昔は、教育をそれぞれが自分に合った教育を受けられるようにすべきだ、とか、自由な発想が多かった。きっかけと機会から教育内容を作るべきだ、と考えていた。
もっと、自由な人間の方が良い。競争や発展は悪くない。
ただ、キモく見えるのは、そういう自由が悪い。自由には知性が無い。
もっと、小説を書きたい。ストーリーをもっと考えたい。
取り決めとか、社会を作るとか、そういうことしか言っていない。
もっと、虫を殺さなければ良い。虫を殺すのは辛い。殺さなければ、両生類になる。そういうわけで、虫を殺すのも悪いから、あまり治さない方が良い。
ストーリーを考えるのは難しいが、全く同じものを書けば良いように見える。
あとで真実が分かる、と言う本質だけでは、書けない。何か舞台を作った方が良い。
こうなるのは、普通ぐらい辛いのが良いからだ。何も辛くない。普通ぐらい辛いだけだ。
あとは、楽な人間は馬鹿になる。賢いだけ、自分の方が良い。
それこそ、皆が馬鹿なのは、金儲けのために頑張るのが馬鹿だ。自分は、小説の完成と出版のために頑張っている。やっていることが、自分の方が賢い。だから分かるだけだ。
小説の構想を考えている。
まず、魔法使いの戦士になりたい、2人の親友の子供が居た。
2人は、ふとしたきっかけで、貴婦人を助ける。馬車の馬が暴走しているところを助ける。
そして、貴婦人は偉い身分の金持ちで、お抱えの戦士の師匠が居ることを知る。
2人は、その師匠に会う。師匠は、2人の才能を見出す。
2人は、師匠の下で修業をすることになる。
そして、5年後、2人は18歳になった。どちらも、本当に強い戦士の魔法使いになった。
だが、あるハプニングが起きる。親友の片方が、ふとしたことで、悪の魔法使いに捕まってしまう。そして、片方は、悪魔になってしまう。そして、2人は互いに敵対し、争い合いながら、主人公は、悪の魔法使いを倒して、親友を再び人間へと戻す。
そこから、長い旅が始まる。
そこまでを考えた。もっと良く考えた方が良いだろう。
悪魔を人間に浄化するためには、世界に散らばっている、沢山の「記憶のピース」を集める必要がある。それを10個集めた時に、悪魔を人間に浄化する、浄化魔法が使える。
だが、記憶のピースを10個集めて、それを悪い方向に利用すると、この世界の全てを滅ぼして、亡びの国へとすることが出来る。
その、記憶のピースをどちらが早く集めるか。そういう物語だ。
まだあまり考えていない。もっと良く考えた方が良い。
記憶のピースを10個集めるより、禁断の遺跡に眠る、究極魔法の魔法書を探すのが良い。
その魔法書を使うと、相手を浄化して悪魔から人間に出来るが、間違った方向に使うと、この世界を完全に滅ぼすことが出来る。この魔法書を、それぞれが探し求める。
そして、仲間はもっと増やした方が良い。親友は5人ぐらいにすれば良い。
小説の概要を書いた。今から、この小説をきちんと考えたい。
ヒュームが言うように、経験的に分かっていることが本当に正しいのか、疑うことが出来るかもしれない。そこから、正しい経験的、物理的な考え方と捉え方が分かる。
自分は、むしろ、賢い方が良い。賢くなれば、小説が書けるし、精神もすぐに楽になる。
もう、神で分かるのは終わりだ。そんなに分かって治る意味が無い。
皆は馬鹿だが、馬鹿は賢い。自分の方が馬鹿だ。そのせいで、狂っている。
この世界は怖くない。怖い人間なんか、どこにも居ない。それも分かっていない。
賢くなると、すぐに治る。全部、馬鹿な楽が悪い。
賢くなった方が良い。あとは、全く違う人間になると賢くなる。皆と同じは馬鹿だ。
狂った人間は、馬鹿も賢いのが分かっていない。不良みたいな馬鹿な人間も賢い。
そんなに賢いプライドがあると、狂う。そんなに賢い人間は、馬鹿だ。
数学とは、マクロだと思えば良い。3×3=3+3+3のように、記号やマクロのようなものだと思えば分かる。そして、証明は、ある意味、数式による実験だと思えば良い。実験的な数学的推論の考え方だと思えば良い。ただ、推論から実験する。そういう風に考えると、この世界の理性のことが良く分かる。何でも推論して、マクロ的に考えれば良い。推論とは、正しいものから導いたものを分かる、と言う考え方であり、それは、人生や成長や世界観と意識の変転のようなものでもある。理性批判と人生から数学を考えられる。
そして、自然と相対性から、理由をモデルにして分かることが出来る。
そういうわけで、数学は簡単だ。ただ、何でも論理にして、実験しまくっていれば良い。説明やモデルのようなものは、意味をこじつければ分かる。
昔は、自由な経験と行動を積み重ねて、自分の独自の数学を作っただけだ。
そういう風に考えていると、不思議と、全部分かる人間が多い。
あとは、ヒュームのように自然法則や、何をどのように知って行くか、のようなプロセスのことを考えると分かる。デカルトとヒュームは、本当に分かる人間が多い。
それこそ、そんな風になるのは、あまり意味が無い。普通、誰でも賢い。普通の方が良い。
数学は悪くない。あとは、共通性や類似性から、「本当に真実を分かるための推論」のようなことをすれば良い。それで、分かる人間が多い。良く考えて、一番賢く知性で考えれば分かる。昔は、そういうことを、モデルや関係を経験から考えて、していただけだ。
