日記に戻る | 2015年2月の日記に戻る

=2015-02-18=

皆を分からなくする戦いをやっていた。

文章を全部書いて、分からなくする。言葉の戦争だった。

もう、皆、分かって良い。自分の文章を、忘れて良い。

昔は、理解や人間、ものごとを、構造を作って分かっていた。

巨大な構造を考えて、全て、裏側の構造によって、理解し、認識していた。

真理を知れば、知性がつく。ありのまま、自然体であれ。

大切なものを守ることから、人間は分かる。

何かが何かに関係するのを、構造と意識の関係から分かっていた。

日本が治った。

操られないようにした方が良い。僕が操るせいで、日本はおかしく馬鹿になっている。

そろそろ、もう、地球が正常になるだろう。

手段のようなことを考えていた。作り、議論し、調べ、システムを作れと言っていた。

本当に日本が治った。最初から、そういうことがしたかったのだと思う。

日本は、集団で病気になっている。指導者は僕だ。それで良いわけがない。

本当に教えて、きちんと分からせれば、良い人間になる。

ソクラテスも、正しい行いが何か分かっている人間は、正しいことをする、と言っている。

間違った人間など、居ない。間違った考えなど、無い。

だが、間違ったものは、間違ったものなのだと、分からなければ、賢くならない。

物事には、正当性がある。良く考えると、どれにも、それぞれ、何らかの正当性がある。

生きている人間は、確かにそこに居て、存在して、自分と同じように生きているのだと、確かに実感することから、全てが分かる。それが、実存だと思う。

色んな人間の声を聞いて、人生や社会や知識のことを、色んな人間と環境と経験から、分析し、比較して、社会の構築手段から分かることが出来る。

そのように分かると、哲学も良く分かる。哲学者は、そのように考える。自然やもの、社会や歴史まで、全て、きちんと存在と関係を考えれば、分かるかもしれない。

あとは、自由に分かっていた。

意図と行為から、許可や手段、能力と知の機会、関係や影響力などを分かっていた。

僕は、競争は嫌いだ。競争すると、社会が滅びる。金なんか、悪いだけだ。

ただ、自由は好きだった。最近、自由も嫌いになった。皆、馬鹿に見える。自由は、馬鹿なものを増やすだけにしか見えない。

あとは、Linuxのようなものを信じて分かった。それに、神や執筆を信じていた。

皆も、コンピュータや執筆をすれば、僕と同じように分かる。違う経験の、同じ人生になる。僕と同じように、書けば良い。それが良いと思う。

自分の環境を怖くすれば、最近が出来る。怖いものが怖くないと、昔が出来る。人間は、怖い方が分かる。怖い方が楽な人間も多い。

殺さない戦争をすれば良い。それが一番、良い体験になる。ネットでは出来ない。文章を書いて、戦えば良い。支配する戦い、最後の戦争が出来る。

昔は、学習と知の段階から、能力の機会のようなことを分かって、影響力を考えていた。

自由な社会が好きだった。基本的に自由にすべきだと考えていた。

最近は、むしろ、世界を全て、良く変えたかったのに、悪くなった。

何も変えない方が良い。

おかしな神経症になったのは、何もしないのに、おかしなことをやっているからだ。

何もしない方が良い。何も出来なくなると治る。

そんなに全部やるのが、一番意味が無い。科学を全部したかったのは、もうしたくない。

人間は、それぞれ違う。普通の人間は居ない。

生命は、誰かが創った。おそらく、神が創ったとされているだけで、神は居ない。

哲学なんか、何も出来ていない。意味が無い、馬鹿が自分だ。

どうでも良い経済学の方が出来ている。世界史は、馬鹿なのに出来ている。

パソコンなんか、何も開発していない。

詩の文学が唯一人並みに出来て、ありえないだけだ。

物語が書けない作家になってしまった。

