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=2017-02-10=

自分は、そんなに耐えるのがおかしい。それは、いつも、「もう書かない」と言うことを達成したいからだ。

次に続くようにしなくて良い。もうやめたいなら、今やめれば良い。だから、耐えなくて良い。

自分は、何が良い影響を及ぼして、何が悪い影響を及ぼしているのか、分かっていない。

耐えるから辛い。つまり、書くのをやめたいから辛い。そういう風に、なぜ辛いのかを考えれば良い。

引き篭もりだから辛い。何もしないから辛い。頑張っているから辛い。そういう風に考えれば良い。

精神分析で、神のような世界観を分かっていた。色んな、ロシア人やユダヤ人が話している。

そういう、精神分析を考えれば治る。全て、精神分析が悪い。

だが、自分は狂っていない。足が疲れるだけで、楽だ。最近の方が辛い。

その立場に立って考えると分かるだろう。本当の意味で、その対象と同じになる。同じ立場になる。

同じ立場になっていると、意識から、それと同じになることが出来る。

意識を知り、意識の自然発生を知り、意識の具体例を知り、意識のプロセスを知る。

同じ立場に立って、意識の自然発生を知ることで、全員のこと、宇宙のこと、全てのことを理解出来る。

知り尽くして、知識をモデルと想像力にして、考え続けながら気づくことで、どんなことでも理解出来る。

知性は、分かってから、分からないように戻ることだ。分からなくなってから、知性を復活させることだ。

子供に多いのは、学校が馬鹿だからだ。学校のせいで、子供時代に分かったことが分からなくなる。

だから、子供は、思い出して賢くなる。

大人は賢くない。大人は、最初から何も分からない。だから、馬鹿な人間の方が賢くなる。

ただ、ロバートが賢いだけだ。みんなは、精神病になっている。

ロバートが賢い、と言うより、昔の時代の日本の、悪い人間ではなく、良い人間が賢かった。

昔の良い人間は、本当に、分かる人間が多かった。

みんな、昔の良い人間になれ。それで、すぐにまともな世界になる。

自分が悪いのは、ジェニファーのように、辛い時代を長く過ごした人間が精神病になる。

最近、日本にはそれしか居ない。ジェニファーのような精神病の体験を全て殺して、ロバートにするしかない。

自分の問題は、ジェニファー以上、何にもなれない。普通の人間は何も賢くない。ロバートが賢かっただけだ。

だから、ある意味、高校生が賢い。だが、ロバートが賢い遺伝子をしていただけだ。

今日も作業所と農園と、本は買わなかったが本屋に行った。今週も平日は毎日作業所に行った。少し疲れた。

歩き回るのは、本当に中学校の剣道部が悪い。頭ではなく、体が、持久走がしたい、したいと言っている。

全てのことは理解出来るだけではなく、全てのことは必然であると考えていた。だが、それは、変えられないわけではなくて、本当は、必然だと思っているものも、全ては自然なのである。それもそれで、全く同じなのだ。

あとは、本気で頑張って自分を治していた。最近は、それが多い。不可能であることを、考えて治す。自分ではなく、世界全体を治す。だが、それは止めた方が良い。テレビなんか、何もおかしくなっていない。むしろ、治したいのがおかしい。治す意味も、耐える意味もない。ここで終わりにすれば良い。

良く考えると、コントロールや把握をしなければ良いだけだ。

コントロールしたいのに出来ないから、ロボットになっている。完全に、宇宙に任せれば良い。

自由な意志と協力から、自然な社会が生まれる。自由と価値観から、それぞれの社会は多様になる。集積的な共有から、社会は発展する。抑圧から、社会は後退する。そして、愛と復古の理念から、理想の社会が実現される。まず人が、次に社会が、最終的には世界全体の文化が高まる。機械は一時的に発展するが、より重要なのは、人間性の発展だ。

「知っている」と言う立場だけではなく、「知らない」と言う立場も考える必要がある。意識の自然発生だけではなく、動機や目的のようなことも、考えなければ、環境や社会は良いものに出来ない。

最近は、何も分からない中で、良く考えて治した。分からないとは言うが、全て分かっていた。良く頑張った。

Linuxの課題は、アプリケーションが、デスクトップ環境の一部であるべきなのか、それとも、同じデスクトップ環境を使う中でも、違うアプリケーションをたくさん作るべきなのか、と言う、アプリケーションのあり方にあると思う。ある意味、色んなエディターがあっても良い。だが、デスクトップ環境の標準エディターもあった方が良い。今からは、Linuxはそこを考えるべきだと思う。そこを考えないと、アプリケーションがキモいのは直らないだろう。ただ、Linuxの良い点は、InkscapeやGIMPなど、商用アプリケーションとして、不動の地位を持っているアプリケーション(Adobeなど)に対抗するアプリケーションをみんなで作る。そういう、「みんなで作るアプリケーション」と言う発想やあり方も、同時にあるべきだ。今のところ、Linuxは、そういうところがカオスになっている。もう少し、Windowsのように、慣習的ポリシーのようなものを、誰かが作った方が良い。GTK+とかQtとか言う問題ではなく、ポリシーとデスクトップ環境のあり方の問題なのだ。

