太平洋戦争の世界観。歴史に詳しい父親の話を参考にしています。
日本は軍部の台頭と暴走によって、アメリカと戦争を行う。当初は戦況が好況だったこともあったが、ミッドウェー海戦などで劣勢になり、最終的にはアメリカの原爆投下によって敗北した。
反省点としては、「弱いのに自分を強いと勘違いした軍部が暴走した」ことだ。天皇は利用され、人々は自分たちが強いのだと勘違いして、軍部主導の政府に忠誠を誓い、その結果最悪の「総力戦」を行って、国民を大量に犠牲にし、今までの日本の政策を台無しにしてしまうような敗戦を喫した。
上で自分を強いと勘違いした、とは書いたが、本当はそんなに勘違いでもなく、日本の航空能力や戦艦能力はアメリカが見ても高かった。日本はとても高い軍事力を持っていて、イギリスなどに比べてはるかに超えていた。アメリカは原爆を落とすことで勝利し、日本やドイツの航空機などの製造を禁止させた。だが、負けた背景には、あまりに国民の権利を軽視していたことや、本当に軍部が「勝てなくても最後まで戦う」というおかしな価値観を持っていたことが挙げられる。特にアジアの戦い(たとえばインパール戦)では、地獄としか言えないほどの過酷な戦いをし、いくらでも自分の兵隊を殺して、それによっていくらか相手の陣地に進む、という、常軌を逸した作戦を行った。アメリカが必ずしも人道的だったわけではなく、原爆以外に東京大空襲やあるいはアメリカ国内で強制収容所に日系人を収容するなど、アメリカも日本も、とても辛く苦しい戦いをした。アメリカ人から見ると、日本人はとても非人道的な国に見える。その反省からか、戦争を経験した人間は「絶対に戦争なんかしてはいけない」と言う。今の日本は、そうした最悪の戦争を経験した者がどんどん居なくなり、またいつもの右翼帝国・戦争主義に戻ろうとしている。アメリカや北朝鮮も同じである。
言い訳になるかもしれないが、あの時代はほとんどの国が悪い国だった。アメリカは今のような人種に関して平等な国ではなく、キング牧師が現れる前までは白人と黒人のバスやトイレを分けるなどしていたし、ドイツはホロコーストでユダヤ人を大量虐殺した。国全体が豊かになりながら、労働者が工場の資本家から奴隷のようにこき使われる。その時代にロシア革命が起きたのは良いが、ロシアには知性がなかった。ただ資本家や金持ちを不当に逮捕し、はむかう意見を持つものを殺しただけで、スターリンは平等の政策なんか何も出来なかったに等しい。ロシアは今でも軍事力だけの大国だ。
敗因は、ミッドウェー海戦で負けたのが大きかったとされているが、後に昭和天皇は「国民の精神を重視しすぎて科学を見なかった」(明仁皇太子への手紙)というもっともらしいことを言っている。
世界史(現代)やアメリカやドイツ史やナチス・ドイツも参照のこと。
本当は、日本も必ずしも馬鹿だったわけではなく、大東亜共栄圏という良い理想があった。
ソ連のような社会主義経済はしないが、東アジア地域で共同体を組み、ヨーロッパやアメリカに対抗する思想だった。
日本の大東亜共栄圏は、古い思想だが、今のアメリカ中心世界の現状を鑑みるに、そんなに悪い理想ではない。
日本、中国、ロシア、インド、そしてイスラムのようなアジアの地域で、日本の神道と仏教の賢い政治・宗教的思想とともに、ロシアの共産主義、中国の儒教・道教、インドのヒンドゥー教、中東のイスラム教などをベースにして、「神の平等の帝国」を作ることは可能である。
明治維新の新政府が大日本帝国のために天皇という皇帝を立てたことは、間違っていたわけではありません。
当時の世界情勢は、専制君主派の右翼と共和民主主義派の左翼がイギリスでもフランスでも対立しており、王の下に議会を作って、天皇に主権を与えながら民主主義を目指していくことが正しく、賢かったのです。
