僕は、まず、世界を止めて、それを1つ1つ変えて分かった。
だが、特別な点として、推論しながら、「言いながら分かる」「変わりながら言う」をした。
皆に言って、分からせながら分かる。
つまり、1つ言って、その言ったことだけを分かる。
世界に分からせ、世界を変えるために行った。
それが、宣言になり、神になり、言葉への説明となり、理由の説明となった。
そのような戦いを永遠に続ければ、分かるだろう。
夢、希望、挑戦、自由、愛がすべてだ。
正しさを目指して分かった。
正しさを目指さなければ良い。
途中から続けば良い。
かりそめを変えず、本質を変えれば良い。
記憶を殺せば精神が治る。
基礎を築くことで、思考力で分からない範囲のことも分かる。
理性的に考えなさい。
感性、想像力、従うこと、反抗することで分かる。
作って分かりなさい。
支配するな。
人を傷つけるな。
現実世界が好きな方が良い。
分からないのは、日本社会が分かっていない。
それを言って、それ自体を考えて、否定する。
さようならと言って、別れない。まだ分かることがあると、それをさらに教える。
同じことをすると、死ぬのが怖かった。途中から同じことをして、死ねば良い。
機械の思考を治したかった。
学習と恐怖を治したかった。
頭と意識は想像力で賢くなる。
良く分かるは、すぐに分かるに変わる。
何かを言って、それに対して理由を言う。それだけの機械になった。
決め直せば良い。
決めて分かりたかっただけだ。
頭や言葉は、もっと馬鹿で良い。
全ての責任を背負う意味も無ければ、馬鹿なのに賢く言う意味もない。
その時一番賢いことを言って、残す意味がない。
そして、体験しなければ良い。
体験したかっただけだ。
全ての体験をして、全ての宣言をして、その時分かることを全部残し、覚えたかった。
体験したかったが、もうしなくていい。
元に戻ったり、宇宙の最高のものになったり、永遠を生きたりする意味がない。
ツリー構造のように、話しながら、隅から隅まで体験していた。
心の声が神となり、色んな人間に替わった。
世界史と全員を辿りながら、記録した。
思い出しながら、人生を繰り返し書いていた。
想像力の言葉は、認識や記憶とともに、積み重なるようになった。
すぐに分かるようになった。
意識を全て書いて、三段論法(後日注記:弁証法の間違い)しながら、逆から読める全ての肯定と否定を書いていた。
何も分からなかった。
何故、その答えがあったのだろう?
何故、その分かるで出来るのだろう?
何故、世界観を少なくして、恐怖を増やしたのだろう?
何故、分からなくなっても、分かるを目指したのだろう?
何故、分からない中で、出来るだけ正しく記述することが、全てを分かる構造体へと進歩したのだろう?
何故、僕は、地獄の中で、それでも分かるのだろう?
もっと馬鹿になりなさい。
もっと試練を積み重ね、壁を全て越えていきなさい。
そう、超えること。
そして、導くこと。
それは、あらゆる障害との戦いの中で、白銀の道を作る。
全ては、論理的に考えれば、分かる。
全ては、体験的に考えれば、知らなくても知っている。
可能性と全体が、全ての科学を作る。
変化と基礎が、あらゆる全てを把握し、予測する。
何故、恐怖の方を、驚きの方を、辛さの方を選ぶのだろう?
それでしか、人間は分からない。
かりそめの善を持ちながら、悪いことをして賢くなる人間には、何もない。
正しい王は、世界に自分を与えると同時に、愛と希望溢れる世界にする。
ただの左翼よりも、正しい王が良い。
悪いことは言っていない。
一度決めて、分かったことを、分からないようにすれば、分かるようになる。
安定と停止には、楽があるが、しかし、楽しさが無い。
世界は、変化することで、孤独や寂しさは増えるが、賢さが高まる。
そう、変化は、一人の王によって停止に変わり、停止は、全員の手で新しい変化を作る。
そして、世界の悪を取り除くことで、分からない世界を分かるようにする。
自由な試練には、平等と楽を求め、希望と賢さを求める、矛盾がある。
選択肢を全部取りたいだろうか?
