病院の世界観です。
僕は足を骨折して大病院に長期入院していた経験がありますが、そこで言えるのは、看護婦はとてもハードワークで体力勝負の悲惨な職業です。
まず、看護婦は汚れることが多いです。トイレに行くのを手伝ったり、おむつを交換する必要もあります。ベッドから離れられない僕のような患者には、チューブで尿を取るか、あるいは尿器で尿を取ります。女性の看護婦が多いため、男性のおむつ替えや尿を取るのには抵抗もあります。良くやってくれたと思います。
おむつ替えは本当に大変な仕事で、匂いと汚れが付きまといます。
他には注射や点滴、お風呂にいれたり体拭きをしなければなりません。感染症にも注意する必要があります。
食事を与える必要もありますが、意外と食事は美味しかったです。健康的な食事だったため、美味しく感じたのかもしれません。
一番辛いのは、夜勤の仕事ではないかと思います。患者が寝ている間も、看護婦は仕事をしなければいけません。
また、患者には病院で苦しむのを嫌がる患者もいて、病院が嫌いという患者が多いため、そうした人々とやり取りをしなければなりません。
そして、一つ言えるのは、死ぬ患者が多いということです。看護婦は死も看取らなければいけません。
僕がけがをした時は、まずベッドに足を固定し、手術をし、歩けない中でまずはおむつやチューブで用を足します。少し良くなってきたら、おむつから尿器に変わり、そのうち車いすでトイレにも行けるようになりますが、そこまではベッドから動くこともできず、外の様子も分からないため、自分は「今自分がどこに居るのか分からない」という状況に陥りました。
そのうち、車いすが歩行器になって、少し活動の範囲が広がると、僕は両親や姉に車いすでさまざまなところに散歩に連れて行ってもらいました。
また、関節に負担がかからないように僕は装具をいつもつけていましたが、この装具を付けた状態で歩く訓練をしました。
病院から退院してからも、装具をつけることは続き、リハビリで歩行訓練を何か月もしました。その結果、今では、足の関節が曲がりにくいという障害はありますが、何とか自分の足で歩けています。本当に、病院のさまざまな方に感謝しなければなりません。
最初のころは、死ぬか生きるか分からない瀬戸際の体験をしたように思いますが、それから先は忍耐でした。その忍耐の中で安らぎを与えてくれたのは音楽です。ベートーヴェンやホルストの音楽を聴いて、僕は楽に病院生活を送りました。今でも僕は音楽が好きです。また、後悔はありませんでした。人生の全てを体験した僕にとって、死は最後のピリオドであり、死ぬのであれば安らかに死にたかったのです。それでも、僕は生きるということに喜びを今、感じています。
病院に入院している途中、ちょうど僕は詩集を書いていました。その詩集が、僕の出版した最初の詩集です。病院から退院してから、詩集の出版のやり取りを出版社の方と一緒に行いました。多くの人が僕を助けてくれたのだと、今感じています。
現在、日本では医者が不足しています。医者は診察から手術までハードワークをこなし、その労働量は半端ないものがあります。
それは、現代社会では、「誰もが医者にかかる時代」になったからです。
誰もが、何かしらの問題と病気やけがをかかえています。単純に病気になるだけではなく、精神病や社会的なひきこもりなど、その問題は幅広いものがありますが、本当に「誰もが医者にかかる」ようになったことで、医者に多くの負担がかかっているのです。
これは、教育にも言えることで、教師にはとても多くの仕事があり、とても大変なハードワークをされています。
僕は親が教師だったこともあり、持ち帰り残業をする辛さと苦しみは良く分かっています。彼らを救うために何ができるのか、考えなければいけません。
医者の不足は、病院の診療の待ち時間が長くなる、などに反映されており、僕も足の骨折で整形外科に通う時は、診察に何時間も待たされます。
また、無給医のような問題も考えなければいけません。無給医は大学病院などで見られる給与の支払えない医師のことで、オープンソースなどとも似ていますが、きちんと給与が払える場合であれば、払った方が良いと僕は思います。
医学について言えることは、医者になるほど医学を勉強するのはとても難しいということです。
解剖生理学として、人体の体の仕組みを知っただけでは、まったく十分ではありません。
病気の症状と治療法について、ウイルスや細菌について、薬やワクチンについて、解剖や手術の方法について、健康を保つための栄養素と食事についてなど、さまざまなことを学ばなければいけません。
また、病院の医者がやっていることはとても多いです。日々の診療をするだけではなく、入院患者の面倒も見なければいけませんし、手術もしなければなりません。場合によっては訪問で診療をするために患者の家に出向くこともあります。
ほかにも、さまざまな知識と経験が必要であり、さまざまな仕事がさらにあります。自分の研究する病気の研究をしたり、治療法の開発をしたり、論文を読んで最先端の知識にアップデートすることも必要です。できる言語は日本語だけではなく、英語やドイツ語も必要です。カルテをドイツ語で書いたり、英語の論文を読み書きする必要があるからです。
病院の経営をするためには、経営の知識も必要です。院長であれば、医師や看護師にきちんとした給与を与えなければいけません。
そのように、医者になるほど医学を勉強するというのはとても難しいことです。
ですが、そこまで医学を勉強しなくても、自分のできる範囲で、体の仕組みや病気になる原理を知る、ということはためになります。自分の体がなんなのかを知りたくない人間はいません。人間は誰もが自分の体が資本であり、健康でいるうちしか自由なことはできません。体の仕組みを知り、健康を保つ方法を知ることは、とてもよいことだと僕は思います。
2023.08.21
僕は、延命治療はやめたほうがいいと思います。
その理由は、最初だけ延命治療をやる決断をしても、いったん始めて途中でやめれば殺人罪になってしまうため、いつまでも死に近い状態で生き続けることになるからです。
医者は、「延命治療をしてください」と言われればやります。仕事なので、やらなければなりません。
たとえば、胃ろうと呼ばれる延命治療があります。これは食べ物を受け付けなくなった患者が、胃に穴をあけて流動食をその中に直接流し込むという延命治療です。
これは、患者にも負担が大きくかかる上に、それによって治るわけではありません。純粋に延命を行う治療です。
重要なのは、「延命治療をしてください」と医者に言ったなら、それはするでしょう。ですが、いったん延命治療を始めて、どこかで終わらせることができなくなってしまうのです。
もし、酸素の供給を受けていた患者に対して、医者が酸素の供給をやめれば、殺人罪に問われます。死ぬことが分かっていて殺したのですから、殺人罪になってしまいます。
そのため、一年も二年も三年も、死に近い、生物としては生きているだけの状態で、延命治療が終わることなく続いてしまうのです。
僕は、延命治療はやめたほうがいいと思います。その時患者がどのくらいの状態で生き続けることになるのかは分からないので、絶対にとは言いませんが、延命治療にはいいことはないと思います。
(医療に詳しい父親の話を参考にしています。)
福祉も参照のこと。
ドイツの医療も参照のこと。
COVID-19を参照のこと。
保険については保険・年金も参照のこと。