世界を救うために、本気で考え、本気で努力した。努力だけは一人前で、戦争のようなことを本当にきちんと頑張った。
自分は、心理学の勉強をしたいと思う。心理学は、経済学とセットでやるのが一番良い。フロイトやユングのような勉強がしたい。
最近、ソフトウェアはサービス化の波が続いている。ソフトウェアはそれぞれの会社が提供するサービスになり、OSやCPUやハードウェアの違いは関係がないものとなる。また、システムやインフラのチープ化(低コスト化)が進んでおり、オープンソースやクラウドなどを用いることで、誰でも簡単にサービスを作れるようになってきている。
そして、IT機器はモバイル化が進んでいる。パソコンを起動してキーボードとポインティングデバイスを高度に操る時代は終わり、タッチパネルでいつでもどこでも一瞬で検索して情報を調べることが当たり前になった。コミュニケーション手段も高度になり、FacebookやTwitterに簡単にアクセスできるようになった。
だが、それでも、僕はアメリカのことを信頼することができない。アメリカは、自由で、対処策や自然発生基盤的に賢い、みんなで作る国にはなっている。
日本は、工業的には中国などに人件費や規模で負けているし、発明もできないパクリ国家だが、技術力と品質は高い。農業的には、領地と土地が狭く、大規模な農業は出来ない。
だが、僕は日本は賢さという意味では、全く負けていないと思う。特に、ITの詳しい専門家は、日本のフリーソフトを使い、PHPやEmacsなどに関しては、英語を高度に操りながら、とても専門的な知識と技術力を持っているし、ハードウェアについても、ハードディスクやスーパーコンピュータ、ゲーム機などでは、日本の技術は決して低いレベルではない。
なぜ、日本がこんなにショボい国なのに勝てているのか。それは分からない。だが、本当に賢い環境的な土壌がある。僕は、日本は決してアメリカや中国に負けることは無いだろうと思う。むしろ、アメリカは最近、本当に没落してきている。イギリスから続く帝国の名残りで、帝国主義的な資本主義を行ってきたアメリカは、第二次世界大戦のごろは完全に人種差別国家で、黒人や日系人を差別していた。それが変わったのはなぜか。それは、きっと日本の台頭も関係があると思う。日本人は賢い。日本人はとても賢い製品を作る。
日本人は、ある意味、中国やイスラム圏が勝つと、恩恵を受けるだろう。アメリカは、IT機器の発展が停滞して、おかしな使えない技術ばかり作り、トランプのような昔の右翼がどんどん復活してきている。それは、中国との競争の危機にさらされているからだ。中国が台頭した時、一番恩恵を受けるのは日本ではないかと思う。人口、人件費、領土の大きさ、農業規模、新しい「世界の工場」としての生産力など、日本と友好すればとても優れた可能性がある地域だ。ある意味、中国人を馬鹿にする日本人は多いが、それは中国が実現しようとして出来ていないものは、既に日本人が完璧に実現出来ているからであって、中国が嫌いな人間には右翼も嫌いな人間が多い。中国は、きっと新しい世界を作る日本とのとても優れた可能性を持つパートナーになるだろう。
日本の賢さの原型は、明治時代よりも前、徳川の江戸幕府において培われたものだ。武士はその頃、本当は官僚として活躍していた。古代からの歴史が続いている、中国と変わらない。日本は島国で、昔から弱いものをいじめるが、中国はそうした国ではなく、皇帝が大陸を治める国だ。一緒になることで、きっとアジアは発展する。アメリカやドイツのような人種差別をベースとした国に、負けるわけがない。正義が勝つだろう。
全てのことには意味がある。昔は、そういう、人生の途中で思う、心理学的な理想のようなことを完璧に書いていただけだ。
