アドラー心理学の世界観です。心理学2(心の病気)も参照のこと。
また、アドラーの人格心理学においては、劣等コンプレックス(劣等感)を理論の中心に置く。
アドラー心理学では、「ライフスタイル分析」(考え方をどのようにマイナスからプラスへと変えていくか、どのようにそれを達成するか)と「ライフタスク」(仕事のタスク、交友のタスク、愛のタスクという3種類の関係)から患者の人間関係と心の治療を行う。
アドラー心理学では、「共同体感覚」というものを考える。
共同体感覚とは、自分のためではなく、社会全体のために行動することができるかどうかのこと。
アドラー心理学について言えることは、「人間が大人になっていく過程」という「子供からの脱却を考える」といったところがあると思います。
人が大人になっていくとはどういうことなのか、子供的な精神をどのように脱却していくのか、アドラー心理学は僕はそうした「発達における個人心理学」のようなところがあると僕は個人的に思います。
アドラー心理学について読んでいると、精神がどのように成長していくのか、成長の過程のようなことが良く分かる。ヘーゲルの精神の発達過程にもつながっていく。
アドラー心理学は、「焦り」を悪い感情ではなく良い感情に分類する。
これは、焦りという感情が人間にとって「向上心」を生み出し、「こんなに遅れていて何もできない自分はダメなんだ」と思うことが、「もっと高みへと自分を連れていく」ことができるからである。
「感情を整えるアドラーの教え」という本を読んで、心の不安がなくなった。
アドラーは、「感情は自分でコントロールできる」と言う。だが、僕のように、「感情をコントロールすることを放棄している人間」が居る。
また、感情には必ず、「相手役」と「目的」がある。
また、心理学では、感情を「ポジティブな感情」と「ネガティブな感情」にわけ、その時間軸を「過去」「現在」「未来」に分類する。
僕の場合、「自分の言っていることを聞いてくれる人間、受け入れてくれる人間」を求めて、「神という自分より上のもの」を作り、それに全て任せる、つまり「感情のコントロールを放棄」している。
それらは、過去へのネガティブな執着心と、今を受け入れられない拒否感から生まれている。
また、いつものできていた自分に対する羨望の気持ちや、他人に対する劣等感から、「自信を持つこと自体が悪なのだ」と感じるために、自信を失って虚無感を得ているのである。
僕はもう、不安が消え去った。もう、神との対話は終わる。この神との対話で「神」だとしているのが、大天使ミカエルである。
(在導万創のブログより。2020.03.02)
アドラーの言う「共同体感覚」は、僕は心理学というよりも哲学的に重要だと思う。
共同体感覚は、人生経験をしていると、たとえばフッサールの現象学のように一度思考をストップして成立条件を考え、スピノザの受動感情のコントロールのように自分自身を制御した時、「自らを自らの心が心理学的に導いてくれる」体験があったとして、その先にある「目指すべき地点」があるとしたら、それこそがアドラーの言う「共同体感覚」だと思う。
アドラーの心理学は、フロイトが病理を「性的衝動」と考えるのとは対照的に、病理を「劣等感」と考えるのが特徴です。
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