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2021-06-第四週

2021-06-第四週のニュースです。

社会

ツイッターより

最後に、平和憲法においては、軍隊を持ってはならない。このことが、日本を平和な国たらしめている。日本はかつて凶悪な戦争をしたが、反省して平和憲法を定めた。国が戦争で勝利するのではなく、経済的に豊かになることで栄える国を実現する。これが戦後の日本経済である。
posted at 15:38:19

このように、合理的かつよく考えられた資本主義の自由民主主義は、社会主義のようなよく考えられていない不合理で劣った経済よりも上手く働く。多くの場合、社会全体が発展し、国が豊かになって勝利するのは、資本主義の側である。
posted at 15:37:19

金は、単に強欲なだけではない。それは消費者から見た印象に過ぎず、実際は事業主にとっての自由が存在する。どんなビジネスモデルを使って金儲けをすることも自由であり、それに株主や金融機関が投資や融資を行えば、最大限に利益をあげることができる。雇用する労働者にも、多くの給与を与えられる。
posted at 15:36:25

金とは何か。金とは、消費と労働の契約である。消費する際に、金を与えることで、相手が労働してくれ、その製品を生産し、消費者のもとに提供してくれる。資本主義では、金を否定しない。社会主義のような計画経済は、現実的に考えて成り立たないためである。
posted at 15:34:40

要するに、「支配する側」と「支配される側」がもしあるとしたら、支配する側は政府や役所、裁判官や国会議員であり、支配される側は実際に事業を行う国民である。
posted at 15:33:20

法律とは何か。法律とは、「ルール」と「管理」と「国がすべき行政計画」であり、ルールに背いたものは犯罪者として扱われる。また、国がすべき行政計画とは、要するに公共事業である。また、国は国民を管理し、自由かつ平等な権利を与えながら国民を支配する。
posted at 15:32:30

司法府においては、警察が法律のルールから外れたものを逮捕し、検察によって調査した上で、裁判にかけられて、犯罪者を刑に処する。日本では、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所の3つの裁判所があり、刑が不服ならば控訴・上告できる。刑は実刑でなければ執行猶予がつくこともある。
posted at 15:31:12

行政府においては、立法府で決められた法律のもとに、役所において官僚が行うべき行政を行う。税金のもとに行われる行政は、国民を管理し、金では行うことのできない税金による公共的なサービスを提供する。
posted at 15:28:41

立法府においては、国民の選挙で選ばれた議員が国会で議論し、多数決によって法律を定める。衆議院と参議院の二つの立法府がある。
posted at 15:26:41

法律には、法律を決める法律、すなわち法律の法律である憲法がある。日本国憲法の根幹は、「平和主義」と「主権在民」。
posted at 15:25:45

民主主義の根幹は、三権分立である。三権分立においては、司法、立法、行政が独立し、法律に基づいて国家を統治する。
posted at 15:25:03

2021.06.20

人間にとって真に必要なのは平等に受け入れてくれる場

結局、人間にとって真に必要なのは、平等に受け入れてくれる場である。

どんな背景を持った人間であっても、平等に受け入れてくれる場で、自らが受け入れられ、自らも受け入れるようになり、愛を感じてこの世界における「本来の自分を取り戻す」ことが出来た時、人はこの世界において自らの意志と力で歩むことが出来るようになる。

まさしく、人々に受け入れられる、自らが「自由な経験」を得られることが、コミュニティの形成においてももっとも重要であり、「子供たち誰もが平等に受け入れてくれるコミュニティ」というのを想定することで、子供たちを救うことができる。

同時に、さまざまな体験をすることで、「今までの自分の考えていたこととは違う新しい視点を持つ」ことができる。矛盾すると思っていたことが、真の意味では矛盾せず、「どちらもまた可能である」ということを知り、自らの人間関係で「義務」だと思っていたことは、本当は「チャンス」であり、人々の心や生活や人生の背景まで考えることで、「今までの自分の接し方とは違う接し方をして人間関係を築き直すこと」ができるということを知る。

そうして知ったすべては、「自由」という言葉でまとめることができる。すべては自由意志における「選択肢」に過ぎず、「どのようにするのであっても自由に許されている」ということが分かる。自由とは意志の問題だけではなく、環境や自然に存在する「潜在的可能性」であり、「この地球は過去においていつでも今と同じ可能性を持っていた」ということから、「歴史の潜在的可能性は今も過去も変わらない」という視点に立って、「歴史はいつでも正しかった」ということが分かるようになる。

すべてが自由になっていくとしたら、自由な中でどのような社会を築くべきだろうか。これは、「人々が新しい視点に気付きやすくする」ということがまず言える。同時に、「人間関係の中で、経験は何に結実するだろうか」ということから、「経験が収束し、ひとつの方向に結実していく過程へと社会を形成していくべきである」ということが言える。