また、当時の列強は、世界征服のための戦争をして、征服し、同時に、植民地をたくさん作って、資源や利権を得ることで、イギリスやフランスはどんどん全世界に植民地を開拓していった時代であり、列強国の仲間入りをするためには、軍事力をつけて世界を征服し、たくさんの植民地を作る必要がありました。
日本は、中国に満州国という属国を作り、台湾と朝鮮を併合することで、アジアに植民地を作りました。彼らの目的と理想は、イギリスやフランスに対抗できるほど力をつけた上で、アジアや太平洋の地域に領土を広げることでした。ですが、必ずしも彼らは間違った政策を行ったわけではなく、大東亜共栄圏という東アジアの共同体国家を作り、バングラデシュなどの植民地となったアジアを解放することも目的でした。彼らは大東亜共栄圏の皇帝として、また新しい神として、天皇を利用したのです。
ですが、日本は朝鮮や中国などの植民地化された地域としては、最悪でした。残虐非道の限りを尽したからです。特に朝鮮人に対しては、日本語を強制的に学校で教え込み、日本の文化を押し付けることで、朝鮮の文化や歴史をなきものにし、また朝鮮人を徴用工・徴用兵として日本人と同じように戦争に使い、若い女性は慰安婦として性奴隷化しました。彼らは、朝鮮人を同じ人間だと思っておらず、平等な権利を与えませんでした。今でもそうした差別意識は日本に根強く、ネット右翼のように、朝鮮や中国を特定アジア(特定の日本に反するアジア人)として、互いに差別用語で罵りあうのです。
しかしながら、日本には誰もが共有している概念があります。それは「戦争は二度と起こしてはならない」ということです。日本人は、アメリカやイギリスに勝つために、あまりに辛く苦しい総力戦をしました。軍部に服従し、天皇に忠誠を誓うことを求められ、人々は反抗することができず、戦争に駆り出されるために赤紙が配布されると、泣いて喜んだと言います。当時は、「天皇に従うことが日本人であることの条件」でした。天皇に従うことが、アメリカやイギリスに植民地化されないことの「正義」でした。結果、どんなに負けそうになっても、軍部は最後まであきらめずに戦いましたが、これが、「絶対に勝てなくても、最後のひとりになるまで戦う」という、常軌を逸した軍部の暴走に繋がったのです。
だが、冷静になってみると、これでは「アメリカと戦争せよ」と言っているようなものである。
日本人が、もっとも分かっていること、先の戦争から日本人だけがもっとも学んだことが、「戦争は意味が無い」ということである。
そう、東条英機はそこが分からなかった。陸軍あがりの戦争論者の東条は、アメリカとの戦争を何とか回避しようとする近衛文麿に反して、戦争へと突き進む。結果、アメリカと全面戦争になった。
あの戦争を振り返ると、日本はなんと愚かだったか。そう、日本は愚かで、国民のことを「国に従うロボット」であるかのように、圧倒的軍事力を持つアメリカに対して、戦争に負ける可能性があるとすれば、それは軍が内部で対立するか日本国民が離反するかどちらかであり、敵は外部のアメリカではなく内部の日本国民である、として、日本人に「圧倒的精神論」を強制した。学校は兵器の製造工場と化し、子供たちは竹やりの訓練を受け、また少女たちは戦争で男が死に不足していくための内部の労働力として働かされた。
日本人はどんどん劣勢になり、それでも東条は戦争を続け、結果、ものすごく大きな犠牲を出しながら、過酷極まりない海外での劣勢に次ぐ劣勢の「地獄のような戦争」を行ったのである。
特にひどかったのがインパール戦。人々は「何千人(自分の兵隊を)殺して進む」という、過酷どころか本当におかしな戦いをして、戦地では非人間的な「泥沼の戦争」をやった。
本当に、アメリカの方が良い。アメリカに負けて、日本は分かった。アメリカと戦うべきではないと。アメリカと仲良くやって、右肩上がりの株価を機械の大量生産と輸出で儲けてさらにうなぎのぼりに向上させ続けるのだと。そう、日本人は戦争に負けてアメリカが好きになった。
