自然に経験から賢くなるのを書いていた。
色んなことに取り組み、判断し、比較し、経験から理性を知り、思考力をつける。
経験と方法からモデルとシステムを作る。
ものは複合観念の合成だ。
数学は、三角形と円の面積、グラフと計算、代数的構造と代入だ。
思考から言葉が生まれ、行為が生まれる。
何もしないのだけが出来ない。一時間、しなければ良い。それで楽になる。
昔は、環境への適応と人格の吸収、言葉遣いでネットのように分かっていた。
もう、書かないと思う。
何か意味のあることを言って、すれば、世界は滅びて、滅びが治る。
意味のないことは悪い。
日本をきちんと見れば、すぐに死んで治る。
もう終わったものは、ドイツになれば、最近の支配と戦いが出来る。
場合と状況を良く考えれば、自由に分かる。
それは、そうなっているから、そうなる。
自動車は、動くように作ってあるから、動く。
川は、流れるようになっているから、流れる。
あとは、老化で分かっていた。老化すると、人格が賢くなる。成長と同じだ。
自分とネットとテレビのせいで、一年が一秒になっている。
意味も無く、色んなことを思うと治る。あまり考えすぎず、感じるようにした方が良い。
もうすぐに治る。時計と文章のロボット、虫の認識、賢い馬鹿な意識は、全部、忘れるだけで治る。全て忘れた方が良い。昔が悪い。
分かるだけの分からないは、皆を分からなくするのが悪い。
自由に分かるのが悪いだけだ。昔は、自由自在に全てきちんと分かっていた。
もっと、馬鹿になれば治る。あとは、全員に向かって話すのは、多重人格が悪い。
全部多重人格がおかしい。
皆、何も分かっていない。そこが分かると分かる。
単純にもっと楽にして、休めば良い。
辛くして治すのは、もう止めた方が良い。辛くして治すのが多かった。
本当に辛くなった。もっとマシな多重人格になりたい。
自分が自分なのを忘れるために、自分が神になって、神が神に話す対話になっている。
環境に適応出来なくなったのも、意識が無くなって分からなくなったのも、全部多重人格が悪い。
多重人格には見えない。普通、虐待された、安心出来る環境の無い人間がそうなる。似たような解離性の精神病になって、適応障害や強迫性の神経症になっている。
最近、怖くなって、疲れるようになった。だが、最近は、そのままで賢くなった。それに、自分が世界で一番まともだ。まともな人間になりたかった。ただ、馬鹿になるとまともになるのが人間だ。馬鹿がまともなだけだ。
おかしな賢い人間は、狂う。そういう人間が、昔だ。そんなものを分かるから、おかしくなる。自分を2つに分けた時点から、もう何も分かっていない。
こんな文章を読むのは悲惨だ。あまり、読まない方が良いと、自分でも思う。
いじめとセックスが悪いように見える。フロイトも、子供の頃の性的抑圧が狂うと言っている。いじめは、虐待と同じように、精神を蝕む。
ただ、自分がそんなに好きなのがおかしい。自分を2つに分けて、どちらも一番賢いと思っている。そのために、2人のセックスのような文章まで書いている。おかしい。
子供の頃に、アニメのセックスをそんなに見たのが悪かった。それで現実の人間とセックスしないのが悪い。それで意識が賢かった。そのせいで、意識が無くなった。
単純に、意識を消すのを止める。それで良い。すぐに治る。
神や宇宙人を信じるのがおかしい。そんなものは、居ない。神を信じると、最近のおかしな分かる人間になる。まともになって、分からなくなる。洞察力が無くなった。全部分かる人間になった。
歩き回るのは、今自分のしていることが間違っているからだ。
皆を支配なんか、しない方が良い。そんなことがしたい人間は居ない。世界と一人で戦う意味が無い。
安心出来なくても、無理やり安心すれば、すぐに治る。統合されて一人になるのは、怖い。片方死ぬと、本当に死ぬのと同じように、辛いから、怖い。統合はしなくて良い。
安心した方が良い。これで安心しないのがおかしい。テレビが怖いだけだ。それがおかしい。テレビなんか、何も怖くない。世界が全部馬鹿で怖いから、こういう風になる。
