農園に行ってきた。
社会や環境のことは、自由にすべきだと思っていた。
共有して、自由に変えられるようにすべきだと思っていた。
認識の経験による変化や、自然な過程のようなものを考えていた。
怖いのは、全部セックスが怖い。
農園で分かった内容は、ここまでだ。
今から、英会話教室に行ってくる。
英会話教室に行ってきた。
英語は、アングロ・サクソンのように、悪い口調で喋ると分かる。
認識が経験的に変わることを比較して分かっていた。
自由な社会の可能性と契機と許可から、社会をそれぞれが変えられる、それぞれに適した社会を作る、皆で社会を作る、と言った、コミュニストの自由のようなものを考えていた。
社会の変化を分かっていた。
あとは、科学の体系のようなものを作っていた。フッサールの厳密学のようなものを、文章を書いて作る。アリストテレスのような、ヘーゲルのような人間だった。
そろそろ、英語が話せる。英語は、theを、意思疎通と思えば話せる。相手が「それ」の内容を明確に分かる時に、theを使う。そういうわけで、普通はつけなくて良い。
説明とモデルから考えること。
自由なく法律を決めると、それは奴隷である。
環境を作ることは、社会を作ることである。
自立的に、環境の構成員が、環境を変えられること。それが自由である。
そして、経済学と数学だけを考えること。人間は、分かるものが少ない方が分かる。
あとは、まともに賢い文章が多かった。
意識、知性、構造、未知のようなことを考える。
そこから、人生、社会、方法を考えていた。
そして、国から科学や人生まで、全部創っていた。
新しい、小説を印刷した。賢くなった。小冊子印刷にしたせいで、読みやすくなった。
そういうわけで、もう終わりだ。出版は出来なくても、良い本になった。
皆の延長線上を、いつまでも、いつまでも分かっていた。本当に、旅は最後まで続いた。
小説には、もう手をつけたくない。あれで完成にしたい。
また、このワードの日記に戻る。このワードを書いていると、まだ書ける。
昔は、本当に知り尽くす、少なくても全部きちんと分かる、と言う把握の発想が多かった。
見えない裏側を全部考える。そういう、科学者のような人間だったが、経験もあった。
ただ、それはもう良い。昔が賢いわけがない。
新しい小説を書いて、印刷したから、名前は仁と涼子で良い。そのカップルに見える。
あとは、世界情勢を分かっていた。ドイツを倒せば良い。ドイツが一番悪い。
あとは、科学的、人間的、社会的、歴史的な、実際の姿を考えていた。
惑星が回っているのは、何か理由があるのかもしれない。宇宙の何かのシステムとして、何かの目的を持って回っているのかもしれない。物理学では分からない。
新しい小説を書きたい。何か、構想を作りたいと思う。
仏教で、四諦などの真理に「諦める」と言う文字を使うのは、諦めることで、執着が無くなるからだ。いつまでも同じ治す方法を試し続けるのではなく、諦めること。
言葉を殺すと治る。
精神が治るためには、その部分が死んでも良いぐらい、他の部分を生かすこと。
そういう風にすると治る。そういうわけで、何も治らない方が本当に治る。
全ては、取り得る可能性である。昔は、そういう風に精神と社会のことを分かっていた。
人間とは、それぞれの関係である。例えば、滅びると滅ぼすは違う。
そういう、他者に対する関係、状態、作用のようなものを、場を含めて考えていた。
日本語を改良したかった。英語やスペイン語のような順序を可能にしたかった。