心理学の世界観2(心の病気)です。心理学1(一般)も参照のこと。
心の病気は、恐怖との戦いである。
恐怖に打ち勝てば病気は終わる。そして、恐怖に対して、立ち向かい、病気が終わるまで恐怖と戦い続けなければならない。
だが、恐怖以外には敵は居ない。そして、恐怖は命までは奪わない。
恐怖が怖くない人間は居ない。だが、恐怖を乗り越えた先には、自分が待ち望むほど欲しかった楽がある。
その楽を取るために、今は死に物狂いで恐怖と戦う。それが精神病患者の「最後に残された宿題」である。
実際、何から何まできちんとするような精神疾患を持ってしまう人間は、何もしないよりも、リスクに備えてきちんと事前に対処しろ、と学校や親に教育されて大人になったため、そのメリットだけを見て、コストを見ていません。
きちんと事前に対処するということは、何もしないよりも多くの利益をもたらします。ほとんどの場合、何もしなかった場合よりも、きちんと何かすべきことをしたほうが、よい結果が生まれます。
ですが、何かをしておくということは、多くのメリットだけではなく、多くのコストをもたらします。
学校の勉強などで、試験勉強をしてよい点数を取ることは、確かにメリットだけを見れば「賢い」と言えるかもしれません。ですが、そのために事前に教科書を丸暗記し、どんな問題がでても答えられるようになるという「コスト」はとても高くつきます。
そうした、社会における「何かをしなさい」という決めつけを信じていると、何かをするというメリットだけを見て、コストを度外視した努力をするようになってしまいます。
メリットがほとんど変わらないにもかかわらず、最大限のコストをかけることは、もはや「賢者」とは言えません。そのような人間は愚者です。学校や親の教育、そして社会における「リスクに対処せよ」という圧力が、そうした「精神病患者」を多く作り出しています。これは「愚劣な社会」と言えます。
心の病気を治す方法の中で、一番の治療法は「鈍感になること」です。
さまざまなことに過剰に反応するようにしていると、過敏症すなわちアレルギー状態になって、心や精神まで過剰にそのことに反応するようになってしまいます。
必要なのは、「感じないこと」であり、「鈍感になること」です。
これは、認知行動療法についても言えることです。常に辛い状態だからといって、辛い状態だけを感じ続けるのではなく、たまに楽しいことや好きなことをしたりして、「辛いことを考えなくてもいい時間を作る」だけでも精神は楽になります。
辛く苦しいことをいつも常に感じていると、頭と心がおかしくなってしまい、認知症や多重人格症にすらなってしまいます。
辛く苦しいことがもし治らなくても、それを今この時は感じなくていい、とするように、「辛いことを感じない努力」をすることで、人は鈍感さを得ることができます。この鈍感さこそ、もっとも効果的な治療薬だと思います。
2023.04.05
精神の病気により、行動に異常が出ている人間に対して、その異常だけを治そうとするのは誤りです。
なぜなら、異常を引き起こしているもっと別の根本的な問題があって、その問題のために異常が起きているからです。
精神の病を患う患者は、自分の異常について、自分自身がその異常がなんであるかを自分で自覚するために、精神の異常から行動の異常を作り出します。
この外部に現れている行動の異常だけを治しても、決して病気は治りません。
逆に、異常を合理的に治そうとすればするほど、別の異常が出たり異常そのものが酷くなったりして、病気はさらに酷くなるのです。
そして、本当の問題は、「根本的な問題がなんであるか、当人も分からないことがある」ということです。
自らの精神の異常を引き起こしている、本当の根本的な問題がなんであるかということを、当人も知らないのです。
なので、まずは、当人が正気になるように導いてやり、当人がその問題の根本的な原因を自分で気付くようにしてやる必要があります。
どれだけ精神病の患者が悲惨な異常行動を繰り返したとしても、その異常行動を治すだけでは異常は治らないのです。
2023.07.17
精神病は、周りが正しい「治し方」を提示し、そのために努力することを強要するだけでは治りません。
なぜなら、治すための「プロセス」を踏んでいく必要があるからです。
物理学者が考えるように、正しい理想の治るための方法と条件だけを考えて、周りがそれをするように迫ったところで、患者にとって簡単にそれはできません。