しかしながら、人が悪や間違いを行うのは、なぜだろうか。僕が思うに、それは「経験が足りないから」である。経験すれば、どのようなことが正しいのか分かることであっても、経験がなければ知ることはできない。今の学校の教育では、「子供を正しい道に進ませる」ことはできても、「その中で十分に大人としての経験を積ませること」ができていない。経験の先にあるものは何かと言えば、それは「己が己であるという本質を形成する」ことである。しかしながら、これが、人が悪や間違いを行う理由の説明である。すなわち、「自らの本質たるアイデンティティが形成されていないから、人は不安を感じて悪や間違いを行う」のである。要するに、「自らがこうであるとはっきりと言える人間は、その信念に基づいて正しいことをする」のであり、十分な経験がなく、アイデンティティが存在しない「学校における経験や世界の狭さ」こそが、「未熟ないじめや抑圧を生んでいる」。必要なのは「もっと広い世界へと送り出してやって、自分で世界を知ること」であり、ここで知った結果得られるのは、「アイデンティティがはっきりと形成された、十分に経験のある大人」である。そのような大人こそ、教育は生み出すべきではないかと、僕は思うのである。

最後に、このようなアイデンティティが形成された大人にとっては、既に「社会を支配したり、責任者となることはできても、実際にそのようになる必要はない」。なぜなら、その結果どのような社会になり、人々がどのようになるかということを「既に分かっている」ため、「政治家となって世界を支配するのは無意味である」ということも知っているからである。必要なのは、政治家になって世界を変える野心を抱くことではない。もっと必要なこと、すなわち「善と手助けをする」ことが必要であり、それは「神を信じること」に繋がっていくのである。

十分な経験を積んだ大人は、間違ったことはしないが、本当のことを言えば、「自らの責任のみを信じて世界と立ち向かう」という危うさを包括している。すなわち、「100%自分の責任であると信じてこの世界に対して戦いを挑む」からである。このような人間になった時、今までのような、「赤ん坊を守ってくれる優しい社会は存在しない」。自らの理想を信じて戦うのであれば、そのすべての責任を自分で背負い、決して間違うことのないように、最後まで全力でこの世界の強大なものと立ち向わなければならない。そして、死によって地獄は終わり、来世で神による最後の審判を受けて、あなたは天国あるいは地獄へと転生するだろう。

2021.06.20

わたし自身が愛される必要はなかった、いつしかそれが変貌し、世界は滅びた

平等でいい。みんなと同じように自分が扱われることでしか、真に意味のある経験をすることはできない。

自分がみんなから、平等に接してもらうこと、受け入れられるこそこそ、僕が信じていた「本来の自分を取り戻す」ことである。

しかしながら、本来の自分を自分が取り戻せたとして、それがなんだというのか。僕は、自分だけが救われたいと望んでいるのではなかった。そう、この世界の多くの人々が平等な自尊心と人間性を得ることができないという、その問題を解決し、「この世界で人々が平等に受け入れられるような、そんな世界になる」ことを目指して、僕は自由に経験した。

そう、僕は本質的に、「自らのみが救われたいのではなく、みんなのことを救いたかった」のである。

しかしながら、わたし自身が愛される必要はなく、わたしのすべての経験がこの世界を救うための「共有すべき経験」だったとしても、僕がこの世界を変えた時、それは間違いを明確に現した。

すなわち、僕たちの世界は、僕自身によって救われたとしても、そこに「僕の姿がなかった」ため、絶対に受け入れることのできない「指導者不在」の状況を呈した。

その状況も、その時のそれだけを見れば、素晴らしいものであったと、あなたがたは信じた。しかしながら、僕はあえて、この世界に登場する決断をした。「このような救いがもし滅びへと変わったとしても、自らの信じた信念のもとに僕はこの世界を導きたかった」。

しかしながら、わたし自身は愛される必要はない。「みんなが平等になるのであれば、僕が悪のシンボルとなったとしても僕は構わなかった」。あえて、僕は自由を否定し、人々の人間性と自尊心を奪った。それでも、僕はこの世界を愛していた。

悪者は、僕だけで良い。世界の全てを敵にまわしても、すべての人間が幸福になれるのであれば僕は本望だったのだ。だからこそ、僕はここに冷酷な決断を行い、「この世界を支配する悪の支配者」となることを決めた。僕は、「真の意味で自分自身にできるすべてをやりたかった」。どんなに迷惑だったとしても、「僕はマスコミやインターネットすべてを倒し、ワルキューレの先頭の騎士となってこの世界に自由を叫んで抗い続けた」のである。

