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=2017-02-25=

相手の気持ちと自分との関係を考えること。

経験から、何をしたら良いか見えてくる。昔は、相手と同じになって考えていた。

pixivにアカウントを作って、小説を公開した。

https://pixiv.me/schwarz1009

自分がそうである、と言うことが、何を意味しているか、考えること。

そのために積極的な社会活動を行い、体験を増やしなさい。そして、相手の気持ちと相手の心で考えなさい。

自由な関係のままで、社会問題をどのように解決するか、考えなさい。

その問題とは何なのか、良く考えなさい。問題が何を意味しているのか、知性と関係から考えなさい。

システムをオープンにすることは、システムの価格による機能制限を無くし、本当に利便性のあるソフトウェアをユーザーに与えることを可能にする。SNSからコンパイラまで、本当にオープンにすることで人々の利便性が高まることは、色んな場面でたくさんある。オープンは悪くない。だが、ある意味では、有料なシステムにオープンな技術を使うことも、同時に許されるべきだ。

GPL汚染を悪いとは言うが、僕が思うに、再配布者の公開したソフトウェアも同時に自由になると言う意味において、一つの理想であると言える。オープンなコミュニティで開発するために、優れたライセンスだ。それを言っても悪くないだろう。

僕は、最近、やることが無い。個人的に、人体(医学)の勉強をするか、PHPやRubyの勉強(Webプログラミング)をするか、どちらかだと思う。pixivを見ていると、イラストなんか誰でも出来る。わざわざ自分がする意味が無い。

昔は、人間の限界を超えるようなことを言っていた。言語を改善することで、人間は可能性を高めることが出来る。人々の意見を共有することで、誰かの発見をすぐに知ることが出来る。そして、山に地下フロアを作ることで、町の面積を拡大することが出来る。一見狂っているように見えるが、意識を高めて場の可能性を知ることで、誰でもそういう風に分かる。数学は気付きであると言っていた。それらは、確かな方法を知ることで、限界なく実現出来る。無限の可能性だ。

ある意味、基礎の数学を作って、社会の考え方を適用し、自然に形成すると言う意味で、僕の発想は無限の可能性だった。理想は、自由から自然に生まれ、そして、支配者が支配することも必要だと考えていたが、支配者は人間の「頭」として、数が多いべきだと考えていた。

そして、可能性のある仮想世界と心の実現を考えていた。

大人が馬鹿なのは、大人は全部分かってからやる人間が多いからだ。普通、高校時代に分かる。それ以下の子供は、何も出来ない。環境が変わらないのが好きな人間が多い。子供はおかしいぐらい環境が変わることを拒む。だが、それは、分かってしまえば、大して意味の無いことに思えるものだ。それが、大人だ。だから、僕も昔は子供だっただけで、この世界はあまり悪い世界ではない。悪い環境に見えて良い環境なのが分からない子供が多い。怖いなら、子供のままで居た方が良い。大人は馬鹿だからだ。

宇宙はありえないから、アニメや漫画の世界もある。逆に、この世界のアニメや漫画が、アニメや漫画ではないこともある。本当の世界のコピーであることもある。だから、自分が神だと思っても、神ではない。夢の世界で自分が主人公になるように、音楽や漫画は宇宙的な何かの真実の世界の模倣となっている。だから、ある意味プラトンが正しい。だから、そんなにみんなのことを深刻に考えなくて良い。みんなはみんなではない。宇宙のどこかに居るみんなが、本当のみんなだからだ。夢に子供時代の自分が見える人間も居るだろう。この世界での関係が終わったからと言って、イデア界のみんなとの関係は終わらない。

数学的な知性で、ものごとの意味を考えることも出来る。例えば、言葉には品詞と格がある。3は1+2でもあるし、3+0でもある。そういうところを良く考えていると、「自由」が分かる。自由な基礎から自由な可能性が生まれ、自由な人生から自由な社会が生まれる。そこでは、自由な状態から、それの持つ自由な実存的可能性を考えられるのだ。

