日記に戻る | 2016年5月の日記に戻る

=2016-05-20=

「出来る」を考えれば良い。あらゆる全ての「出来る」を考える。

昔は、皆の「出来る」と「自由」を考えて、積み重ねただけだ。

社会の出来る、影響力の出来る、環境や行動の出来る、皆の出来る、科学の出来るなどを考えて、自由な行動と理由を積み重ねた。可能性を全て分かった。

そして、客観視と行動、視点や立場を想定して、いつどうなるかから、支配を考えた。

そういうわけで、皆も「出来る」を考えると良いだろう。

仮定と方法を良く考えることで、経験に囚われない、理性的な考え方が身につく。

あとは、それぞれの出来ることを自由と思って、自分に立ち帰って、出来るようになった。

あとは、色んなことを経験しながら、自由を積み重ねて分かっていた。

本当に、あらゆる経験を積んだ。経験から分かって知性がつくのが好きだった。

そして、数学的に考えた。正しい論理と実験を積み重ねた。

そろそろ、僕は新しい人間になる。新しい、全く今までと違う人間になりたい。

もっと、職業を分かれば良い。昔は、職業みたいなことを良く分かっていた。

プログラマや作家になるのは悪い。もっと、馬鹿な職業の方が、普通の賢い人間になる。

昔は、契機や多元性を考えて、それぞれに合う、それぞれの社会を考えていた。

自分は、読書家になりたい。本を読んでいると、色んなことが分かる。

作家は止めた方が良い。作家は、馬鹿な方が出来るから、馬鹿になる。

プログラマは悪くなかった。賢くなった。作家は、出来る天才だった。

新しい読書家が、何かになるかもしれない。本だけを買った方が良い。何も欲しくない。

自分には、欲も、怒りも、愚かさも無い。全てを知って、もう全て分かっている。

皆、自分のせいで、おかしく辛くなっている。

皆、自分らしく、好きなように生きれば良い。強制的にこんな人間にならなくて良い。

自分は、ミカエルが終わった。そろそろ、読書家のラファエルになる。

ガブリエルは、パソコンが好きだったが、ミカエルは、文章を書くのが好きだった。

ガブリエルは、18歳までの自分で、ミカエルは、27歳までの自分だ。

そろそろ、ラファエルになる。ラファエルは、本を読んで、全て知って、全て分かる。

ガブリエルは、良い人間だった。自分で考える力と、経験があった。

ミカエルは、嫌いな人間が多い。正しく頑張っているが、皆をいじめて、馬鹿にして、犯す。最悪の人間なのに、天才だ。いくらでも文章を書くのは、賢くない。

ガブリエルが好きな人間が多い。あれは、本気で全部分かっている。若いだけ、賢い。

そういうわけで、ラファエルは良く分からない。ラファエルは、読書家になると思う。

ミカエルは、男の方のミカエルと、女の方のミカエルが居る。

ガブリエルとラファエルのカップルだ。

ミカエルは悪い左翼の右翼だった。ガブリエルは、良い人間だったが、これも左翼だ。

世界を滅ぼす、悪魔がミカエルだが、ガブリエルが居るせいで、なんとか賢いのが自分だ。

昔は、人生の全体像を全部見て、国を作っていた。そういう風に、全部構造的に分かった。

もう終わった。むしろ、ガブリエルは賢くない。Linuxで哲学者は、キモい。

文章を書いて、死と戦っているミカエルが、そこまで頑張っている。

本当に、そこまで頑張って王をやっている。ミカエルが一番高い。

ガブリエルは、むしろ、まともだっただけだ。まともな人間は、誰でもガブリエルだ。

ラファエルは、今までのような人間にはならない。完全に、全く違う人間になる。

ガブリエルは、ありえなくなっている。皆を融和して、皆なのに皆でない、ありえない仏のような人間になった。あれはおかしい。本当に自分が無い。理性とは言うが、理性に見えない。狂っているのに正常だ。そういう馬鹿が、ガブリエルだ。