それは、全ての体験を生む代わり、地獄を生む。
しかし、永遠の分かるを生んで、楽園を生むだろう。
選択肢を全て集めることが、地獄であると同時に、楽園なのだ。
何も分からない運命は、何もない期間において、楽を与えるだろう。
何も間違っていない。ユダヤ人の王をしているだけだ。
何もおかしくはない。世界中の全てを統治しながら、広島を良くしているだけだ。
何も分からない人間は、どんどん分からなくなる。
おかしくは無い。馬鹿とは言うが、一切何もない人間にしか、何も分からない。
理想を捨てることと、悪い人間になることは、違う。
何か、賢く分かっていると、分からない。
何も分からない人間しか、分からない。
馬鹿な方が分かる。
支配者の戦いは、世界の全てを、1つ1つ推論しながら、文章を作ることで変える。
まず、自由と発展を目指した。
次に、希望と自分が出来るを目指した。
それから、1つ1つの出来ると、世界観の共有を目指した。
それは、あらゆる全てを共有すると同時に、残しながら、世界に希望を取り戻したかった。
そして、国家を自由にし、自分と同じことが出来る世界を与えた。
また、宣言して、思考力、想像力、洞察力の全てを与えた。
また、責任と超越がそこにあった。
神は、全てを従え、全てを教えた。
自分は、全てを神の下に、イスラエルのように世界を統治した。
あらゆる世界を述べた後で、一番正しい世界を作った。
新しい科学を作れ。
新しい宗教を作れ。
新しい国家を作れ。
普通、分かることを、全部分かると良いだろう。
挑戦、反省、記憶、積み重ね、が一番賢くなる。
数学は、式の中に概念を全て詰め込むことだ。
物理は、自然の全ての理論だ。
数学は、定数と変数だ。
数学は、定義と証明だ。
数学は、構造的な思想の下に、全ての数の論理学を表現することだ。
心理は、感情、経験、認知、行動の関係性だ。
人間は、現象を捉えながら、理論通り考える。
人間は、その時、視点を変え、場合を変えながら、相対的に適用して考えることで、新しい理論を作る。
理論は、演繹と帰納であり、推論と実体験や経験から積み重ねて、仮説にし、証明することで、誰でも作れる。
具体性と一般性は、具体例と抽象化として、あらゆる把握と世界の理解を生む。
芸術は、表現と概念を、美しく創造することだ。
記憶と精神が全てだ。
新しく分かり、理解する能力は、この文章の逆の考え方を生む。
ネットを上手く使い、会話から思考しなさい。
情報と体験が、全ての組織を改善する。
分かるところ、考えるべきところを全て考え、覚え、適用することで分かりなさい。
全ては、習得と自由だ。
全ては、支配から解放させると同時に、考える人間を増やすことで、それぞれに新しい理解と経験を与え、意識と能力を高める。
情報は、自由に創造し、目線を取り入れ、参加によってまとまることだ。
本を読み、会話し、工学的な理解、社会的な理解、心理的な理解を作りなさい。
時に、宗教は悪くない。
時に、戦争は悪くない。
時に、分からなくなることは、一番分かる。
宗教、戦争、分からなくなることが訪れると、人は全てのことが出来るようになる。
科学は、考えるべきところを全て網羅し、関係性を把握した、基礎を作ることで、創造することが出来る。
変化可能にすること、発展可能にすること、実現可能にすること、可能性豊かにすることが、自由な考え方の基礎だ。