僕は、数学とは、「概念的方法とマクロによる、数学的に数学が正しいことの証明」だと思う。概念とは行列や面積であり、マクロとは微積分や数列であり、数学的とは移行や方程式であり、数学とは数式や公理であり、正しいとは定義と証明だ。そして、その中で、この世の全てのことを論理的に考え、全てが正しいことを証明する。ある意味では、数の分類や記法を増やすことも出来るし、ある意味では、論理的な方法論を使って問題を解き、証明し、新発見することも出来る。ウィトゲンシュタインが言うように、ある意味ではそれは「発明」なのだ。プログラミングとの違いは、プログラムは「動く」ことを答えとするが、数学は「正しい」ことを答えとする。だが、その答えの中で、やっていることは全く同じで、方法から概念を作っていくことである。だから、Java言語を正しいかを検証する数学へと書き換えることは出来るだろう。数学でやっていることを全てJavaにして、正しいかどうかを検証するプログラムの実行へと書き換えることは出来るはずだ。プログラムはただの機械だが、数学的演算はもっと高度であって、正しいかどうかを証明するために、「概念」と言うものを考えないといけない。方程式と言う概念、図形と言う概念、関数と言う概念がある。その概念の中で、分かっていることが何を示しているのかを証明する。何故正しいのかだけではなく、それがあることによって数学的に何が出来るのかを考える。そこを、ウィトゲンシュタインは発明だと言いたかったのだろう。

数学の方法的正しさはそれ自体が応用的であって、例えば、解の公式によって二次方程式の解が求められる。そういうところが、発明的なのだ。そして、それを突き詰めていくと、「正しくはなくても、それを応用することで実現出来ることを増やす」と言う、ありえない数学が考えられるかもしれない。それは、自然言語に近い。その言葉があることによって、人間はその言葉で色んな応用的な考え方が出来る。それを実現してみると、面白いかもしれない。

あとは、神の存在を考えるのは難しいが、神は心の中に居る内在的なものだと考えれば良い。心が内在的なままで外在的になる、その瞬間が神との対話であり、融和なのであると思えば良い。神は心の中に居る。自分の場合、神は前世のユダヤ人だった。そういうことが多い。

昔の自分は、世界を見ながら言語と論理と概念のモデルを作った。ほとんどそれしかしていない。あとは、自由と思っただけだ。

僕は、日本の一番美しいものは、漢字だと思う。漢字は、本当に見るからに美しい。それから、トランプの番組を見ているが、トランプは、「相手も良くなって、自分も良くなる」と言う発想が無い。普通、政治家は、周りの国と仲良くしながら自国の景気を良くして、自分の国の文化と経済を高めていく。そういう、ローマ帝国のような国が、偉大な国になる。トランプは、「敵を倒せば自分が良くなる」と言う発想しかない。政策も、悪い人間を排除して、良い人間だけでやりたい、と言う、排他性ばかりが目立っている。そこが気持ち悪い。トランプには、日本と仲良くすることから、「勝つのではなく、協力して国を良くする」と言う発想を学んでほしい。グレートな国にするためには、ローマ帝国や昔のアメリカのように、自分の国の良いものや良い製品がどんどん他の国へと波及するような、そういう発想が必要だと思う。広がらず、孤立したものには、何も出来ない死しか待っていない。

テレビで円安や円高のことをやっているが、僕は何もしなくて儲かる、と言う発想が間違っていると思う。昨日はプレミアム・フライデーと言うことをやっていたが、一律で全員やれ、と言うのも間違っていると思う。そういう、間違った発想は、たとえ国のためになることであっても、しない方が良い。逆になった時に馬鹿を見る。投資をするのであっても、儲けたいから投資するのも良いのだが、会社のことを支援したいから投資して、元よりも多くの利益を「お礼」として与える、と言うものであってほしい。ただ、投資で金を儲けるのを悪いと言いたいわけではない。金を儲けるからには、実体となる何かを生産・販売して欲しいのだ。そうでないと、働く人間が馬鹿を見ているように思えてしまう。そういう国は、資本主義の正義の国であっても、すぐに滅び、すぐに消え去ってしまうだろう。あとは、人種差別も、僕はそんなに悪いと思わない。嫌な宗教や言語は多い。英語なんか、馬鹿なことしか言わない言語だ。そんな言語を有り難く外国人が学んで使う方がおかしい。