だが、日本はそこで終わりではない。今の日本は、バブルがはじけて、その後はIT技術が到来し、インターネットの時代を迎えている。この世界では、全ての問題はアメリカに始まっている。もう、アメリカと一緒に仲良く歩む時代は終わったのだ。時代は、アメリカとの協調路線ではない、「独自の日本の発展」を生み出そうとしている。もう、日本の親であるアメリカは必要ない。もう一度、日本の原点に戻って、日本という国がどういう国であるべきか問い直さなければならない。アメリカと歩み続ければ、温暖化と環境破壊によって、この世界はごみためになってしまうだろう。今、もう一度、アメリカとの戦争でも戦争回避でもなく、また経済成長でもバブル崩壊でもIT技術でもない、もう一度新しい世界を作らなければならない。そのためには、ロシアや中国との同盟政策も僕は必要ではないかと思う。
なぜ、僕がここまでゲルマンやユダヤの文化を愛するのか。
僕のことを、「ゲルマンやユダヤが好きなように見えて、本当は日本が大好きな人間」であると思っている人が、この世界には多いでしょう。
ですが、僕は本当は、本当に日本が嫌いなのです。
日本を愛する時、「本当の日本とは何か」を考える必要があると思います。
日本には、「江戸時代」「明治維新」「戦前」「戦中」「戦後」という、さまざまな時代ごとに異なる日本が存在します。
ですが、はっきり言って、僕が考えたところ、「大日本帝国が真の日本」という結論に達しました。
そして、僕は大日本帝国が嫌いです。
もっと言えば、大日本帝国の政府幹部であり、国民に嘘をついて騙し続けた、「大本営」が僕は嫌いなのです。
大本営は、戦争が劣勢であるにもかかわらず、「わたしたちは勝利し続けている」と国民を騙し、多くの多大なる犠牲を払いました。
僕は、そのような大本営が嫌いだから、日本が嫌いなのです。
戦後の民主主義の日本が好きな人は、日本には多いです。ですが、彼らはアメリカを愛しているだけにすぎません。彼らは日本ではなくアメリカが好きなのです。
なので、戦後の民主主義が好きな日本人は、日本を荒くれた不良とオタクの争いの世界にして、日本人自らが日本を滅ぼしていました。
その理由は、彼らはアメリカが好きであり、その「アメリカの敵」である日本が嫌いであり、日本のことをアメリカの「属国」にしようとしているだけだからです。
また、ソ連も間違っています。なぜなら、小学校の平和教育のような、「洗脳教育」がソ連だからです。
どんなに平等の理想を実現できるはずがない世界であっても、彼らは平等の理想の実現を諦めません。どんなにユートピアの平和が嘘偽りであっても、彼らはそれを絵に描いた餅ではなく本当にある餅だと思っているのです。
僕は、日本、アメリカ、ソ連が嫌いです。だから、ゲルマンとユダヤを愛しているのです。
僕は日本が完全に嫌いなわけではありません。かつての江戸時代のような「和の文化」は素晴らしいと思います。ですが、それを素晴らしいと思うのは、あくまで、ゲルマンの立場から「素晴らしい」と言っているだけです。僕は日本人の視点から日本のことを信じようとしません。それは「大日本帝国の大本営が嫌いだから」です。
2023.07.09
このように、愚かな戦争をした日本ですが、おそらく、ドイツからは好意的に受け入れられているはずです。
ドイツが見ても、日本は、東アジアの国でありながら、列強の一員になろうとする、面白い国です。
詳しく調べると、イギリスやフランスの敵対国でありながら、彼らを尊敬し、したたかに力をつけて、彼らに追いつけ追い越せと考えているのが分かります。
そして、日本は精神性の高い国であり、仏教や神道といった独自の宗教を信じていて、「大東亜共栄圏」という、フランスやソ連すら超越した革命思想を持っています。
もしかしたら、今の日本に対してよりも、当時のドイツは良い印象を持っていたかもしれません。今の日本はすさんでおり、みんな憂鬱で、ネットでさまざまな人が言葉の言い争いをしています。経済的に進歩したといっても、単にアメリカやドイツの技術をモノマネ猿のように真似て作っただけにすぎません。