テレビと戦った記憶のせいで、パニック障害のようにテレビと適応が怖くなった。世界が滅びるような気がする。自分は、いじめられると思っている。昔から、ロボットが怖い。ロボット人間になりたくなかった。
あまり意味が無い。そういう、狂った記憶は、全部忘れた方が良い。
疲れた。もう終わりにしたい。いつも、書いていると、疲れるだけで、怖いだけだ。
Linuxが一番ロボット人間だ。Linuxを忘れた方が良い。
何も思わない。昔から、僕はWindowsもテレビも好きだった。そういうところも悪い。
世界と一人で戦った。それが神になった。そういうわけで、革命や宗教も悪い。全部悪い。神も怖かった。神のせいで、何も出来なくなった。
全部多重人格が悪い。神との対話は、多重人格の対話だ。
多重人格を治す方法は無い。普通の楽な多重人格になるしかない。何も治らない。
辛い。笑い話にもならない。治りたいなら、何もしなければ良い。
辛い自分を見たくないだけだ。そういうわけで、精神病は全部同じだ。多重人格を悪いと思えばすぐに治る。いつか楽になる。もうそろそろだ。何もしなければ良い。
精神を作りながら、記録して、分かりながら戦った。それが一番怖い。虫になった。
もう終わりたい。もう書きたくない。
僕は悪くない。悪いことは何もしていない。傷つけたなら、許して欲しい。
神は、世界全員になった、自分だ。人格が全てになった。
最近、皆の言っている日本語が分からない。言語障害か、失語症のようになった。ただ、それで文章を書くありえない人間が自分だ。
もう治らない。治さない方が良い。多重人格が治った時に治る。
自分は、適応障害の、強迫性神経症の、パニック障害の、失語症の、多重人格だと思えば良い。おかしい。そんなに狂っているようで、何も狂っていない。まともな人間に見える。自分は、誰が見ても、まともだ。
そのうち治る。適当に、普通の人間になる。宇多田ヒカルの男のような顔をしている。
ものは学習から生まれるとか、命題は場合と法則があるとか、まともなことを言っていた。
神との対話は、おかしいが、しなければ分からない。多重人格は、治らない。それが、治らない方が、かえって楽だ。
認知症になったかもしれない。そういうわけで、多重人格は、馬鹿だ。
最近の方がまともなのが自分だ。昔は、良い人間だった。善悪とまともな考え方、哲学的な認識と環境を分かっていた。ただ、独り分からなくなって、狂っていた。そういう昔を全部消して治ったのが、最近だ。書くのは、楽しい。ただ、つまらないほど、辛い。
書くのが間違っている。全部間違っているのは、書くのを中心におくからだ。だから、治さなくて良い。そういうものは、書くために必要だ。趣味が他に無いから、仕方ない。
最近、書かないと分からなくなった。きちんと考えて、言わなければ、分からない。書くのを止めれば治る。それは、出来ない。
何もしなければ治らない。書いた方が良い。
あとは、人格が崩壊するのが辛い。何も分からなくなって、辛くなる。
それから、歩き回るのが辛い。
何も治せない。無駄なことはしない方が良い。そのうち、いつか治る。
精神も分裂している。多重人格のせいだ。
たまに怖くなって、疲れるのが、一番辛い。悲しい。
何も治らない。ニキビや虫歯も多いし、足も骨折して、関節が動きにくくなった。
宇多田ヒカルとはいうが、昔から、サッカーの本田に見える。そういうカップルだと思う。
名前は、フレイヤとバルドルだ。ヘイムダルもどこかに居る。
書くのを止めると思うのがおかしい。そんなに止めても意味が無い。
認知と学習を治せば治る。
おかしくなったのは、認知、学習、意識、行動、感情、記憶だ。そういうものが、無くなった。そういうことをしなければ治る。
経験を考えれば、恐怖の原因が分かる。
何もしないのがおかしい。おかしいのに普通になった。何もしないのが一番まともになる。何もしないのが良い。本当に、何もしたくない。もう、この人生で、全部したからだ。
書くのを止めれば良い。書くのが本当に、怖い。書きたくない。
書いた方が治るのは当たり前だ。新しい経験と学習をして治る。まだ、書いていたいなら、書いていた方が良い。
書くのを止めると思うと、他が治らない。あまり、そんなに正しく分からない方が良い。