商売をする前に、その商売が意図するものは何か、だけではなく、その商売が頼るものは何か、考えてほしい。従業員の労働や製品の生産に頼る職業は悪くない。だが、群衆の金の流れのようなものに頼る職業は悪い。理由はさっきの通りだ。そういう職業は、地獄を見るだけだ。

それこそ、自国の国をそんなに豊かにし続ける意味が本当にあるだろうか?自分の満足の行く生活が出来て、満足の出来る仕事が見つかって、満足が行くものが全部手に入って、それ以上豊かになると、それは投資や株によって自分の金を増やすことしかしなくなる。今の金持ちがそれを証明している。おかしなものを買って、おかしな豪邸に住む。そんな生活が果たして良いだろうか?良い点は何もない。借金地獄に堕ちるだけだ。だから、そろそろ、そんなに豊かにするより、平等に目を向けてほしい。色んなことに困っている少数派はたくさん居るはずだ。彼らを助けてほしい。ある意味、フランス料理店が儲けるのは悪くないが、その儲けたお金で少しでも寄付をすれば良い。それで、世界は全て良くなる。

今の資本主義社会は、「あるものは出来るだけたくさんある」とか、「色んな金儲けの形態がたくさんある」とか、そういう「たくさんある」と言う発想をしているが、これが間違っているのかもしれない。同じものを作って、同じものを食べて、同じだけ働けば、そんなに作る必要はない。必要最低限のものだけ、みんなで作れば良い。だが、社会主義はそういう発想だから、発展しないのだと思う。ある意味、ユートピアでは発展しない。そういうものさ。

昔は、色んなものを全部作っていた。愛から自由まで、全部作った。そういう内容がおかしかったが、意識を作って愛を知る。そして、全てを計算可能にして、多様な自由にしていた。文字を消すと、精神が全部治る。北朝鮮で、反粛清運動は起きないのだろうか?粛清を禁止する人々は居ないのか?みんなの力で粛清を禁止することが、一番みんなが生きる道だ。そこで、同意出来ないのだろうか?そういうことを思う。あとは、足が悲惨になっているのは、人格が破綻しているからだ。中国は黒いだけの国になっている。あとは、ソ連は駄目だ。ソ連は駄目だ。駄目な国だから、無い方が良い。要は、粛清される前に、自分が粛清されるかもしれないことに、気付くこと。そうした人々の集団が力を持てば良いのだと思う。足は、最初と最後だけで全て分かっている。むしろ、僕が思うに、北朝鮮は北朝鮮に核兵器を落とすかもしれない。ロシアがロシアに核兵器を落とす、と言う可能性が一番考えられる。それはどうでも良い。北朝鮮は、人民がそろそろ気付くべきだ。自分が作っている兵器は、自分たちに向けての兵器だ。反動体制が滅びるためには、どうすれば良いのか?少なくとも、反撃出来るぐらいの兵器が無いといけない。近代兵器と言うのは、あまりに罪な代物だ。最初から、そんなものは作らない方が良い。北朝鮮のトップが核兵器に頼っていると、核兵器を使えなくしてしまえば、国民でも勝てる可能性はある。

要は、ここまでの自分を旅立たせれば良い。それで、自分が続きを出来る。そういうわけで、ラファエルが死んだ。あとは、昔は抑圧を経験して分かっていた。そして、頭を使うより、心を使うと楽になる。そろそろ精神も全部治った。