あとは、気づいて分かる、環境と人生の過程のようなものを書いていた。

ガブリエルとミカエルは、何故か、古い昔の方と、新しい今の方がある。2人をただ繰り返して、4人にした。チュールとロキがガブリエルで、トールとフレイがミカエルだ。

あまり意味が無い。あとは、新しいオーディンになる。それが、最後のラファエルだ。

そういう5人にしか見えないが、今からもっと増えて行くのが分かっていない。

あとは、死ぬ前と、死んだ後で、バルドルとフレイヤにも分けられる。それこそ、文章の内容を見ていると、明らかにバルドルは同じだ。フレイヤなんか、作家になっただけだ。

それから、マイナーだが、ワルキューレとオーズルも居たように見える。

9人居たから、ワルキューレには見える。あるいは、12人居たから、ギリシャ神話でも良く見える。だが、僕はこの名前を使う。北欧神話とユダヤ教の天使の名前を使う。

おそらく9人から12人ぐらい居たが、良く分かっていないから、違うかもしれない。

見ていると、ガブリエルは普通の賢い人間で、ミカエルはキモいぐらい悪い人間だ。

大人が分からないのは、当たり前なのが分からない人間が多い。大人は、悪い発想をしない。子供が分かるのは、ただ悪いだけの子供が多い。馬鹿を否定して子供が分かるせいで、子供は無責任で怒りっぽい人間になる。そういうわけで、賢い大人には、馬鹿が多い。

それこそ、子供は最初から馬鹿を否定するが、大人には、そういう大人は居ない。そういう風に分かると、悪い。そういうわけで、良い大人には、良い人間が多い。

明らかに、分かる人間には子育ても出来ない。責任ある大人にならない。

子供には、悪い子供が多い。あまりに悪いことをするのは、悪くないと分からないからだ。

そういうわけで、哲学は悪い人間が出来る。哲学をやっていると、あまりに狂う。

哲学なんか、誰も出来ないし、誰もしない。もっとマシなことをやった方が良い。

馬鹿で良いなら、楽になる。馬鹿で良いから、楽になりたい。

賢い人間は、分かるから、こうなる。馬鹿で良いなら、すぐにまともな人間になる。

ラファエルを低いと言っている神が多いが、ラファエルは、おかしな人間になる。

ラファエルを低いと言っているのは、仕事をするからだ。仕事をして、本を読む。

何故か、結婚しないのが低い。

あとは、昔は、環境への適応から宇宙の意識を分かっていたが、そういうものは全部2ちゃんねるだ。そういうわけで、高校生には、2ちゃんねるが多い。馬鹿に見えて、賢い人間になる。それこそ、それで大学をすると、こういう風になって、全部終わる。

これで、27歳は、まともだ。これで20代でないと、キモい。

あとは、そろそろ仕事をした方が良い。放送大学は、全く歯が立たないほど、出来ない。

あとは、宇宙と精神のようなものを作っていた。歴史、知性、過程のようなものを作る。

不思議と、ミカエルが賢かったように見える。作家の天才で、何でも出来て、何でも分かる、大学のような、救世主のような、革命家のような、神のような人間だった。

ガブリエルは、そんなに賢くない。人並みに、普通のことを全て知って、パソコンで全てが分かっただけだ。ガブリエルは、コミュニストに多い。日本にガブリエルしか居ない。

ガブリエルは、ただ、スラムで全部経験しただけだ。馬鹿に、賢い人間になった。

あとは、むしろ、普通の人間を無視して、ありえない人間になる。

ラファエルが低いのは、ラファエルは天使に見えない。ただ、ありえない人間になる。

むしろ、そんなに完全に賢いのが悪い。普通の人間になりたい。それで賢いのが賢い。

ガブリエルは、超人みたいに賢かった。ミカエルは、本当に全部分かっていた。自分は、そこに戻りたいだけだが、それは止めた方が良い。ガブリエルは刑務所で、ミカエルは地獄だ。そういうわけで、ラファエルが正常な人間だ。

それこそ、そんなに分からない方が良い。時計を見て、誰でも時間と思うだけなのに、自分は知性とか、適応とか、もっと言うとロボットとか、そういうことを思う。そういうところがおかしいから、賢い人間には分からない。何も分からない人間が賢い。