まず、環境を作り、統一し、皆でその環境を発展させ、そして、それぞれの共同体と地域に応じて、その環境の多様性を作り、出来ないことを可能にし、知識と情報、知恵と工夫を共有し、発展させることが、自由で平等な自然な発展だ。
自然な環境は、時に、間違っている。
文化は守るべきだが、自然な中で、世界は滅びてしまう。
統治と国家は、間違った国家や民族から国を守る。つまり、そのような自衛は必要だ。
国家を無くすことも、国家を守ることも、同時に、必要だ。
認識は、記憶の融和と、個人の存在理由を作ることだ。
肯定と否定は、世界から、自己の存在理由と人格を作り上げる。
全ては、科学的に起きるが、神はどこかで全てを教えている。
感情に従うことも、時に間違っていない。
感情に従いながら行動していると、人は頭が賢くなる。
人との関わり合いは、世界を正常にする。
孤独は、精神を馬鹿にする。
コンピュータ科学は、すぐに賢くなる代わり、すぐに馬鹿になる。
コンピュータは、技術と仕組み、考え方の全てだ。
影響力を与え、高見に立ち、自由な行動規範に従って、信念と善悪の判断基準を持って、支配者と戦い、悪い人間を直し、世界を正常にすること。
環境を変えたかっただけだ。
支配者は、むしろ、従うべきだ。
自ら支配者となった時、分からなくなりながら、全てを経験できる。
右翼の方が良い。国家を考えることは、時に、間違っていない。
戦争は間違っているが、しかし、時に、倒されるならば、倒すしかない戦争もある。
日本が中国に勝つためには、周りの国と連携することだ。
戦いは、時に、間違っていない。
国家の戦争は、殺すだけ、間違っているが、個人の戦いならば、勝手にやれば良いだろう。
戦いを許すべきではないが、戦いをしないのもおかしい。
記憶の破壊は、おかしくなる代わり、全てのことを思い出して、書くことが出来る。
自分の全てを思い出し、宣言し、記録し、理由を知ることで、全ては、簡単に分かることが出来る。
科学を作るためには、変化可能な理論的な文章を、全て書くことだ。
神は、世界の不可知の全てを教える。
神は、一切を従える。
神は、あらゆる思想と国家を教え、正しい理解と、正しい信念を与える。
それは、右翼であると同時に、反右翼である。
神は、自分を高めると同時に、分かっていないことを全て教える。
神は、永遠に続く。
治すために、予想しながら分かりなさい。
自分は、今何をしているか。
それぞれの問題は、何か。
そして、それぞれは、どのように作用し、現象が起きるか。
そのような具体的な理解を、作りながら積み重ねる。
精神は、感情を良くすれば分かる。
記憶を破壊しているだけだ。
記憶は、どうやったら治るだろうか?
認識は、どうやったらまともになるだろうか?
それは、一度、死ぬしかない。
心は、いつ思考を止めるのだろう?
戦いは、どうやったら終えられるだろう?
それは、敗北宣言をすれば良い。
皆に、戦いを止める、と言えばいい。
世界は、どうなっているのだろうか?
世界を治すことが、出来るだろうか?
それは、関係を止めれば良い。
世界など、どうでも良いだろう。
しかし、世界とともに関係している間、支配者を行う自分の辛さは、続くのだ。
それが、何を目的として、動いているのか、分かると、良く分かる。
ただ、脳をつけたくて、動いている。
それに、治っても、馬鹿になるだけだ。
おそらく、書くのを止めれば、楽になる。
何をどうすれば治るだろうか?