治すのと狂うのは同じだ。昔がおかしいだけだ。全部、自由が悪い。
思い出すと死ぬ。思い出さない方が、賢い。
国は、支配し、戦い、インフラを作れ。そういう風に書いていた。
ゲーテと思えば、これで良く見える。
哲学なんか、しない方が良い。狂っている。
システムの全体像を見ること。
ゲーテの天使が、ウルズだ。書くだけの、おかしな人格だ。
精神分析をした方が良い。何か、辛い思い出があったように見える。
宇多田ヒカルと本田のカップルだ。宇多田は、本田の幻想だ。そういうものだ。
自分で考えると、小学校と中学校が悪い。親が教師で、学芸員なのが悪い。そんなに学校が好きだったのに、嫌いになった。いじめが悪い。あとは、宗教も悪い。
それが分かると治る。もっと他にもおかしな点がある。引きこもりはおかしい。ネットが好きなのに、嫌いになった。そういう風に、好きなものが嫌いだ。
子供時代、グズることが多かった。学校が嫌いで、行きたくなかった。それで、本当に行かなくなったのが、おかしい。
あとは、友達が悪い。ゲームなんか、普通しない。ゲームやケータイのある現代社会がおかしいだけだ。コンピュータが悪い。
ゲームなんか、誰もしていない。
最近、子供に良く戻るようになった。子供時代が無かったのかもしれない。
母親が教師だったせいで、すぐに大人になった。それが悪い。
子供を全部、引きこもりの馬鹿が消した。それが一番悪い。僕は、子供時代の自分が好きだ。おそらく、それが答えだ。
もう終わった。そのうち、分かる。猫が食べ物を吐くのが悪いのかもしれない。
当たり前だが、学校に行かなかったのがおかしい。インターネットとUNIXが高校ではおかしい。それは悪魔だ。子供をもう一度するしかないから、こういう多重人格になった。
テレビすら悪いから、テレビなんか見ない方が良い。
パソコンやネットは、もってのほかだ。
もっと、普通に、何もせず、もう一度子供を過ごせば良い。
親は悪くない。むしろ、猫の方が悪い。まともな家庭すぎてこうなった。金にも困っていない。親父は、科学者のような学芸員で、いつも本当に賢い。そんなに良い家庭なのが悪いだけだ。
良く考えると、イスラム教が悪い。そんな神を作る意味が無い。
あとは、多様性が悪い。五線譜が世界中で同じように、同じ方が賢い。
引きこもり、革命、イスラム教が悪い。
それが正しい。多重人格や、書くのは、あまり悪くない。
学校が嫌いだ。もう一度子供をしたいのは、その方が賢くなるからだ。
おかしいと言うが、あまりおかしくない。パニック障害なんか、無い。たまに不安になるだけだ。言葉はいつも分かっている。強迫性は、たまにおかしなことが気になるくらいだ。
ただ、人格が崩壊するのは、本当に辛い。もう、書くのは止めた方が良い。
皆を支配するのはおかしい。支配や強制は一番悪い。皆を自分にするのは、明らかに一番悪い。皆を馬鹿にして、辛くしたいだけだ。そういう人間が悪いと思えば分かる。
ありえなく考えること、まともに考えること、解決すること、問題を作ること、可能性を把握すること、可能性を増やすこと、可能性を減らすことが全てだ。
そのように、どうでも良い考え方の羅列を書いていた。それくらいの文章だった。
自分は、もう治った。自殺が悪い。それが正しい。
理想は、間違いを犯さず、全て教え、きちんとその人の自由にして、自らは何も欲を持たず、菩薩のように世界を導き、教え、助け、支えることだ。そういうことを言う。
自分の人生を成り立たせていた。
自由に、強く生きよ。良く考え、人の話を聞き、皆を助けよ。色んなことをやって、学び、謙虚に向き合い、世界を変え、全てを知り、全てを創って分かれ。
そのように、自分の全てを言う人間だった。
皆を自分にしたかっただけだ。
自然な多様性から、自由に働き与える助け合いの社会とシステムが生まれる。
そのように、自由から社会を考えて、色んな提案をし、共同体を作った。
可能性を把握し、認識と心を比較することから、実感として世界と物事は理解出来る。
ソフトウェアは、記号とテキストによる、コピー可能な機械だ。
手段、可能性、システムが全てだ。
