戦後のものづくりの世界観。
戦後の会社員がやったことは単純である。それは、外国の製品を1つ購入し、分解して中身の仕組みを探り、どうすればこのような機械が作れるかを考え、元の製品と同じものを作って、もう一度作り直し、今度は「元の製品よりも品質の高いものを作る」ことができたら、それを大量生産できるような仕組みを作り出して、それを元の製品よりも安く、高品質に作って、外国に売る、ということである。
これをやったのが、今のSONYや松下のような大企業である。
そして、今の日本経済は、「輸入した額よりも輸出した額の方が大きいならば儲かる」という「貿易差額主義」によって成り立っている。農作物のようなものを安く輸入して、工業製品のようなものを高く輸出する。このことによって、日本は農業よりも工業の方が出来る国になった。工業だけを見ても、材料や素材のようなものを安く仕入れて、完成した製品を高く売る。これだけで、日本企業の株価は右肩上がりに上がっていった。人々はそうした「高度成長期」を満喫し、それがバブルと呼ばれて弾けるまで、成長し続けることを疑う人間は居なかった。
何より、当時の世界経済が、自動車の大量生産を始めとする、「人類はどこまでも進歩するかのような幻想」を生み出していた。日本は自動車だけではなく、テレビやウォークマンなどを作った。テレビは映像を遠くで見れるという「ありえない機械」だった。カメラも、絵の具でも筆でもなく「人間の形相をそのままに写し取れる機械」をして、最初は「魂が吸い取られるのではないか」と恐怖されたが、その後完全に定着した。そもそも、日本は明治維新の頃から、「アメリカやイギリスを見習って、自分たちで同じものをもっと優れた形で作り出す」という「文明開化の魂」のようなところがあった。それが、ただ平等な社会主義経済の反省として、歩合制と安い賃金で工場労働者を働かせて儲けている、中国などと違うところだろう。
日本は、家電製品と自動車を作るのが得意な国です。
これは、ただ単に日本が技術ができる、というだけではありません。軍需産業からの転用ではありますが、戦後、何も無くなった日本は、アメリカやイギリスの機械を真似して作って売るぐらいしかできませんでした。
そう、日本は国策として「パクリ経済戦略」を行い、結果、科学技術の発展した国になったのです。
同時に、そうした日本には、必然的に海外から投資が集まります。バブル経済の時代、日本の景気は右肩上がりで、何もかもが良かったです。昔は、電気式の冷蔵庫すらなく、冷蔵庫には氷屋が毎日持ってきてくれる「巨大な氷」を入れるのが当たり前でしたが、どんどん文明的な技術は向上していきました。
特に民衆を喜ばせたのが、テレビです。テレビによって、力道山の空手チョップが遠隔地から見れるようになった時が、日本の最高の時代でした。その後、カメラ、ラジオ、クーラー、冷蔵庫、洗濯機、電話、あるいはカラーテレビのように、どんどん日本は発展し、景気は上がりまくっていました。
ですが、バブル崩壊とともに、そうした景気が「バブルだったのだ」ということが分かりました。不動産を購入して地価の値上がりで儲けていた人々は、まるで嘘のように景気が後退し、日本は平成時代になりました。平成の世界、いじめや個人攻撃が増えていき、漫画やアニメも昔の「ヒーロー」だったものが、「暴力表現」に変わっていきました。オタクは迫害され、チンピラは社会の風土を乱していきました。
確かに、日本の技術はものまね猿にすぎません。ですが、そのものまね猿を世界で最初にやった、ということが重要なのです。韓国や中国や東南アジアで建設される工場と流出する技術は、やっていることは確かに日本と同じですが、「日本と同じことをやる」ということそのものに限界があります。日本はそうしたものの創始者です。日本のモデルは他の国にも応用できるでしょうが、日本自体はもっと別のレベル、ひとつ高いレベルで、アジアを導いています。そのため、中国製品は何年経っても粗悪なままです。日本製品は高品質で、なお安いのです。
経済成長と日本のものづくりについて言えるのは、「日本人はものを作るのが一番性に合っている」ということ。
日本は、モノを作って売ることで、アメリカなどにSONYやトヨタの工業製品を売って、そのための資材やエネルギーを外国から輸入し、貿易差額で儲けるということをした。
だが、実際のところ、それは帝国の軍需産業をそのまま、民間の平和的な技術に転用しただけである。
ただし、言えることは、現実のところ、日本はモノづくりの方が、人殺しのための戦争や争いをすることよりも、性に合っているということである。
日本はそもそも、帝国として世界全体を征服し、支配する、ということには向いていない。日本は極東の島国である。それも、長い間鎖国をしていて、それが明治維新で開国、富国強兵政策をとってその次の瞬間に、すぐにアメリカと戦争して、それですぐに負けたのである。
太平洋戦争は、開国後、少し焦りすぎたのである。力をつけて先進国になるつもりが、力をつける前の段階ですぐに戦争になって、そこで完全に負けて崩壊したのである。
だが、その後のモノづくりをベースにした、ある意味「賭け」のような形で、しかしながら「全力」で「経済成長」をしていたその姿は、世界から見てもかっこよかった。日本車を壊すアメリカ人もいたが、そんな中でも「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた。
そう、日本は、モノづくりの方が性に合っている。ものを作って、文化を築く、文明を高める、という発想に長けている。戦いとか軍事力とか、そういうものは日本の「島国気質」には合わないのである。
歴史的政策については、歴史的政策も参照のこと。