やることがないから、まだ書いている。
何も分からなくなった。辛いのに書くのもおかしいが、それしか出来ない。
多様性と統一、知の集積と共有による可能性を信じていた。
人間の活動を考えながら、想像力で世界と人間とその変化を把握していた。
神で、イスラムや前世のフランス人、ロシア人などが分かった。
頭の中で計算やフローチャートをするなど、頭の中で全部していた。
マスコミとマイクロソフトが嫌いだった。
昔は、客観視と議論から、色んな事をした経験と、想像力で分かった。
認識や思考力の基礎と世界観のために、色んな物を頭の中で作った。
Wikiとオープンソースと言語が好きだった。
最近は、おかしな自分との対話をして、おかしな戦いをして分かった。
世界や自分を治したかった。
対話の相手には、ドイツ人、黒人、ユダヤ人、神、王などが多かった。
昔は、ネットを見て、文章を読んで、積み重ねて、精神分析をした。
社会学と心理学と普通の物理を作った。
最近は、当たり前のことを説明して、書いて、発想した。
森羅万象の科学を作った。
あとは、色んな発見の中で、自分を治しながら、人間の持つ「普通」を分かった。
ネットを使って、会話しながら、影響力や自由、環境の変化を分かっていた。
環境や組織がどうなるか考えながら、実現性や社会問題を変える、を分かっていた。
立場やアイディアが分かった。
あとは、自由と可能性を分かっていた。
色んな手段と方法を知りながら、発想していた。
色んな変化と法則、システムや、創造性や多様性が分かった。
何でも分かって、変えられるつもりだった。
手段と機会が好きだった。
ネットで何か言う、を考えて分かっていた。
あとは、社会は、変化と実現を分かっていた。
オバマのように、全てを変えられるはずだった。
だが、戦いの中で支配を否定して、何も出来なくなった。
環境を空想して、予測や適応や推論から分かっていた。
認識と経験から、人間の理由が全て分かった。
ネットで社会を知って、相手を空想して、Linuxをやりたかった。
あとは、それが永遠に、色んな本質と構造で、全てを分かった。
精神分析で、神と宇宙と世界史が分かった。
世界は、僕と対話している。僕が世界で、皆が話し相手だ。
日本には、賢い人間が居ないから、ドイツ人やユダヤ人と対話しているのだ。
平和な世界にするためには、秩序と共通の理解を作ることだ。
多様性のある世界にすることで、自分の好きなものを愛することが出来る。
自由にすることで、優れたものや強いものが勝つ。
だが、支配者による処罰はあっても良いかもしれない。
そのように、自由な世界における、理由や解決策を書いていた。
全ては、論理と経験と構造で分かる。
認識は、愛と記憶と感情の、人間的な実現と、感情的な変化だ。
もっと知り、使い、試し、作ることで、全て分かる。
具体的な自由と想像力から、愛と開拓と可能性が生まれる。
そこでは、実際の具体例である、色んな人間と認識を考え、知り、関わることだ。
仮想的に考えながら、実地的な実際を知ることで、世界を把握出来る。
時代を1つの停止したものにして、その時代における全ての変化と人間の法則を知れ。
考えるならば、基礎を作って、全部考えることだ。
信じるならば、最後まで知って、辿って、相手に失礼が無くして、失敗しないことだ。
機械は、手順の実現と、自動実行だ。
心理は、愛することと恐怖の中で、自分の今居る立ち位置を自由にすることだ。
だが、未来に恐怖が存在すると、何も出来なくなってしまう。
辛いが、何かアクションを起こさなければ、何も分からない。
全ては、愛と恐怖の中で、希望と失望を信じることから、疑問と経験を生む。
それは、仮定と経験の推論になって、人生と世界を分かる。
何を言っているのか、良く分からなくなってきたが、要は、全ては経験と心理と構築だ。
認識の裏にある全ては、今分かっていることと、周りにあるものの全ての記憶だ。
認識で分かるために、記憶と人格を考えることが出来る。
そして、基礎を作って積み重ね、実現性を考えることで、社会と環境、果ては人間を変えられる。
そのまま、全てを失う戦いをして、経験は全ての宇宙となる。
地獄を耐え、感情を治すのは、一番辛い。
いつ、どのような条件で、それが成り立つだろうか?
それをするために、どんな手段と可能性、発想が利用できるだろうか?
そこで成り立つ可能性の中で、何が生まれ、何が出来るだろうか?
根源的かつメタ的に考えて、何が一番必要な発想だろうか?
そして、自分には何が出来るだろうか?
そのために、出来るようになるために、今、すべきことは何だろうか?
行動と経験と発想は、どこから生まれてくるのか?
その上で、何を知れば、分かるだろうか?
知って分かる、とは何だろうか?
試すために、何を試し、何を推論し、何を考え、何を予測すれば良いだろうか?
環境とは、認識とは、記憶とは、何だろうか?
宇宙は、分かりえるものか、分かりえないものか?
人が分かっているようで、それは本当の意味で、きちんと分かっているだろうか?
仮説を考えて、裏の理由を知っても良いだろう。
全ては、歴史だ。考え方だ。世界観だ。
全ては、宇宙だ。不可知と可知だ。名前をつけることだ。
全ては、原子、記憶、言語、モデルだ。
全ては、歴史、宇宙、実存、本質だ。
愛とは、人や生命であり、理解とは、言葉や知性だ。
全ては、正しい可能性と、間違った失敗から、新しい知を開拓して知ることだ。
実験せよ。推測せよ。他を吸収し、参考にせよ。
ただ、神は、あらゆる存在の融和であり、1つの地球の人格だ。
昔なんか、何かが何かになる、しか分かっていない。
おかしく全て消え去った。
そのまま、革命のような戦いをして、死んだ。
一番馬鹿なだけだ。
もっと、正しく生きれば良かっただけだ。
ただ、全部分かっていた。死んだから、もう良い。
人間の認知を良く考えると、目に見えているものは、光が見えているだけだ。
原子と眼があるだけだ。そういうわけで、数学があるだけだ。
宇宙とは何なのか、分からない。いつか、誰かが分かるかもしれない。
重力が何なのか、考えても良い。
大きなものに小さなものが引き付けられる。
大きなものは、強くて、賢いのかもしれない。
ものは、大きくて、強いものになる。
宇宙は、全ての人間と、存在と、もので、分かっている。
環境の原因と結果を知って、環境を変えられるようになっていた。
社会学と心理学が生まれた。適応と立場が分かった。
自由で心理的な、世界モデルを作っていた。