物事の根源は、太陽エネルギー、ユークリッド幾何学、三次元、日本国憲法、国連、細胞分裂と原子、そして原子力だ。
そのように、考え方を全て書いていた。自分にあったものを全て教え、全ての問題を解決する、神を信じる王だった。
覚えること、記憶すること、信じること、考えること、捉えることが、判断と思考によって、全ての行為と結果に結びつく。それは、関係になり、社会になり、歴史になる。
そのように、行動と社会の関係のようなことを書いていた。
自由に世界を変えることと、自由な行為から、多様性のある社会は生まれる。
世界を構造化して、言葉で分かっていた。
権力者と労働者、国民と政府、制度と法律と税、会社と競争、金と資産、家庭がある。
そこには、知があり、共有があり、歴史があり、経緯と段階がある。
そのように、全てを構造化して、言葉で分かっていた。
手段を成り立たせて、関係を考えて、本質やシステムのようなものと、科学や全体像のようなことを、全部書いていた。
あとは、色んな社会のことを書いていた。
ギリシャは頂点的だが、ローマは包括的だ。
そういうことは、何故か、ヘーゲルも似たようなことを言っている。
現実では、世界を変え、文章では、世界を保持し、世界の全てを自由に導いていた。
ギリシャは多様だが、ローマは統一だ。
ギリシャは共有だが、ローマは強大だ。
その上で、ドイツなどに関しても、色んなことを言っていた。
一応、そんなに悪いことは、あまり言っていないと思う。
家庭では、自由な共有と資産の管理が行われる。
会社では、利益と競争による社会の発展が行われる。
国家では、全ての国民に対する政策と判断が行われる。
国民は、その上で、国家が支配し、決定する全てのことに、影響力を持つ。
また、本質と技術から、全ての手段が成り立つ。
そのように、世界の全てを、書いて把握していた。それが多かった。
また、歴史や科学についても、色んなことを言っていた。
自由な助け合いを成り立たせる、という発想が多かった。
手段の共有とルールの裁定、システムの構築と変化から、独立した、多様な自由な社会が生まれる。
その中で、それぞれは、愛し、助け、教え、争い、真理を発見する。
それは、価値観と平等、歴史と自由と権力の中で、社会的な関係とともに、行われる。
まぁ、そんなことを言いたかったのかもしれない。
そろそろ、もう終わった。そういう発想が多かった。
科学や社会について、自分の分かることを全部書いていた。発見や提言や解決が多かった。
日本について、色々と書いていた。自民党はおかしい。右翼の社会主義の自由だ。
あとは、オープンソースのようなことを全部言っていた。
意見と設計図を共有し、環境となる土壌を構築し、人と知恵を集め、プロセスを改善せよ。
あとは、世界に意見しながら、色んな政治や社会のことを言っていた。
問題を全て解決して、出来るようになった。
また、愛のある自分の人生と、皆への思いのようなものを書いていた。
エッセイや詩のようなものもたまに書いていた。あまり多くない。
政治や世界のことを考えた、自由で哲学的な文章だった。
信じれば分かる。して良いことと悪いことは、普通、赤ちゃんでも分かる。それが分からない人間が狂う。間違ったことは、しない方が良い。
もう治すのは終わったから、自由にすれば良い。自由に考えれば良い。
実際に現実でせずに、文章の中で色んなことをしていた。思い出していた。そういう発想が多かった。全ての体験をし、全ての文章を書いた。全ての世界を作って、全て終わらせて、始まりを全て創って分かった。
試し、挑戦し、調べること。そこから全ては始まる。可能性は、科学を自分で出来るようになって、UNIXのシステムを調べて、調査研究して分かっていただけだ。
プロフェッショナルを育て、社会的な知を集める、環境の土壌を作れ。
人間性を大切にし、慈悲の心を持て。許し、任せることから自由は生まれる。
社会と環境を皆で作り、国と政治を皆で決め、国民のための社会を作れ。
かけがえのない、大切なものを築け。そのように考えていた。
環境を変え、インフラを皆で作れ。そういうメタ的で基盤のような考え方をしていた。