必要なのは、治るための流れとしてのプロセスを考え、そのプロセスを踏んでいくために、ひとつひとつの問題と葛藤を解決していき、患者が本当に治ることができるように導いてやることなのです。
目標を与えて「努力しろ」と言うだけでは、人間は努力できません。「努力できるように二人三脚で歩む」ということが必要なのです。
2023.07.19
はっきり言って、きちんとやる必要なんかありません。
精神病患者が分かっていないのは、あまりにすべてのことを「きちんとやる」ことを目指しているからです。
実際は、人生で頑張るべき最低限のことだけを頑張ればいいのであり、学校が教えるように「できることは最大限努力しなさい」と教えること自体が悪なのです。
学校では、「ほかの子供よりも優秀な成績を納めること」を教えるため、ほかの生徒よりもより努力することを教えますが、そのような「競争意識」こそが、狂いを生み出しているのです。
みんなより頑張って、秀才になる必要などありません。人生では、最低限のことだけを頑張ればいいのであり、無意味な「試験勉強」などを努力する必要はありません。
2023.08.05
僕が知っていることとして「学習は消すことはできないが上書きすることはできる」ということが言えます。
人間は、一度学習したことは忘れません。どんなに忘れたつもりであっても、一度学習して覚えたことはすべて覚えています。
そのため、一度おかしくて狂った学習をすると、その学習を取り外すことができなくなります。
ですが、言えることは、「学習は消すことはできないが上書きすることはできる」ということです。
すなわち、学習の上にさらに学習をし、まともな学習で狂った学習を上書きする、ということはできるのです。
そして、これこそが、狂った人間が治るための「正しい治し方」です。
ですから、学習的に自分の理性がおかしくなった時は、学習を消そうとせず、上書きするようにしなければならないのです。
2023.08.05
詳しくは2023-08-06の日記を見てもらうとして、ここで精神の治し方についておさらいしておく。
まず、昔の僕は、判断力があっただけにすぎない。
判断する前提となるものについて考え、経験から判断力を培うことで、僕は「理由」や「目的」や「可能性」を分かっていた。
しかしながら、それが、ある日を境に自分に牙をむくようになった。
すなわち、「逃げることのできない戦い」が訪れたことによって、僕は限界まで判断力を使い、神を信じながら戦いの最前線で判断をし続けた。
その結果、誰よりも判断力が高くなった。
そのように、判断力を高めすぎることは、狂いを生み出す。
だが、判断をまったくしないのも悪い。判断力がまったくなくなると、何もできない無能のまま、時間だけが過ぎ、長い時間を何もせずに無駄に過ごしてしまう。
必要なのは、判断力の限界値を下げ、普通の人間並みの判断力にすることだ。
普通の人間並みに判断力を下げることで、楽に生きられるようになる。その状態が正常な状態だ。
そして、僕が分かっていないのは、「成長」である。
成長することによって、普通、子供は大人の分かることを少しずつ分かっていろんなことを知る。
そして、成長とは学習である。学習することが、成長へと繋がる。
だが、僕は学習することを恐れるあまり、成長することがなくなっている。
なぜ、学習することを恐れるのか。それは、正しい学習をすると、間違った学習が消え去ってしまうからだ。
僕の場合、間違った学習しかしていないために、新しく学習して間違った学習を消すと何も分からなくなってしまうのだ。
そして、認識が気持ちの悪い虫に関連付けられているのも、環境に適応できなくなっているのも、すべて、学習すれば治る。
認識が虫になっているのは、すべて、「もっとも気持ちの悪いもの」に認識が関連付けられているからであり、それを治すために必要なのは「外界を学習すること」だ。
同時に、環境に適応するということは、外部の環境の変化を学習するということだ。
すなわち、環境の変化と外部の世界を学習することで、認識の関連付けも、環境に適応できないのもすべて治る。
そして、それらを治してしまえば、僕はみんなと繋がり、日本語も分かるようになるし、みんなに自分の存在を見つけてもらえるようになる。
ここまでで、僕の精神はすべて治った。
そもそも、僕の精神は、僕が精神の可能性をすべて考えて、成立させ、どのようにすれば精神はどうなるかということから、「心を解明」することで、完全に異常をすべて治すことを目標としていた。
僕は、精神を治すために、あらゆる可能性をすべて成立させて考えるという、まるでスーパーコンピュータが物理のシミュレーションをするようなことをした。