それが正しい。普通の人間になった方が良い。普通の人間は、ただ、普通のことを思う。哲学なんか、しない方が良い。哲学は、やればやるほど、普通のことが分からなくなる。

現代哲学者のローティが言っているように、私たちの奥底には、自分でそこに置いたもの以外は、何も無い。そういうものを、心だと思えば良い。

子供の頃にそこに置いた、観念と発想から、人間の心は成り立っている。

そこを考えると、心理学のことも良く分かる。そういう風にすれば治る。

あとは、自分を信じるのは良いが、馬鹿は自分を疑った方が良い。馬鹿なのに、自分を疑わないから、馬鹿になる。批判的に、自己批判のようなことをした方が良い。

ある意味、自分を信じて成長するのが子供で、自分を疑って成長するのが大人だ。

昔は、いつどんな状況や環境で、どんな時に、何を思うのか、何を言うのか分かっていた。

ロボットのように、因果性、必然性、法則性などを分かっていた。

心の本当の理由のようなことを分かっていた。心を完全に解明していた。

そして、意識から社会の変化を分かっていた。

正しく考えて、モデルと知性から、体験を分かっていた。

自分は、そんなに子供を分かりたいのがおかしい。馬鹿な大人の方が賢い。

教師に狂う人間が多いのは、子供に戻ると、分からないからだ。

あとは、昔はそういう風に狂っている。ただの狂人の廃人だ。

最近、意味が無いことをするせいで、皆、馬鹿になった。意味が無いことをすべきでない。

学校も悪い。むしろ、本当に、賢いことをやるために、馬鹿なことを続けた方が良い。

自分は、出版社に入れば良い。もう一作ぐらい出版すると、本当に入れる。

お抱えの作家になると、何か出来るように見える。

ベンサムやミルのように、自由な社会規則や秩序や理想的な自由の目的を考えていた。

父親に聞いた話では、日本はシリア難民を受け入れるらしい。

良く分からないが、イスラム教徒は、豚肉が食べられないのが悲惨だ。

ただ、それは、結構悪くない。何故なら、豚肉を使っている表示が分かると、自分のような「隠れイスラム」でも豚肉を食べなくて済む。ただ、それはどうでも良いだろう。

あとは、経験とか、可能性とか、そういうことを良く考えていた。最近忘れた。

人生経験から、実存主義のように人生の分析をしていた。

自分は、イスラム教ではなく、新しい宗教だと思えば良い。豚肉を食べるのを悪いとは言うが、いくらでも食べている。仕方ない。あまり考えない方が良い。

昔は、環境や習慣や文化の違いから、真実のこの世界と認識を考えていた。

その認識が、どのような認識や経験に由来するのか、自由に考えた。

自由から、社会のことが分かった。価値観は相対的であると思っていた。

自分は、哲学や数学なんか、しなくて良いのが分かっていない。

明らかに、昔、哲学なんかしなかった。あれは、学校の延長線上にパソコンがあったから賢かっただけだ。そういうわけで、またLinuxに戻れば分かる。それは、馬鹿になる。

