最近の日記(はてなブログ2)に戻る | 2017年2月の日記に戻る
人間には、その人間の行動や働きを決めるクラスがある。そのクラスを変えることで、生まれ変わることが出来る。
何もないと、昔の人格になる。人間は、何もないのが賢い。
環境や感覚を増やして、捉え方で分かっていた。浮力や乗り物を考えていた。
分析すること。仮想的に本質を分析していた。
クラスは、パソコンから作家に変わったり、デザインから料理に変わったりする。クラスを変えることで人生を楽しめるが、別人のようになることもある。
クラスは、人間がなるより先に宇宙にある。そして、全てクラスで決まっている。だから、教師は誰でもおかしな人間になって狂う。学者は分からなくなる。
職業だけでなく、人種や環境、悲惨な人間などにもクラスがある。
最近は、脳の下の部分がない。脳の下の部分は、自分と距離を保って、思いを反応で言う。
あとは、その人になったつもりで、心理的現象を感覚で分かっていた。自由だと思っていた。
自分は、自分の宣言の通り生きているだけなのが分かっていない。その理由で賢い。
昔は、色んな体験を全部していた。体験することで分かっていた。自分はこうである、と言うことから、世界のことを分かった。
時間が経てば良い。時間が経たない世界になっている。4秒経てば良い。
昔は、角度を変え、他の意識になることで分かっていたが、治らないのはそれが悪い。角度を変えなければ治る。
ゆっくりと実感し、当たり前のことを疑うこと(例えば、自分の町も、他の町と同じだと考えること)で、歴史や社会、はては数学まで分かる。
自分は、物理のことが分かっていない。なぜ空は青いのか、のようなことを考えていると、何を考えれば分かるのかを知り、世界観を理性と感じから分かることが出来る。
何が何になって、それがさらに何になるのかを考える。状態と感覚から、心理学のことを考えられる。そして、個人や集団を理性的に考え、何が個別的で、何が普遍的なのかを考えられる。そこからみんなの社会としての可能性が分かる。
あとは、経験が分かった。経験的に、認識がどこに収束し、経験的考え方から実例の何が分かるのかを知った。経験的に何が分かるのか、知っていた。
あとは、世界の全てを世界観として、自然な変化の可能性として分析し、捉え方と自分の心で分かっていた。そういう、統合体験現象学を作っていた。だが、それを消した方が良い。人間は、何もない方が賢い。ハイデガーのように分からなくなっている。
本当に作るべきロボットは、人間の思考ではなく、木を切ったり野菜を作ったりを自動でする、お仕事ロボットだ。それは、今の技術でも実現出来ると思う。人間の思考なんか、出来ても意味は無い。木を切って漁業や酪農をするだけなら、ロボットでも出来る。あるいは、僕は戦車から土地の開墾まで、「遠隔操作と自動化・自動運動」によって色んなことが出来ると思っている。木を切るのは自動のロボットにして、運ぶのは車にし、車に乗せるのはドローンでやると言った、ロボットの役割分担も考えられる。
ある意味、軍事的なロボットを作って、「絶対に土地の内部に戦車やミサイルは入れない」ような、「自動防衛・守備専用ロボット」を作ることは出来るかもしれないと思う。
ある意味、全部の国に守備専用ロボットを配備して、逆に、攻撃用兵器は禁止すれば良い。平和な世界になる。
こんなことを書いているが、僕は右翼は嫌いだ。特に、思想信条の自由を尊重せず、学歴で差別し、障碍者や性的マイノリティを助けない人間のことが嫌いだ。だから、トランプが一番嫌いだ。あとは、宗教なんか嫌いだ。宗教は、騙されているだけだ。騙されている人間がみんなを騙している。キリストは賢い人間でない。
白人は、良いことをしない。賢いのは分かるが、間違った宗教を信じているせいで、良いことを何もしない。常に何か悪いことをするために考えている。狂っている。自然環境と調和していない人間が多い。
会社が大卒しか雇わないのは、頑張った人間だから、と言うのもあるが、高卒が悪いからだ。人間は、きちんと分かると良い人間になる。高卒には、何も分かっていない悪い人間が多い。だが、何も全員大卒になれば良いわけではない。見ていると、ただ賢い人間をみんなでいじめているだけが日本だ。馬鹿な人間は、楽だ。