そして、これでもう、精神はすべて楽になった。
今から、僕は最後にこの世界を治す。この世界のすべては、正常でまともな世界になる。
2023.08.06
精神病に悩んでいる人間は、完璧主義者の人が多いです。
特に、「1%の可能性であっても、そのリスクがあるならばそれを全部対処する」という考え方をしている人が多いです。
ですが、1%しか可能性がないことであれば、無視して構いません。
1%の可能性を常に考え続け、完璧に対処しようとしたところで、日々起きる毎日のイベントが変えられるわけではなく、必ずなんらかの想定外のイベントが起きて、その度に発狂することを繰り返してしまいます。
1%の可能性などを考えたところで、すべての生活の起きる現象をコントロールできるわけがないのだから、意味がないのです。
1%の可能性など、考えなくて構いません。精神病に悩んでいる人は、ほとんどはまともな人間なのに、そのような「1%の可能性にも対処する」ということが間違っている人が非常に多いと思います。
2023.08.14
心の病気を治す方法として、僕は「経験心理学」という独自の心理学を作りました。2024-02-26の日記を参照してください。
狂った人間の大きな特徴は、「実際には何も起きていないにも関わらず、自分の思い込みだけで、実際に起きている・起きると思い込む」ことです。
現実を見ずに妄想を見ているから、この世界のことが分からなくなるのです。
また、そうした人々の特徴は、「それをとても大変なことだと思い込んでいて、解決しなければならないのに解決できないという強迫観念を信じていること」です。
こうした人々は、現実の多くの人は優しいのだ、ということを忘れています。特に、「とても悪いことをしてしまった」と自己反省しやすい人が、こうした症状を発症しやすいのです。
また、さらに大きな問題が、「本来の自分に戻れない」人々です。
学校でのいじめやパワハラなどによって、本来の明るかった自分を失い、暗く自己否定的な人生を生きた人は、こうした「本来の自分を失う」人になりやすいです。
こうした人々は、インターネットなどで仮想人格を作り出し、自分のコントロールできるよりも仮想人格の比重が強くなって、そこから精神異常を発症します。
また、こうした人は、多くの場合、トラウマを自分で作り出します。
特に、インターネットなどでおかしな戦いをし、過剰なストレスを感じ、世界に対して何もできなくなった絶望感を大きく感じてしまった人が、精神病になりやすいです。
自分も、インターネットのLinux関連コミュニティでこうした経験をしました。
また、こうした人々の特徴として、「愛のある健全なセックスをしていない」ということがあります。
フロイトの言うように、健全に体と心が発育するためには、セックスも必要です。
こうした人々は、どのようにすれば治るのか。
フロイトの精神分析では、こうした狂った人々は、何かしらの心的外傷(トラウマ)を持っていて、それを無意識の中に抑圧しています。この無意識の抑圧が精神疾患を引き起こします。
無意識にたまっている何かしらのトラウマを一度顕在意識のうちに蘇らせて、トラウマを作った時の自分ではなく、今の自分としてトラウマの原因を認めることで、こうした人間は治ります。
フロイトと精神分析を参照のこと。
ユング心理学を参照のこと。
アドラー心理学を参照のこと。
以下の書籍が参考になります。
父の勧めで、以下の本を少し読んで、分かったことがある。
分かったことというのは、僕は完全に強迫性障害であるということ。
この本は、そもそも汚れたものを触れなくなっている今の僕の母親の治療のために、父親が読んでいた本であるが、読むと、まったく僕自身に当てはまることが分かった。
僕は、いわば「ホームページの執筆の不完全恐怖の強迫性障害」というべきものであり、自分のホームページの執筆のために、少しでも書こうとした文章を完璧に書き残そうとして、それ以外のすべてが頭に入らなくなっている。
要するに、僕がこのホームページを書かなければ、絶対にいけないような何らかの強迫観念のために、僕はどんなにそれがおかしなことであっても、完璧に遂行しようとしている。
そして、そのことが、これらの本を読むと、完璧に自分にとって当てはまっている。すなわち、母の病気は完全に僕が同じ病気であるせいだということが分かった。
