自分からすれば知性がつく。
昔は、Linuxの研究を自分からしていた。
ヘーゲルの言う対他性や事そのものが分かる。
学校は悪い。自分から、しなくなる。
スピノザの言うように、受動感情に反発せず、理性的に認識することから、哲学は始まる。
ヤスパースのように自己の状況を客観的に認識し、ヘーゲルのように対象と同一になる。
啓蒙主義と人倫の世界を知り、カントのように、普遍的な判断基準を持つ。
そこでは、サルトルの自由の刑、ハイデガーの存在と時間など、実存的な考え方が存在する。
最近は、神を信じて対話しなければ出来ない。
神は、ドイツ人の理性を与え、全て教える。心との対話をすれば良い。
schwarz1009 2014-07-08 07:26
不思議なものは多い。
なぜ、こんな地球があるのだろうか?
なぜ、こんなに人間は理性的に考えるのだろうか?
何を持って、自由と言うのか?何を持って、平和と言うのか?
考えてみると、不思議なことは多い。
宇宙には、謎が多い。歴史にも、謎が多い。
本当は、人間なんか、何も分かっていない。
不自然なことはあまり起きない。だが、科学だけの世界と言うわけでもなさそうだ。
この世界はどこから来たんだろうか?
何故、こんな世界があるのか?
何のために、誰が作ったのか?
人間以外のものに、意味はあるのか?人間とは、何なのか?
どこに、誰が居て、本当はどういう風にこの歴史が生まれたのか?
実際のところは、本当は何だったのか?
何故か、考える存在である、人間が生まれた。それすら、おかしい。
schwarz1009 2014-07-08 07:46
人間の意味とは何だろうか?
この世界を作り変え、全てを可能にするのだろうか?
いや、そうではない。もっと大切な、人間らしい、何かがあるはずだ。
友人を作って、結婚して、子供を育てる。結婚は、聖なるものなのだろうか?
そうでもない。だが、金や宗教が全てでも、無いだろう。
schwarz1009 2014-07-08 07:58
恐れとは何だろうか?
恐怖は、間違えること、出来なくなること、失敗すること、負けること、終わることなどに存在する。
だが、恐れは、悪いものではない。恐れがあるために、偉大なことが出来るのだ。
恐れを知ることは、宇宙を知ることに繋がる。
恐れとは、絶対的な感情であり、安心の逆であるが、恐れが無ければ、何も達成しえないのである。
schwarz1009 2014-07-08 08:02
愛とは何だろうか?
愛とは、自分の経験した全ての感情の総和である。
そのため、恐れを排除して愛があるわけではない。恐れを包括して愛がある。
愛は、全てだ。この世界の全ては、愛なのだ。
schwarz1009 2014-07-08 08:06
だが、慈悲と愛は、また違う。
慈悲とは、その人を本当に許し、正しい形で愛し、信じ、助け、教え、導き、与えることだ。
慈悲は、世界を救う力がある。慈悲は、全てを正常へと変える、正しい治療薬だ。
schwarz1009 2014-07-08 08:07