なので、おそらく、当時のドイツからは、日本は好意的に受け入れられていると思います。かつてドイツやイタリアが同盟国だった日本ですが、彼らは日本のことを「戦争に勝つための最重要パートナー」に位置付け、ドイツがソ連を攻略し、日本がアメリカを攻略することで、必ずや理想の帝国を作るはずだったのでしょう。その帝国は、もし実現していれば、僕の言う「シオン帝国」のような、理想の楽園になるはずだったのでしょう。
後日注記:ドイツやイタリアの視点に立つと、東アジアの国でありながらヨーロッパ列強の仲間入りを目指す日本は、「同盟すれば何かが起きるかもしれない」ような面白い国。当時、日本は日露戦争でロシアの誇るバルチック艦隊を撃破しており、決して弱いわけでもたかをくくっているわけでもなく、言い方は悪いが「番狂わせ」として利用できる。それに対してイギリスやフランスやアメリカの視点に立つと、「白人中心の帝国主義の覇権を揺るがす絶対に負けてはいけない相手」である。そのため、アメリカは日本と総力戦を行い、未曾有の大戦争を繰り広げたのである。
2023.10.13
2024.10.02編集
太平洋戦争について言えば、「日本の戦争技術は凄かった」ということが言えます。
たとえば、「大日本帝国の発明」などの書籍を読むことで、その一端が分かります。
日本は、船の上で航空機を発着させる「空母」の開発で、さきがけ的な存在でした。それまでは大砲などを搭載した「戦艦」が中心だったのに対して、船から航空機を発着させ、空から敵を攻撃するような「空母」を作ったのは日本が一番先端を行っていました。
また、戦闘機であるゼロ戦の技術も日本が特別優れており、日本のゼロ戦はとても先進的で強かったため、戦争に日本が負けてから、日本の戦闘機技術を進歩させないために、日本の航空機の産業をアメリカなどは成長しないようにしました。
ほかにも、日本は独自のゲリラ戦を進歩させるなどして、アメリカの物量にものを言わせる戦い方に対して、ゲリラ戦という特殊な戦い方で勝とうとしました。
また、戦争の主眼が航空機に移ったため、後になって「時代遅れ」と言われた戦艦大和も、大日本帝国の科学技術を集結した巨大戦艦として、「日本軍のシンボル」のような存在でした。
そのように、日本の戦争技術は卓越したものであり、決してアメリカに劣るものではありませんでした。これらのほかにも、日本という遠く離れた場所からアメリカ本土に向かっていく風船に爆弾を乗せた「風船爆弾」など、面白い技術がたくさんありました。日本は決して、「負けるのが分かっていても最後まで戦う」ような、民族自決の戦争を行ったわけではなかったのです。
2024.01.18
太平洋戦争で、アメリカは「焼夷弾」と呼ばれる、日本に向けた独自の戦いを行いました。
焼夷弾は、爆撃機から爆弾を落とすのではなく、火の付きやすい油を空の上から地上に落として火を付けるという攻撃方法で、木や紙でできた燃えやすい日本の家屋に向けた戦い方であり、東京大空襲では東京は焼け野原になりました。
そもそも、太平洋戦争は、日本による真珠湾(パール・ハーバー)の奇襲から開戦しました。最初のうちは、日本は太平洋の多くの島国を占領するなど、最初だけ勢いがありましたが、そのうち、アメリカとの総力戦で限界となり、多くの島国を奪い返されました。
そして、アメリカはそのような島に爆撃機の基地を作りました。原爆を投下したB-29(別名エノラ・ゲイ)の基地があったことで知られるテニアン島などが有名です。そして、その基地から、長い時間をかけて(島に基地があるといっても日本までは何時間もかかる)、太平洋の上空を、B-29のような爆撃機がたくさんの焼夷弾を乗せて航空し、日本にやってきて焼夷弾を落としました。
B-29は、ボーイング社によって日本向けに開発された爆撃機で、たくさんの焼夷弾を乗せて長い距離を航空するために、「たくさんのものが乗せられる」「長い距離を飛行できる」という特徴がありました。
