業する。
それくらいの夢が良い。昔、Linuxを作りたかったのも、OSを作りたい、と言う夢があって、本当にそれで賢くなった。
日本語を分かるためには、頭を賢くして、人の話を聞いて、本を読めば良い。
学校に行った方が良い。英会話教室は結構悪くない。
要は、本当に日本、社会、他人が分かっていない。昔分かったようにすれば良いのに、分からない。でも、出来ない。オープンソース競争をもう一度、したくない。
コンピュータの歴史で分かっていた。インテルからネットスケープまで、色んなことを知った。PCで動くUNIXが賢かったのがLinuxだ。今考えると、どうでも良い。
Linuxを最近入れた。賢くはなっている。
だが、使えるのはUbuntuだけだ。KDEやGNOMEの最新版は、何にも使えない。
フィヒテが言うように、行動こそ我らの生存目的だ。
これから先のこと、今あることや未来のことを分かれば良い。それですぐに賢くなる。
昔の自分を書くだけで分かるのは、おかしい。もう忘れるべきだ。
知識とは何なのか、正しさとは何なのかを考えれば分かる。
手段と協力と知識と代償があれば、作れるのが機械だ。
共有すれば、可能性が高まる。だが、そこには計画と努力、高度な専門技術が必要だ。
自由とは、助け合い、自然に世界を変えることだ。
だが、そういう、知や手段の自由は、もう言わなくて良い。
学問も書かなくて良い。数学や生物学や心理学を書くのが、一番キモイ。
決まりと環境みたいなものを考えれば良い。もうそういうものも、忘れた方が良い。
皆がどういう風に分かっているのか、分かれば良い。
誰でも、大学とテレビとネットで分かる。ただ、誰でも知恵と知識ぐらいある。
そういう風に、皆の分かり方を吸収すると、それが一番昔の僕と同じだ。
皆と別れたのが悪かった。引きこもりになってそこまでおかしくなった。
皆にもう一度会って、さようならぐらい言った方が良かったのを、謝れば良い。
それは、出来ない。恥ずかしいし、悲惨だ。
ただ、最近、夢にそういう夢を見る。昔の学校の友達が何故か全員居る。
ものは、目的や用途、実現方法がある。
実現のための経緯を、プロセスや手段や機械を含めて、全部書いていた。
人生と実現の過程を書く。あらゆる経緯と歴史を書いていた。
全部のものの全部の実現と経緯を書いた。
運命は、自分で作るものだ。運命とは、信じることによって、自分の未来を変え、新しい経緯を生きられるように、そこで変わる瞬間を自分で作ることだ。
信じることから平和が生まれる。
多様になることで、本当の自然な愛と場を共有によって新しく作り出せる。
許すことから自由が生まれる。
そういう、思いやりや愛、受容性や慈悲や人間性のようなことをいつも書いていた。
臆病だったが、勇敢に戦った。
美しさとは、独自の完成された表現と技法を極めることだ。
感動出来るもの、かけがえのない社会、本当の自由で幸福な人生を築け。
生命とは、自由な観測と意識と視点の実現だ。
仏の生きる心が、生命の生命力だ。
そういう、美しさとか、生命とか、色んなことを本質と洞察で分かっていた。
日本とは、それぞれの徳と、利益を考えた上で、相手の利益になるように、自分から謙遜して付き合い、そして、全体の和とそれぞれの個人の損得を調和させる価値観のことだ。
生命は、地球にある、細胞から出来ている構造体で、不思議なものだ。
生命は、循環し、それぞれ助け合い、調和する。
生命を基盤的な機械と言うことは出来るが、それでは分からない。生命は不思議だ。人間は創れない。
それがそうなるなら、どれもそうなるか?
それがそうある時、それならどうなるか?
それがそれになって、どのようになるか?
