世界を自分に近づけただけだ。
あるものは、心、世界、概念とものだ。
心は、感情、経験、記憶、認識の融和だ。
世界は、労働と生産だ。
概念的に見て、あるものは、数字と文字であり、音と意味、そして表現と論理である。
何も分からなかった時期は、治す方法をどんどん分かっていた。
子供の普通が分からない。
宣言と理由の説明によって、結論から文章を説明することによって、何でもすぐに分かる。
しかし、何も分からなくなった。
知性が無くなり、神を信じながら、神を信じないことが出来なかった。
何も無くなり、世界観と知性を失った。
恐怖と疲れ、辛さと苦しみがそこにあった。
馬鹿で文章を書いていたのは、それが下積みとなって、文章が書けるようになった。
宣言と理由の説明は、世界を導きながら、世界史を辿り、認識に対して説明することで、あらゆる認識を分かった。
世界は音楽のようになっていると考えて、1つ1つ教え、悟らせ、分からせていた。
世界観を経験的に書いていた時代が多かった。
立場と環境から、経験と会話とシステム、習得と挑戦、把握と全体視、世界の変化だ。
そのように、人生の経緯と世界観を繰り返し書いていた。
システム的に変化可能な世界は、自由と可能性を高めることで、全員の最大体験となる。
議論し、好きなことをしながら、影響力と自由を行使していた。
世界を正しく把握せよ。
認識の変化と技術から知れ。
世界観を言葉にし、判断し、支配せよ。
戦い、治せ。
漠然と、社会と頭や心を考えて書けば良い。
知ること、考えること、覚えること、思い出すこと、想像力を使うこと、思考すること、照らし合わせて比較すること、構造化して文章にまとめること、説明すること、積み重ねること、信じること、疑うこと、対話すること、支配すること、解放することが全てだ。
努力には、報いがあるべきだ。
学校のように努力し、学校のように考えなくて良い。もっと自由に、そして、馬鹿なことも吸収して、色んなことをするべきだ。
何もしていない書いているだけは、馬鹿になる。僕は、ピアノをしたい。