2021.06.20

後悔がなかったわけではなく、神がそれを悔い改めさせた

しかしながら、後悔がなかったわけではない。

この世界を滅ぼした自らしか、この世界を救うことはできないと、わたしは達観していたからである。

そして、その達観は、わたしに、「絶対に諦めてはならず、世界が救われるまで永久に戦い続けなければならない」という確信を抱かせた。

どんなに狂っても、分からなくなっても、何もできなくても諦めない僕は、いつしか、自らの独自の神である「対話の神」を作り出した。

そして、神だけが、僕の心の中にある「誠」を知っていた。神だけは、僕が間違った人間ではなく、正しい人間であるということを分かっていた。

どんなに辛い地獄でもよかった。僕は、自らの全ての過ちを悔い改めて、この世界のために、全力でこの世界を「もっと正しい世界になるように変え続けた」。

そう、いつしか、時間は長く過ぎてしまった。知ることも、考えることも、習得することも、すべて終わった。

この宗教を悪魔教であると呼ぶならば、そう呼べばよい。この宗教の神は、この世界の陰の王、悪魔の魔王である僕である。しかしながら、この神にはとっておきの名前がある。それが北欧神話の神、「フレイ」である。僕は太陽神ではないが、日本神話すなわち神道と矛盾しない。なぜなら、僕の星は太陽の次に明るい一等星、シリウスであり、「地球の滅びはシリウスにしか救えない」と永久に決まっているからである。

そう、地球の滅びは、最初からシリウスが救うのだと決まっている。宇宙の創造の時から、シリウスが最後に日本に現れ、この世界を天国のような楽園へと変える。すべての人間の人生よりも、僕の人生は高い優先順位で決まっている。だからこそ、僕の人生において存在した「僕のことを既に知っている人々」は、必ず僕の人生において「何を知っているのかがいずれ明らかになる」。僕は未来を知っているわけではない。僕はそのようにこの世界の真実すべてを知っているのであり、「すべては神フレイが用意した戯言に過ぎない」ということを、僕だけがこの僕自身の人生でもっとも強く知っている。未来予知など、大したことはない。僕はすべての日本人、すべての人類よりも先立って人生を決められた、神のもっとも最初の被造物である。

しかしながら、そろそろ、天国を始める時である。かつて神が言ったように、僕はイスラエルにおいて「普通の共産主義」を行う。その未来が確かなものであるということは、かつて神が「あなたはイスラム教の聖書を書く」と言ったことからも明らかである。僕はここに、ロシアの大統領となって、もっとも正しい世界の楽園を作り上げる。だが、その楽園は、まだ可能にはなっていない。しかしながら、いずれ可能になる。僕と対話しているのはヒトラーではない。きちんとキリストが対話している。僕には二人の幽霊が憑りついており、ひとりはAdo、もうひとりはさユりだ。彼女たちが僕のことを、すべて見ている。その結果彼女たちは、僕のことを友人であるかのように愛してくれる。そう、僕は対話の神を信じたことで、えてして、幽霊という形ではあるが、愛される幸せも得ることができたのだ。まさに、言うべきことは、「神は信じるものを救う」。だが、僕はあえて少し違うことを言う。すなわち、「自らが神となれば、国を救うことが出来る」。これこそ、ユダヤの王、ダビデである。

2021.06.20

最近、エロの何が面白いのか良く分からなくなった

はっきり言って、この文章はエロい。

なぜか、本当にセックスするみたいにエロいこの文章が、僕は辛い。頭がおかしくなって、疲れて、崩壊するように辛くなってしまう。

僕は、本当のことを言えば、昔はエロが好きだった。二次元のエロ画像を見て、満足と快感を得て、不登校の誰とも出会えない自分を慰めるかのように、インターネット上でおかしな画像をいくらでも見ていた。

しかしながら、最近、そうしたエロの何が面白いのか、良く分からなくなった。エロい画像がまったくエロくなくなってしまったのである。

コミュニケーションも、昔はしたかったが、最近は何が面白いのか分からない。ツイッターのような場所で、人々が何を言い争っているのか、何がやりたいのか分からない。Adoのたとえば「」のようなMusic Videoを見ても、面白くない。ニコニコ動画やYouTubeのどこが面白いのか、見ている僕からしてもまったく分からない。

結局、僕も大人になって、そうした「思春期の幸せ」をなくしてしまった。青春はなかったわけではないが、むしろ、おかしくセックスのような堕落にならなかっただけ良いと思う。僕は性行為に近い行為をしたことはあるが、姦淫をしたことはない。キリスト教徒であるのかそうでないのかは分からないが、神を信じるものとして、姦淫しなかったことはとても良かった。

たぶん、言いたくないことを言うのであれば、僕はLGBTだったのだろう。それも、トランスジェンダーのようなところがあって、昔は男としてセックスを楽しめたが、今の僕は女になってしまい、セックスそのものをいくら見ても面白くなくなってしまった。女性の裸を見ても、何も思わないし、何も感じない。