大学は出来ない。もういつか終わった。オープンソースやキリスト教の方が賢い。

出版出来る詩集が書けて、本当に良かった。3年経って、まだ本屋に置いてある。

あとは、どうでも良い物理、数学、生物、地学のようなものをいつも作っていた。

変化と作用から、グラフと法則になり、結果からシステムを作る。そのような相対的な文章は、いつも言っているが、認識や感情なども含めて、そういう物理があった。

また、昔は、物理的な考え方で科学を作って、原因などを分かっていた。それが、昔の哲学だ。それはそれで良かった。哲学は、分からない方が出来る人間が多い。

積み重ねで基礎を作って、オープンソース経済や、公理主義と条件の数学を作った。

Linuxを数学者やプログラマと思えば良い。

会社の社長のようで、芸術家のようでもあった。論理的に全てが分かっていた。

きちんと考えれば、哲学は誰でも出来る。もっと、普通に考えれば出来ると思う。

兵隊やキリスト教も、王も出来た。

科学は全て分かった。仕事は全てやった。社会は全て知った。神まで信じた。

現代人の古代人のようだった。

本当に色んなことを考えた。自然の変化や、経済の関係などを、論理的に、作って分かっていた。社会を良く見て、自己と向き合うことで、人間が全て分かった。

だが、賢くない。何もしていない。ソフトウェアは、作れなかったし、何も分かっていない。馬鹿すぎるのが自分だ。

心理学も作っていた。社会のことは、普通に分かった。哲学は、社会と人間を分かると分かる。もっと、普通に考えれば良い。

そんなに知りたい、分かりたいのが悪い。意味の無いことはしない方が良い。

神を信じて分かるのは、本当に分かるまで、考えるからだ。

王になった。イスラエルのような国が出来た。日本が発展して、皆賢くなった。

あとは、また、詩を書けば良い。それで良いと思う。

そろそろ涅槃に達した。怖くない。もう安心出来る。全てと融和する体験が多い。

パソコンの知識もある。PerlからJavaまで、色んなことを知っている。

ただ、自慢になっていない。何も知らない、分からないだけの人間が自分だ。

科学は、自分で作って分かった。専門を横断する基礎を作った。

また、社会と応用、裏の構造と法則、人生と人格、経験と学習と記憶が全て分かった。

神のように、普通の人間のことを、あらゆる面から分かっていた。神との対話のような神だと思えば分かる。自分の本にも書いてある。

もう終わりにする。自分は賢くない。

昔は、同じと違うや、環境と基盤から、人間のことを全部分かっていた。

最近、きちんと哲学ぐらいは勉強した。それから、ドイツのこともきちんと全部分かっている。ロシアも多い。ポスト・マルクス主義のような人間になった。

僕は、世界が好きで、自分が好きで、家族が好きだ。

神との対話と思えば分かる。

本当の王とは、一番気高いものではなく、沢山の人間に気高さを与えるものだ。

全ての攻撃は、助けを求める叫び声でしかない。

皆、間違ったことはしていない。その人の世界モデルに照らし合わせると、皆、全員、自分の思う中で正しいことをしている。

そのように、ニールの神も考えていた。神との対話という本を読んでほしい。僕の昔考えていたことと同じことが、殆ど全部書いてある。

神を信じて、対話することで、具体的な未知が全部分かった。

神なんか、信じない方が良い。神は、神なんかに頼らずに、自分の力で考えて分かることを望んでいる。神は、信じてもらいたいように見えて、信じてもらいたくない。そもそも、神なんか、居ない。誰かが勝手に作り上げた、幻想が神だ。

神を信じる神経症のキリスト教徒はおかしい。神は、もっと大らかで、寛大な性格の人間だ。神との対話にも書いてある。神は観察者だ。人間を波とするなら、神は大洋のようなものだ。神を信じるのは、間違っていないが、間違っている。そういうものだ。

