今日も英会話教室と農園に行ってきた。分かった内容は無い。
いつも、問題の解決方法のようなことを言っていた。
目的、体験、価値観、システム、方法、文化、考え方のようなことを言う。
問題の解決方法の知性があった。経験からあらゆる考え方を書いていた。
小説が、そろそろ完成したと思う。
小説は、ありえないほど賢い内容を書いているが、書けるものを書いているだけだ。
書けるものを増やすために、もっと色んなことを知りたい。
生物学を知ると良い。生物学を知ると、生き物のことが分かる。それが一番作家が出来る。
手塚治虫も、生命への愛が溢れている。手塚のように、生物が一番作家が出来る。
生物学は、父親の持っている図鑑を読むと良いだろう。それを小説に書けば良い。
昔は、悟りを開いている馬鹿が多かった。経験と意識の分析から、神のように分かった。
自分は、生物学と経済学をした方が良い。それが一番作家が出来る。
ただ、自分には無いものは望まない方が良いが、面白いものはした方が良い。
面白い、と言う感情は、自分の既にあるものを確認することを言う。
いつも、そういう風に、悟るようなことを分かっていた。
馬鹿は、賢くない。馬鹿が終わってしまえば、賢いに戻った方が良い。
馬鹿が分かるからこうなる。
賢い人間は、賢くない。賢いと思っている人間は、何も賢くない。
馬鹿はどうでも良い。馬鹿が分かるのは賢くない。もっと、昔の馬鹿に戻ると賢くなる。
馬鹿には馬鹿が集まる。馬鹿とは付き合わない方が良い。馬鹿は賢くない。
ただ、馬鹿も賢いから、馬鹿と思っている人間の方が賢い。それしか居ない。
この世界に賢いものは無いし、賢い人間も居ない。何も無い、まっさらな人間が賢い。
経済学や歴史はまだ良いが、パソコンや哲学は馬鹿だ。大学は賢くない。
何も無い、まっさらな状態に戻ると、賢くなる。子供に戻る。
昔は、実体験から世界のことや人間のことが、厳密に全部分かっていた。
体験からモデルを作っていた。帰納的にモデルを作った。
皆も、何も無いまっさらに戻った方が良い。それで、知的障害が本当に治る。
こういう馬鹿は、白人に多い。白人は、馬鹿なのに分かる。
昔は、心理的な状態や、社会的な状況を想定して分かっていた。
まともな人間は居ない。まともな人間は狂っている人間が多い。
そんなに超賢いのも悪い。それほど賢く無い方が、賢い人間は多い。
ソクラテスの言っている意味とは違うかもしれないが、何も知らない人間が一番賢い。
おかしいのは、長期的なスパンで考えるようになっている。
そのせいで、一秒が一年になっている。何故か、おかしく賢くなった。
もっと、短期的なスパンで考えれば良い。それで馬鹿になると、きちんと色々分かる。
自分は、「何故おかしいのか」を考えれば分かる。そんなに信じても意味が無い。