そういう風に考えれば良い。きちんと対応を考えて、照らし合わせて、論理学や数学のように考えれば、自分で法則を知ることが出来る。
僕は、本を見ると賢い。自分で見てもありえないが、全部分かっている。
それに、泣ける。何故か、号泣出来る。だが、一番馬鹿な時代だ。
最初からやり直せば良い。分かったふりは止めた方が良い。嵐が言っている。
ルターは正しい。教会と聖書を比べて見ると、全く違うものに見える。個人で聖書を信じた方が良い。カトリックとイエスは、逆の理想だ。信仰と神の名の下に罪人の罪を赦したいキリストが聖書で言っているのに、カトリックは人間が常に罪人だと言う。ルターもあまり変わらないが。
皆を見ていると、僕に感謝しているように見える。それで良く見える。僕も、どういたしましてと言う。何故か、勇気や希望や沢山の愛を有難うと言っている人間が多い。
そういうものだ。ドイツは馬鹿だ。
あとは、相対的とか、自然発生とかいつも言っていた。
未来のことを考えれば、すぐに分かる。
自分を信じて頑張ること、出来ると信じることが、実を結ぶ。
だが、それはプログラミングのことを言っている。何も出来なかったはずだ。
何か出来たようには見える。出版が出来た。それなら、それで良いだろう。
夢を信じること。その方が正しい。意味の無いこと、理由の無いことから始まる夢もある。昔は、コンピュータのOSやソフトウェアを開発したいと言う、子供の夢があった。
自分の人生を書きながら、方法や意識や考え方を書いた。
また、宇宙を構造化して、宇宙の全てを書いていた。
そして、国や社会のようなものを作っていた。
制度、環境、人格、記憶、感情、正しい認識などを考えていた。
その時その時構造を作ることから、全部の構造を作った。
足は、もう治る。ただ、記憶が全部おかしくなっているだけだ。
最近は、辛いが、農園に行きたい。毎日農園に行っている。何故か辛いが、結構、車に乗って考えると、何故かすぐに分かるのが自分だ。
辛いのは、治るからだと思う。全部治って分かる。治ると分かるのが人間だ。
ルターまで分かってしまうと、哲学者はもう終わりだ。
そろそろ、物理や数学でもすれば良い。心理学や医学が良いと思う。
教会とイエスが逆だと、イエスの方が悪く見えることもある。教会は悪いが、現在進行形で、世界と信者を救っている。イエスは、昔のユダヤ人だ。賢くないアピールをかつてしていただけだ。弟子なんか、賢く見えない。
教会は悪い。信じないものを処刑し、信じるものを神による存在の無の罪にしている。
良く分からない。エックハルトがおかしいだけだ。存在の自己否定による神との一体化はおかしい。ただ、そういうおかしな人間が本当に居るのがヨーロッパだ。
ドイツなんかしない方が良い。日本の方が良い。白人は賢くない。
何故か、中世以降、ヨーロッパは自分の国ではなく、他の国に悪い。植民地を作って、資源や土地を奪い、そして現地の奴隷を自分のものにして、農園で厳しい強制労働をする。ハイチでは、奴隷が次々に過当労働で死んでいったと言う。一番悪い。
そして、人種差別も悪い。ドイツも悪いが、南アフリカのアパルトヘイトなど、白人のやることは悪すぎるだけだ。何故白人が美しいのか、良く分からない。
日本人が良い。むしろ、日本人が一番かっこよく見える。日本美人が多い。可愛い、という独自の文化を作った。漫画やファッションは、日本が一番多い。
日本は、賢いだろう。科学技術も出来て、アニメと言う文化もあって、そして、昔は強かった。日本が良い。民主主義は本当に良い。
ファシズムの時代、日本は怖かったが、おそらく、本当に強かった。強かったなら、それで良いだろう。戦後なんか、強い日本をそのまま会社と社長にしただけだ。
そろそろ、そういう政治や哲学も書かなくて良い。もっと新しく、良いものを書く。
原因と結果を分かっていた。普通、それくらい誰でも分かる。
そういう、自分の人生と理解をジグソーパズルのようにするのは、もう止めた方が良い。
英語は、ありえない順序で話す。
人間の関係であるI helped my sisterを先に言って、主題であるwith her homeworkを後で言う。意味は、私は妹の宿題を手伝ってやりました、だ。
日本語の方が直感的だ。日本語は、見る順に言う。英語は、関係の順に言う。
そういうわけで、It's a computer running Windows that I use.と言えば良い。分かっていないから、間違っているかもしれない。
英語を理解するのももう良い。あとは、治すのももう良い。もっと新しい発想をした方が良い。凝り固まって、ガチガチの考え方になっている。
何を得て、何を捨てるか。何を元に、何を作り出すか。
そのような考え方を、モデルや関係、積み重ね、人生の経験から全て分かっていた。
殆どそれしかなかった。いつも、そういう考え方を賢く言葉で書いていた。
実体験とネットで考え方を分かった。視野を広げて、正しい発想をすれば分かる。
出来なくなったことを、もう一度出来るようにすれば治る。
認識と覚え方のモデルを作って自分の数学のように分かっていた。
足は、もう治る。記憶を正せば、すぐに治る。
ゲームはしない方が良い。全て無くなるようにおかしい。
だが、もう出来なくなったことは、しない方が良い。英語や哲学やパソコンは、もう出来ない。もう出来なくなった。しない方が良い。