ですが、そのようなB-29の特徴は、たくさんの人を乗せて長い距離を航空する、旅客機にぴったりでした。
戦後、ボーイング社は、そのようなB-29を転用して、旅客機を開発しました。たくさんの焼夷弾を乗せる代わりにたくさんの人を乗せ、太平洋だけでない長い距離を航空できるようにしたのです。
そのように、現代の航空機技術は、太平洋戦争などで培われた爆撃機の開発技術を応用しています。戦争があったから、そのような巨大な旅客機を作ることができたのです。
飛行機も参照のこと。
2024.08.14
アメリカによる広島・長崎への原爆投下によって、太平洋戦争は日本の敗北で終戦します。
アメリカ人は、原爆投下を「戦争を終わらせるために仕方のないことだった」と肯定しますが、原爆投下をした真の意味は、ソ連とのにらみ合いがあります。
当時、アメリカは日本ではなく、ソ連を新しい敵であると考え、なんとしてもソ連よりも核兵器を早く作りたかったから、広島・長崎に原爆を投下したのです。
ソ連は、ヤルタ会談で日本への参戦を決め、戦争の最後のほうになって日本に参戦し、南樺太や千島列島や北方領土などを奪い取りましたが、これも、アメリカとの戦いを見据えたものであると考えられます。
なので、結局、太平洋戦争の終わりの頃は、アメリカとソ連との冷戦の前哨戦のようなものだったのです。
後日注記:ソ連(今のロシア)はヤルタ協定において、ソ連に与えられることが決まっていた南樺太と千島列島の中に北方四島が含まれると主張していますが、ヤルタ協定において千島列島の中には北方四島は含まれていませんでした。そもそもヤルタ協定には日本は参加しておらず、この協定をソ連が引き合いに出したとしても、国際的拘束力はありません。これが現在に至る「北方領土問題」の根源です。
ロシアも参照のこと。
2024.08.14-15
戦争中の社会は、酷いものでした。
まず、普通ならば会社や工場で働けるような若い男は、みんな戦争に連れていかれてしまいました。
そのため、国内には、女と子供、そして老人しかいませんでした。
このうち、子供たちは、学童疎開といって、空襲のある家屋が密集した都会から、空襲のない田舎地方に避難して生活しており、生活場所は寺や学校の空き校舎などで、集団で生活していました。
そして、女たちは、軍需工場で働かされました。
女たちの働く軍需工場では、戦争で使う弾丸や弾薬、戦場で食べる食料、そして軍服などを、工場で生産していました。
また、軍需工場では給料が出るわけでもなく、生活のために配給制の券を与えられて、米や最低限の食料などは国から配給され、着る服などは何度も古い布地を縫い合わせて着ていました。
そして、空襲に備えて防火訓練を行ったり、中では竹やりの訓練を子供にさせたりするなど、酷い社会でした。
そのような酷い社会で、人々は「欲しがりません、勝つまでは」と言い、戦争に勝つことが至上命題で、それ以外のことを二の次にして、戦時中の人々は生活していました。
戦時中は、戦争に行くことが決まった人には召集令状が出されます。その召集令状を出すのは国の役人です。そして、もしそれに従わないと警察に捕まります。そのため、役人、警察、郵便局などの職員は、戦争に行かなくてもよい人が多かったです。あるいは、交通インフラや輸送インフラ、通信インフラ、水道などの社会インフラの職員も、その仕事が失われると国自体が成り立たないため、多くが戦争に行くことを免れました。それでも、全員が戦争に行かなくていいわけではなく、最低限の人員を残して、戦場に連れていかされました。
戦争が終わっても、街並みや工場などは破壊されており、またすぐに兵隊が帰ってくることができるわけでもなく、1年、2年、3年して、ようやく生存する兵士たちが帰ってくる有様でした。そのような中から、戦後日本は復活しようとしたのです。
2024.08.14
戦争も参照のこと。