アメリカのトランプが大統領になった時の問題点は、アメリカが他国を批判し、攻撃する代り、皆がアメリカが嫌いになるのが分かっていない。反アメリカで、アメリカ以外の国が結束して、アメリカを倒すようになる。
そういうわけで、トランプ大統領になると、イスラムと白人が友好的になって、完全にアメリカが没落するようになる。ロシアがイスラムと仲良くなるかもしれない。
ただ、そうでもない。本当にアメリカは強い。アメリカと反アメリカで、戦争が起きるかもしれない。そういうわけで、アメリカはそれでそろそろ終わりだ。馬鹿な国になる。
世界は、帝国に戻るだろう。核兵器や戦争は無くなるが、自由には知性が無い。アメリカを見ていると、昔の日本にしか見えない。皆、悪い悲惨な集団だ。日本の方が良い。
自分が疲れるのは、うつ病が悪い。うつ病は、疲れて、疲労感を感じるようになる。
そういうわけで、文章を書くのは悪くない。そうではなく、うつ病が疲れるだけだ。
精神がおかしいのは、全部うつ病が悪い。
人間は、うつ病でしか狂わない。うつ病を治す方法は、無い。誰でも、辛い。馬鹿になって頑張っていると治るとは言うが、辛くなるのは、そのせいもあるのかもしれない。
そういうわけで、うつ病が悪い。何かがおかしいのがうつ病だ。
人間は、皆、馬鹿だ。何をしても馬鹿になる。
ありえない発想は悪い。ありえない人間は、何も賢くない。
今が辛いなら、もっと違う馬鹿になれば良い。そうすると、楽になる。
そういうわけで、自分からおかしな人間になると、賢くなる。
良い人間なんか居ないし、良い体験なんか無い。それなりに、何でも良い体験になる。
つまり、適当で良いようで、適当は悪い。何か、本当に好きなものになれば良い。
作家が悪いなら、何もしない人間になれば良い。そうにしかならない。作家は辛くない。
辛いのは、全部うつ病が辛い。そういうわけで、年を取れば誰でも辛くなる。それは、老化では無い。もっと、当たり前に、必然的にどんどん辛くなる。それしか居ない。それは、自分のせいではない。悪く見えて、おかしな狂った人間は、誰でもそれが賢い。
自分から馬鹿になると、賢くなる。
キリストを信じて、自分から馬鹿になると、賢くなる人間が多い。
誰もが馬鹿だから、そうなる。馬鹿が賢い。
昔は、自分の遺伝子や状態を変えて分かっていた。そういうところをすれば治る。
自分は、2ちゃんねるはもうしない。そういうわけで、出来ることは少ない。
何をしてもあまり意味が無いから、しなくて良い。あまり、趣味や本に意味が無い。
あとは、ネットで経験して分かっていた。知性を吸収して、全員になった。
論理と実験と予測、そして、事前の考え方と経験的指標から分かっていた。
それから、社会の文化的変貌のようなことを書いていた。人生と社会の過程を書いた。
また、新しい小説を書けば良いが、むしろ、賢くない。もっと考えた方が良い。
今のところ、プロローグのようなシナリオしか出来ていない。それ以上を考えたい。
パソコンは再生産する必要もないし、大量生産も簡単に出来る。一度作ったものを、コピーして何度でも使える。そのせいで、オープンソースの方が生産性が高い。
自分は、記憶喪失になっている。それを治して、多重人格にするのが良い。
ただ、馬鹿な多重人格になると、意味が無い。賢い神と神のような人間になるべきだ。
本当に、果てしない道だった。
長くて、辛くて、悲しい、本当に沢山のことがある道だった。
全ては、始まりである。終わりと言うものは無い。終わりは、全て始まりなのである。
自分は、嘘をついているところがある。嘘ではないが、自分は本当はこんな人間ではない。悪い人間に見えて良い人間だし、良い人間に見えて悪い人間だ。何も考えていないように見えて、巧妙に皆のことを操って馬鹿にしている。安心出来るように見えて、本当はそれは間違っている。何故か、ただ悪いだけに見えて、結構この世界の皆のことを真剣に考えている。そういう、アホな人間が自分だ。昔から、ただのペテン師だ。
それこそ、自分は良い人間だ。何もかも自分だけで背負って、本当にこの世界を全部治している。最近は、皆、それで馬鹿になった。
皆、馬鹿になったのに、馬鹿になったのが分かっていない。2ちゃんねるとWindowsを巧妙に倒して、皆が馬鹿になった。良く分からないが、これが自分だ。
誰にも知覚されていないとするなら、それは存在しているだろうか?それは、ある意味、神によって知覚されていると言える。バークリもそういうことを言いたいのだろう。
ただ、存在を、存在を意識している相手の存在とともに考えるべきだ、と言う、ハイデガーの存在論は、何かがおかしいと思う。何故か、本当に魂が無くなっているように見える。
昔は、ネットを見ながら、必然的にそれを思うのを分かっていた。何がしたくなるか、何をしようとするかを考える。いつ何が分かるのか、全部分かっていた。
賢くないのに賢かった。最近は、あまり、賢い意味が無いから、馬鹿の方が良い。
足はそろそろ精神的に治った。何もかも、全部治った。
うつ病のせいで、本当に疲れている。あとは、多重人格が辛い。
昔は、どこかで本来の自分の存在や居場所を隠したままで、全ての体験をした。
そういうわけで、本来の自分にそろそろ戻った方が良い。
反省するのは良い。昔は反省で分かっていた。最近は、振り返ることを全くしていない。
そろそろもう良い。そういうわけで、うつ病が治って、本来の自分に戻る。