日本史(3.江戸時代)の世界観。
もういちど読む山川日本史を参考に執筆しました。
以下の記述は、著者の主観を元に分かりやすく喩えて書いたものであり、細かい部分においては正確性が損なわれる部分もありますが、それを了承して読んでください。
歴史に詳しい父親の話を参考にしています。
2015-06-23より。
徳川幕府は長い間続いた。
歌舞伎や浮世絵など、独自の文化が栄えた。
参勤交代という、武士や大名の家族を人質に取る政策の下で、徳川幕府は長い間安定を誇った。また、江戸は100万都市であると言われた。
鎖国の中で、蘭学など、特にオランダなどと長崎の出島だけで交友したが、あまり外国との国交は無かった。明治維新によって、開国し、開港した。
武家と公家の争いから、武家が勝っていたが、明治維新で公家に戻った。
江戸時代を古いとは言うが、鎖国の中で独自の文化が栄えた、閉じられた良い時代だった。
関ヶ原の戦いは1600年に美濃の関ヶ原で起きた合戦。徳川家康の「東軍」と石田三成の「西軍」が戦い、徳川勢力が勝利した。
関ヶ原の戦いについては以下が参考になります。
徳川家康による「江戸幕府」は260年の長い間続いた。その間、日本は鎖国を中心とする政策を行い、そのせいで外国とは全く違う「ガラパゴス的な文化圏」を作り上げた。
そして、江戸は世界一の100万都市であり、政策的には、大名行列で知られる「参勤交代」を行った。これは地方の大名が東京に妻や子供を住まわせて東京と地方を行き来する政策で、「家族を人質に取ることで反体制のクーデターが起きないようにする」という、半ば圧政的な政策だったが、逆に日本全体が平和になり、体制の安定に繋がった。
だが、この時代に世界は産業革命と民主主義的文明開化が起きており、イギリスやフランスなど西欧列強からの圧力が強くなると同時に、日本はとても遅れた古い国になろうとしていた。そのせいで、長州、薩摩、そして土佐の下級武士(坂本龍馬や西郷隆盛が知られている)を中心に、倒幕運動が起きた。
(もういちど読む山川日本史を参考に執筆しました。)
江戸時代の出来事として、関ヶ原の戦い、士農工商、鎖国、庶民文化(浮世絵など)、蘭学、黒船来航などが起きた。
代 | 人物 |
---|---|
第1代 | 家康(いえやす) |
第2代 | 秀忠(ひでただ) |
第3代 | 家光(いえみつ) |
第4代 | 家綱(いえつな) |
第5代 | 綱吉(つなよし) |
第6代 | 家宣(いえのぶ) |
第7代 | 家継(いえつぐ) |
第8代 | 吉宗(よしむね) |
第9代 | 家重(いえしげ) |
第10代 | 家治(いえはる) |
第11代 | 家斉(いえなり) |
第12代 | 家慶(いえよし) |
第13代 | 家定(いえさだ) |
第14代 | 家茂(いえもち) |
第15代 | 慶喜(よしのぶ) |
江戸時代の権力構造は、将軍(徳川幕府のトップ)を頂点とし、副将軍・大名を地域の長とし、家臣がそれに使える。代官・奉行などが地域を統治し、庄屋が年貢などのとりまとめをしていた。
江戸時代の武家政治のトップであり、徳川家の将軍のこと。
地域を治める長であり、今でいう県知事。大名にも色々とあり、徳川に近い大名は副将軍とされ、とても偉い立場だった。
今でいう市長・町長。城下町などの町の中で一番偉い。
今でいう警察。奉行にも色々な仕事があり、警察のような役目をするもののほかに、公共事業をしたり、寺や宗教の力を抑えたり、中央では大臣のようなことをしたり、さまざまな権力のことをやって人々を守っていた。
今でいう自治体会長。江戸時代の権力構造は複雑で、田舎では代官や奉行の代わりに庄屋が地域を治めていた。年貢のとりまとめや戸籍の管理などを任されている。
江戸幕府の政権は、「鎖国」と呼ばれる外交政策を取った。これは、「一切の貿易と生産を日本の中だけで行い、他国と貿易しない」というありえないものだった。
江戸時代の商人は、長崎の出島をはじめとする一部の例外を除いて、誰も外国と貿易することができなかった。
これは、「遅れた国になる」という悪い面がある一方で、「ガラパゴス的な独自の文化と経済を築く」という良い面がある。
たとえば、長崎県の人間は今でもキリスト教徒が多い。これは、スペインやポルトガルから、ザビエルのような「宣教師」がやってきたからである。人々にキリスト教の聖書を教え、教会を作ることで、長崎の人々は日本の宗教からキリスト教に改宗した。だが、江戸時代の幕府はそうではなかった。キリスト教徒(クリスチャン)をキリシタンと呼んで、キリシタンを認めず、日本では神道と仏教の神や仏に、国学とされていた儒教の教えやヒンドゥー教からやってきた七福神のような神を加えて、「神さまよせあつめ状態」を作り出した。
そうした政策を国がとっていたこともあって、日本人は昔から、独自の「和風文化」を作り出した。中国の文化をそのまま受け継ぐのではなく、日本の建築や美術、あるいは子供の遊びやスポーツに至るまで、さまざまな日本独自の文化を生み出した。