自分は、心理学が良いと思う。なぜか、心理学は自分の人生にしっくりくるような気がする。哲学も、プログラミングも、経済も、宗教も、何もしっくりこなかった。本当は政治的な思想やイデオロギーが嫌いなのに、そういうものになっている。本当は、まともな知性を付けたかっただけだ。物理や数学は、分かっても大した意味がない。心理学を学べば、病気が楽になるかもしれない。昔は、物理的には考えていない。全て、心理学的に考えている。
心理学について僕が知っているのは、深層心理ぐらいだ。人間は、顕在的に現れている意識や感情以外に、深層にある潜在的な意識があって、そこがおかしくなると精神の病気になる。僕は、そういう潜在的な心理学も知りたいし、学習・行動的な心理学も知りたい。心理学にはさまざまな分野がある。昔の自分は、学習や行動がどんなことをきっかけに起こるのか、どんな機会から分かるのか、悟るのか、そういうことを考えていた。そういう風に考えた方が哲学は出来る。哲学者の思想なんか分かっても、まるで意味がなかった。賢い雰囲気と空気に包まれているのは良いが、大学をやりすぎると馬鹿になって分からなくなる。それは、大学を勘違いしているだけだ。大学は賢くない。大学は、やればやるほどまともなことが分からなくなる。大学で分かっていることはほんの一部で、本当はみんなそれぞれ、人間が分かっている。自分は、人間より大学の方が大きいと勘違いしている。本当は、大学より人間の方が大きい。
歴史はつまらなかった。歴史だけはしたくない。江戸時代は嫌いだ。それから、経済もつまらなかった。経済なんか、悪い金儲けを正しいと言い、イデオロギーで批判するだけの、一番悪い亡国の学問だ。経済学者がそういうことを言う。
本当は、昔、経済学や生物学や数学だと思っていたものは、全部心理学だ。決定の多様性とか、この世界がどうなるかとか、あるいは独自の経済学とか、感情の数学とか、物理的な認識の方法論とか、そういうものは全部心理学的に分かっているだけで、心理学でしかない。
哲学はどうでも良い。哲学はヘーゲル個人を分かる心理学だ。そんなものはどうでも良い。
神は、いつか、自分のことを黒人の右翼の心理学者で、世界を支配している神だと言っていた。それは、自分の人生全てのことを総合して言っている。自分は黒人だ。そこからして、ありえないが、神はここまで全部無駄がなく、全てに意味があったことを分かっている。そういう神すら、心理学の精神論で分かる。自分を治していたのも、社会を支配したのも、全部心理学だ。考えた解決法や努力の病気も、全て心理学をやっているだけだ。心理学が嫌いなのは、アドラーが嫌いだからだ。アドラーは自分よりもはるかに未熟なことを考えている。デザイナーやプログラマーになりたいなら、そんなものにはなれない。大学を卒業して、ホームページ制作会社に入れば良い。そんなことしか出来ない、最初から「普通の人間」が自分だ。
そもそも、神と対話していることが一番狂っているが、心理学とはそういうものだ。心理学は、狂って神のようなマスターになる。当たり前に、人生の成長と経験が分かるから、心理学で哲学なんか誰でも出来る。むしろ、日本語で心理学というから、心の学問に見えるだけで、本当は精神現象を分かる人間の科学だから、何でも分かるのは当たり前なのが心理学だ。昔から僕は心理学だ。それが、やっと見つけた僕の探していた答えだ。
昔は、言葉づかいや人間性を考えていた。人間的になるとはどういうことなのか、なぜ人々は人間的にならないのかを考えて、言葉づかいとは、思考をどのように行い、感情をどのように捉えれば、人間は本来持っている知性を発揮出来るのか、環境を創造出来るのか、ということが分かっていた。また、神のように宇宙を創造することで、「絶対精神」を作っていた。