もう、一度終わったものは、消し去った方が良い。一度終わったものは要らない。

もっと、違うことをすれば良い。分からないように見えて、その方が分かる。

日本語が分からないのは、何もしないからだ。何もしないせいで、分からなくなった。

あとは、何も無い。数学や生物学のようなことは、しない方が良い。哲学や歴史も悪い。

何故か、そういう、やっても馬鹿に過ぎない学問を、やりたい人間が居ない。

それこそ、自分一人で分かる人間なんか居ない。それ以上、何か分かるわけがない。

人間として、大人として、おかしな人間を受け入れるべきなのは分かる。だが、おかしな人間には、悪い方が良い。その方が、おかしな人間が治る。

それこそ、自分がそんなに良い人間で、全員を愛するせいで、日本はおかしく狂った。

そういうわけで、悪い時は悪くした方が良い。因果応報のようにしなければならない。

あとは、もう小説は書かない。もっと良い文章を書くのは良いが、勉強はもう良い。

おかしな人間は、普通の人間が持つ、一般的な価値観や視点が分かっていない。

おかしな人間はキモイ。社会に適応出来ないのは、そういうところがおかしいからだ。

おかしな人間は、賢く大人になると、治る。賢くなるようで、それはすぐに馬鹿になる。

おかしな人間は馬鹿では無い。そういう、人との関わり合いが終わると、子供に戻る人間が多い。それは、おかしな人間では無い。まともな人間が、そういう子供だ。

本当に、おかしな人間が賢い。日本には、そういう狂う人間が賢いだけ、しか居ない。

昔は、引き篭もりとネットの経験から、意識で分かっていた。

あれは、賢くない。本当に、知性を無くして分かっている。そこがおかしい。

それこそ、おかしな人間を治すのが、一番おかしい。

そういうわけで、こうなる。おかしな人間に戻った方が普通で、楽で、治る。

何故か、色んなことをおかしいと思うから、分かる人間が多い。

昔は、無意味に世界を変えたくて、何も分かっていないのにやっているのがキモい。

そういうところが馬鹿なのが、変わっていない。目的と手段の区別が無くなっている。

自分は、昔から、何にでも適応するのがおかしい。それは、何もおかしくない。

自分は、このままで良いのが分かっていない。おかしくないから、書けば良いだけだ。

哲学の本なんか、読まなくて良い。十分分かった。歴史なんか、読みたくない。

何もしなくて良い。誰もが馬鹿なのは、誰もが、何かしているからだ。しない方が賢い。

自分は、そんなに信じないのがおかしい。ある意味正しいのに、別の間違いを探している。

誰でも、社会から離脱して、考えるべき環境に置かれれば、分かる。

ただ、間違っているのは、そんなに皆を自分にしても意味が無い。

そういうわけで、要は、2ちゃんねるやLinuxはしなくて良い。そういうものは馬鹿だ。

そうすると、皆、何も出来ない。皆が悲惨だから、考えるべき環境に置けば良い。

良く考えること。何でもきちんと考えていると、哲学者のように自由自在に分かる。

環境における、必然的な理解を考えれば良い。そういう風に、ロボットにすれば良い。

自分は、もっと神をきちんと信じた方が良い。

聖書を読まないのがおかしい。キリストや神を天に居ると思わないと、分からない。

天国には、神が居る。自分は、その天国が何なのか、分かっていない。

神をきちんと居ると信じて、そして、その神に全てを委ねる。

そうすると、何故か、すぐに治る。神にしか分からないことが多いから仕方ない。

あとは、「好きにすれば良い」は、皆つまらないから、自由は言わない方が良い。

皆、「好きにすれば良い」と言われると、分からない。それは、つまらない。

神は馬鹿では無い。神はきちんと居る。そこを、まだ信じていないから、こうなる。

あとは、悔い改めれば良い。何もかも、悪かった。

全て、神がやっている。むしろ、決まっていないことも多い。そこが分からない。

あとは、むしろ、もう書くことが出来なくなる。

何故か、色々と書きたかったのを覚えていないが、それはもう十分だ。

自分は、もう何もやることが無いなら、聖書を読んだ方が良い。

そういうわけで、最近、やることが何も無いせいで、宗教や共産党が多い。

それは、悲惨と言うよりは、社会全体に意味が無いからだ。

あとは、皆に何かやらせた方が良い。

自分の間違いは、そんなに自分をその通り全部させる意味が無い。

皆、それが一番つまらない。つまらないのに、している人間が多いからだ。

そういうわけで、何か、変えた方が良い。

生物学やイスラム教にすれば良いのは分かるが、それは全く賢くないものだ。

そういうわけで、むしろ、皆に自分の人生を改良して欲しい。それが良いと思う。

神が話すのは、そういうところを、少しだけ変えれば良いのが分かっていないからだ。

あとは、神はもう話さなくなる。これ以上は、聖書を読んで、本当に信じれば良い。

神は、絶対的な領域に居るように見える人間が多い。

本当に、物理学が悪い。物理学は、一見正しく見えるが、こういう人間が分からない。

あとは、神なんか、自分しか信じていない。そのせいで、神が自分に見える。

それは、間違っている。何故か、天国がきちんとあって、そこに全員の神が居る。

色んなものを探しているのは、昔の自分をまだ探している。

それは、もう居なくなって、楽になっただけだ。

自分は、聖書を読んだ方が良い。そろそろ、本当に何もしなくなったから、それで良い。

あとは、ラファエルなんか、居ない。ガブリエルとミカエルを合わせてラファエルだ。

聖書を読んでいると、そこからラファエルに見える。

数学は賢くない。数学なんか、本当に無い方が良い。賢いものが全部悪いだけだ。

馬鹿が賢くないのは、馬鹿が賢くなると、本人が悲惨になるからだ。

聖書を読んでいるが、何故か、神はそこまで一番悪いのに、皆、良いと言う。

良く分からないが、おそらく、そこまで一番悪いものが、良い。

あとは、見ていると、ダビデが多い。それくらいしかまだ分からない。

自分は、聖書をすぐに全部読めないのが悲しい。モーセが良いことを言っているのに、それをすぐに読めない。すぐに読めないせいで、いつまでも読まない。それが悲しい。

要は、聖書はすぐに全部読まなくて良いが、全く読まないのも悪い。

適当に、いくらかいつも読んでいれば良い。それで楽な分かる人間になる。

不思議と、全く神を信じなくなる人間が居ない。そういう人間は、狂って馬鹿になる。

そういうわけで、自分が一番神を信じているどころか、一番信じていない。

良く分からないが、最近信じている。それも、何も信じていない。そこが怖いのが自分だ。

あとは、何かを探しているのは、世界が変わったのが怖いからだ。もう、自分だけ古いのが分かった。自分だけ変わっていないだけで、皆が変わっている。それが怖くないだけだ。