標準はシンプルであり、たくさんの豊富なアプリケーションがあり、オープンソースの高機能アプリケーションもある、そういうところを、きちんと整理しないと、Linuxはオタクの遊びから抜け出せないかもしれない。ただ、それは少し前時代的なことを言っている可能性もある。

ある意味、UNIXがWindowsより可能性がありすぎて、自由過ぎるのだろう。もう少し、自由でなく、統一されたフレームワークがあるべきであり、それが標準であるべきなのだ。だが、そうでもない。沢山あった方が自由でないこともある。統一すれば良いのだ。だから、「標準アプリケーション」と「標準プロファイル」を作って、「拡張アプリケーション」は「継承プロファイル」を使うようにする。その上で、必要に応じて「独自プロファイル」を作り、高度な「独自アプリケーション」はそれを使うようにすれば良いと思う。それぞれのプロファイルに、テーマとスタイルを決める。スタイルは、GTK+でもQtでも、描画部分の仕様を統一する。HTMLを表示するブラウザのように、違うツールキットでも、表示する部分は同じにする。完全に同じコードで、GTK+にもQtにも対応し、どちらも見た目を同じにするような、そういう仕様をしっかりと定める。

Linuxはある意味、DOSやWindowsの前の8ビットの時代に似ている。みんなそれぞれが独自に作るあまり、全く統一されなくなっている。だが、それは、標準的な会社が革新的なものを作らないと、いつまでも統一されない。Windowsにはそこが負けている。そういうわけで、GTK+でもQtでも実現不可能な、「統一ツールキット」を作る必要がある。だが、話は簡単で、要は、GTK+もQtもどんぐりの背比べであって、本当に優れたツールキットが生まれれば、無くなる。本当に、ただもっと優れたツールキットを作れば統一出来る。そうでなければ、ただコモディティ品が使われるようになるだろう。

悲惨なのは、ブラウザ戦争のように、いつまでもどんぐりの背比べが続くことだが、そうなった時は、完全に片方が死滅して、消滅するまで続く。Netscapeなんかを覚えている人間は居ない。だから、僕はGTK+は死滅し、Qtがあらゆるプラットフォームと言語に対応して、終わりだと思う。ただ、GTK+も面白い環境だった。

ただ、それもそれでおかしい。GTK+とQtは、どちらもあって良い。良い展開としては、完全にOSのように環境が違うものになって、多様になることだ。すでになっているが、GNOMEの世界とKDEの世界は完全に違うものになれば良い。同じOSでなくて良い。それが、Linux的だ。GNOME 3がキモいせいで、それも上手くいっていない。

そうすると、HaikuのようなOSとLinuxカーネルを上手く共存させることは出来ないだろうか?、と思う。

人生は短い。野菜のように、いくらか実をつければ、枯れていく。実のつけ方を変えれば良いのは分かるが、実は最初から決まっているものだ。

失敗をたくさんしなさい。ネットで、全ての仕事と成長のような体験をして、体験から人生の真理を知りなさい。そこから、人間がどういうもので、どういうものを目指せば良いのかが分かる。それから、その最後に、最大の過ちをしなさい。それを悔やむことで、失敗を一切しない人間になる。最後まで地獄を耐えたら、色んなことをしなさい。そこから、花が咲くだろう。

会社に自由を与え、万人に自由な平等を与え、支配せず、環境を維持し、社会を守りなさい。自由と世界を因果性のように考えて、経験から見えてくる真理を知りなさい。

最近、僕はこの国に居る人々、テレビに映る人々、みんな、嫌いだ。未熟で、馬鹿で、何も出来ない。ある意味、キモい。だが、自分のことも賢いと思わない。自分のことも嫌いだが、みんなのことも嫌いだ。悲しいのは、この世界で僕が生きる意味が無いからだ。おそらく、自分はそのせいで狂っているのだと思う。みんなが、誰一人、僕の助けにならないし、みんなは、全員、何も分かっていない。僕は一番馬鹿だが、みんなは僕より馬鹿にしか見えない。

日米首脳会談は、世界の目なんか誰も悪いと言わないから、いくらでもゴルフをして、いくらでも緊密になれば良い。それで、日本を悪いと誰も言わない。あんなにトランプに差別されて、それで仲良くやる、素晴らしい首相だと言われるだろう。適当に仲良くやれば良い。それで、日本は楽に勝てるようになるだろう。