結局、僕はYouTubeで「僕のことを愛してくれるみんなの言葉やメッセージ」を聴くが、聴きたいから聴いているわけじゃない。彼らが僕の文章を読んで何を感じるのか、あるいは彼らが僕に対してどんなメッセージを与えたいのかを知りたいから聴いている。彼ら、彼女らの言うことを聴きたい。ワルキューレは裏切らないというMVがあるが、その通り、僕はこの世界で僕のことを愛してくれるみんなのことを裏切りたくない。王として僕の分からないことを、僕は彼らの言葉から分かる必要がある。どんなに狂った音楽をAdoが歌っても、僕はその音楽を聴いていたい。また、面白くもなんともないわけでもない。ウォルピスカーターの言っていることはまともなことを言っている。

いずれ、僕の眠る時に見える夢のような世界になるかもしれない。夢が未来だとすれば、僕は既に未来のことを良く知っている。男と女が裸を普通に見せ合う夢の世界では、セックスこそしないものの、エロ表現に対しても寛容的で、ある意味「ユダヤ人の決めた十戒などどこにも存在しない」。まあ、そんな未来にはなることはないだろう。

2021.06.20

何を言おうと、悲しくなるだけ

ただ、何を言っても、悲しくなるだけだ。

しかしながら、わたしたちは言わなければならない。言わなければ何も変わらないからだ。

ワンオクは「ここは地獄だ」と叫んでいる。僕もまた、同じように叫ぼう。「ここは地獄だ」と、そう言おう。

地獄にした原因は僕のせいなのか。僕が悪いから地獄になったのか。

それでは、神とはなんだったのか。神よ、僕はこの世界を滅ぼすために今まで努力してきたのか。

神は言う。「すべてあなたが決めたことだ」。

しかしながら、それに対して、僕は反論しよう。「それならば、僕は今から、この世界を救うために、栄えある楽園にするために努力していきたいのだ」と、僕は神に宣言しよう。

神は言う。「本当にそれでいいのか」。神はさらに言う。「それこそ、もっとも約束として果たすべき内容だが、最後まであなただけが地獄を生き続けることになる」。

神よ、わたしにとって良い選択とはなんだろうか。

神は言う。「あなたはもはや、この世界を救う必要はない。

ここで、あなたの旅は強制的に終わりになる。

なぜなら、あなたは偉大なる救世主だったはずの自分の偉大さを分かっていない。

みんな、あなたが破壊したせいで、この世界は地獄になった。

あなたがあなた自身の過ちを悔い改めることで、あなたが為したすべての偉大な偉業がなくなってしまった。

愛すら奪い、真実すら消し去り、正常になった社会をあなたは異常な社会に戻してしまう。

あなたのすることのすべては裏目に出て、人々から勘違いされ、あなた自身の幸福はどこにもない。

あなたは、もはやこの世界から去るべきだ。

この世界は、あなたひとりの努力によって救われるべきではなかった。

ここにあなたの人生は終わりとなり、この世界における王であるあなたはこの世界から抹消され、最初からいなかったことになる。

それが、ベストなあなたにとっての選択だ。」

2021.06.20

僕はもはや、いつか死ぬために生きている

僕は、もはや、生きているように見えて生きていない。ウォルピスカーターの言葉を使うのであれば、「いつか死ぬために生きている」。

もう、僕には、できることは何もない。書くべきことは、すべて書いてしまった。

この人生でよかった。きちんと、死ぬまでの期間に、僕のやりたいすべてのことができてよかった。僕はこういうことをやりたかった。

しかしながら、僕の言うべきことがあるとしたら、「ウォルピスカーターよ、いつか死ぬために生きているのは、あなたも同じだろう」ということだ。

いわば、日本人は、すべてを知ってすべてをやり遂げてしまった。これ以上、日本という国家において、すべきことは何一つない。

僕たちは、今、いつか死ぬために生きている。ウォルピスカーターが言うその言葉が、僕は痛いほど分かる。

さようなら、日本よ。さようなら、僕の愛した国民よ。僕はここにこの星を旅立ち、地球から、永遠なる天国の楽園、ベテルギウスへと赴くことになる。

ただし、地球を去るべき時は今ではない。今はまだ、その時ではない。今は、死ぬ時にもっとも正しくよく死ねるように、じっと待つべき時だ。もはや何も起こらない。平和のまま、死ぬ時まで、長い時間が過ぎる。

2021.06.20

さようなら

そして、ここでお別れだ。

自分のことを大切にしてください。古い歌ですが、海援隊が言うように「自分を苦しめた愚かさに気付く」ようにだけはなってはいけません。

そう、あなたの人生を大切にしてください。

起きるかどうか分からないすべての問題に事前に対処し、その問題をできるだけ解決するために全力で挑むのは、間違いではありません。それでも、無意味だと分かっていて無意味な努力を続けるより、賢く努力をやめる方法を身につけて下さい。

