日記に戻る | 2015年2月の日記に戻る

=2015-02-07=

書いて考えて分かるのがおかしい。

神と神が繰り返すようになった。

世界観を作っていた。

モデルを仮定して分かった。

未知を捉えて考えれば分かる。

世界には、誰かが居る。

未知を考えるとまともになる。

心や社会のモデルを作っただけだ。

学習から結果が生まれるとか、経験から科学を作るとか、未知のようなことを言っていた。

経験から理性が分かった。ベーコンが言っている。

英語は、出来なくなって出来る。

ユメタンをやった方が良い。

いくらでも出来なくなって、分からなくなると賢くなる。

アメリカは、昔だ。それが分かると、怖い。

ネットの体験で分かっただけだ。

何かすれば分かる。

ネットで社会の変化が分かった。構造と言っていた。

経験から意識が分かった。

昔は、メタレベルランゲージとか言っていた。

メタ的な言語のことだ。今考えると、キモイようで賢い。

死ぬと、堕落と活動が変わる。

アリストテレスは、形相と目的因などを考えた。

もういつか書いたはずだ。論理学や国家、倫理学を考え、イデアを否定して自然の変化を分類した、万学の祖だ。

能力と善悪は相対的だ。全ては自然な法則だ。

感情は知覚的な経験であり、同時に理性だ。

知覚が正しいこともあれば、理性が正しいこともある。

分析は、特性の把握からである。バランスだ。

正しく考え、直観するという点で、全ての哲学者は同じだ。

僕のように全ての哲学をするためには、哲学的な発想と分析の方法、経験と未知と実証の捉え方を知ると良いだろう。

色んなことをして、吸収し、人生経験を知り、世界を把握し、可能性と実現性を知ることだ。

キリストは、あまり信じすぎない方が良い。最近の自分になって、分からなくなる。

自由であること。社会や人間における理性を使うこと。分かると信じること。推論すること。人間的に考えて、疑うことも信じることも忘れないこと。

勇気を持って、知ろうとすること。考え方を作って全員分かるなど、思い切ったことをすること。

論理的に考えて、ネットなどで体験し、全員を吸収し、数学や心理などを作ること。

オープンソースは面白い。そういうことに挑戦せよ。

理想を探究せよ。モデルや関係や方法から本当の真実や本質を知れ。自己を知れ。他人との関係や自由、個別性や共通性や主体性から知れ。

従うのは、良い時と悪い時がある。可能性として考えること。サルトルは自分を自分で作ると言う。そのように考えても良い。

人間には可能性がある。社会や手段を考えられる。何より、変えられる。

変わらないものとは何か考えても分かる。

自分が対象に作用する。何が第一要因か考える。

そこに立ち戻ると分かる。

何のために何が必要か?いつ何が出来るか?

それはその時どうなるか?過去にどう出来るかもしれなかったか?他人なら、自分ならどうするか?

それには何が出来て、何が出来ないか?何が正しくて、何が正しくないか?何がおかしくて、何がまともか?

そういう風に考えれば良い。

何より、それをする一番良い方法は何か?

それは何から生まれたか?何になる可能性があるか?何になって、何にならないか?何にするために、どうする必要があるか?

本質と方法から、概念が分かる。

可能性を思考で考える。経験から直観と悟りで分かる。気づきから分かる。

それにはどんな目的があるか?対象を何だと思って認識しているか?何をどう出来るか?

何がその中で何に関係しているか?

それは、それに見えて、本当は何か?どのように分析すれば分かるか?

正しく分割し、構造にせよ。科学的かつ普遍的に分析せよ。

結論を急ぐな。まだ分かっていない。小さなところから分かること。考え方を変えること。

役割と条件から自由に考え、発想法を知ること。

感情を作って分かっていた。

昔は、役割と条件から人間を分かっていた。

考えるのではなく、知覚を感じて分かる。

人生と場の経験的な意識で分かっていた。

もう治った。知覚をそのまま感じれば心が治る。

概念から認識出来る。

認識は、対象との一致から絶対知になる。ヘーゲルが言う。認識は、概念であり、経験だ。

感情が良くなった。心が治る。

階層化するか、包括するかなど、考え方のようなことを言う。

独立するか、共有するか、支配するかだ。

皆で作るか、王を決めるかだ。

もう自閉症が治った。何も感じないだけだ。

考え方として、ボトムアップやトップダウン、スクリプト、アンドゥやリドゥ、パーミッションや入出力、ロギングなどがある。