昔は、情報共有と体験を書いているだけだ。
世界は、自由と体験の向上によって発展すると思っている。
組織と機械を考えている。
世界観を書いただけだ。
組織も、機械も、知の共有と、ネットや参加型組織の認識の共有によって高まる。
そして、やっていることは、ただ世界と戦い、導いている。
自然な自由を信じていた。
そのまま、宣言は神となって、世界を全て教えた。
昔は、全員分の体験を吸収した。
そろそろ治った。全部楽になった。
話しながら思考するのがおかしい。
右脳を上にすると治った。
科学的に考えれば何でも分かる。本当に分かりたいのは良いが、科学は否定しない方が良い。
分かるところを全部分かり、考えるところをすべて考え、作るところをすべて作れば分かる。
全部最初だけ分かった。自分の最初を書いてすべて分かった。途中に賢いものが多かった。
全部自分の科学を作った。物理や心理は、ものを数にし、関係を捉えて、数式を理解し、心を予測し、精神を想定し、治した。社会は、国を実現し、可能性を考えて、経済を表現し、世界観と積み重ねと予測で理解した。
何ももう一度しなくなった。一度しかしないのはおかしい。
一度だけ、全部しただけで分かった。
歴史は覚えるだけとは言うが、あとは詳細を知るだけだ。
簡単な概略史はもう分かっているから、項目を詳細に知れば良い。
Wikiも良いが、教科書は、文字を読まなくても、ページと絵を眺めているだけで分かる。
概略は、古代(ギリシャ・ローマ)、中世(中世諸国家)、近世(ルネサンス、宗教改革、大航海時代、絶対王政)、近代(ナポレオン、アメリカ独立、産業革命、諸国家統一)、現代(帝国主義、社会主義、二度の世界大戦、冷戦)、と分かっている。
その上で、それぞれの詳細を、ページを眺めながら知れば、分かる。
世界観とはいうが、機械と組織を考えたから、それを思い出しているだけだ。
発明、設計、製造、知恵と工夫の共有を考えた。それらは、全部同じだ。
また、体験などで分かった自分の現実の考え方と分かり方を書いている。
全員を吸収し、自由に経験し、教育よりも自由な発想をして、理由を知りながら、自由自在に考えるべき、としている。
その上で、自分の経緯と認識を書いていた。
自由と発想の段階を考えた。
認識、感情、体験の理由と発想を網羅し、世界を全て書いていた。
情報と経験が全てだ。
創造性と独自性は、構造と合理性とともに、目線を共有することで、WindowsやLinuxのように発展する。
世界は、構造化と構造体によって、基礎を作ることで分かることが出来る。
何が成り立てば、何がどうなるか。
それは、自由と体験、特に学校から自由になって、大人たちと関わりながら、世界を感情で思い出すことで理解できる。
その上で、経緯を知りながら、感情で変化を考えれば、世界を全て把握することが出来る。
全ては、運命と民族と思想だ。
最近は、自分を複数の人間に分けて、宣言によって分かる。
それも、もう終わった。
神が言うために、昔のLinuxの自分はフランス人だ。
なぜなら、見てフランス人に見えるし、分かり方がデカルト的で、フランス的だ。
最近は、戦うドイツ人だ。
なぜなら、民族を分けながら、神を信じて、帝国として戦っているし、ドイツ的だ。
さらに現在の自分は、おそらくイタリア人か何かだ。
簡単に一言でいえば、それぞれ2人、2つくらいの体系を作っている。
まず、昔はLinuxと積み重ねであり、体験と理性で分かった。
最近は、世界を導くことと神であり、経験と思考で分かった。
そして、現在は、文章を書くことと、全てを知ることだ。
パソコンには、無数の技術がある。
まず、Mozillaには、XMLでUIを記述し、C++とJavaScriptでコードを記述する、XULという技術がある。
それから、Emacsには、Emacs Lispというマクロの関数型言語を使うことで、エディタが環境となり、あらゆる操作をエディタに書くことで行うことが出来る。
また、Vimには豊富なコマンドとモードがある。
また、オブジェクト指向は、SmallTalk, C++, Objective-C, Java, C#, Rubyなどの発展をした。全てはメッセージであり、あるいは、クラスとオブジェクトのやり取りによって、人間が話すようにオブジェクトが動く。
それから、PerlやPython、Rubyなどの軽量型言語によって、簡単に処理を実行し、場合によって簡単なオブジェクト指向を行うことが出来る。