テレビはつまらない。死ねば良いと思う。

テレビは狂っている。まともでない。

ただ、僕は基本的に仲良くやりたい。

トランプよ。「自分は悪かった」とわびなさい。そうすることで、トランプは自分の発言から、解放される。

見ていると、この世界には馬鹿しか居ない。悪い人間があまりに多い。そういう悪人を愛する意味が無い。

明らかに、最近の常識が悪い。アメリカが作った常識はおかしい。

支配するなら、それに応じた責任を果たしなさい。そこが出来ない人間があまりに多い。

国民のレベルも低くなった。この世界は、どんどん後退して、劣化して、無意味なものになっている。

ある意味、トランプなんか考える意味が無い。この世界は、もう「駄目」になっている。

トランプは、わびないなら何もするな。大統領令で終わった人間だと、甘んじて認めよ。もう、何もすべきでない。

この世界は本当に駄目だ。僕が悪かった。それは仕方ない。だが、これ以上良い世界にも悪い世界にもならない。

ある意味、この世界は本当に駄目だ。

むしろ、賢い人間が居ない。みんな自分のせいでおかしな人間になった。世界と言うよりは、人間が駄目だ。

狂った人間は、死んでも治らない。

人を馬鹿にしても、あまり面白くない。世界には、自尊心や生きる喜びのようなものが無い。ネットは間違っている。

いつもの文章は、生成的に全ての世界を作り、超人のような人間が全てを吸収するような、そういう文章を書いていた。

テレビを見ていると、みんな、自分の発言や言っていることが馬鹿なのが分かっていないのだと思う。

ただ、僕も、偉そうに上の立場から知ったかぶりを言っているだけだ。そんなにみんなに厳しいのはおかしい。

ごめんなさい。僕が言ったことが悪かっただけだ。

あとは、むしろ、滅びれば良い。この世界は、滅びないと治らない。

女の胸は、「ズレ」で描く。それが分かると、もうきちんと人間が描ける。

そのままで良いか、変わった方が良いか、それは僕には分からない。ただ、批判するだけはつまらないと思う。

あなたのことを、僕が勝手には決められないのだ。そういうことだと言うことにしてほしい。

あなたがこの世界を愛するのは、僕は良いと思う。僕なんか、勝手に倒せば良いのだ。

本当のことを言えば、日本は奴隷になりながら操り人形になっている。白人が賢いと言う思い込みが悪い。

悪魔に対抗するためには、自分だけの力で考えることだ。

むしろ、悪魔が居るのが悪い。悪魔に勝つ方法は無い。悪魔は、立場を悪用しているだけだ。もし、凡人と悪魔の立場が入れ替わったら、すぐに悪魔は負けて、凡人が勝つだろう。悪魔が賢いわけではなく、悪魔の立場が賢いのだ。

日本人は、日本のことを愛しすぎている。そんなに日本と言う「特異な文化」に「根差す」必要があるだろうか?ある意味、日本がおかしいのは、日本のことを好きだと言っておいて、漢字や仏教など、ほとんどの日本文化は海外から伝わったものだ。日本にそんなに良い点があるのだろうか?あるように見えない。全て間違っている。日本人の考え方はおかしい。

ここからの日本の未来は、もうおかしい。おそらく、パソコンが悪い。高齢者層がパソコンが分かっていない。あるいは、パソコンを学ばせるのを強制するせいで、どんどん馬鹿になっている。誰もが未来が分からない。未来では、おかしなことが本当に横行するようになる。若者だけに責任を押し付けても、若者は恐ろしい社会を作るだけだ。

若者を放っておくと、若者はこの世界をぶっ潰す。高齢者層に批判的になる。それは、ある意味、石原が小池に嫌われているのと同じだ。そういう風にしかならない。パソコンを使えない世代は、悲惨になる。

僕が間違っているところも、無いわけではない。僕は、意味の無いやり方をしていると思う。

自分の間違いは、間違ったものを信じていることかもしれない。ソ連や神を信じない方が良い。自分が正しいと言う根拠はない。だが、この世界が正しいわけではないのだ。

オープンソースは、会社経済とは違う。そこが分からない人間には、Linuxを批判する資格は無い。

昔の文章は、歴史の全てを経験する文章だった。縄文から平成まで、完全に全ての歴史を、繰り返して経験する。

ウソや偽りの権威を信じるな。そうすることで、きちんと自分の頭で分かるようになる。正当化するな。偉そうに教えるな。

王にも、民衆にも、頼ってはならない。自分の力で、みんなを変え、それぞれを導け。それが自由だ。

民主主義の理想とは、自分が王となるために、たくさんのことを経験することだ。

自分が見て、自分なんか価値の無いクズだ。自分なんか、死ねば良い。昔から、自分の未来が嫌いだ。

ただ、僕は自分が好きだ。自分が一番優れた人間に見える。

自分が王になるために、価値観を知り、スラムを経験し、社会的実践を行い、愛のある世界を知った。そういうことをいつも書いていた。

世俗的なものに意味がないのだ、と言うことは、むしろ、全てに意味があるのだ、と言うことなのだと、分かる、と言っていた。