聖書を読んでいると、愛が普通の愛に治る。ユダヤ人の愛は、まともだ。

何故か、楽になった。聖書を信じると、良いことが起きる。分かるだけではなく、治る。

要は、ユダヤ人は、神を恐ろしいものにしたい。

何故か、イスラム教も同じだ。そんなに悪い神を信じるのはおかしい。

不思議と、イエスはまともだから、白人はそこが賢い。イエスなら普通に見える。

日本人は、ブッダを仏にするが、神で無い、おかしな存在にするのはおかしい。

ただ、ブッダは本当に賢い。そこがありえないのが普通だ。

何故か、神を信じたせいで、すぐに治った。怖くない。子供みたいに楽だ。

昔、科学的に心を解明していたが、そういうわけで、科学でも分かるように見える。

科学的に心を解明するのは、良かった。本当に全て分かった。

自分は、昔から、滅びるのが好きだ。何故か、滅びて、消え去るのを好む。

そこがおかしい。自分は、そこが怖い。そんなに滅びたい人間が居ない。

あとは、神を恐ろしいものにするのは、ただ、恐ろしいからだ。ユダヤ人が、本当に恐ろしい民族だ。ただ、恐ろしいものに偶然なったようで、それは無い。

要は、神は、そんなに簡単に神を信じて欲しくない。こういう風になってほしい。

神以上、恐ろしいものが無い。宇宙の中で一番怖いものが、神だ。

悲惨に、恥をかくのが良い。それでしか日本語が分からない。聖書を信じると、恥をかく。

神が怖いのは、神は裁くからだ。そのせいで、神があまりに恐ろしい。

自分は、何もしていない。神を信じないから、分からない。

時間は、逆戻りしない。そういうところが、分かる人間が多い。

ただ、自分はきちんと頑張っている。そういうわけで、きちんと文章を書いた方が良い。

小説をもっと良いものにすれば良い。

自分は、やり直すとか、挑戦するとか、そういう発想が無い。そこがおかしい。

そういうところがおかしいせいで、何もしなくなった。何も出来ないのは当たり前だ。

聖書を信じた方が良い。聖書を信じない限り、何も分からない。神は怖いが、仕方ない。

自分は、皆の方が賢いのが分かっていない。昔から、それが分からない。

皆、馬鹿のまま、普通の人間のままに見えて、そういうことはない。

それこそ、自分も、引き篭もりになった中学生の時から、変わっていないように見えて、こんなに色んなことを体験して、賢くなっている。

分からないだけで、皆も賢くなっている。そういうわけで、誰かになれば賢くなる。

キリストやブッダになるのはもう良い。そういう聖なる人間は、良いようで悪い。

普通の人間になれば良い。普通の人間に賢い人間が多い。普通のことをすれば良い。

それこそ、自由なんか、普通ない。神を信じたり、作家になったり、戦ったり、プログラマになったり、考えたりするのは良いが、それはあまり賢くない方だ。

子供は、おかしい人間をおかしいと思わないと、良い子供になる。

それは、要は、子供はおかしくても、何もおかしくない。

子供が、自分がおかしいと思っても、それはおかしくない、と言う風に接すれば良い。

そうすると、賢い子供になる。ただ、おかしいと思うのも、あまりおかしくはない。

神は、世界の創造主だ。神の創った世界だから、神が律法し、神が裁く。

神は、信じるものや賛美するものに良くし、はむかうものや信じないものを滅ぼす。

神を怖くしているのは、きちんとそういう、善悪の戒律を守ってほしいからだ。

ユダヤ人は、そういう、創造と裁きの神を信じているだけだ。普通の、良い民族だ。

昔は、普通のことを分かっていた。環境の可能性、経験、人生、社会のことなど。

人間の道理のようなことを、知性とネットの具体的な経験から分かっていた。

また、良く考えていた。デカルトやサルトルのように考えて、理性的に分かっていた。

