日記に戻る | 2016年5月の日記に戻る

=2016-05-31=

そろそろ分かった。自分の精神を二人にするのが辛いだけだ。

昔の馬鹿に戻った。男のようになって、馬鹿なのに賢くなる。

本当に、馬鹿の方が賢い。その方がはるかに分かるし、出来る。男は馬鹿だが、賢い。

自分は、偽りを振り回して、勝てるわけのない相手に勝って、世界を滅ぼす。

それだけの人間だから、ありえない。Linuxも、タリバンも、小説もそういう風になる。

社会のことは、形成過程と形成条件のようなことを、経験的に考えれば分かる。

自分は、ウィトゲンシュタインをやることにする。

ウィトゲンシュタインの言うように、問題は共有出来れば、それ以上、超えることは出来ない。そして、自分の思うところは、本質的に人には分からない。

まだ、最初の方しか読んでいないから、分かっていない。ウィトゲンシュタインなら、出来るように見える。哲学をやりたい人のための考えるための入門のような本だ。

あとは、辛いのは、全部そんなに速く多重人格が切り替わるのが辛い。

スパンをもっと長くして、適当に楽をすれば楽になる。

名前は、ガブリエルとラファエルだ。ミカエルは要らないが、ルシフェルも居たように見える。4人の天使と悪魔だ。順番に、ガブリエル、ミカエル、ラファエル、ルシフェルだ。

ウィトゲンシュタインの言う、問題の共有は、人間や事実や哲学を、本当に完全に分かる、というところがある。昔の自分は、それを経験の想定とか、全員の吸収と言っていた。

昔の自分は、クズになって賢くなっていた。そこが居ない。昔はそういう人間が多かった。

皆をもう自分にしない。自分にすると、男は昔、女は今になる。狂った人間も多い。

本当に一番悪い世界になったから、自分にするのを止める。

昔の自分は馬鹿ではない。本当に、マルクスのような賢い哲学者だ。Linuxが好きだった。まともな、賢い人間だ。最近居ないのは、誰もがクズが馬鹿に見えるせいで、居ない。

