心理学の世界観1(一般)です。心理学2(心の病気)も参照のこと。
自分の書いた「エリカの技術・芸術日記」2021/08/15より。
心理学について言えば、心理学とは二つの領域がある。ひとつは行動、あるいは学習や認知の因果性を考えるものであり、もっといえば「子供はなぜ問題行動を起こすか」のようなことを考える。子供は、自らの「自己」がまだ形成されておらず、「アイデンティティ」を見失っているから問題を起こす。もうひとつは臨床である。
子供の心理について言えるのは、まず、「なぜ子供たちは反抗するか」という心理です。
なぜ、子供たちは反抗するのか、それは、「反抗する以外の方法で社会のことをよくできる選択肢を与えられていないから」です。
通常、人間が考える上で、なにかしらのことがしたいと思った時に、それをする方法や手段となる選択肢があるなら、その選択肢を選ぶことを普通考えます。
ですが、何も選択肢を与えられていない状況で、悪い環境に置かれた時はどうするでしょうか。
その悪い環境について、拒絶感や嫌悪感を抱いた子供たちは、その悪い環境を破壊したいと考えます。
その結果、その破壊の欲求が、「ほかの選択肢は与えられていない」ということ、すなわち、反抗する以外のことは何もできない、ということに繋がって、子供たちは反抗するようになります。
問題は、悪い環境自体を改善することでもありますが、それ以上に解決策として言えるのは、子供たちに「反抗する以外の選択肢」を与えることです。
反抗する以外の方法で、その環境自体を「自分たちで改善することのできる力」のようなものがあれば、悪い環境に置かれても、その悪い環境を自分で改善するための選択をすることができます。
なので、逆説的にはなりますが、「子供たちが反抗するのは、なんの選択肢も与えられていないから」であると言えます。
また、子供たちの心理について言えるのは、学習するためのインセンティブを与えることです。
子供たちが、「もっと勉強がしたい」と思うためには、勉強そのものを行うということに対する「魅力」が必要です。
なんにも面白くない学習内容を、ただ覚えてテストに合格しなさいと言って、勉強しろと強要しても、ほとんどの子供たちは勉強しようとしません。
自分からその科目を勉強したいと思えるような、「インセンティブ」が必要なのです。
これは学校の勉強だけではなく、すべてのことに言えることです。モチベーションがなければ、人は学習もしませんし、労働もしません。いくらソ連の社会主義者が「給与が払われなくても労働せよ」と言っても、誰も労働しないでしょう。
学校の勉強も同じです。そのことを勉強するインセンティブがなければ、子供たちは絶対に努力しません。
そのように、子供たちの心理を考える上では、「反抗する以外の選択肢を与えること」と、「勉強するためのインセンティブを与えること」を、中心に考える必要があるのです。
2023.01.14
哲学を参照のこと。
インターネットや書籍など、外界のものに何かあるように見えて、それらには何もない。
本当の答えは、外界ではなく、自分の内面にある。
能力、行動、認識、経験、記憶など、本当の答えは自分の中にある。外界には、あるように見えて何もない。
人間の脳は、連想から考えるように出来ている。
認識は、それを正しいと思っているから正しい、と言うレベルが一番未熟で、この世界を知っていくうちに、世界の正しさは全て分かるようになる。
だが、それは認識を疑うだけであって、何も正しいことは分からない。
本当に正しいことを知るためには、自分自身の手で意見し、表現していく必要がある。
宣言と表明が世界観を全部創る。
分かってしまえば、人間は正しくないことを言うようになる。なぜか、正しくないこと、すなわち嘘から、連想して分かるようになる。
そこでは、もはや認識の正しさや根拠は必要ない。心は全て分かっている。それが、最後の人間の境地だ。
昔の僕は、自然にこの社会の人々と関わりながら、執着心を無くし、本当の楽しさと自分の考えている認識の意味を知って、マスターとなっていく心理学を作っていました。
自然な環境での気付きから出立し、人々との関わり合いを持ち、世界の中での自分の立ち位置を確立し、また人々に対する手助けから、社会的実践をしていました。
同時に、人々との環境を知り、環境の変化の可能性を知り、この世界で心と環境がどのようになっていくかを知り、環境の適応を知ることで、発想と世界の創造性の形成の経験をしていました。