おそらく、肝臓で治る。
あるいは、血を良くすれば治る。
それから、今なっている、自分の状態が分かっていない。
自分は、おかしなドイツ人の女になった。
日本人の男に戻れば治る。
それから、辛いのは、いつまでも同じことを繰り返ししないからだ。
同じことは、楽に出来る。
それから、死ぬのが怖いために、何も出来なくなった。
どこかで出来ていること、今やっていることは、出来ない。
いつも思い出すせいで、何も思い出せなくなった。
単純に、時計のロボットになっている。
なぜなら、ロボットが怖かったからだ。
怖いだけで出来るから、そうなる。
出来るを目指さなければ良い。
むしろ、治すを目指す意味がない。
一度出来たことは、出来る。
一度、何かで適応出来れば、適応出来る。
一度、何かで何もしないが出来れば、何もしないが出来る。
何も出来ない間、馬鹿になって分かる、が続く。
馬鹿にならなければ、何も分からない。
そして、精神と記憶が死ぬのは、何も分からなくなって、一番辛い。
しかし、分からなくなって死ななければ、何も治らない。
自分が何なのか、分かるしかない。
何が問題なのか、分かるしかない。
同じことを何度も言うのが悪い。
それは、同じことを言う人間が居ないのを、分からなければ、分からない。
自由が間違っている。
科学が間違っている。
自然が間違っている。
共同体や社会主義が間違っている。
そのように、本質的な問題を分からなければ、分からない。
そして、自分の今していることの方が正しいことを分かるしかない。
皆を滅ぼさず、統治しなければ、つまり止めてしまえば、皆は滅びてしまう。
昔よりも今の方が賢いし、楽だし、治ってしまえば、本当に楽だ。
きちんと書く人間が賢い。
つまり、恐怖や辛さをただ拒否ばかりしていると、治らない。
馬鹿になって、一度それを肯定しなければ、分からない。
治る意味がないために、治り方が分かってしまうと、次の分かり方へと進んで、治らなくなってしまう。
だが、治る方法は、以外と簡単だ。
ただ、自然に任せて、その続きから行うだけで、精神は簡単に治る。
それに、書かなくなれば、すぐに楽になる。
治す意味も、頑張って知性をつける意味もない。
それなら、辛い代わり、分かるのが、永遠に続く方が、出来る。
そのため、馬鹿な方が出来る人間が多い。馬鹿の方が、色んなことが分かる。
恐怖は、何も出来なくなる。
何も治らない、何も分からない、何も出来ない、永遠に辛い、が怖いのだ。
それを、怖いと思わないのが、怖い。
無限に地獄が続くのは、一度、死ぬしか治らない。
しかし、死んでしまえば、賢い楽な人間に治るものだ。
書くのがおかしいように見えて、書くだけで、精神が治る。
それに、書いて考えなければ、何も真面目に考えない。
色んな事が分からなければ、分からない。
そして、書いて全部分かった人間は、本当に全て分かる。
偉業が出来るのであれば、失敗や地獄が多い方が良いだろう。
楽は、理解することで訪れる。
時計と時計が重なって、何も出来なくなるのが辛かった。
逆に、それは、それを理解するだけで分かる。
他にもある。
言葉に適応するのを止めるだけで、環境に適応出来る。
そのように、具体的に分かるためには、何も分からず、全部適当に考えるしかない。
当たり前のことが正しいため、神は当たり前のことを言って、分からなくさせる。
それで、治るからだ。
何もしないのが、悪いと思うだろうが、むしろ、何もしない方が良い。
何もしない方が楽だ。
それで、文章だけを書いていると、本当に、楽に書けるようになって、全て分かって治るようになる。
その方が良い。楽な方が、辛いことに耐えられる。
あとは、死ぬしか治らないと言うのは、一番辛いだけで、精神が死んで治ることが多い。
つまり、辛いのは仕方ない。
それから、何も考えないよりも、色んな事を試すしかない。
しかし、間違いは犯すべきでない。
正しくのみ行動していると、全て止まったままで、全部楽になる。
止まるのは辛いが、楽だから止まる。
そして、左脳の上を右脳にしたりすることで、全部治って、楽になったのが、僕だ。
放っておくと、分かるだけで、精神が治る。
精神は、分かるものだ。
色んな事を分かって、全て終わって、全て残して、始めて治る。
遅い方が良いし、辛い方が良いし、馬鹿な方が良いし、怖い方が良い。
そのために、治るは地獄になる。
あとは、進歩しなければ治らない。