環境への適応と、思考と意識の実験から、全てが分かった。

昔は、分かるのは当たり前の人間だ。

デカルトが言うような、暗闇の中を一人模索するような、そういう人間だった。

世界は、自分にするのを止めて、単純なクズにすれば良い。そうすると、賢くなる。

自分を止めるのは良いが、何もしないのは悪い。自分にするのは悪くないのが正しい。

立場と言っても賢くない。ウィトゲンシュタインのような思想が多かっただけだ。

男が賢いのは、馬鹿の代り、考え方とモデルで分かる人間が多い。

むしろ、英語はそういう言語だ。考え方しか言わないのが、英語だ。

昔は、善悪や思いやりのようなことを考えていたが、最近は自分が勝つだけの人間になった。一番おかしいから、善悪や思いやりを信じた方が良い。世界を救うために考える。

昔は大人だった。大人になって、成長して分かっていた。

もう一度大人になった方が良い。

神は、約束を叶えてくれる。いつか、ノーベル賞を取ると言った。それを叶えてくれる。

良く分からない。神は物語を作る作家だ。物語とは、そういうものだ。

ウィトゲンシュタインのように、心で経験を分かっていた。全員分かった。

ウィトゲンシュタインの独我論は、自分の世界のことは、自分にしか分からない、と言いたいのかもしれない。あるいは、こんな自分のように、自分を一番偉大だと思っている。

それこそ、自分もそういう風に賢かった。

自分は、全員になりたい、といったところが違う。最初から、全員を融和したかった。

あとは、男になると、誰でもそうなる。女には、分からない人間が多い。

自分は、子供時代のウリエルも併せて、五人の天魔になる。

もう辛くない。本当に、二人になるのを治すのが、一番、地獄のように辛かった。

昔は、学校の教科のようなことを全部自分で作って、哲学のように分かっていた。

自分にしか分からなくて良い。皆には、何も分からない。

馬鹿はどうでも良い。普通、学校の勉強すら出来ない。馬鹿は意味がない。

自分一人、賢い道を選んだ方が良い。それが一番賢くなる。

ウィトゲンシュタインも賢いが、自分の場合、沢山の人間と関わって、色んなものを作って研究した。そういう風に分かった。ネットの自然な体験と人の集まる環境が良かった。

そういうわけで、自分が一番賢い。何故か、皆は、小学生のまま、ほとんど変わらない。

皆は馬鹿ではない。見ていると、最後のルシフェルが皆と同じだ。

ガブリエルは、分かるための方法が分かっている、自由な大人だった。大人に多いようで、あんなクズは居ない。ミカエルは狂っているし、ラファエルは何もしていない。本当に、クズが賢いだけだ。皆を賢くしない方が良い。賢いと、クズになるように見える。

昔は、応用的な論理を分かっていた。それをモデルや考え方と言っていた。

不思議と、ルシフェルの先をやっている馬鹿が本当に多い。大学に一番多い。

ルシフェルはつまらない。本当に、こういう、何かで馬鹿になる人間が、普通に多い。

誰も馬鹿だと言わない。自分を賢いと思えば良い。自分が一番、強くて、分かっている。

ここから先の名前は、トロンで良い。メタトロンのトロンだ。

メタトロンは、まともな人間になる。まともで、知性があって、楽な人間になりたい。

ある意味、何もしないのは悪くない。何もしないでいると、楽になる。

可能性を全部作っていた。

世界観を想定して、支配していた。

菩薩の、何も悪くない戦いをしていた。

最高のことをやりたかったが、出来なかった。

理想が高かった。全てのことをしたかった。

自分は悪い、悪いのは仕方ない、と思っていると、良い人間になるようで、悪い人間になる。そういうわけで、菩薩の戦いなんか、しない方が良い。

自分は悪くないと思った方が良い。それは、賢い人間になる。

パソコンは、自由な記法を許すより、完全に決まった記法を使うようにすれば良い。あるいは、完全にマクロ的にして、自由すぎるメタ記法を作っても良い。それから、読解性だけを向上させて、本当に読みやすい、理解しやすい教育用の言語も考えられる。

そういう風にすれば良いように見えて、真面目な言語を作った方が良い。

そういうわけで、自分はきちんと良い人間だ。自分を良い人間と思わないのはおかしい。

手相とか、占いとか、そういうものを見て、自分は不幸で不運な運命の下にあるとか、悲惨な性格や体質をしているとか、そういうことは言うが、そうでもない。最終的には、神様は、全員平等に創っている、と思えば良い。ただ、手相を見て色々思うのも、そんなに悪くはないと思う。未来を決まっていると思うのが悪いとは言う。ただ、神は運命のようなものをたまに起こす。まぁ、そんなに神を信じなくても良い。

自分の手相は、情緒不安定な代り、感情が豊かだと言う。ただ、手相なんかどうでも良い。むしろ、見ていると、芸術的に綺麗なデザインをしている。網の目模様になっている。

そういうわけで、自分の手相で良いと思えば良い。悪い運命なんか、あるわけがない。

自分は、愛情が昔から豊かだ。それこそ、思いやりの力で世界を変えたかった。そのまま、おかしな一人だけの文章の革命をしていた。それこそ、全員ありのままで生きて、悪いことはそれぞれが反省しながら許し、自由にする、と思っていた。

自由は、不思議と、良い人間になる。何故か、ネットにも良い人間が多い。自由は善良だ。

あまり意味がないが、最近、思いやりではなく、社会と理性ばかり書いているが、昔は、思いやりの内容が多かった。科学的理性、社会モデル、経験、世界観とともに、思いやりのことを良く書いていた。本当に、そういう文章だった。世界観は、実地的な実存主義のような世界観を書いていた。新しい現象学やハイデガーのような文章だった。

