自分は、方法のようなことを全部言って、成り立たせていた。
改良に改良を重ねるとか、目的に応じて手段を作るとか、設計図を共有するとか、実験から方法を生み出すとか、方法のようなことを全部言う。
組織から環境まで、自由な実現方法を全部書いていた。
そして、自分の数学を作っていた。関係から、先入観無く、この世界を数学的に分かった。
自分がおかしいのは、何も分からないのに書いているからだ。そこがキモいだけだ。
あとは、実存的に自己と環境を考えていた。
自分は、精神を2つにして、2人になる。
そろそろ、そんなに書く意味が無い。むしろ、心理的に治しても、治らない。
そういうわけで、治さなくて良い。書きたいなら書けば良い。
自分は、2人になると、対話とセックスの2人になるが、それだけは止めれば良い。
関係と言葉で計算する、世界観の数学を作っていた。
対話を止めると、すぐにセックスになる。それが死ぬほど怖かっただけだ。
自分は、昔から、必然性を考える。そして、可能性と潜在性を考えた。
環境と捉えることによる、因果性の考え方を、作用と反応から考えていた。
対話をもう止める。対話を止めると楽になる。本当に、セックスが怖かった。
そろそろ昔に戻る。昔は、普通のまともな高校生だ。
出来ないことは、出来なくて良い。子供には、そういう人間が多い。皆、出来ないことが出来るせいで、馬鹿になった。パソコンはそれが悪い。出来ないことが無いのはおかしい。
そういうわけで、出来るし、簡単だし、楽なせいで、皆が馬鹿になった。
出来ないことを出来ないと思うと、出来なくなって賢くなる。出来ない人間が賢い。
むしろ、その方が出来るようになる。基本の能力や知識の基礎が無いと、分からない。
事前に考えて、基礎や本質を作ること。
知性や精神を作ること。
決まりを知り、確かめること。
世界と人生を知ること。
経験的にではなく、理性的に考えた方が、分かることは多い。
純粋に、命題から考えると、経験のことが、それ以上に良く分かる。
個人と集団のことは、主体的に、環境の中での自立性をモデルにして考えれば良い。
セックスが怖くないと、昔に戻る。不思議と、誰でも昔と同じだ。誰でもきちんと分かる。
あとは、本質や共通性を考えれば良い。類似性から本質や精神性が分かる。
作家はこういう、馬鹿になる人間が多い。作家は賢くない。右翼になるのが作家だ。
いつも、先入観無くきちんと考えて、文章を書いていた。きちんと考える文章が多かった。
ルールから、秩序が生まれる。環境は取り決めから自由に生まれる。
自由は優れている。悪いものは、禁止すれば良い。それも、自由に、皆の手で行うべきだ。パソコンも禁止すれば良い。あまり禁止せず、いくらか悪いものを禁止する。
そういうわけで、自由が一番優れている。
右翼は軍事力を抑止力と言うが、それは、軍隊が侵略戦争の道具に過ぎないのが分かっていない。昔から、防衛力とは言うが、明らかに勝てる時は、戦争で勝つ国しかない。
子供は、自分で何も出来ない。何でもやってもらう。そのせいで賢い子供が多い。
FLOWが言うように、漠然とした自由ほどの不自由は無い。この文章はそういうものに見える。自由に見えて、全く自由が無い。平等の方が自由だ。
このまま放っておくと、もう、馬鹿な人間になる。不思議と、狂った人間が終わった。ここから先は、おかしく壊れて馬鹿になる。それは、狂っていない。
むしろ、勉強するようになる人間が多い。何もしないだけになる。
良く分からない。ガブリエルが終わったどころか、ミカエルももうきちんと書いた。
狂った戦う人間になる人間が多いが、そういう人間はもう終わった。
あとは、馬鹿になる。ラファエルになると、何も分からない、何もしない人間になる。
あとは、皆の考え方や経験を見ながら、社会的な意図と役割のようなものを考えていた。
また、自我や感覚のようなことを、哲学者のように考えていた。
そういうものを、経験から、物理的にきちんと考える。精神現象も、そういう風に書いた。
もう、ミカエルは終わりだ。狂った人間が死んだ。
それこそ、またラファエルになる。何もしない、治るだけの、悲惨な人間になる。