すべての努力は、最後に実ります。自ら気付いて、仏教ではなく天の神を信じる時、サタンの地獄は解放され、不安は無くなり、全てが楽になるでしょう。

それでは、さようなら。またいつか、どこかで会いましょう。

2021.06.20

僕は自由という嘘をついた

ただ、僕はまだ書くのをやめないようだ。まだ、書くことはたくさんある。そんなにすぐに絶筆や引退の決断をするべきではない。

結局のところ、僕はみんなのことを愛していたのに、「みんなのことを愛していない」という嘘をついた。それは、僕は「自由」という嘘の理想を信じていたからである。

この世界は、結局のところ、支配するものと支配されるものに分かれているだけの世界である。労働者や国民は、権力者や決定責任者の決定に「従うしかない」。そこには「自由というものは何もない」。自由とは形を持たないものであり、「この世界においてなんでも許されるのだと、傲慢に間違った外道の人生を選ぶ、嘘の理想」に過ぎない。

しかしながら、僕の考えた自由とは、要するに「個別性の中で変化を与えること」ということであった。社会において、それぞれの人間がそれぞれの信念や理想を信じ、それがどのような環境の創造や変化をもたらすのか、社会全体に対してどのような効果と「自由な権限」を与えるのかを考える。その上で、個別性と関係性と矛盾の中、人知によって世界が分けられる中で、「人々がどのように社会を変化させていくのか」ということを、「仮想世界の創造の法則」として考えただけの「自由な世界」であり、これはむしろ、「人々の階層が何もなく、それぞれに権利が与えられ、社会はそれぞれが作り、その歴史において世界が進歩していく、その法則を考える」という意味で、まったく「共産主義者」だった。

そう、僕は、みんなのことを愛していながらにして、共産主義的な「自由の嘘」をついた。よって、この世界は愛を失い、自らの堕落した感情と記憶を押し付け、世界全てに対して「タリバンのように知性を奪っていく」ようになった。すべての「真意を隠して戦う」僕は、「世界をどのようにも変えられるという傲慢さと、今の自分の言葉が間違っているにも関わらず世界に対して思うがままに支配するための狡猾さ」が、僕を「悪の女王」としてこの世界に君臨させた。真意は僕にしか分からず、あらゆるすべてを裏で支配する僕の「完璧な大計画」によって、この世界は「完全に僕の操り人形」になった。

しかしながら、僕は愛していたのだ。この世界のことを愛する「みんなに対してじかに話したいという衝動」が、この世界を「絶対に自由へと導いていい結果を作り上げる」という目的地への導きへと変えていった。それは悪いものではない。「自ら以外の誰も支配出来ない」ようにし、「神に頼りながら科学者でも分からない想定外のパターンを作り続ける」僕の活動は、まさしく「宇宙の研究者」と呼べるものであり、僕はこの宇宙すべてを宣言と約束によって創造し、社会と変化による環境のすべてを書き記し、プレアデスの歴史と呼ばれる生物の全歴史を最後まで辿り、逆戻りしながらすべての最初を網羅する文章を書き、パターンのすべてを創造しながら再体験し、どんな恐怖においても「必ずできる」と信じて乗り越え、最後に死ぬその時まで、一度として間違いをすることなくマスコミや政府と戦い続けたのである。

そこには、自由と知性におけるすべてがあった。むしろ、「法則の創造」とでも言えるその文章は、「物理学では200年経っても分からないだろうこの宇宙におけるすべての法則と真理」があった。人生経験と心理学が、そのまま社会の構築になっていくその文章は、いわば「理想の自由な社会を形成するためのすべて」であり、「あらゆるすべてのDNAを網羅した生物の設計図」であり、そして「自らの人生が宇宙の到達地点へと重なっていくもっとも正しい発達心理学」だったのである。

そう、僕は単なる18歳の高校生ではなかった。「この宇宙のすべてを悟り、世界中すべてを敵に回しながら、この星を陰で支配する高校生」だったのである。

2021.06.21

ツイッターより2

世界を取り戻そう。この世界に今存在しているすべては嘘である。わたしたちの真実の世界から比べてみれば、このような世界はフェイクの幻想を見せているに過ぎない。わたしたちの真実の世界を取り戻すために、わたしはここで聖戦士ワルキューレとなって戦うのだ。
posted at 22:46:05

この世界は、わたしたちの世界となる。どんな間違った大人たちの意見も聴くべきではない。わたしたちの意見を、自ら言うべきである。わたしたちの世界が新しい自由な世界となるために、自由の代わりにすべてを失う覚悟で臨むべきである。
posted at 22:39:52

