日記に戻る | 2015年2月の日記に戻る

=2015-02-24=

自分が出来ず、他が出来るように、土壌や環境を作る、という発想が多かった。

メタ的に考えた。

本当にその人を理解すると、悪い人間も良い人間であることが多い。

実地的に考え、システムと歴史を知り、考え方と段階が分かっていた。

コミュニケーション、反応、行動、同じと違うで分かっていた。

そろそろ、もう書かなくなる。もう何もしない。それで、もう辛くない。

知性は悪い。つけると、もう一度出来るようになる。それが間違っている。

論理的に考えれば分かる。そういう発想が数学だ。

ノートをワードに入力はおかしいから止めた方が良い。悪のような内容しか書いていない。

手段、能力、言語、可能性、多様性、論理性、類似性、必然性、が多かった。

論理的に考えれば、大学は出来るし、言葉も分かる。

数学は、しなくて良い。

論理的に全部創っていた。特性やプロセス、経緯など、世界を全部創造していた。

手段を良く考えれば良い。情報を教えたり、生産条件を成り立たせたり、会社を作ったり、前提と機会を学んだりすれば良い。

あとは、機械の仕組みを考えていた。設計図や仕組み、原理を考える、と言う。

あとは、裏の理由と法則を考える。命題と証明を考えれば良い。

論理的に考えると、分かるのが日本語だ。

日本のことをした方が良い。日本史や政治経済、日本文学や仏教の勉強をすれば良い。普通、それが社会科だ。ドイツなんか、ドイツ人が分かる。これ以上しなくて良い。する意味が無い。

哲学は、本当に難しい。教授なんか、哲学のことなんか何も分かっていない。自分が一番分かっている。それで良いから、もっと日本のことを知って、本を読んだ方が良い。

環境活動と言って、ロボットのように学習を考えていた。今考えると、悪い。

それくらいで、この文章を書くのも終わりだ。日本史は、線を引けば出来ると思う。

サルトルのように、人間の可能性が分かっていた。哲学は、それで分かっている。

楽は悪い。楽なんか、しない方が良い。一番辛いから、何もしないのが良い。

あとは、歴史なんか、最初からしたくなかっただけだ。ドイツ史なんか、これ以上したくない。意味が無いぐらい、意味が無い。全く意味が無いのがドイツ史だ。

日本史と仏教が良いと思う。さらに何か分かるのは、つまらない。既に知っていることから分かるとか、何か、そういう風に変えた方が良い。

あとは、グループと言っていた。グループと共有から社会を成り立たせる、と言っていた。

また、グループや人種と、個人は違う、と言っていた。

ドイツを止めると、楽になる。ドイツは、辛く分かる。

ドイツには、行動的な人間や、頭でっかちな人間が多い。日本は、全部同じだ。

日本の方が良い。日本が怖いのは、日本がありえないほど全部賢くて、馬鹿なものや悪い人間が何も無くて、皆頭が良くて、社会もまともで、理想的だからだ。

ドイツには、論理的に分かる人間や、戦う人間が多い。日本は、キモイ。

自由とは、組織になって、共有することだと言っていた。そのように、社会のことを全部考えていた。日本が分かると分かるだろう。

日本をすれば、きちんと社会のことが分かる。昔の自分は、そういう人間だった。日本で全部分かっていた。

法律や経済のことを分かるのも良いが、テレビやネットのことを分かった方が良い。

色んな国民のことを分かって、技術のことなどを分かっていると、日本が分かる。いつもの自分のように、分かるようになる。論理的かつ実地的に考えると良い。

あとは、無限の次元と波のベクトルがあるとか、2人が信じている通り現象が起きるとか、おかしなことを言っていた。

神は、6人居る。

ゼウスは、ユダヤの神とイスラム教を創った。

ヘラは、ドイツと天使、体験的な宗教を創った。

ポセイドンは、言葉の人格神と善悪と記憶を創った。

アポロンは、知と哲学者を創った。

アルテミスは、機械と人生を創った。

ヘラクレスは、戦争と信仰の革命を創った。

そのように、神が宇宙を創った。

イデアの中で、それは永遠で、よどみのない完璧なものだった。

全てのことは、自然な原因と結果であり、理性とは経験である。

認識と場の比較が多かった。全部、自由と言う名で、相対的な視点として書いていた。

知覚や感情は、記憶と同じように、経験である。

仏教のように、宇宙には自然な因果性がある。縁起と言う。