今から、この病気を自分で治したい。そして、分かった今の僕なら治せるということが分かった。きちんと僕自身の問題が分かる、素晴らしい本だった。僕に、ともに母親の病気を治そうとしてこの二冊の本を勧めてくれた父に感謝する。この本は母のためだけではなく、自分自身のために必要な本だった。
教養のトリセツ 心理学を読んで分かったのは、この本に出てくる心の病気が、あまりに自分に当てはまるということです。
たとえば、不安障害(ストレスによって引き起こされる恐怖症やパニック)、心身症(ストレスから体に不調が出る。本人にストレスを感じているという自覚がない場合もある)、パーソナリティ障害(変わった信念や習慣を持つなど、性格的な問題から対人関係に不都合が出る)などは、まだいいほうであり、統合失調症、うつ病、PTSD、ADHD、LD(学習障害)、自閉性障害、アスペルガー症候群などは、全部自分のことを明確に記述しています。
また、不登校、引きこもり、いじめ、性に関する障害など、まさに自分のことであると言うしかありません。
だからといってなんだという話でもありますが、自分は完全にそれらすべての病気を包括した、「みんなのおかしな点を全部集めた強迫性障害」であると言えると思います。
あえてひとつに絞るのであれば、極めて恐ろしい恐怖を何年にも渡って経験したPTSDによる多数の心の病気の集合体であると言えるでしょう。
認知行動療法は、認知を変えるために行動に働きかける心理療法のこと。
認知行動療法では、ある意味「辛くても好きなことをやっていれば楽」といったところがある。たとえば、自分の好きな書道の趣味があったとして、辛くても好きな書道をやり、気持ちをネガティブなものからポジティブなものへと変えていく。そうすることで、認知行動の改善から心の病気が治っていく。
心の病気を患う患者は、自らの問題について、自分の力で考えて解決することができません。
このような時、カウンセラーは、患者の話を聞いて、問題を共有し、患者の代わりに考えてあげることで、症状の緩和や問題の解決をはかります。
自分は、昔、おかしな歩き回る恐怖の精神疾患を患っていた時に、認知行動療法のカウンセリングを受けたことがあります。
そこでは、まず「鬱病のチェックポイント」というものを毎回書きます。今、自分がどれくらい鬱なのかをチェックします。
そして、「認知療法的な課題と解決への道」を書きます。認知行動療法とは、自分の考え方や病気を治すだけではなく、目標を作ってそれを達成することで、病気を少しずつポジティブな方向に向けていく、というカウンセリングの手法です。
本当のことを言うと、カウンセリングでは僕は治りませんでした。その後に、事故で入院した後、精神科の病院に通院に行くようになって、薬を服用するようになりました。
僕が思うに、精神科の薬は飲んだ方が良いです。
僕は今、二種類の薬を飲んでいます。以前は三種類でした。この薬を飲むことで、「やる気」がでると同時に、「少しのリミットの制限」が脳にかかります。これによって、僕は少しずつ、精神病が治っています。
さまざまな精神と心の病気の治し方があり、フロイトの精神分析と認知行動療法がその主な内容ですが、「薬を飲む」ということは、悪い方法ではありません。精神がおかしくなった時は、精神科に行って薬を出してもらいましょう。
僕自身も精神病の患者であり、僕の行っている作業所にも精神障害者の方が多いこともあって僕の周りにもたくさんの精神病の患者が居ますが、必要なのはただひとつ、「一緒に居てあげること」です。
願いを聞く必要も、頼まれたことを助ける必要も、あると言っても、無いと言っても、嘘になります。ですが、真実は一緒に居てあげること、それだけです。
どんなに苦しいことがあっても耐えられるような、そんな隣人になれることができたら、イエス・キリストの言う「無償の隣人愛」がそこにあるでしょう。
泣いている人が居ても、理由を聞く意味はありません。生きるというのは複雑で、そんなに簡単には分かりあえないからです。ただ一緒に居てあげることだけで正しいのです。これは乃木坂46が言っていた言葉です。
精神のおかしな異常は、恐怖と哀しみから生まれている。よって、恐怖と哀しみを克服することができれば楽になる。
恐怖と哀しみを克服するためには、同じ恐怖や同じ哀しみを何度も体験し、ひとつひとつ認めながら「もう怖くない」と信じて治していくこと。
僕が思うに、ネットのせいでパーソナリティ障害になってしまう、ということはあります。
ネットを見ていると、自然におかしな性格や人格になってしまう、というのは確かにあるのです。
パーソナリティ障害を治すためには、ネットの掲示板などを見ないこと。それしかありません。