夢を持つのは良いことだ。あなたは、あなたの夢を目指しなさい。だけど、パソコンを見れば出来るわけではない。パソコンは、夢について何も出来なくなるだけだ。パソコンはみんなの夢を奪っている。みんなの夢を守るために(アンパンマンではないが)、僕はこの文章を書く。だから、あなたはあなたの夢を目指しなさい。
一度可能性を否定しなさい。何にでもなれる可能性は良いが、一つの優れた人間にならなければ、可能性は何もしていないだけだ。だが、社会から離脱することは悪くない。自分のしたいことを、したいように出来るようになる。だけど、自由は何もしないだけ、と言う指摘も当たっている。自由は学校にも会社にも行かないだけで、何もしないのは悪くない。
賢い人間を倒しなさい。あなたの敵は、どこにでも居る賢い人間、全員だ。そして、あなたの味方は、あなたと同じ階層に居る人間だ。自分の階層より上の人間を倒して、下の人間を支配して何も出来無くし、同じ階層を支援すれば良い。
ある意味、ニートをキモく見せているのは、ニートが本当に反抗するのが怖い、賢い人間がやっている。
役人を倒した方が良い。役人は、下の人間を何も出来無くしている。
あとは、仮想社会の発展、精神世界の発展、歴史現象の発展、環境モデルの発展のようなことをいつも書いていた。
ある意味、誰も何もしていない。自然にそういう風になる。それが、人間だ。馬鹿は、馬鹿だ。人間はそれで平和が成り立つ。
僕は、マティスはかっこいいと思う。狂犬として正面から体当たりするだけでなく、戦う修道士として、歴史の本を何百冊、何千冊と読んでいる。軍人だから、辛いことも辛くないのだろう。僕は、トランプ政権の中では、今のところ、マティスが一番好きだ。自分なんか、マティスと比べると、まだまだ馬鹿だ。
あとは、セックスをばらまくのは止めた方が良い。それで狂っているから辛いのが分かっていない。僕はセックスはしないし、したくない。セックスなんか、もう二度と誰ともしたくないし、みんなにエロを与えたくもない。それで、みんなの不安や恐怖もなくなるだろう。セックスなんか要らない。ユダヤ人が一番賢い。
あとは、賢い人間が賢いだけだ。多重人格になって、それが良く分かった。馬鹿は本当に馬鹿だ。だが、馬鹿の方が楽だ。人間はそれぞれ違う。むしろ、賢い人間の方が多い。
明らかに、出来の良い野菜の方が多い。こういう、病気になって死にかけている人間が馬鹿になる。
僕は、小池百合子のブームは長く続くと思っている。小池はオープンだ。だからウケる。一番正しい思想を持っている。
これ以上、足は消しても治らない。作れば治る。
昔から、環境や場を作ったり、心の動機や分析を考えて分かっている。昔からだ。
何かにおいて何かが変化する、と言うことを考えるのが得意だ。
ネットを見て、みんなと同じ立場に立って思考して、解決することで、世界を変えられると思っていた。この世界の問題を解決出来ると思っていた。辛い人間を楽にし、良い環境の秩序を作り出せると思っていた。科学や経済学のようなことは、相対性と自由から分かっていた。この世界に対して、自分に貢献出来ることはたくさんあると実感していた。
だから、僕は「環境を実現出来る」と言う。そして、現にここまでやった。世界を導いた。それが、優しい自分だ。
実際のその中でどうなるか、それはどういう姿を持つか、人々に対してどういう姿に映るか、のようなことを考えた。
例えば、カラフルな三階建ての家があって、それが人々にどのように映るか?言ってしまえば、そういう考え方だ。
同じように、それがそうである時、それはどのように映るか、を良く考えた。物理学にも見える。
また、歴史的なことも良く考えた。実際の歴史の時代が、今とどこが同じでどこが違うのか、を良く考えて、共通性から、歴史の実存性のようなことを良く考えていた。変化を意識で分かっていた。
そして、オープンソースのような協力の考え方も、ネットなどを見て考えていた。現実とネットを交互に比較した。
この世界を、想像力で自由自在に考えていた。
あとは、客観視と経験的な「苦しさの分かち合い」から、克服することでありのまま、受け入れることを知った。
経験から、平和がどのように実現されるのか、理想の社会を実現させていくプロセス、のようなことを考えた。
あとは、回想で意識を分かっていた。自由な理性とともに、回想的で自然を包括する「感性」もある人間だった。
体験的な「共感性」の重要性のようなものを信じて、哲学を分かっていた。