子供には、寛大な心を持つと同時に、強い子供になることを教えること。

子供時代は意味がないようで、そういうことはない。子供時代が健全だと、きちんと賢いまともな大人になる。子供時代おかしなこういう人間は、本当に馬鹿な人間になる。

あまり意味がないが、親にも寛大な心であってほしい。

最近は、そういうところが分からない、馬鹿な親が多い。そういう親は、全く意味がない。

トロンと言うと、OSに見えて悲惨だ。

今、英会話教室の勉強をやっているが、英語は、ing形と動詞の言語、というところがある。動詞にingを使うか、そうではなく動詞を使うかは、主体となっている動詞がどれか、動詞の次に何が続くか、のようなところを考える。I goはI'm goingになる。I'm going to getのようにもなるし、I'm getting goodのようになる。良く分かっていないが、要は、動詞の後はing形が続くが、to不定詞や副詞の後は動詞が続く。そういう言語だ。

おそらく、I want to eatは、I want to eatになるが、I'm playing gameのようになるようで、I play doing gameのようにも言える。動詞のingをいかに使うか、と言う言語だ。

昔の自分は賢かった。本当に、人間の心理みたいなものを全部分かっていた。

そのせいで、今でも分かっている。そこが、分かっていない。

人間は、学校で習ったことと違うことが起きると、分からなくなる。

神を信じる人間は、そうなる。そういうわけで、神は信じると分からなくなる。

神は、そういう、分からない人間が嫌いだ。自分だけを考える、利己主義者は、神によって地獄になるが、神はそれしか居ない。

神はあまりに悪い人間になる。自分が悪いだけの人間が、一番悪い。それが怖いだけだ。

日本が正常な世界になるためには、悪いものははっきりと悪い、と思うこと。

昔の日本は、そういう、悪いものを悪いと言って批判するような、共通意見と意識のようなものがあった。最近、そういうものが無くなった。それは、自分のせいでもある。

そういうわけで、皆で悪いものを悪いと言って、拒絶し、許さないことで治る。

ただ、もうそういう、原始的な共有環境が無くなったのは仕方ない。ネットが悪い。

最近は、バーチャルリアリティーなどが増えているが、むしろ、それもおかしくはない。

皆、批判出来なくなっているから、批判させると治る。もしかしたら、催眠が解ける。

皆に批判させると、精神が治る。

昔は、自分のせいで、批判が出来なくなるような、批判を出来なくさせる批判をしていた。

自分が悪い。本当に申し訳ない。

批判して良い。いくらでも、批判すると良いだろう。

本当に世界が治った。

英語は、本当にwhatやwhereの言語だ。説明は難しいが、疑問に思って飾るのは同じだ。

自分は、全部逆を信じている。批判しても、批判されるだけだ。

左翼なんか、馬鹿だ。批判するだけで、何も出来ない。

ただ、僕は右翼は嫌いだ。もっと、自分を批判してほしい。それで治るだろう。

本当に、がんが治ったはずだ。

あとは、右翼は悪くない。自分は、偽りの賢さで相手を批判出来なくして、何も出来なくしている。Linuxもそれがおかしい。皆、自分のことなんか、忘れてしまえば良い。

何故か、ネット、と言うツールのおかげで、何もしなくても勝っている。それは賢い。

昔は、自由を与えて、自由になって分かっていた。

最近、自由を奪っている。皆に自由を与えれば、治る。

皆、自由にして良いよ。

そんなに分からせても、意味がないね。

本当の原因はどこにあるのか、本当の問題は何なのか、考えると良い。

1つ1つ解決していけば、治る。

昔は、人の知らないところで、一人考えて、経験して、1つ1つ叶えて、解決して分かっていた。本当に、全てが本当の意味で解決出来る、マスターのような人間だった。