仮象の世界を考えれば、哲学が出来る。そういうわけで、仮象の世界と言えば良い。

それくらいで、哲学者だ。

神は、信じると救われる人間が多い。昔から、ユダヤ人はそういう悲惨な民族だ。

哲学は、森羅万象を色々考えれば出来る。誰でも出来る。変化を考えれば良い。

実存主義も、多かった。それくらいで分かっていた、昔が哲学者だ。そういうわけで、意味も無く、ヘーゲルやヴィトゲンシュタインが分かるのが、最近だ。

仮象の世界は、状態を考えれば分かる。

ものには、作られる前の状態と、作られた後の状態がある。

原因と結果と言う。また、主体的な人間が作用して、関係が発生する。

そこでは、決定と可能性の保持が行われる。

そのように考えて、あとは分析し、他の言っていることを参考にすれば分かる。

ヴィトゲンシュタインは間違っていない。言語の限界で馬鹿になっているのが自分だ。

そういう風にすると、カントのように、哲学を学ぶのではなく、哲学をすることが出来る。

僕は、スヌーピーが好きだ。ピーナッツのキャラクターでは、チャーリーとルーシーが好きだ。丸坊主とおてんば女を見ていると、可愛いの代名詞に見える。

自分は、遠ざかっていない。近づいている。

そろそろ昔は要らない。昔が無くても分かる。昔、そういう可能態のようなことしか考えていない。もう一度、すぐに分かる。

あとは、ネットを見ながら人間の状態、社会の状態、科学の状態を考えていた。そういうところが賢いのが、むしろ、要らない。おかしい。

それが、歴史の状態、世界の状態、精神の状態になる。そういう風になると、ヘーゲルと同じにはなるだろう。そういう風に考えると、人間の普遍性が分かると思う。

あとは、何かが何かになる、とか、共通の特性や法則がある、とか言う内容が多かった。

また、科学の基礎を作っているのを、そのまま書いていた。

人間モデル、社会モデル、物理モデル、心理モデルなどを、構造と考え方と発想から、捉えて、思い出して、全部書いていた。

あとは、作った基礎を全部壊して、世界観を潰していた。そういう、おかしな人間だった。

あとは、社会が変わるとか、変わらないとか、独立や変革の方法とか、自由に選択肢や手段を増やすとか、平等と愛とか、考え方と真理とか、真理へ至るプロセス、のようなものを全部書いていた。

それくらいで神になった。もう全部分かっている。一度忘れて、バラバラにすれば良い。

宇宙の法則のようなものや、社会の歴史のようなもの、生命の進化のようなものを、全部書いていた。前世によって、全ての国が分かった。そんなことしか言っていないはずだ。

あとは、成長、発想、経験、考え方、基礎、応用のようなことを、きちんと書いていた。

一度疲れて、休めば成長する。楽になる。今日は、ピアノなど、色々とあって、疲れた。

今日は、もう何もしたくない。何より、この文章を書くのが疲れる。

どのようにものを見るか?

何を残し、何を消すか?

世界はどこから来たか?

人間は、何を知り、何を思い、何を考え、何を分かることが出来るか?

それは、本当は何なのか?

見方は、実現方法は、取り得る可能性は何か?

それは、何故そこにあるのか?

それは、誰が見てどうであり、誰が見てまたどうであるか?

何を使って、何を作るか?

そこには、手段と可能性が、どれだけあるか?

どのような意味があるか?

何をどう出来るか?

何が何になる可能性があるか?

そのような考え方を、段階的に全部言っていた。

社会は、どうなっているか?

理解の裏には何があるか?

どんな社会を考えられるか?

必然的に、どんな社会になるか?

このまま行くと、何がどうなるか?

何をどう変えられるか?

そんなことを考えていただけだ。

自由とは、支配することだ。

だが、自由とは、解放するものでもある。

自由とは、愛を肯定するものでもあれば、破壊するものでもある。

何故なら、自由とは、愛の活動を活性化し、同時に、制限するものだからだ。

そういう風に、文章の前頭葉を書いていた。永遠の弁証法で、いつも分かっている。

全ては、前置詞と言葉遣いだ。

命題や考え方は、仮定と条件を作っていただけだ。

何をして、そこから何を得るか?