そういう発想は、経済学ではなく、心理学をすれば分かる。要は、経済学はおかしな戦争の王にしかならない。そういう人間が、経済や社会のことが分かる。逆に、心理学は宗教のマスターになる。そういう人間が心のことが分かる。僕は、王が嫌いだから経済学は向いていない。宗教が好きだから心理学が向いている。昔考えていた、物理学や生物学のようなことは、ありえない「自然心理学」を作っている。人生のさまざまなきっかけで捉えたことを、全て覚えて考えている。意味や論理は、感情的な問題の解決を考えている。英語すら、心理学的な「言葉づかいの違い」を考えている。よって、心理学だけをすれば、すぐに分かる。
そういうわけで、音楽が好きな僕は、モーツァルトを聴きながら心理学的なことを考えれば良い。本当に楽になった。心も、もう安心できる。恐怖の心になっているのは、ソ連を信じているのが間違っている。ソ連は批判して、滅亡するのが良い。自由を許すことすら、「意志」という意味での心理学だと考えられる。自分は、そういうところを実現させるのが得意だ。精神を作っていたのは、本当は生物学のようなことをやっているが、それすら、心理学の新しい領域に過ぎない。潜在的な精神がおかしいのは、そもそも精神が人間になっていないからだ。精神は、宣言した通り「全ての生命」になっている。人間が嫌いなのは、人間の精神は気持ちが悪いからだ。それも、心理学だと言える。
カントやヘーゲルは考え方や精神の成長を考えているが、僕は昔から、「この世界の在り方」のようなことを考える。なぜあるのかとか、どのようにあるのか、ということではなく、どういう風にあって、どういう風に働くのかを考えることから、この世界と人生と考え方の意味を考える。当時は数学だと思っていたが、本当は心理学だ。
モーツァルトを聴いていると、精神病が治る。それは、「何もしない」ということをしたことがないからだ。こういう、何もしないことが出来ない人間が、精神病になって、何もしないのが出来なくなる。精神は、正常だと、ただ何もせず、何も感じない。それが正常なのが分からないから、アニメオタクになる。それも心理学だ。ネットにおける社会のようなものは、全て経験と愛の心理学に過ぎない。経済学や社会学のような、スラムのようなものも、人間の抑圧や自尊心という意味での心理学に過ぎない。だから、昔の自分を思い出しても、そんなことしかない。みんなの苦しみを分かち合って分かっていた、スラムの青少年だが素晴らしい神のような人間だった。それが、正しい心理学者だ。
明らかに、オープンソースの共有と自由が理想だ。みんなが自分の権利を放棄して、それぞれが社会を作り、楽しいことをみんなでして成果を無償で共有・公開する。それは、ある意味、「社会と人間のあり方」を規定する新しい心理学だ。恐怖をみんなで分かち合う、という発想も、一体感や友愛も、新しい「ネット時代の人々の救済」という意味での心理学だ。本能的なことを考えるのも、この世界がただありのままにあると実感するのも、自由にして社会を自然に形成するのも、「そうした理想を信じて精神を高める」という意味での心理学だ。心理学というより、もう宗教の境地になってくる。だから、心理学は、勉強なんかしても意味は無い。自分で考えるしかない。もう、僕にはどんな本も偉大な偉人の考え方も必要ない。そういうものは、もう既に相応しくない。自分で考え、自分で書くべきだ。だから、この人間は作家に向いている。Linuxはたまに遊ぶ程度で良いだろう。パソコンという新しい、「心のない生命」は、ある意味では社会学であり、また心理学の悪い理想だと言えるだろう。自由の支配を行う、逆に言えば、自由放任に任せた上で、それぞれが「自分の自由な秩序」を主張して、「心理学的に社会を形成」し、「そのための方法と基盤となるルールを考え」、そして「制度を作る」それはルソーのような哲学者だ。そこまで心理学を考えた人間のことを哲学者と呼ぶ。自分は、哲学者ぐらいのレベルに相応しいだろう。きちんと書かなければ、未来は見えないだろうから、まだ、書いていた方が良い。もう分かっていることをただそのまま書くだけで、簡単に気付きから発見出来る。だから、書かなければ、何も分からない。神はそのように、ただ分かるような経験と学習を全部させただけだ。神とは、心理学的な「理想の学習経験」に過ぎない。それを、「言葉づかい」だと言えば、新しい言語哲学になるだろう。