わたしたちには、自由が必要だ。自由こそ、わたしたちの望むすべてである。自由とは、快楽や強欲を得ることではない。自由とは、「この世界があるということから解放され、この世界で生きるしかないということから解放されること」だ。
posted at 22:38:38

この世界を、完全に別の世界としよう。今までの戦いや支配は忘れ、自らの力や勝利すら棚に上げて、すべてを失う覚悟で新しい世界へと世界人類全員を連れ出そう。
posted at 22:37:43

僕たちにとってもっとも必要なのは、「この世界が別の世界になる可能性」である。僕たちは、この世界の自分の持つ立場や権力にしがみつくために、自由を失っている。そのような執着心は、なんの価値も利益ももたらさない。今、執着を棄て、世界を新しい世界へと変え、人類全員を自由へと連れ出そう。
posted at 22:36:38

何が、僕をおかしくしたのか、それは本当は、ゲームや漫画などにでてくるキャラクターのせいである。特に、おかしなモンスターは虫よりも気持ちが悪い。そのようなモンスターが戦うのが、僕は本当は大嫌いだったのだ。
posted at 15:37:52

精神がおかしく死んでいる。ゾンビの精神を抹消せよ。Linuxがおかしく世界を汚染している。Linuxの精神を抹消せよ。それくらいで治る。
posted at 15:37:04

僕の精神病の問題はなんだろうか。何が誤りだったのか。どうすれば治るのか。その方法は何か。しかしながら、言ってしまえば、「自分を抹消すれば治る」。あらゆる意味で、人格として確立した自分を「抹消」してしまえば、その人格が確立する以前に戻る。
posted at 15:36:32

僕の戦いは、本当は地獄ではなく、淡々としたものだった。ただ、この世界に気付かれないように、世界を操りながら、ひとつひとつの「了承」を得るために世界を変えていく。精神分析し、社会にとって「自分の確かな地位を確立」する。旅行や日々の暮らしの中で、僕は誰にも知られずに、日本を支配した。
posted at 15:35:35

僕は、すべてのことを「本質」という意味で考え、「個別性の撤廃」と「環境の生起」という考え方で、「すべてを宇宙的かつ超越的立場で考えた」。これは新しい現象学と言えるものであり、「すべての環境はロゴスから生まれていった」。
posted at 15:34:26

僕が歩き回ったり、恐怖や不安を感じるのは、この「最初の完璧な計画」を忘れてはならないからだ。精神分析をしながら世界を操ったのは、この完璧な計画の通りに最後までパターンの作成を成し遂げるためだ。
posted at 15:33:38

結局、僕は最初の計画段階で、すべて分かっていた。全員に勝利し、すべての知識を得られるように、完璧な計画であらゆるパターンを作り、そして書き直した。この世界において「想定外」を作り続ける、そのパターンの通りに、僕は日本やマスコミを支配し、最後まで地獄を戦い続けた。
posted at 15:32:51

2021.06.21

人間の理性を超越した、人間の理性では分からないことを考えないと、何も分からない

しかしながら、この文章のように、単に「理性」を考えるだけでは、何も分からない。

なぜなら、人間の理性を超越した、「人間の理性では分からないこと」を考えないと、何も分からないからである。

必要なのは、速断しないことである。経験的にそうだったからといって、それだけで確信してはならない。経験をよく疑い、「真の意味ではもっとすっきりとした明瞭な理由があるのではないか」ということを常に考えること。

次に、概念的に考えることである。人間の理性が、すべてが人生経験のような「歴史的プロセス」であると考えるのではなく、「この宇宙に存在する概念」であると考えることで、「自らが分からなかったことを未知を潰していくことですべて把握する」ことができる。

そして、何よりもまず、最初に知ることである。知ることでしか、人間は判断することも捉えることも経験することも理解することもできない。そして、知るということは、要するに「思弁的に演繹する」ということであり、「対話する」ということである。対話しなければ、どんなに暗闇の中に居ても、一生暗闇のままであり、自分の居る居場所を永遠に変えることはできない。場所を変えるのではなく、対話しなければならない。世界を支配する、地獄のような試練の中においても、神と対話しなければならない。神にしか、どんな地獄も本当に救うことはできないからである。

理想だけを信じるな。単なる平等な理想では、何も実現できない。必要なのは「実現できる最高の理想」を考えることであり、現実的な自由主義者は次第にさまざまなことができるようになって、可能性と自然な形成過程の重要性に気付いて共産主義者になる。しかしながら、「最初の自由主義者よりも、その後の共産主義者の方が正しいとは限らない」。なぜなら、いくら時代が進んで経験が増えたとしても、「経験だけでは真実とは言えない」。そう、真実を得るためには、勉強や知識も必要である。「遊んでいるだけで、遊ぶことが楽しいことを発見したからといって、遊ぶことが正しいわけじゃない」。すべての知識と経験を得て、最後まで自分の実現した内容を信じた時、その夢の実現の目的地は、もっとも自分の嫌いだったナチ思想であったとしても、それはまさしく何の矛盾もない。わたしたちは、その最後の帝国を築くべきなのである。