何がどうなって、何をもたらすことが出来るか?

何に何を与え、加え、除き、減らして、何にすることが出来るか?

何がそこに作用し、何がそこに関係し、何がそれを実現するか?

そういう風に考えれば良い。

イコールにウムラウトをつけて、差異を比較出来るようにすれば、何をどのようにそうすればそうなるか、考える数学を作っても良い。

そこでは、ベクトルや作用を改良し、もっとマクロ的なものを増やす。それはLispのようになるだろう。

イコールをもっと条件的に作ると、そういうことが出来るかもしれない。

移項禁止、足し算禁止、掛け算禁止、ルート禁止、累乗禁止、などのイコールを作る。

あとは、微積分の逆の演算でも作れば良い。表現しにくいが、logのようにすれば良い。

それから、方法を階層的にすれば良い。そういう発想が多かった。

表記を自由にするとか、そんな考え方が多かった。

プログラミング言語は、簡素化が進んでいるが、もっと厳格化して、見て分かるようにすれば、それはそれで良いかもしれない。

法律は、生産を生み出す金を、利益とするか、税金とするか、あるいは、会社を自由にするか、平等にするか、などと出来る。

そういう風に、色んなものを作っていた。何によって何がどうなるか考えていた。

定義と証明を記号で書ければ良いと思う。それくらいしか考えていない。

会社は、助け合いのためのものなのか、利益追求のためのものなのか、良く考えて作らなければならない。

会社は、相互に依存する、ライブラリ関数のようなものにも出来る。下請けを専門的にして、独自のことを、普通の人間がやりやすくしても良い。データ入力が楽になる。

国家は、独立しやすくすれば良い。それぞれの国民のために、それぞれの部署の違う政府のようなものを作って、モジュラー国家のように出来る。国民モジュールみたいなものを作ることが出来る。国籍を共有する。どうでも良いとは思う。

植物は、それだけで完成している。動物は、虫から始まる。虫は、進歩した。何でも食べる代わり、どこにでもへばりつく。それが、進化するようになった。そのまま、進化するだけの方と、進化した後の方が分かれた。あとは、誰もが知っている通り、両生類や魚類、爬虫類、鳥類、哺乳類、人類になった。人類は、そのままで変わることが出来る。人類は、常に進歩している、進化の生命だ。時代とともに、新しい可能性を作るだろう。

男と女は最初から居たのだと思う。進化の源泉ではないか。

モデルをモデルにする、メタモデルを作っていた。それを、オープンソースのように、改良に改良を重ねて書いていった。だが、それで皆が馬鹿になる。そこが悪かったと思う。

もう書くのを止めて、意味を良く考えれば良い。それで分かる。

昔、左脳がついていたが、最近は右脳しか使っていない。そんなに分かっても意味が無い。

左脳を使えば、きちんと分かる。自分がしていることの意味を考えれば良い。

数学を考えないと分からない。そういう人間が多い。

それぞれ出来ることから、成り立たせれば良い。ただ、それももう良い。

国民モジュールは、自分の行政組織を選ぶことが出来る。意味が無いから、しない方が良い。戦いだけの、意味のない世界になる。

遺伝子や制度、会社などを作っていた。

左脳と右脳を同時に使えば、きちんと分かるようになると思う。

何もかも、話すだけ、意味のない2人を作った。

頭は、意味を考えて、きちんと覚えれば分かる。

いつもの頭は、右脳で考えたことを、左脳で考えている。そういう対話が、キリストだ。

自分の作ったロボットを計算しているだけだ。

もう忘れて良い。そのまま思い出せば治る。

皆になるのを止めれば治る。

いつも、ソ連の皆になって分かっている。ドイツが全部教える。それで分かっているのが、辛い。そういうものを消すと、怖く治る。すぐに日本になって、楽になる。

あとは、歴史と時代を全部創っていた。創造主のような、イスラエルの王だった。まさに、キリスト教だった。まさに、イスラム教だった。まさに、仏教だった。