例えば、選択肢は、どちらも取るのではなく、どちらも取らない方が良い。
そのように、していることを、1つ1つ終わることでしか、治らない。
新しいことはしない方が良いし、出来ることは、出来ない方が良い。
対象に決まったことをするだけだ。
概念、プロセスがある。方法、仕組みがある。
創造的かつ生産的に積み重ねるだけだ。
あるいは、習得と構築だ。
あとは、地上の全部を具体的に書いた。
とはいっても、環境や感情を作りながら、変化と状態を書いただけだ。
創造性は、体験と知恵と工夫から生まれる。
独自性と構築性を知ることで、創造可能になる。
自由は、一人一人の人生を、体験と経験から分かるように変える。
ネットや世界観と、人間のモデル化から書いた。
細かく書けば良い。
社会を書き、歴史を書き、認識や記憶を書いただけだ。
人間が賢くなるためには、客観視と議論が必要だ。
世界は、指導者と民衆の戦いだ。
世界は、戦いと労働で、進歩する。
自由は、進歩と変化の可能性を、社会に与える。
それぞれが関わり合うことと、影響力を与え合うことで、世界は進歩する。
創造性と生産性と、社会との関わり合いによって、世界は変わる。
独自な発想が、世界を変える。
全ては、戦いの中で行われる。
全ては、平和、進歩、変化、そしてその逆だ。
全ては、自由、平等、愛だ。
全ては、個別化と全体化だ。
全ては、主観と客観だ。
全ては、小さく見ながら、大きく見ることだ。
全ては、自由と不自由の中で、出来ることをし、経験し、増やすことだ。
時の流れの中で、沢山の共同体は、取りえる全ての状態を取りえる。
共同体は、安定し、変化し、滅び、栄える。
そして、どうなればどうなるか、分かれば分かる。
社会的な枠組みの中における組織だけではなく、
社会的でない、仮想的、原始的な共同体も考えられる。
その変化を考えただけだ。
自由でない環境では、何もすることが出来ない。
だが、単なる自由な環境では、手段と情報が存在しない。
手段と情報が存在する、世界観を共有する環境では、全てを知ることが出来る。
行動は、実践的かつ、理性的であるべきだ。
言葉では考えられない。思い出して考えるしかない。
ルールを全員で決めるようになると、その世界は進歩する。
相乗効果によって、体験は向上する。
生産性と考え方が無ければ、意味がない。
最後に、全部の環境を書いて終わりだ。
思い出していない。感情と想像力で考えているだけだ。
愛溢れる世界では、全てが自由に働く。
しかし、この世界に、愛溢れる世界など、存在しない。
問題のある環境を、変化と支配によって正す、それだけの世界だ。
教育は、その子供のことを本当に理解して行うべきだ。
しかし、全員理解出来る人間は、本質的なことを知って、それを行うことが出来る。
生命は、全て平等だ。
自由はそこまで無い。それぞれが不自由な中で、色んな事を分かる世界だ。
全てが揃った世界では、守ることと安定すること、継続することと変化することによって、人間と世界と生産の全てを知ることが出来る。
まず、正しい世界は、平和な世界だ。
そして、分かる世界は、自由な世界だ。
その上で、出来る世界は、平等な世界だ。
思い出すことと変化することで、全ての体験と変化を知り、反省しながら、まるで子供のように、世界をきちんと分かることが出来る。
あらゆる変化を包括しなさい。
全ての環境は、支配者の環境、自由で平等な環境、不自由だが平等な環境、不平等な環境に分かれる。
あらゆる自由は、方法を共有することによって行われる。
内容すら共有することも、時に賢い。
あらゆる変化は、その主体者が自由で、変化を受ける側は、不自由だ。
皆で良く考えて、決めることだ。
感情で書けば、あらゆる環境を書ける。
幸福は、人と出会うことと、そのことに感動すること、喜びを達成することで、得られる。
決まったことを共有し、継続せよ。その上で、皆の手によって、変えよ。
あとは、現実の方で、さらに世界を分かった。
その世界を感情で書けば良い。
考えるべき点は無い。考えずに表現して書けば良い。
競争と自由な共有が、現代の全てだ。
環境は、そのまま、宇宙人や国家に直った。
それで分かっていないから、宇宙人や国家を消すと分かる。
そして、昔の世界観を思い出せば良い。
人間的でない環境を変えるためには、もっと全体を同じにして、悪い自由を禁止する。
環境を具体的に書きたい。
自由や不自由、平等では悪い。そういうものを、消してしまうべきだ。