ここまで独自の政策を行っていたのは、江戸時代の日本だけである(朝鮮も開国までは鎖国をしていたようである)。他の国は、大なり小なりキリスト教の文化に悪い言葉で言えば「汚染」され、ヨーロッパの文化をそのまま取り入れたため、そんなに自分の国の独自の文化を持っていないのである。アジアの多くの国でも、多くの文化がヨーロッパ由来である。
だが、そうした独自の文化圏と経済圏を築いたことが、逆に日本の進歩や発展を大きく遅らせた。ヨーロッパは、あの時代フランスやドイツなどで近代化が行なわれ、蒸気機関を作っていた。ペリーを乗せた黒い煙を吐き出す巨大な軍艦が日本にやってきて、開国を迫られたことで、日本人たちの意識は変わった。それが、明治維新の倒幕時代、大久保利通のようなインテリに、「脱亜入欧すべき(アジアではなくヨーロッパにすべき)」という考え方を根差させていった。今からは、開国して、ヨーロッパと対等に渡り合い、蒸気船のような強い軍隊と、資本主義の経済で自ら稼いで人々を豊かにしていくべきだ、という意識に完全に変わっていった。時の政権に為す術は無く、徳川幕府に明治維新の新政府勢力は勝利した。彼らは日本をヨーロッパ化し、イギリス、フランス、ドイツの政治体制を学んで、「ヨーロッパに勝つために作る」という意識で、さまざまな技術を真似して、富国強兵を行った。明治政府だけではなく、人々の意識も変わって、当時はさまざまなところで教育や経済の進歩が生まれ、人々はヨーロッパの科学技術を「自分のものに」していった。そういう昔のストーリーが、日本の地であったのである。今のSONYや松下と、何も変わらないのである。
学校の日本史では、「江戸時代は遅れていて、明治維新によって日本が近代化した」と教えられることが多いです。
ですが、僕が思うに、江戸時代は江戸時代で、進んだ社会です。江戸時代は遅れた社会に見えて、本当はあれが一番進んだ社会だったのです。
江戸時代、江戸は100万都市と言われ、100万人の人口がありました。人々は、幸福で、満ち足りており、平和で、自由で、平等で、そしてたくさんの独自の日本文化が栄えていました。
江戸時代は理想の社会です。そして、日本以外の諸国は、江戸時代のような社会の国が多いです。
明治維新によって、日本は「脱亜入欧」とし、アジアの文化を棄ててイギリスやフランスに勝利するために、帝国政府を作りました。天皇による専制統治を可能にする、大日本帝国憲法を配布しました。
この結果、イギリスやフランスの考えた民主主義かつ産業革命の国となって、日本は強くなりました。そう、それらの全ての政策は、「イギリスに負けないぐらい強くなるため」だったのです。
そして、強くなった結果、日本はアメリカなどと戦争を起こして、大敗北を喫して、その後は戦後の経済成長にちょうど科学技術の発展が重なったのです。
そうした「倒幕後の日本社会」は、確かに賢い社会かもしれませんが、江戸時代に比べて劣っています。江戸時代は最も優れた社会だったのです。
誰も言いませんが、おそらく、アメリカやイギリスはそこを警戒したのでしょう。アメリカは、江戸時代というもっとも優れた社会を持った国が、明治維新によって強くなり、「本当に白人国家を超える」のを警戒したのです。それを即座に倒して、アメリカは日本を民主主義国家にしました。日本は、アメリカに乗っ取られて植民地になってしまったのです。
江戸時代の特徴を一言で言えば、「成功したソ連」です。ソビエトと全く同じことを、260年間やったのです。結果、日本は素晴らしい文化にはなりましたが、遅れた社会になりました。ですが、彼らは本当に、本当の意味で進んでいたのです。
江戸時代は封建社会であり、身分によって職業が決まっていて、農家の子供は農家になるしかありませんでした。
たとえば、家の田んぼを継ぐのは長男です。
では、次男以下の男子、あるいは女子はどうだったかといえば、丁稚奉公(でっちぼうこう)に行くのが一般的でした。
丁稚奉公とは、要するに雑務をこなすためのお手伝いです。武家屋敷などの裕福な家に行き、給与は与えられず食べるものと寝るところを与えられて、風呂焚きなどの雑務をこなすような仕事です。
日本には、ローマ帝国のような「完全な奴隷」は少なかったと言えますが、実際は農民は年貢を武士に持っていかれながら、次男や三男は丁稚奉公をさせられるなど、ある意味「普通に奴隷となることを受け入れていた」と言えるかもしれません。
このような江戸時代を、その日本独自の和の文化から、「生きやすく住みやすい世界」であると思うかもしれません。
ですが、それは士農工商で言うところの、士(武士)や工(職人)や商(商人)の話です。
農である一般の農民、すなわち百姓は、米を作ってもほとんどが年貢に持っていかれます。