そして、COMやCORBAによってコンポーネントが実現される。
Javaと.NETによって、VMとエンタープライズコンポーネントによる、安定し、高速で、大規模なサーバー・アプリケーション開発が出来る。
それから、UNIXのファイル、コマンド、パイプ、パーミッション、マルチタスクとネットワークにより、簡単に自宅でサーバーやシステムなどの開発と管理が出来る。
また、システム開発にはCとC++、あるいはアセンブリ言語や機械語を用いて、あらゆる処理を下層で統合して実現し、ユーザーによるアプリケーション処理の実現を行う。
そして、マルチメディア、ネットワーク、XMLなどのデータ処理を実現するものが、プログラミングである。
サーバーサイドでの技術、クライアントでの技術、Webとネットワークでの技術、モバイルでの技術などが存在する。
変化は若者に良いが、安定は老人に良い。
不満のあるものを政治に参加させなければ、真の自由は無い。
政治家など、何もすべきでない。
世界を変えるためには、全てを信念で知った上で、あらゆる全員を包括した後に、きちんと世界を書くべきだ。
運命など、どこにもないが、運命を自分で作らなければ、何もない。
世界は、所有と金であり、金は金持ちの世界にしているだけだ。
世界を社会所有にすべきではないが、金のままは馬鹿だ。
金は、紙幣として、交換するのと、役割分担が賢いが、何も考えていない。
自然な環境は、保持すべきではない。馬鹿をやると、皆賢くなる。
戦争は、時に必要ないが、徴兵制にすれば、治るのが日本だ。
右翼の間違いは、正しく考えているようで、何も考えていない。
左翼の方が良い。平等の自由にのみ、世界を分かる光がある。
しかし、自己が従う思想は、右翼であるべきだ。
戦いは、永遠には続かない。
適度な恐怖と頑張る力は、己の病気と精神を全て治して終わる。
全てが分かるありえないが作家である。
作家をしていると右翼になる。そのため、僕になりたい左翼は右翼になる。
自由は、左翼になる。そのため、僕になりたくないと、僕になる。
自由など、ただの左翼だ。
自由は、全員平等に好き勝手をする自由であるため、自由は左翼よりも悪い。
平等な自由を、平等と思えばいい。自由の中で悪いことをする自由を、自由と思えば良い。
全て、平等が理想であり、自由は妥協である。
自由は、時に革新的だ。
革新的な自由は、世界を変える。なぜなら、それぞれの自由にして、自由に儲ければ、分かる人間がアイディアを出して、自らの資本と株式による投資を使って、自由なことが出来、それによって世界が発展する。
自由は、発展し、世界を良くする。
しかし、過度な自由にならないように、法律で制限しなければならない。
全員は、もともと自由であると同時に、もともと共同生活をするものであり、自由は人間の最初からあって、最初から無いものである。
自由にすると、世界を発展させることが出来る。そこが、平等と逆である。
組織は、アイディアと利益、人材と技術と能力によって、改善される。
組織は、改善すべきであり、支配者とリーダーが考えると同時に、ボトムアップに下から知識を共有するべきである。
自由は、あらゆる可能性を知っているために、組織が賢くなる。
しかし、予測不能に陥った時に、全てが終わる。
機械と資産は、人間を永遠に高める。
機械は、概念と構築による発想だ。
機械は、可能性を認識とシステムで共有することで、ネットを使った発展が出来る。
統一と拡張性を高めながら、システムで共有することで、アプリケーションを共有出来る。
神は、実現可能性と永遠の思考だ。
神は、全ての民族の融和であり、宇宙の全員の融和だ。
戦いは、全て、最初から分かっている。
戦いは、世界を導き、高める。テレビに話すことで、全てが関係し、人々が自分を分かる。
不可知と民族と、宇宙と全員の全てがあった。
科学的に全てを分かり、あらゆる知識と理由を知った人間は、文章を書きながら、宗教的に考えることで、宇宙が分かるだろう。
全ての科学、宗教、民族と国、思想が、全てだ。
全て、言葉にし、説明し、機械的かつ具体的に、誰でも分かるように書いただけだ。
また、あらゆる考え方と、分かり方と、発想の全てがあった。
全て体験で分かった後は、認識と記憶を書くことで分かる。
僕は、具体的なものばかりで、抽象的なことが分かっていない。