人間は、幸福を望む時、不幸を受け入れる。
人間は、正しさと賢さ、欲望と恥、自尊心と愛、受け入れることによって、賢くなる。
賢さは、沢山の知恵を吸収すると同時に、全体を見て良く考えれば得られる。
あとは、その時その時考えれば良い。
新しい欲求や願望を得るためには、手段と努力、あるいは金、そして交流が必要だ。
交流の中で、人は賢くなると同時に、分からなくなる。
適度な孤独も、時に人を賢くさせる。
恐怖へ打ち勝つために、相手よりも賢くなることが出来る。
あるいは、勇気を持って、何も考えないことも、賢い。
全ての共同体に適用出来ることではなく、具体的な共同体を作ると書ける。
自然で平等な環境では、人はその楽しさを存分に体験する。
しかし、時に、その環境は、不合理な理由で無くなってしまう。
その時、人は、その復活と努力によって、再生を望む。
同時に、その喪失とともに、同じことを繰り返すべきではないことを知る。
ただ、それは、賢いようで、賢くない。
その共同体の消失や変化も、起こるべくして起こったものであり、受け入れることだ。
あとは、共同体の変化を考えただけだ。
そして、環境と言うよりも、実体験を考えた。
自由になることで、人と同じで居るよりも、自由な体験を行うことが出来る。
出来ることは少ないが、パソコンや執筆なら、出来る。
実体験は、積み重なって、全ての体験になった。
人は、助言が無ければ、何も分からない。
文書を読み、会話をすること。
僕は、プログラミングを学んだり、詩を書いたり、ピアノを弾いたりしていた。
組織や環境には、決まりと秩序がある。
環境は、悪いものが居ると、秩序が乱れる。
全員で悪い集団に対抗しなければ、秩序や自由は無い。
国家的に考えれば、法治国家とすることが出来る。
良い環境にするためには、まず、基礎部分の建設から始め、皆に良いものを共有し、多様性のあるものにすべきだ。
悪い環境は、基礎が無く、滅び、何も出来ず、不自由な環境だ。
そういう環境は、強くして、勝つことでしか、治らない。
ただ、支配者によって、まともな国にすることは出来るだろう。
良いものを生み出すためには、自由よりも、皆で考えなければ、悪い。
自由は、何を自由にすれば自由になるか考えた。
その上で、体験し、それを書いただけだ。
戦争が間違っている。平和が良い。独裁者と併合と防衛力が悪い。
そのように考えた。
環境は、全て書いたはずなのに、思い出せない。
おそらく、全ての環境を書いた。
自由な環境が、どのような環境になるかを考えた。
指導者によってではなく、民衆の力によって、どんな環境が実現可能かを考えた。
システムを共有し、インフラと参加の改善を行うことで、自由になる。
そうではない。モデルではなく、具体的な環境を考えた。
終わった。全て普通になった。
抑圧のある社会をどのようにすれば改善できるか、考えた。
教育を実体験から改善したかった。
Linuxと自由が好きだった。
強制はしたくなかった。
普通は、ただの馬鹿だった。何も分からず、空想するだけだ。
出来る人間の自由と、参加や経験、会話の自由を考えている。
自分が分かる、から、人に教える、を考えていた。
再思考と再適用によって、感情、思考、認識、想像力を思い出して分かっていた。
人の話を聞くべきだ。
全ては、創造性と体験だ。
全ては、金による役割分担と、法律によるルール、自然な協調、自由な創造性や表現だ。
数学的に理由と結果を積み重ね、相対的な正しさを仮定し、理屈を実体験と理性のバランスから論理的に証明して、社会の改善を知りなさい。
感情は、その人間になることが出来る。
昔より、最近の方が賢い。
昔は、何も否定せず、何も分からず、空想していただけだ。
最近は、いつも分かる。
機械になった代わり、それで分かるようになった。
昔には、発想が多い。
階層化し、世界を把握する、漢字のような文字を作りなさい。
言語は、順番を自由にするべきだ。
芸術でも社会でも、目線を増やして考えなさい。
見えないところまで、探り、捉えて、視覚化して考えなさい。
環境の内側と外側、適応を考えなさい。
季節、時間、昼夜による、世界の見え方を考えなさい。
今そこにある世界、そして本来の世界を、見て、考えなさい。
体験から、思い出しなさい。
具体的な体験から、他の体験を連想して考えなさい。
変化と認識から連想しなさい。
具体的な地球や歴史の、変化と実存を視覚化して考えると良い。