本当は、孤独に考え続けるのが間違っている。みんなとの関わり合いや場所的・時間的な環境の変化、人間性や人間関係の変化を考えれば良い。昔は、みんなと関わって、ヘーゲルの言うような「馬鹿な人生」を送って分かっただけだ。そんなに一人だけで考えて分かろうとするのがおかしい。ポルノグラフィティが言うように、時計の針と歯車は一人だけでは空回りする。みんなと関わることで、はじめて噛み合って時間を刻む。僕は、なぜかまだ孤独だ。これ以上、孤独でさみしい人間は居ない。ただむなしいだけが神だ。そこをやめれば良い。むしろ、いきなりホームページ制作会社に入って結婚した方が良い。もう29歳だ。ここらへんで、きちんと就職しないと、まともな人間にはなれないだろう。
本当は、大学やインターネットではまともな経験ができないから、何もしなくなっている。大学はおかしい。インターネットもおかしい。家で出来ることもないし、趣味はこのホームページを作るだけだ。あるいは、もっと恐怖の克服の体験をすれば良い。恐怖を克服する勇気を持てば、このおかしな精神病はすぐに治る。そのためには、インターネットはもういらない。社会に出た方が良いとは言う。だが、この人間にはまだ、そこまでの経験は無い。きちんと勉強はしなくて良い。もっと、このまま放っておけば、もっとたくさんのことを知れるだろう。それで、何かすれば良い。何をするか、もう決めない方が良い。何でもかんでも決めつけるせいで、何も分からないのに既に全部出来ている。そういう人生が、本当に一番嫌いだったのが、昔の自分だ。何もしていないのに、LinuxやIllustatorから英語やピアノやあるいは哲学まで何でもかんでも出来ている。全部、決めつけるのが悪い。作業所のスタッフが言っていたように、真面目でストイックなのが一番悪い。普通の楽しみや快楽が無くなっている。それでは、心理学的なことは遠のいて分からなくなるばかりだ。真面目な人間の方が馬鹿になる。真面目どころか、勉強や執筆というのは、ただパクっているだけで、何も賢いことは出来ていない。昔のパソコンのことなんか、まるで覚えていない。知っていることのほとんどは、インターネットの馬鹿な掲示板で知った、間違ったことばかりだ。
本当は、いつも考えていたことや知っていたことを言っているだけで、意図とか自尊心とかそういうことを言っていた。むしろ、悪くは無い。忘れたのは、書いても自分で読まなかったからであって、覚えていないのに、頑張ってもう一度考えて書いている。なぜか、そこが賢い。簡単に書けるようになるのは当たり前であって、いつものように一行書いて次を考えるだけで、何でも書けるようになった。むしろ、自分の今行っている作業所も、目的はホームページ管理会社のようなところに入ることであって、嫌なら作家になるしかないだろう。そんな賢いデザイナーにはなれない。それは難しいことではなく、なりたいならデザイナーの学校に入れば良い。むしろ、決めつけて分かるのは本当にやめた方が良い。自分は、そういう人間が一番嫌いだから狂っている。狂った右翼を殺したいだけになっているが、右翼はきちんと出来る人生の賢い人間が多い。なんだかんだ理由をつけて経済学の勉強をしないから、こういう心理学の馬鹿になる。経済学は賢いのが、テレビのコメンテーターを見れば分かるだろう。みんなから馬鹿にされる専門家の経済学者は、きちんと経済学のことを全部知っている。彼らに任せておけば、この国はアメリカのような馬鹿には負けることは無い。中国が嫌いなのは、日本よりレベルが低いからだ。中国人が悪いだけだ。