一度ネットでパーソナリティ障害になると、どんな精神異常も異常行為も治らなくなります。ネットを見ないでいれば、必ず治ります。
僕が思うに、心の病気は全て、自分自身を許せないことから生まれる。
他人を許してあげることで、自分を許してもらうことが出来る。絶対的愛の真実とは、そういうことだと思う。
たとえば、僕は「自分が世界を滅ぼしたこと」に対する自分自身への許せない気持ちがある。
それが、テレビへの恐怖になる。
経緯を見ていると、自分が滅ぼしたように見えて、ほとんどすべてはテレビが滅ぼしている。
そのせいで、テレビを見ると恐怖を感じるようになる。
心の病気は「自分自身を許せないこと」から生まれる。なぜ許せないのかを考えることで、心の病気は治る。
精神病の原因は、「全てを知った知性の無い人間」になることであって、そのために、何をしても知性が高まらない人間が多い。
本当は、その原因は、「可能性」がないことにある。
人間は、知識を得る過程の中で、可能性をどんどん失って知性を作っている。だが、その知性が最後まで達すると、未知がなくなってしまい、もし狂って馬鹿になった時に、知性が復活できなくなる。
それは、人間の持つ意味が「知性」であると誤解していることに起因している。
本当は、人間の持つ意味は知性ではない。人間の持つ意味は、今のこの世界が変えられる、という意味での「可能性」なのだ。
だから、知性を一つずつ、可能性に戻していきなさい。そのことによって、人生と世界に意味が生まれる。今の自分を変えていけるようになる。そのために必要なのは、知性を可能性に戻すことだ。
精神病の原因は全て、知性を高めすぎて知識を得て、最終的に全ての知識を知って知性が消えることに起因する。だが、それは本当は正常な人生のプロセスであって、普通、治らない。
だが、知識を全て可能性に戻すことで、逆に、「未知の可能性」を知ることができる。知を知るのではなく、未知を知ることができる。ソクラテスの無知の知のような命題だが、それが正しい精神病の治し方である。
知を知るのではなく、未知を知りなさい。そこに答えの扉はきっとあるだろう。
昔の僕は、未知を捉える方法を知だと誤解していた。おかしな人間は、そういう人間が多い。経験から未知を捉えることを知だと考え、その経験的な説明を科学的手法だと考えていた。それも悪くは無いが、それはある意味、知性と知識を混同している。知識は必要ないし、知性も必要ない。必要なのは、可能性、それだけだ。
ネットで社会経験を積み、知性を捉えること。だが、それは本当は可能性の限界を少なくしているだけだ。本当に精神のことを治したいなら、可能性の限界を大きくしなければならない。それは、キリスト教の神を信じれば救われるだろう。
本当は、馬鹿が賢いこともある。実験を一切しなくても、考えるだけで分かる人間は多い。だが、試すことを恐れないこと。特に、行動はしなくて良い。執筆の中で色んなことをするように、実験のようなことも、自分の活動の中ですれば良い。
認知症、知的障害、統合失調症のような、頭が狂って馬鹿になる症状は、僕は「人格がおかしいこと」に起因していると思う。
一度人格が崩壊すると、辛い学習が治らなくなる。あらゆる全ての学習をしながら、完全なロボットの機械的な脳になって、神のような存在に思考を抜き取られるようになる。
それを治すためには、一度、人格をまた破壊するしかない。だが、それをすると、同じになってしまう。
解決策は、ある。それは、「人格を少しだけ破壊すること」だ。
人格を少しだけ破壊することで、辛い部分だけが無くなる。それによって、人格は正常になる。
特に、僕の場合、機械的に動く部分が悪いように見えて、それは本当は悪くない。本当は、自分の手で精神をしっかり掴んで離さない部分が悪い。
精神を掴んでコントロールする部分を殺すだけで、大分楽になる。それによって、きっと精神病も知的障害も認知症も、何でも治ると思う。
精神がおかしくなっているのは、精神を良く考えて残し、良く考えて消すようにすれば治る。
単純に、全ての精神を消しても、精神は消えない。もっと精神の残し方、消し方を、複雑化すれば、すぐに正常な精神になる。
僕は、精神病というのは、「これが私であると言えるようなあなたになること」で治ると思う。
精神病の患者というのは、自分がこのような自分である、ということを拒んでいる、あるいは逃げている人間が多い。自信を持って自分がこうである、と言えない。もっと昔、賢かったころの自分のことを自分だと思っていて、今の自分を受け入れられない。だから、人格の統合が出来なくなっている。