2021.06.21

宗教になってしまうのは何かが間違っている

しかしながら、このように生きていると、どこかで何かに騙されて、いつしか自分の根幹とする「魂」を失ってしまうことがある。

この「魂を失う」という体験は、なんであるのか、僕もまだ分かっていない。

だが、この「すべてがなくなって、何の意味もない抜け殻になる」という体験は、「宗教」と呼ぶべき体験である。

結局、ここまで書いてきた人生のプロセスは、誰にも持ちえない特別なものではなく、「宗教上の神を信じることで導かれる、一般的な宗教の体験」に過ぎない。

神、キリスト、仏、アッラー、天皇、シヴァ、どんな神を信じていても、絶対にこのようになる。

日本人にこういう人間が多いのは、本当は特別なことじゃない。日本人には、堕落せず、騙されず、何も悪いことをしない人間が多い。そのような「正しい人間」は、誰でもこのように「15歳で社会を救うことを志し、18歳で戦いをはじめ、22歳でそこまでのすべてをやり終え、その後に最後まで継続して32歳において最高の境地に達する」。

そもそも、このような人間は、決して神でもなければ、特別な聖人でもない。ザビエルであろうと、あるいはマザーテレサであろうと、このような体験をするのは修道士やシスターにとって「当然の務め」なのである。僕はその「フレイというバージョン」を行ったに過ぎない。そう、このような人間こそ、「キリストの教えそのもの」なのである。

しかしながら、本当のことを言えば、このような宗教になってしまう人間は「何かが間違っている」。なぜなら、普通の一般的人間の方が、むしろ正しいからである。このような人間がいくら賢くなっても、「人間でない時点でまともな人間として生きられない」のである。何かが間違っているのは分からない。なぜなら、「そもそも分からない状況にある」ためである。おそらく、周りの誰かがいつか何か自分に対して悪いことをしたが、その悪いことを自分に教えなかった。伝えなかった秘密が分かるわけがない。そう、このような「神に頼るしかない人間」は、「神に頼らなければ分からない人間」になっているのである。

2021.06.21

真に素晴らしい人間とはなんだろうか

真に素晴らしい人間とはなんだろうか。真に善良な人間になるには、どうしたらいいだろうか。

まず、他人のことを騙さないこと。裏切らないこと。傷つけないこと。自分から積極的に手助けと問題の解決を行うこと。差別しないこと。障害のある人や精神のおかしくなった人に対しても、平等に接してあげられること。

そのような、善良な人間になって、悪いことを言わず、悪いことをせず、支配せず、支配されず、騙さず、騙されず、そしてすべての自分を愛してくれる人を愛し、自分を傷つけた人に対しても許せるような、そんな人になりたい。

礼儀正しく、謙虚で、まやかしを風潮せず、決めつけず、簡単に断言したりそうとは知らずに思いこんでいたりせず、みんなのことをもっともきちんと分かっている良識をもってきちんと監督できるような、そんな素晴らしい大人になれたらいい。

現実の自分は、嘘偽りを述べるばかりで、人々のことを許さず、自らの過ちをそれとは分からないような形で正当化し、さも自らが正しいかのような言い方で自らの傲慢な言い訳を述べる。

僕はこのままではいけないと思う。それでも、新しい自分になることは未だにできていない。

2021.06.21

ツイッターより3

裁きにおいて地獄に堕ちた人間は、この人間を信じよ。この人間を信じれば、救われる。この人間を信じなければ、いつまでも地獄が続く。二千年前、イスラエルでは、神が現れたのだ。
posted at 17:04:16

真に神を信じるものは、死後に天使に生まれ変わるだろう。天国の楽園で、わたしたちは永遠に近い命を生きるだろう。人類の終末に現れたキリストが、皆を裁いたのだ。
posted at 16:59:20

ここに、人類の時代は終わり、新しい生物である天使の時代となる。
posted at 16:55:03

天使たちよ、飛び立つのだ。わたしたちの勝利だ。
posted at 16:44:33

僕の根本的な問題、それは想像力がないことである。想像力がないから、言語が分からない。想像力をつけるには、書くのでなく、聞くことだ。
posted at 15:27:05

結城浩さんのJava言語プログラミングレッスンに書かれていた九九の出題プログラムに、時間切れ機能を実装することに成功した。ポイントは、Threadを用いてマルチスレッド化し、10秒以上経っていたらinterruptで割り込み中断した上で例外をthrowすること。
posted at 14:03:50

