アフリカの世界観です。
日本は、アジア人なのに先進国になった国です。そのため、アフリカ人の人気が高いです。
彼らは、「アジア人でも勝てるのであれば、アフリカ人でも勝てるのではないか」という希望の対象として、日本人を見るのです。
ただ、実際はそうではないかもしれません。アフリカ人とアジア人は人種が違います。ですが、アフリカ人は日本のテレビを見て「日本人はとても頑丈なテレビを作る」と言います。メイド・イン・ジャパンの品質はアフリカでもお墨付きで、ゲイシャと呼ばれる日本の缶詰はアフリカで大好評らしいです。
アフリカは、ヨーロッパの大国による世界分割と奴隷化の政策にもっとも被害を受けた地域である。
帝国主義の時代、ヨーロッパではアフリカ分割競争が起き、わずか10年たらずでアフリカが分割されつくした。
長年にわたって白人の列強国(イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、スペイン、ポルトガルなど)の身勝手で続けられてきた奴隷貿易により、アフリカの発展は200年は遅らされたと言われている。
アフリカでは、今も当時フランスによって強制された言語であるフランス語を話すアフリカ人が多い。(英語なども話されている。)
ただし、1960年、「アフリカの年」とも呼ばれるこの年に、多くのアフリカ各国が独立を果たした。
イギリスやフランスやナチス・ドイツやスペイン・中南米や軍事と左翼・右翼も参照のこと。
アフリカは、文化的・経済的な遅れに直面している。
まず、医療や教育が十分に受けられない問題がある。エボラ出血熱も収束したが、いつ同じような伝染病が流行るかは分からない。
教育の問題はしだいに改善されてきているが、学校があっても、子供たちは水汲みなどに行かなければならないため、学校に行くための十分な時間を持つことができない。水道インフラの整備が必要である。
また、銀行やATMがなく、それに比べてスマートフォンが普及しているため、日本などよりもキャッシュレス社会などは先を行っている。
Linuxディストリビューションでもっとも有名であるUbuntuはアフリカ人によって作られたOSである。ここから先、アフリカが発展し、日本のように先進国になれば良いと思う。
Ubuntuも参照のこと。
アフリカは砂漠化などの問題もあるが、自然環境は豊かである。特に、アフリカの動物であるキリンやライオンのような動物がたくさん居る。
動物園も参照のこと。
ただし、スラムと貧困の問題は深刻であり、子供たちはスラムの中でどうすることもできない。国連が頑張っているが、最近ではスーダンのような場所で内戦が起きており、予断を許していない。
また、アフリカにはイスラム教を信じている人間が多い。特に北アフリカはエジプトやアルジェリア、リビア、モロッコ、チュニジアなどをはじめとするイスラム諸国で、中東地域の一部に含まれる。
1880年代から1912年までに、列強は激しく争いながらアフリカを植民地に分割した。
イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、ドイツ、イタリア、ベルギーなどのヨーロッパ列強が、アフリカの各地を植民地にした。
これにより、アフリカの各地では、今でも、母国語ではなく、フランス語や英語を母語として話すアフリカ人(多くが黒人)が多い。
1950年代後半から、アフリカの独立が始まった。1960年はアフリカの年と言われ、多くの国がヨーロッパから独立した。
現代における人種差別主義の罪として、南アフリカで行われたアパルトヘイト政策を挙げることができる。
アパルトヘイトは「分離・隔離」という意味で、白人と黒人や有色人種の生活世界を完全に分離し、白人は白人だけの世界、黒人は黒人だけの世界で生きるように政策が行われた。
この結果、政治、教育、交通、トイレ、レストラン、その他さまざまな分野で、黒人と白人は明確に分離され、「黒人は白人とはまったく違う生物である」という考え方で統治が行われた。
そのような中で、反人種差別(反レイシズム)のために努力したのが、黒人初の大統領、ネルソン・マンデラである。
マンデラは投獄されながらも反レイシズムのための活動を行い、1994年、南アフリカで黒人初の大統領となった。
1994年のすべての人種による総選挙でアパルトヘイト政策は撤廃され、今では南アフリカではアパルトヘイト政策は行われていない。
2024.03.28
アフリカでは、植民地化による影響から、フランス語や英語、スペイン語などを話す人々が多く、民族や部族の言語とともに話されている。
そのため、アフリカからフランスに来る移民が多く、アフリカ人二世のような人間が多く暮らす。
学校のような場所が少なく、テロリストや内戦に巻き込まれることも多いため、現地では十分に教育がされていない。そのため、「地雷注意・危険」のような看板を読めない人が多く、選挙でも文字だけではなく絵などを使って分かりやすく表示を行うなど、大きな課題になっている。
池上彰のおとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか? (NHK出版新書)によると、人類はアフリカから誕生したそうです。
人間の細胞には、ミトコンドリアという部分がありますが、このミトコンドリアのDNAは母親に由来します。そして、ミトコンドリアのDNAは、母親のさらに母親を遡っていくことで、祖先が誰であったのかを辿ることができます。
アメリカの遺伝学者は、このミトコンドリアの母親のDNAを辿っていくことで、人類が誰から発生したのかを突き止めようとしました。
そして、無作為に選ばれた147人のDNAから、ミトコンドリアの祖先を辿ったところ、20万前のひとりのアフリカの女性に由来することが分かりました。
この女性のことを、「ミトコンドリア・イブ」と呼びます。イブは「アダムとイブ」のイブです。
なので、科学的に考えて、人類はアフリカから誕生したと考えられます。
また、アフリカ人の肌が黒く、白人の肌が白い理由は、メラニン色素の影響です。
アフリカは非常に日差しが強いため、紫外線の影響を強く受けます。紫外線から身を守るために、紫外線を吸収するメラニン色素が増えて黒くなったのです。
白人は、そのようなアフリカの黒人から、突然変異でメラニン色素を欠乏した状態で生まれます。彼らはアフリカでは生きることができないため、日差しの弱いヨーロッパ地域に北上して移動したのです。
なぜ白人だけが北上し、黒人は北上しなかったのか。それは紫外線はビタミンDを作る働きもあるからです。メラニン色素の少ない白人は、日差しが弱い中でもビタミンDを多く作ることができますが、黒人はそうではありません。なので、黒人は北上した場合、メラニン色素が多い影響で、ビタミンDを作ることができず、そのために病気になってしまうリスクがあります。
その結果、「黒人は日差しの強い地域、白人は日差しの弱い地域に移動」したため、今のように、アフリカには黒人、ヨーロッパには白人が住むようになったのです。
2023.11.18