結果、僕は全てのことが実現出来るようになり、意識と感情から自由自在に世界のことが分かるようになりました。
また、ある意味で仙人のような、絶対的心理学を全て分かった人間になりました。そこでは、全員は同じで、愛されることを望まなくても、分かった人間が見守りながら導くことで、「救われることを望んでいなくても、確かに気付くことで救われていく社会」という、ある種の自由な理想社会と愛の形を知りました。
そして、僕は世界と向き合い、時に戦い、精神分析をしながら、学習と経験と適応による、「宇宙の意識」を知ったのでした。
心理学的な段階としては、「目的の段階」でした。愛を目的とする段階、善を目的とする段階、可能性を目的とする段階、経験を目的とする段階、創造性を目的とする段階、自分自身のことを知ることを目的とする段階、最後に自ら愛することを目的とする段階があると気付きました。
僕は、心理学には4つの分類があると思う。それは、
1.「行動と意識と学習」の心理学。人々が何を経験し、何を学習し、何を信じ、何に気付き、何を意識するか。同時に、学習と自然な行動の促進から、人々をどのように変えられるか。
2.「興味と関心と成長」の心理学。人々が人生の成長の中で何を見いだし、何に興味を持ち、そして何を知りたいと望み、何を振り返り、どんな意味が世界にあるのかを知り、そこから自分が何を志し、何を志向していくか。
3.「哲学と精神」の心理学。精神が人々の中でどう「在る」か、どう「意識するか」、「現象」とは何か。そこから、喪失と慈愛を経験することで、世界の精神を辿って、何から何が生まれるか、何が何の形而上学的な根拠と原因か、ということを「辿る」ことで分かる。
4.「精神の治癒」の心理学。自分が何を何だと思っているか、どんなことが何の認識と記憶に立脚し、自分は今のところ何を分かっていて、何を捉えていて、何が分かっていないのか。そうした、精神を治すためには、「考える」ことが必要になる。そこでは、真実を知ることも大切だが、「考え得られることを何でも分かりつくす」ということが必要になってくる。
人間が自分を変えるために必要なのは、行動や事実を変えることよりも、自分の中の捉え方を変えることである。
思い通りに生きられないと感じている人間は、間違った行動を間違っていると決めつけて、行動や事実を変えようとする。だが、それでは束縛が生まれ、制限が生まれるばかりで、何も変わらない。
自分を自分で縛っていくうちに、そこから脱出したいと感じるようになる。そして、また同じことを繰り返す。
これを治すためには、行動や事実を変えるのではなく、それに対する捉え方を変えていくことだ。
自分の心の中で、「これはこのままでいいから、やることにしよう。でも、今までと同じやり方ではない方法を試してみよう」と捉え方を変えた瞬間に、自分は変わる。制限ではなく可能性が生まれ、自分の自由に生きられるようになる。
だから、自分を変えたい人間は、自分の側にある捉え方を変えるしかない。それが唯一の自分を変える術なのである。
また、精神を減らして正すよりも、精神を増やす方が良いこともある。精神を殺しすぎると、カメレオンのような何も感じず行動しない人間になる。人はそれを狂人と言う。本当に精神を治したいのであれば、自分が変わるようになった上で、たくさんの精神を作り、精神を増やして、自由自在に精神と遊び、精神と戯れ、精神とともに生きること。そうなった時に、人間は人間を超える。仏のような最高の存在になる。
後日注記:制限ではなく可能性が生まれる、というのがポイントである。制限を増やし続けても、病気は治らない。可能性を増やしていけば、心の病気は治る。
心を解明せよ。心は、裏側をモデルにすることで解明できる。
いつどのようにふるまい、どのような様相を見せるかを、因果性と世界モデル(その人はその人の中では正しいことをしているというモデル)を作って、全てを説明せよ。
環境において人々がどうするのかを知り、全てを支配し、全てを促し、全てを導き、全てを解明せよ。
心理モデルから心のふるまいを解明すること、それこそ「真理」である。
2018-03-20、2018-05-26、2018-09-27、2019-04-20、2019-05-20に関連する内容があります。
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