昔の僕は、存在を考えていただけだ。
現象、方法、変化を、積み重ねて分かっていた。
環境への適応と変化、知恵と工夫を吸収して考えていた。
全ての体験をした。
可能性を分かっていた。
能力と発想と経験があった。
そろそろ、頭の後ろの方で頑張っていた、神が死んだ。
僕は、Windowsが好きだ。
Windowsで、Word、Yahoo!ボックス、Googleドライブが、一番快適だ。
Appleは嫌いだ。iTunesとiPodの問題で、音楽が同期出来なくなった。
CDプレイヤーの方が良い。iPodは、もう使わない。
視野を広げたかった。
システムを作って、基盤と参加の可能性を高めたかった。
個人の自由が好きで、神や支配者が嫌いだった。
全て考えて分かった。
Linuxが好きで、Wikiを書いて、皆が出来て、良いものにしたかった。
昔の僕は、環境から自由になれば分かると思っていた。
自由に色んな事をして、実験して、空想して、ネットで会話すれば、分かると思っていた。
時間的な余裕と、自由な手段と機会が必要だと思っていた。
実感と手段と機会で分かっていた。
ネットで社会を知って分かっただけだ。
Linuxが好きで、マイクロソフトに勝ちたかった。
自由とか、共有とか、ファイル形式の標準化とか、公開性や集積、可能性などが多かった。
色んなプログラミング言語を知りたかったし、使いたかった。
一応、プログラマになりたい夢があったが、何も出来なかった。
オープンソースのコードを見て、分からないのに、分かると思っていた。
GPLは、悪い。汚染だけではなく、ITをフリーにしたいのが悪い。
すぐに分かって、開発できる、Wikiのページを作りたかった。
ネットに詳しかった。だが、もうネットは嫌いだ。
あとは、ただ文章を書いていた。
何故か、馬鹿になってから、最初に分かったことを続けて書いている。
ツリー構造のオープンソースのような文章を書いていた。
書いて、知性がついた。
永遠に書いて、書けるようになった。
可能性を開拓しながら、世界を全て分かっていた。
あらゆる全てを包括した。人間の人生を全部作った。
思考のスケッチや、デッサンがしたかったのだと思う。
分からないことを、世界モデルの構造から延長して、全て創って分かった。
それは、神との対話となって、全ての矛盾のない不可知の絶対知を知った。
ただ、ドイツやソ連のような馬鹿が多かった。
文章は、最初の方は、推論しながら思い出していた。
自分を統制して、おかしな戦いになって、分からなくなった。
それが、新しい人格を作った。
数字を信じるとか、ロボットにされるのが怖いとか、おかしな狂った発想が多かった。
ただ、永遠に文章を書いて、全て書いて分かっていると、分かる。
全て、文章に作って、全部の論理で分かれば良い。
基礎を作ったのが、昔の自分だ。
文章で自分を辿るだけが、最近の自分だ。
まだ書いているだけ。そろそろ、もう分からない。
あとは、自分を治したかっただけだ。
条件と成り立ち、現象と人間の基礎を作っていた。
精神分析をして、過去の自分や神、世界史を辿っていた。
あとは、世界を全部分かっていただけを、書いていた。
努力して出来るようになって、生きるために頑張るのが、人間だ。
世界は、教育、娯楽、生産だ。
機械は、作って、直して、買って、売って、捨てるだけだ。
機械は、動く間動く代わり、すぐに壊れる。
自動車は壊れる。壊れると死ぬ。良い車に乗った方が良い。
そういう風に、色んな世界観を分かっていた。
そういう風に、色んな事を分かっていた。
そういう風に、世界を全部分かっていた。
全ては、覚えること、試すこと、挑戦すること、頑張ることだ。
芸術は、文学、美術、音楽だ。
全ては、世界観と考え方だ。
全ては、運命と自然だ。
全ては、信じること、感じること、考えることだ。
全ては、社会を安定させるための、縁の下の力持ちのシステムだ。
