日記に戻る | 2014年7月の日記に戻る

=2014-07-25=

人生は、優しさと勇気だ。

自由とは、人を助け、社会を変えることだ。

社会の変化を法則的に分かっていた。

信じれば融和する。教育は、正しくしなければ分裂を生み出す。あるいは、悪く同化する。戦争は、滅びる。競争は、発展するが、悪くなれば滅びる。

自然な体験を共有することから、愛が生まれる。愛は、真実と信じる心から生まれる。

あとは、正しくないことを言っていた。正しくない方が賢いことはある。

社会と自然などについて、考え方を言っていた。

生命は、循環しながら、混ざり合って生きている。個体と全体が調和して、環境の中で生きている。

社会は、価値の創造であり、自由な助け合いの自然な発生と構築だ。

そういう風に、考え方で世界を捉えていた。

もう、8年も何もしていない。書く以外、何もしない。学校に行っていると言っても、何もしていない。ただ、書くしかすることが無い。何もしないでいると、辛い。

やるだけのことや、知ることは、辛いからしたくない。経験することや、表現することをしたい。

書いていると、話になってしまう。神を永遠に続けて、いつまでも話し続けるのが辛い。

話は、まともになりたいだけだ。右と左が交互に話して、何にでも反応し、することに指図するのは、おかしい。

人を傷つけないでいると辛くなる。傷つけるとまともになる。

日常が無いのは辛い。日常と思うと楽になる。

水道など、無いようであるものを想像力で把握して分かった。

自然の歴史は自然に経過する。

視点を考えていた。

機械は物理的に動く。

ネットでコミュニケーションし、調べて分かった。

想像力が有った。体験を空想し、想定し、全ての感情と可能性が分かっていた。

今ではなく、可能性を考えれば分かる。

証明して分かっていた。最近、想像力が無くなった。

自由があったのに、最近は自由も無くなった。つまらない。賢くない。

想像力は、機械や社会や心理を分かっていた。変化と根拠が分かった。

自由とは、関係だ。自分が自由であるように他人が自由であり、ヘーゲルの言うように、互いに対象化し合い、承認を求めあい、主と奴に分かれるのが、自由だ。