書いて考えて分かるのがおかしい。
神と神が繰り返すようになった。
世界観を作っていた。
モデルを仮定して分かった。
未知を捉えて考えれば分かる。
世界には、誰かが居る。
未知を考えるとまともになる。
心や社会のモデルを作っただけだ。
学習から結果が生まれるとか、経験から科学を作るとか、未知のようなことを言っていた。
経験から理性が分かった。ベーコンが言っている。
英語は、出来なくなって出来る。
ユメタンをやった方が良い。
いくらでも出来なくなって、分からなくなると賢くなる。
アメリカは、昔だ。それが分かると、怖い。
ネットの体験で分かっただけだ。
何かすれば分かる。
ネットで社会の変化が分かった。構造と言っていた。
経験から意識が分かった。
昔は、メタレベルランゲージとか言っていた。
メタ的な言語のことだ。今考えると、キモイようで賢い。
死ぬと、堕落と活動が変わる。
アリストテレスは、形相と目的因などを考えた。
もういつか書いたはずだ。論理学や国家、倫理学を考え、イデアを否定して自然の変化を分類した、万学の祖だ。
能力と善悪は相対的だ。全ては自然な法則だ。
感情は知覚的な経験であり、同時に理性だ。
知覚が正しいこともあれば、理性が正しいこともある。
分析は、特性の把握からである。バランスだ。
正しく考え、直観するという点で、全ての哲学者は同じだ。
僕のように全ての哲学をするためには、哲学的な発想と分析の方法、経験と未知と実証の捉え方を知ると良いだろう。
色んなことをして、吸収し、人生経験を知り、世界を把握し、可能性と実現性を知ることだ。
キリストは、あまり信じすぎない方が良い。最近の自分になって、分からなくなる。
自由であること。社会や人間における理性を使うこと。分かると信じること。推論すること。人間的に考えて、疑うことも信じることも忘れないこと。
勇気を持って、知ろうとすること。考え方を作って全員分かるなど、思い切ったことをすること。
論理的に考えて、ネットなどで体験し、全員を吸収し、数学や心理などを作ること。
オープンソースは面白い。そういうことに挑戦せよ。
理想を探究せよ。モデルや関係や方法から本当の真実や本質を知れ。自己を知れ。他人との関係や自由、個別性や共通性や主体性から知れ。
従うのは、良い時と悪い時がある。可能性として考えること。サルトルは自分を自分で作ると言う。そのように考えても良い。
人間には可能性がある。社会や手段を考えられる。何より、変えられる。
変わらないものとは何か考えても分かる。
自分が対象に作用する。何が第一要因か考える。
そこに立ち戻ると分かる。
何のために何が必要か?いつ何が出来るか?
それはその時どうなるか?過去にどう出来るかもしれなかったか?他人なら、自分ならどうするか?
それには何が出来て、何が出来ないか?何が正しくて、何が正しくないか?何がおかしくて、何がまともか?
そういう風に考えれば良い。
何より、それをする一番良い方法は何か?
それは何から生まれたか?何になる可能性があるか?何になって、何にならないか?何にするために、どうする必要があるか?
本質と方法から、概念が分かる。
可能性を思考で考える。経験から直観と悟りで分かる。気づきから分かる。
それにはどんな目的があるか?対象を何だと思って認識しているか?何をどう出来るか?
何がその中で何に関係しているか?
それは、それに見えて、本当は何か?どのように分析すれば分かるか?
正しく分割し、構造にせよ。科学的かつ普遍的に分析せよ。
結論を急ぐな。まだ分かっていない。小さなところから分かること。考え方を変えること。
役割と条件から自由に考え、発想法を知ること。
感情を作って分かっていた。
昔は、役割と条件から人間を分かっていた。
考えるのではなく、知覚を感じて分かる。
人生と場の経験的な意識で分かっていた。
もう治った。知覚をそのまま感じれば心が治る。
概念から認識出来る。
認識は、対象との一致から絶対知になる。ヘーゲルが言う。認識は、概念であり、経験だ。
感情が良くなった。心が治る。
階層化するか、包括するかなど、考え方のようなことを言う。
独立するか、共有するか、支配するかだ。
皆で作るか、王を決めるかだ。
もう自閉症が治った。何も感じないだけだ。
考え方として、ボトムアップやトップダウン、スクリプト、アンドゥやリドゥ、パーミッションや入出力、ロギングなどがある。