自分は、自分を馬鹿にして皆を賢くするのが悪い。そのせいで、皆馬鹿になった。
ただ、普通に戦って、普通に相手を馬鹿にした方が、治る。
不思議と、最近は、それで皆治るようになった。それは、ただ狂っているだけだ。
子供は賢く見えて、子供は賢くない。何故か、馬鹿なことを本当にやりたい子供が多い。子供は当たり前に未成熟だから、そうなる。大人は馬鹿に見えて、成熟している。
そういうわけで、テレビをただ馬鹿にすれば良い。受け入れるのも止めた方が良い。
恐怖は、恐れから生じる。経験的に、何を恐れているのか、良く考えれば、治る。
だが、大抵は、「怖くない」と言っていると、消えてしまう。
それこそ、自分が弱いから怖い人間しか居ない。強い人間になれば、恐怖に勝てる。
心を強くすると、楽になる。恐怖が無くなって、本当に楽な人間になる。
最近、日本人はどんどん弱くなっている。あまりに弱くなりすぎると、辛い。
人間は、それぞれ違うようで、強いや弱いぐらいしか違わない。
そういうわけで、楽な人間が多い。楽な人間は、強い人間が多い。
男は強いから、楽な人間が多い。女が辛いのは、弱いからだ。
自分のせいで皆弱くなった。皆もそれが分かっていない。皆を強くした方が良い。
強く生きよ。それだけを言って、何もしなければ、強くなる。
今から、ピアノがある。作曲と作詞をしたい。いつもそれが楽しい。
強くなると、血が治るから、あまりに楽になる。
昔から、自分が一番賢い。賢い発想をする。
メタ的に、全ての人間の基盤となる人間のようなものを分かっていた。
あらゆる理解の包括的な理解のようなものを分かっていた。
そういうわけで、もう楽になった。すぐに治る。誰でも、馬鹿にしかならないせいで、何故か、馬鹿の方が賢い。
ただ、強くなるのは悪くない。生物学的に見て、正しい。
それこそ、普通、強い人間は何もしない。何もしなくても、楽な人間が多い。
そろそろ、やっと精神が治る。ニキビも治るかもしれない。
昔から、自分には強迫観念が多い。起こってはならない状況なんか、無いのが分かっていない。しなければならないことなんか、無い。大人にこういう人間が多い。昔から、自分が一番大人に見えて、子供のままだ。強迫観念の強い子供は、意志の強い賢い人間になる。
意志が強いとは言うが、自分はそんなに強くない。パソコンのことは出来なかったし、最近毎日文章を書いているのは、依存症のように惰性で続いているだけだ。
ただ、自分は賢い。哲学や歴史の勉強もしているし、習い事や教室にも行っている。何もしないとは言うが、ゲームなんかするより、何もしない方が賢い。毎日、日記のような文章をいくらでも書いているのは、馬鹿に見えて、誰にも出来ない。自分は賢い。
ピアノへ行ってきた。そして、作詞をいくらかした。
もう治った。楽だ。皆も、強くなると楽になる。もうまともになった。
自分が馬鹿になりたいのは、学校での辛い経験があったからだ。賢い人間は、辛い。
皆、引き篭もりみたいな馬鹿になっているから、それを治した方が良い。
馬鹿な自分にするせいで、皆、ニートみたいな馬鹿になっている。
きちんと大学へ行って、勉強した方が良い。頑張って覚えて、それで賢く考えれば良い。
自分は悪い。皆の方が賢い。そういうわけで、皆は勉強した方が良い。
昔は、経験と感情を推測して、想定して分かっていた。
社会や歴史のことから、価値観や環境を分かっていた。
自分は、そろそろ昔の自分が復活した。本当に、それだけが怖かった。
あとは、そろそろもう良い。そろそろ、本当に血が治る。精神が良くなる。
それこそ、ニートの体験なんか、一つも良い点が無い。ピアノと英会話教室は楽しい。
自分は、自分の力で論理的に考えよとは言うが、それは昔の話だ。最近は、自分が一番、論理的な思考能力が無い。何も考えていない。皆の自由にして、皆が考えれば良い。
あとは、大人はこういう風に、どんどん馬鹿になって分かる。
大人に強い人間は居ない。弱い馬鹿しか居ない。これが、強くなると、賢い人間になる。
ただ、賢い人間には分からない。弱い馬鹿は、分かる人間が多い。弱い人間は努力する。