誰もが、自分から逃げ出すことはできない。「自分のなりたい自分」を明確に考え、「これが私である」と言えるようになれば、精神病は治る。
人間は、一度努力のカタチが出来てしまうと、なかなか変わらない。もう、そのやり方でしか出来ないようになってしまっている。
だから、今まで頑張ってきたことをやめて、別のことを頑張ろうとすると、何も出来なくなって狂うようになる。それが、精神病や神経の病気を生み出す。
本当は、その人の頑張っていることを別の形で出せるようになれば良い。それを悪い方向に向けるのではなく、良い方向に向けることで、精神病は治る。
ただ、ある意味、精神の問題だけでは治らないこともある。僕の場合、虫歯が悪かった。虫歯を抜くと、すぐに疲れなくなり、楽になった。
みんなも、虫歯は抜いた方が良い。虫歯は最も危険な病気だ。
全ての病気を治したあとで、唯一残る不快な病気は虫歯だ。他の病気は、切除すれば楽になる。虫歯は上に被せても、いつまでも自分のことを襲い続ける。
心の病気を治すためには、「自分がなぜそのような生き方をしているのか」を考えなければいけません。
たとえば、汚れが気になるからといって、汚れのことだけを考えていたのでは精神病は治りません。「なぜ自分が汚れが気になるのか」を考えなければいけません。
そして、「その行為をしている自分が、本当はどういうことをしているのか」を考え、「そういうことをしているのはなぜなのか」を考える必要があります。
汚れを気にしているというのは表面的な表れにすぎません。それを上手く言いかえれば良いのです。「現実を見ようとしていない」とか、「些細な問題が気になってしまう」とか、「少し道が逸れただけで不安がいっぱいになってしまう」などという言葉を使って、「それはなぜなのか」という理由を考えれば、精神病はすっきりと治るでしょう。
学校教育で、私たちは「常にきちんと考えなさい」「常にきちんと行動しなさい」と教えられるため、どんな場合や状況であっても、きちんと考えて理解した上で、正しく行動しなければならないのだと、僕たちは思い込んでいます。
ですが、早急の問題があった時に、必要なのは常にきちんと考えることでも行動することでもなく、「その目の前の問題を解決すること」です。
これは、精神がおかしくなった人間だけではなく、英語やパソコンの学習についても言えます。常にきちんとした勉強や理解をする必要はありません。習得できるのであれば、そうした「きちんとした呪縛」から外れることをしても、その方が正解であることは、特に英語などの学習では、良くあります。
常にきちんと行動していると、「きちんと行動しない方が良いのにきちんと行動してしまう」という心の病気になってしまいます。常にきちんとする、という学校の教えられる制限を少し解除したところに、本当に正しい行動の仕方は生まれます。
僕が思うに、「精神を使いながら使わなくする」ということが難しい、と言えます。
神経症で、「精神の分裂」を体験する患者の多くが、「治りそうで治らない精神」という体験をします。
普通なら、すぐさま精神を「使い切って果てる」ことで治るはずなのに、いつまでも神経のねじれが残り、ねじれのせいで楽にならず、まるで「心の裏側で刃を自分に向け続けている」ように、疲れ切ってへとへとになってしまうのです。
この原因は、精神を一度に全部使うのでも、一度に全部使わないのでもなく、ある部分を使いながらある部分を使わなくする、ということができないせいです。
この問題を解決するために必要なのは、「今自分がどのように精神を使おうとしているか」を知ることです。真ん中の部分が暴れまわって、周りの部分がそれを押し殺そうとしているのを、いくら続けても抵抗はやみません。自分の今の精神状態がどうなっているのかを観察し、きちんと冷静に分析して解明すれば、精神の病気は治ります。
2017-09-18、2018-02-11、2018-02-12、2018-03-18、2018-03-19、2018-05-28、2018-05-29に関連する内容があります。
Wikipedia
書籍
精神病理を治す心理学です。
Wikipedia
昔の、認知療法や行動療法を統合したものです。人間の認知的な行動を心理学的に考えます。
後日注記:認知行動療法では、患者の「認知」に対して「行動」で訴えかけることで病気を治療します。たとえば、自分の好きな趣味を辛くても続けることで、辛い病気の緩和をはかります。
Wikipedia