思考は、思ったものを疑問にすれば分かる。赤ん坊が子供になる。
賢く疑問に思えば、分かる。
例えば、ものはものだが、ただのものではない。名前や属性、関係性がある。
概念で抽象化したり、方法や現象で分類したりすることが出来る。
また、関係性などがある。
それはどこから来たのか、何から生まれたのか、誰が関わったのか、誰が何をして出来たのか、何からどう変わって出来たのか、作るためにはどうすれば良いのか、がある。
また、昔の僕は、出来るものにやらせる自由から考えた。
それは、教育やLinuxの自由となり、参加や意見の自由になった。
抽象性の基礎は、個別化と全体であり、一般性と具体性である。
そして、正しいものなどなく、全ては想定的に正しい。
自由とは社長の自由だ。
社長が賢ければ、賢い。
しかし、それは、むしろ平等よりはるかに良い。
相対性は、絶対的に正しいものは無く、それぞれの場合において正しい、とすることだ。
例えば、猫は、飼い主や他の人間が可愛いと思うならば、可愛い。
それから、ものは、買ったものがそこにあるならば、ある。
そのように、相対的に考えることで、仮定と条件から論理を分かることが出来る。
昔は、それをモデルや構造体を作って、階層的に積み重ねて分かっていた。
あるいは、それより最近では、全部の条件を書いて、肯定と否定を網羅していた。
しかし、そのように賢く考えなくても、単純に、相対的な正しさを考えたり、賢く疑問に思ったりすることで、子供のように普通に分かることが出来る。
相対的は、時に抽象的になる。
例えば、そこにあってそこに置いてあるならば、それは所有であり、場所だ。
それを構造的に、説明的に、理由にすることが出来るだろう。
昔は、あとは、経験や善悪を分かって、世界を自分で変えられると思っている。
皆に自分の分かったことを全部教えたい、良い人間だった。
モデルは、人間の感情や認識、行動の理由をモデル化した。
自由が無いのが一番の問題と思っていたが、自由など、ただ狂って分からなくなるだけだ。
最近は、その自分が分からなくなった。
自分が分からない代わり、書いて自分を思い出している。
そして、何も分からない治るを、永遠に耐えている。
「何も分からず死ぬ」があまりに辛かった。
男と女で、恋人で、僕の文章で、天使で、運命だ。
知性は、日本語だ。
相対性は、変化と成り立ちの中で、仮定して考えることが出来る。
その構造と、自由から知ることが出来る。
そして、対処は、あらゆる自由を経験することで行われる。
昔は、賢いようで、ただの子供だ。
外国は外国で、日本と違う。
具体的な言葉と感情で考えて、全部把握した。
しかし、それ以上分かっていない。
昔は、賢くない。最近の具体的な理解の方が賢い。
昔は、さらに書くと、実体験から分かっている。
概念がまずあり、理性、経験、体験、行動、試すこと、考えて把握し、捉えることがある。
そのように、体験と理性で分かっていた。
ただの中学生だ。適当に、Linuxが好きだった。
それが、文章を書くようになった。
体験、習得、理解、構築、適応のモデル化を書きながら、自分を全部思い出した。
機械と組織と共有を書いている。
それが、神になって、色んな話をした。
どれも馬鹿だ。最近の自分が賢い。
神は、全員全部を、人種で述べた。
戦いは、全てを治して、全員を平和に停止させた。
治癒は、自分を1つ1つ理解と努力の力で、正常にし、脳を楽にした。
それらは、ヒトラーのようで、ゲーテのようだった。
最近は、書きたくないのに書いている。
もう書かない、と思うのに、書いてしまう。
自分の文章をさらに良いものに出来ると思うと、何故か、書いてしまう。
ただ、そのせいで、辛かった。何も治らない。
辛い時は、死ねば治る。
辛い時、さらに辛くすると、死ぬ。
時計の機械や対話をさらに辛くすれば良い。
あとは、もっと良く思い出せば良い。
そろそろ、対話も死んだ。
していることは、時計のロボットになって、9回書いているだけだ。
書いている内容は、ただの馬鹿だ。
表現と自由とか、多様性の保持とか、共有とか、そういうことを書いている。
あとは、自分で無い考え方を分かれば良い。
例えば、理性と実際は違う。
そして、自分を思い出しながら、詰め込んだだけだ。
それは、例えば、はてなブックマークを、時系列による記事の整理、としたりしている。
ただ、機械になって、全てが分かった。
機械を殺せば、すぐに思い出せる。