自分の子供を賢くすると言うが、賢くはならない。誰でも、一般的な子供になるせいで、馬鹿なガキンチョにしかならない。赤ちゃんの時代、賢くなるようで、なるわけがない。
自分は、また間違ったことを言った。子供には、天才も多い。プログラマや作家に、一番天才が多い。当たり前に、スポーツや芸術家に多い。
自分も、親が教師と科学者だから、賢くなった。誰もが馬鹿だから、馬鹿が悪い。
ただ、それもおかしい。子供を馬鹿にするのは、悪く見える。
どうしたら良いかは良く分からない。むしろ、自然な考え方を教えれば良いように見える。
悪いことを言ったが、むしろ、悪くない。きちんと何かが分かった。
子供には、善悪を教えて、色んなことをさせて、体験させれば良い。
あとは、天才にはしない方が良い。むしろ、天才は賢くない。
子供を天才には出来ない。子供が普通のことなんか、誰でも最初から分かる。
何か、一つのものを楽しいと思う人間が、天才になる。それは、大人になってからだ。
あとは、普通の人間なんか、考えない方が良い。普通の人間は馬鹿だ。
自分は、普通の人間のことを考えないのが間違っている。ただ、普通は馬鹿だ。
子供には、普通のことを賢く教えるより、最初から賢いことを教えた方が良い。
誰もが、賢いことを教えて欲しいのが子供だが、そんなにそんなものを分かりたくはない。
きちんと賢いことを教えれば良い。ただ、哲学や歴史は誰もが嫌いだ。
昔なんか、ものごとがどういう風にすれば成り立つのか、考えただけだ。
子供には、最初から賢いことを教えた方が良い。それも、生物学が良いだろう。子供は、皆動物が好きだ。数学は悪い。数学は、数の概念を理解出来ない。
自分は賢くない。良く考えると、日本社会なんか、色んな経験をさせれば良いだけだ。
最近、意味が無い。そういう体験をする人間が居ない。ネットは賢くない。
そういうわけで、自分しか賢くない。自分は、そういう、社会経験をした人間だ。
昔は、実存的に人間のことを考えていた。それだけの人間だった。
実験とモデルと論理の成立から、心理的に人間のことが分かった。
自分は、もう、つまらない。もう楽になったし、哲学や音楽はもうしたくない。
あまり意味が無いが、もう出来ない。これ以上は、何も出来ない。
世界観や方法を積み重ねて、統一して、全体像を見て分かっていた。
人間は、何をしても辛い。ブッダは、それを苦しみだと言っている。辛い人間しか居ない。
そういうわけで、自分はもう終わりだ。ここから先が辛い。何をしても意味が無い。
ここまでは楽だった。昔も昔で辛かった。
だから、世界には苦しみしかない。ブッダは、この現実世界を悟って分かっている。
ブッダは、本当にこの世界のことを全部経験すれば出来る。不思議と、一番多い。
昔から、自分が一番そういう馬鹿だ。
ここから先は、仕事をするのが良いだろう。だが、作家になるのは難しい。
昔なんか、仕事の経験で分かっただけだ。仕事をして、数学をすれば、誰でも分かる。
それも、自分の経験から数学を体得すること。そういう哲学的観念があったのが昔だ。
昔は、根源的な場の意識から、集団や環境の意識を分かっていた。
自分は、体を作れば治るのが分かっていない。精神をきちんと作れば良い。
止まるのは良いが、休んだ方が良い。休みながら止まれば良い。
昔は、ロックやヘーゲルのように、心や精神を普遍的に考えていた。
ネットを見ながら、共通性と作用から、心のことを成り立たせていた。
自分は、体を作れば治る。精神を作ることで、もう病気は治った。がんはもう治った。
昔は、論理的に考えて、その論理がどうしてその論理に行き着くのか、のようなことを考えていた。そして、ネットで経験して、理性的に環境の体験と意識を分かっていた。
自分は、精神が最悪の馬鹿になっているが、それが分かっていない。
何故か、ゴキブリのような、キモい精神になっている。それで、精神がおかしい。
足だけでは無く、頭も、精神を作れば治る。精神が無いのがキモいだけだ。
あとは、神の話を逐次聞いていた。
頭の精神を作ると、賢くなる。目が治って、進化する。何故か、歯も足も治る。