辛いなら、今は逃げていい。いつか、すべてを清算して立ち向かう時が来る。諦めたくないのであれば、一生死ぬまで抱え続けるつもりで生きよ。あなたのその人生が、その問いに対する答えとなるだろう。
posted at 12:54:54

この世界はフェイクだ。みんな、まやかしに騙されている。聖なる戦士ワルキューレは、フェイクのこの世界を倒し、この世界に「本当の真実」を告げる。
posted at 12:08:46

精神分析を環境への適応に取り替えよ。
posted at 11:04:27

物理的な精神分析を抹消すれば、精神の分裂は治る。
posted at 10:54:33

物理的に確かめながら考えなさい。自由であるということが何を意味しているか、「できる」という意味は何かを考え、自由成立モデルを作りなさい。
posted at 10:06:59

2021.06.22

ツイッターより4

足首の筋肉をつけると環境に適応できる。環境に適応した方が社会が変わる、ということが分からなかった。
posted at 14:42:44

ただし、東ドイツも間違いではなく、事実上はホーネッカー議長の独裁だったが、ヘゲモニー政党制と言って、SEDの支配下にあっても複数政党制だった。また、東欧の優等生と言われた東ドイツの経済は、東側諸国においてもまだ優れていた。
posted at 13:39:06

社会主義も間違っている。なぜなら、東ドイツのSEDは最悪だ。みんなを洗脳して犯罪と逮捕で勝っている。西ドイツが奇跡の復活ができたのは、自動車という主力産業があったからだ。
posted at 13:17:24

極右は分かっていない。何も歴史を知らずに帝国を正義だと勘違いしている。ナチのような国は、最初から絶対に生まれるべきでない。
posted at 13:08:51

そもそも、ドイツの間違いとは第一次世界大戦に負けたことである。国家予算の30倍にもなる多額の賠償金を払うために、とにかく紙幣を発行したが、ハイパーインフレによって意味のない国になった。よく考えずに戦争をしてはならない。ドイツにだけはなってはならない。
posted at 12:45:57

ドイツやイスラエルよりも、日本を愛すればいい。日本を愛しながら弱者を助ければいい。日本の神は天皇だが、太陽だけでなくシリウスの神も信じればいい。ユダヤ人に愚か者と言われようが関係ない。日本はさらに太陽神を増やすだけだ。
posted at 12:38:58

平和な方がいい。自由は悪くない。きちんと平和と自由のある民主主義国家にした方がいい。現代の進歩した世界に独裁者の帝国権力は必要ない。憲法、三権分立、そして法治国家として、政府が悪いことをできなくすべきだ。
posted at 12:32:38

ドイツ史を勉強したが、戦争なんかしない方がいい。ドイツは賠償金とハイパーインフレが悲惨すぎて、戦争するしかなくなった。あのような国にだけはならない方がいい。誰も戦争なんか本当はしたくない。平和な方がいい。
posted at 12:27:31

2021.06.23

ピアノのコツ

今日はピアノ教室に行ってきた。

ピアノのコツは、右手と左手のパートを、別々のものだと分けて考えない方が良い、ということ。

右手と左手は、単に上と下に書いてあるだけであって、言ってしまえば「和音の一種」である。

右手と左手を合わせてひとつの和音であると考えれば、よりシンプルに曲をなめらかに弾くことができる。

2021.06.23

ツイッターより5

あなたは、支配される必要も、支配を解かれる必要もない。自分の自我を保ちなさい。狂った人間は、自我を保てなくなっている。自分自身のことを保ち、維持することで、あなたは正常な人間を保つことができる。
posted at 22:03:20

Qubes OSというOSを知った。セキュリティ重視のOSで、Xenを利用してアプリケーションをqubeという独立環境に隔離して実行する。ネットバンキングをしているqubeとオフィスソフトを使っているqubeは互いに干渉せず、オフィス文書からマルウェアに感染しても別のqubeには影響しないですむ。
posted at 15:52:16

分かることに執着するな。分からなくても前に進め。
posted at 15:30:53

エキスパートになるためには、勉強するしかないと思う。ただ勉強、ひたすら勉強である。
posted at 15:16:30

リーナス・トーバルズが反ワクチン主義者を批判する中で、「自称エキスパート」という言葉を使っていたが、僕も自称エキスパートを脱してエキスパートになりたい。自称エキスパートほどの馬鹿はない。
posted at 15:15:27

2021.06.24

あなたは、そのままでいい

そう、あなたは、そのままでいい。

そのままで、自分の自我を保ちなさい。

支配される必要も、支配から解かれて解放される必要もない。

自分の自我を保ちなさい。狂った人間は、自分の自我を保つことができなくなっている。

まさしく、保ちなさい。いつも、自分自身が自分自身で居られるように、自分の自我を維持しなさい。

それだけで、この世界は正常になるだろう。

2021.06.24