自然の意識を信じた。人生の真理を知った。
悪い点は、人々を導くだけではなく、誘導する。そこが、悪かったのだと思う。
「自分にしか体験出来ないこと」を信じながら、「流れ去るような時間」の中で、「信じる」ことで分かっていた。
社会の変化の中で、「場がどのように変わっていくのか」を実感して分かっていた。自分の成長と場の変化を重ねた。
感情の変化から、「人間はどのようにすれば本当の意味で愛せるのか」を考えていた。
「何を信じてどう行動すれば、何が分かるか」から、「心の成り立ち」を知って、宇宙の因果性を分かっていた。
あとは、人間の成長から、「人々が何を考えてそれを行動し、それがどう見えるのか」を考えていた。
「人間がどのように社会を作るのか」から、「なぜその社会が生まれるのか」を受動的に、非主体的に考えていた。
そして、支配と解放から、「自分が出来ると言う意味での自由」を考えていた。そこから、発想していた。経験から発想法を作った。抑圧の何が悪くて、何が良いのか、から、人間の人間的な理性と実存を考えていた。
全てに意味がある。正しいのは人間性と優しさだ。
その人の視点に立って、その人のやりたいようにやらせなさい。それが自由だ。
あとは、ネットの歴史を見て分かっていた。ものの歴史や会社の歴史が分かった。全てに意味があった。全ては、今と繋がって、この宇宙の全てを形成するためにあった。
昔は、「出来るはずだ」と考えて、可能性を分析し、「みんなが出来ることを増やす」とか「みんなが出来るようにする」とかを考えていた。そこから、制度を自由にする、みんなで決める、などと考えていた。自由だったが、ある意味では平等だった。そして、「そこにそれがない時と、ある時を比較する」のように考えながら、「別のものがあっても良い」などと、「気付くこと」で分かっていた。そういう哲学者だった。また、ネットで沢山の議論をして、一つの思考を応用することで分かり、一つの経験を応用することで分かっていた。哲学者全員を包括するような、「メタ哲学者」だった。一度作ったものは共有出来るとパソコンのように考えた。一つ一つのことを、何らかの判断基準を持って、統一的に、場とそれぞれの自由な作用を分析しながら、可能性を厳密に捉えて、本当にそれが何を意味しているかを考えた。分析から可能性を知り、方法を作ることで出来るようになるために、そのためのプラットフォームを整備していた。
環境を整備し、環境を作ること、環境に参加しやすくすることで、世界は変えられると考えていた。
ある意味、マティスが分かっていないのは(分かっているのかもしれないが)、日本は米軍基地なんか望んでいない。中国と戦争なんかしたくない。さっさと帰ってほしい。だから、沖縄が見ても悲惨なのが日本だ。色々と悲惨だが、僕はマティスは分かってやっていると思う。みんなで沖縄をいじめる。だから、日本は悲惨になるだろう。
僕は、昔から、自分の好きなことをして、自分の好きなように生きて、それで仕事になって給与をもらい、社会が成り立つような、そんな自由な国を作りたい。だが、僕は共産主義の労働は悪いと思う。ノルマ生産は、一定量のノルマを毎日こなすが、一番つまらない。だから、僕は、社会主義ではない形で、楽しくて面白い形で、自由な労働が可能になれば良いと思う。それこそ、生産能力はもうほとんど最後まで進歩した。これからは、社会の働き方を変えるべきだ。自由に、平等にすべきだ。つまらないところは、ロボットと人工知能にやらせれば良い。
僕は、最近、デザイナーの勉強で、人にあまり教えてもらうことなしに、自習で出来ることを増やしている。これは、結構良い。勉強すれば、勉強するほど、出来ることが増える。もっともっと出来ることを増やしたい。そして、今やっている本を最後まで終わりたい。だが、僕がやっているのは、まだまだ基本だ。応用的なことはたくさんある。それを、着実に前向きにやっていきたい。Illustratorの基本はもう分かったと思う。だが、デザインをどのようにしていくべきか、どうすれば出来るのかは、まだ何も分かっていない。
あとは、認識から認識が生まれる因果性が多かった。環境から環境が生まれると言っていた。
最近のIT社会の唯一良い点は、グーグル先生とウィキ博士だけで、ほとんど全部分かる。オープンソース研究所が、そろそろ勝つだろう。むしろ、Budgieが標準になれば良い。それなら勝てるかもしれない。