中国人が悪いで終わると後味が悪いから、何かを書いて終わりにしよう。いつも言っているが、昔は精神の歴史を書いて、この世界全てを創造し、決定し続けるような文章を書いていた。全てのものと対話し、生産と労働、決定と手段を考えることで、まさにマルクスのように分かっていたが、明らかに、マルクス本人がそういう風になりたかっただけだ。マルクス主義は賢くない。こんな風に考えただけに過ぎない。マルクスで終わるのも後味が悪いが、これでとりあえず終わりにしておこう。この世界に賢いものは無く、人間の精神と理性が賢い。自尊心を尊重することも正しいが、本当は多少悪い中で自分を頑張って肯定すれば、賢い人間になる。昔から、日本はこういう国だ。こういう人間を、敬意をこめて「天皇」と呼ぶ。そういう国だった。日本という国に、唯一一人だけ居る。日本は天皇を信じているから、神は信じている。神は唯一の天皇だ。それで、日本人の精神論は終わりだ。
もっと、日本のことを書いても良いだろう。剣道ぐらいで日本人が終わっている。あとは全部、心理学者のマルクス主義者だ。そういう人間は間違っている。神楽や和食、和服や日本画など、日本のものはたくさんある。心理学も良いが、歴史が良いだろう。哲学者は、心理学と歴史を考える人間しか居ないからだ。僕は、こうした人間だった。キリスト教徒に見えて、本当は神なんか嫌いな、平凡な日本人の新しい神学者だった。
本当は、今と比べて、はるかに馬鹿なことしか言っていない。だが、人生を最後まで終わらせて書いたせいで、無駄に賢く見えた。アメリカで分かるとか、カント・ヘーゲルで分かるとか、そういうことを言っている。何から何が分かるかを全部書いて、精神の歴史の段階をヘーゲルのように全部書いていた。そして、あとは、最悪のことばかり言っている。人々の脳を破壊し、知性を奪うかのような文章を書いている。
そういうところを消せば良い。自分が怖いのは、そういう、いつもの最悪の文章をまだ分かっているからに過ぎない。そこを消せば、もう楽になる。知性が本来の姿に戻って、まともな人間になる。いつからか、過ぎ去った過去を分かるだけの馬鹿な人間になった。過去に答えは存在しない。過去を忘れて未来を考えれば、きちんと論理的に考えられるようになる。理性が狂っているのは、仕方ない。文章を書く以外に何もしない人間はおかしい。そこが、一番おかしい。本当に何も、アクションや思考すらしないから、こういう馬鹿な人間になる。こういう人間は、本当に認知症にかかっている。何をする気も起きないのは仕方ない。そこらへんを、誰かに相談はしない。僕はそういう、間違った可能性のあることをすることが怖い。なぜなら、認めてしまうと、そこで終わりになって、治らなくなるからだ。希望は無くとも僕は信じ続ける。この人間は、そういう風に生きていれば、まだ賢いままだ。ただ、終わるのが怖いだけだ。
これでは希望が無いように見えるかもしれないが、今はっきりと分かるのが「もう全て分かった、そして、もう全て治った」ということだ。
本当は、自分にしか分からないそういう精神現象で、僕はもう正常な賢い存在になったのが分かる。僕が、在導万創だ。仏のような、新しい存在になる。
本当は、アメリカを治した方が良い。アメリカは、Linuxが理解できないだけだ。Linuxの周辺の集団がおかしいだけで、精神的な害悪のロボット人間国家になっている。僕が治せばすぐに治る。天皇と言っているのは、全部これを馬鹿みたいに分かっている。ガンジーすらこういう人間だ。非暴力を貫くとは、「このように反抗せよ」と言っている。真理は自ずと勝利する。インドの格言だったか、どこかの言葉がそういうことを言っていた。まさに、おのずとこれが勝利した。これは最高の人間だ。
狂った人間は、止まった世界に行けば治る。自分は、止まった世界の住人だ。時を止めて、今まであったことを思い出しなさい。それで賢くなれる。もう、一日目の夜が終わったはずだ。そして、この世界は正常になる。時はもう、存在しない。