なので、自分たちが食べるものは、あわやひえなどの、年貢に取り立てられる白米以外の食べ物になります。
このような社会で、農民たちは、少しでも金を稼ごうと、稲を作った後の藁などを使って工芸品を作ったり、蚕を買って養蚕業をするなどして生きていました。
また、武士は従わない農民を切り殺しても、「斬り捨て御免」と言って罪にすら問われなかったのです。
江戸時代は、徳川将軍による参勤交代の時代でもあります。参勤交代により、地方の大名は江戸と地方を行き来し、家族は江戸に住む必要があります。これは、「大名の家族を人質に取る」ということであり、大名は家族の身の安全を考えて、徳川将軍に逆らうことができませんでした。そして、その結果、江戸幕府は長く安定して続いたのです。
また、江戸時代は鎖国の時代であり、外国のことなど誰も知りませんでした。なので、外国のペリーが黒船に乗ってやってきて、はじめて「自分たちは遅れた集団だ」と自覚しました。
結局、江戸時代は長く安定した時代でしたが、農民の側からすると決して楽ではなく、また大名も多くの犠牲を払って得た平和であり、その中でも日本は鎖国によって少しずつ遅れた社会となり、ペリーがやってきてはじめて、自分たちは遅れた社会なのだということが分かったのです。
この江戸時代の遅れた社会を変えるために、日本を封建社会からイギリスやフランスを模した近代立憲主義国家にするための革命、すなわち倒幕運動である明治維新が起きるのです。
2023.02.09
江戸時代の文化や社会は、決してヨーロッパに比べて遅れていただけの、鎖国時代の暗愚な文明ではありません。
明治以降の日本文化というのは、ヨーロッパからの文化の借り物です。特に、戦後時代以後の日本の社会は、ほとんどアメリカそのものです。
それに比べて、江戸時代の日本の文化は、確かに中国には似ていますが、本当はほとんど日本の完全なオリジナルの文化です。
江戸時代の日本の文化こそ、真に正しい日本文化です。
そもそも、昭和や平成の日本の文化が優れていたのは、高度成長期から続く「日本の科学技術と生産性」が優れていたせいで、西洋化した日本の現代文化を「賢い」とか、「進んでいる」と勘違いしていました。
ですが、バブルが終わり、IT技術の時代が到来し、日本の国力と生産性が少しずつ下がっていく中で、「昭和や平成の文化は本当は賢い文化ではなかった」ということが、今から明らかになっていくと思います。
今から百年後の世界では、江戸時代の文化が優れていると再評価され、昭和や平成の時代のほうが江戸時代よりも劣っていると評価されるはずです。
そう、江戸時代は決して、古く劣った日本の文化ではありません。今の戦後からIT時代そして未来へと続いていく新しい世界では、江戸時代のほうが今よりも優れていたと再評価されるようになるでしょう。
2023.04.26
江戸時代の徳川将軍は、自らの権力が誰からも打倒されないようにするために、それぞれの大名の力をそぎ落とす政策を行いました。
たとえば、参勤交代。参勤交代は地方を治める大名の妻や子供を江戸に住まわせて、大名自身は地方と江戸を行き来するような政策のことで、大名は江戸に家族を人質に取られてしまうため、徳川将軍に逆らうことができなくなりました。それによって地方の大名の力は削がれましたが、逆に国民にとっては安定した平和な時代が栄えました。
また、江戸時代の政策のひとつとして、鎖国があります。江戸時代の日本は、ほかの国と貿易や文化交流の点で交わることを拒否し、長崎の出島を除いては、外国のものや人が入ってこないように「鎖国」を行いました。それによって、江戸時代は世界とは異なる異質なガラパゴス的な文化が栄えました。江戸は大衆社会だったため、歌舞伎や浮世絵といった大衆文化が栄えます。その一方、鎖国政策によって、逆に日本だけが科学技術などの側面から遅れた国になりました。
ペリーによる「黒船来航」は、そのような現実を日本に突きつけました。ペリーが日本の開国を求めたため、その頃から「日本は鎖国せず開国すべき」という考え方が一部の知識人などの間で生まれます。
また、唯一貿易を許されていた長崎の、キリシタンの宣教師などの「バテレン」と呼ばれる人々は、日本にキリスト教を布教させようとしたため、それに危機感を持った江戸幕府はイエス・キリストの像が描かれた絵を足で踏ませる「踏み絵」のようなことを行って、日本からキリシタンを追放しようとし、なんとかして日本の独自の文化を守ろうとします。
ですが、それでも、日本が諸外国に比べて遅れた社会になったことは明らかな事実であり、遅れすぎた日本を近代化して開国しようという動きが生まれます。そして、西洋の進んだ社会制度と近代国家体制を導入し、西洋の文化と科学技術を取り入れるために、江戸幕府を倒幕して新しい近代日本帝国の元首として天皇を立てる、革命の明治維新が起きて、江戸幕府は260年の繁栄の末に倒幕されるに至るのです。
2024.05.19