そして、そのシステムの参加や維持、改革だ。
全ては、構造と発見だ。
国は、インフラとシステムの整備と、支配や参加の自由だ。
会社は、情報共有と処理、実現力だ。
生命は、生きること、食べること、死ぬこと、増えることだ。
全ての物は、増えると同時に、減る。
そのように、全ては刻々と変わり、今が未来へと続き、過去は古くなっていく。
人生は、情熱と愛だ。
人生は、慈悲と慈愛の精神の中での、戦いと自由だ。
愛するために、信じ、信じるために、愛することが全てだ。
光を求めて、宇宙をさまよい、奴隷となって、反抗出来ない葛藤と苦しみに苛まれるだけが、自由だ。
愛と別れの中で、自己を向上させ、挑戦と慈悲の下で、色んな事をして試すだけが、人生だ。
愛と真実の中で、構造と理解を構築し、適用と再現の中で、色んなことを発見する。
愛と真実の中で、関わり合いを持ち、人を助け、自己を知る。
それらが、真実だ。
ただ、思い出せば良いだけだ。昔は、思い出しただけだ。
全ては、経験と戦いだ。
全ては、慈悲と慈愛の精神の中で、仏や菩薩のように人を助けることだ。
正しく理解して、上手く行くように導き、本当の解決と望みを叶え、与えることだ。
全ては、正しさと賢さの中で、本質と概念を知ることだ。
全ては、愛と運命の中で、信じた通り理解し、人を疑わず、宇宙と自己を疑うことだ。
あらゆる全てを知る、積み重ねと抽象性の、計算と適用が、物理だ。
認識、記憶、意識、人格、環境への適応の成り立ちと可能性が、心理だ。
治すためには、認知と行動を、経験から知ることだ。
全ては、愛情のために戦う、1人の人生と神だ。
全ては、正しさのために死んだ、1人の愛すべき恋人だ。
全ては、環境と空想と実験と成り立ちだ。
全ては、執筆と記憶と運命と神だ。
全ては、知ることを望みながら、疑うことを同時に望むことだ。
全ては、自由を望みながら、支配を同時に望むことだ。
自由とは、創造性と自由な環境を与え、高めることだ。
自由とは、それぞれに可能性と自由を与え、手段と機会を与えることだ。
自由とは、皆の手で世界を高めることだ。
思い出して、そういう自由とシステムを書いていた。
そろそろ、もう終わりだ。
世界は、独立性と自由を維持しながら、平和で自然な世界を作り、変えることだ。
全ては、自由と平等だ。
全ては、支配と解放だ。
そして、全ては、システムと参加と支配だ。
全ては、自然で自由な体験と環境、地獄と克服、治癒と努力の継続だ。
全ては、愛することを学ぶことだ。
全ては、選択肢を検討しながら、正しく判断し、1つのことを努力して、継続することだ。
全ては、戦いの中で、判断基準と経験を持ち、理想を信じることだ。
全ては、こだわりや執着を捨てて、最後の必然的な未来を受け入れることだ。
全ては、理想と現実の間で、頑張ることだ。
全ては、本質的な理由を知ることだ。
全ては、全て終わって、最初から繰り返し、永遠を一瞬にすることだ。
宇宙は、時間と空間だ。
ものは、質量を持つ。
ものは、慣性の法則で動く。
ものは、エネルギーに支配される。
人間は、言語を話す。
人間は、自由だ。
人間は、生きるために助け合う。
人間は、生命だ。
人間は、社会システムを作る。
人間は、地球を開拓する。
心理は、認知と行動、学習と経験と記憶だ。
そのように、1行ごとに書いて分かっていた。
国家には、平等と自由がある。
国家には、国民と領土と国境がある。
国家には、政体と文化がある。
人間は、人生と可能性の実現だ。
人間は、社会と数学による、全ての条件と成り立ちの発見だ。
人間は、全ての改善だ。
自由は、創造性の考え方と、平等な愛と、運命だ。
自由とは、助け合いの社会の中で、独立性のあるシステムを作り、人を高めることだ。
自由とは、どうすれば出来るか、出来るようになるか、を考えることだ。
自由とは、やりたかったことを全て果たして、知り、導き、達成することだ。