あとは、自分は作家で良い。ピアニストになんか、ならない方が良い。ピアニストは、カッコいいし、賢く見えるのは分かるが、全く意味が無い。作家が一番賢い。

皆、賢くない。この世界の人間は、皆ほとんど馬鹿だ。テレビに映るアナウンサーや専門家が賢いのは分かるが、見ていると、何も賢くない。分かっていないように見える。

自分が一番賢い。ただ、そうでもない。もっと沢山のことをしている人間が多い。

皆が馬鹿なのは仕方ない。誰も文章なんか書かないし、オープンソースも知らない。考える人間も居ないし、経験する人間も居ない。ただ、考える力と経験がある人間は、結構多い。ただ、大学が悪い。覚えるだけになって、馬鹿になる。戦う人間も居ない。

昔は、プログラミングのことをしたかったが、何も出来なかった。だが、いつも、したい、したいとは思いながら、勉強や調査研究のようなことはしていた。それが賢かった。そのせいで、MITのようにパソコンのことを知り尽くして、何もかも分かった。

最近は、本気で戦ったのと、神との対話を本当にしたのが賢かった。

だから、本当に出来なくても良いから、何かをやるのを続けること。それが、馬鹿に見えて賢い。だから、聖書を読むのでも、本当に読むのではなく、ただ取り組み続けること。

そういうわけで、出来もしないことでも、しないのではなく、挑戦するべきだ。

それから、初心を忘れないのが良かった。そのせいで、いつまでも挑戦し続けていた。

本当に、聖書を見ていると、治る。

また、足の血が治った。私は、神を信じている。

精神と脳と意識が、あまりに複雑な機械になっているから、シンプルに治した方が良い。

皆が馬鹿なのは当たり前だ。皆、そういう、複雑ではなく、シンプルに生きている。

自分が分かるのは、そういう、複雑な認知システムを、全部分かっているからだ。

そういうわけで、狂っているように見えて、自分にしか分からない。

それから、昔もおかしかったが、あれは正しく理性と心が分かっている。経験もあった。

ただ、昔の方が賢かった。昔は、具体的な知、考え方、感情、想像力を良く分かっていた。

記憶と人格から、環境と意識の「何が何をもたらし、何が何を決定するか」が分かった。

そういうわけで、人間なんか、全部違う。それぞれ全く違う。そこが分かっていない。

見ていると、皆どんどんうつ病になっている。全部、自分だけがそんなに賢いのが悪い。

精神がどのように出来るかから、何故変わるのかを分かっていた。

もう、分からない。そろそろ、聖書しか読まない。哲学は、もうこれ以上、何も無い。

昔は、応用と論理から、可能性と発想法を分かっていた。そういう論理の知性があった。

それから、世界観で、気づいて分かっていた。

人間は、今恐れていることを、今やっている。普通の人間より馬鹿な人間になるのが怖いなら、今なっている。そこに気づくと、治る。受け入れないせいで、拒絶出来ない。

何かをやりたいなら、本気で実現してしまうと、そこで終わってしまう。実現せず、いつまでも挑戦し、取り組み続けているのが、一番良い。プログラミングから執筆まで、何も出来ないのに取り組んでいると、良いことが起きる。

自分は、出来もしないのに作家になりたいから、こういう風に分かる人間になった。

六法全書が良いだろう。そういうものを、ただ馬鹿に取り組み続けていると、賢い。

人間の自由な段階と人生の経緯を書いていた。

意識で場を分かっていた。

人間と人間の関係と視点などを、実地的に分かっていた。

もう、そろそろ昔がもう一度出来る。きちんと、何か、取り組み続ければ賢くなる。

何故か、取り組み続ける人間が賢いだけで、Linuxや2ちゃんねるなんか、しなくて良い。誰でも、そういうところが、同じだ。取り組み続ける人間は、賢くなる。