自己意識は、受け入れ、認め、許す精神になり、具体的な精神になり、社会を知る精神になり、自己を知る精神になり、絶対精神になる。
そのような、精神の段階をいつも書いていた。
自由とは、受け入れ、許すことだ。
昔は、ヘーゲルのように、主観と客観や、自己目的などを考える。そういう風に考える、積み重ねる知性があった。
全員、それぞれ違う。それが分かっていない。
全員を分かれば分かる。そういう発想が、昔多かった。ネットで分かった。
環境と場を作れ。そのように、基礎を築く発想が多かった。
あとは、分かる基礎を作って、能力をつけていた。己の可能性を高めていた。
あとは、ネットで意見を交わして、Wikiで文章を書いて分かった。
考え方を自分で作れば、科学を自分で創造出来る。
自由が国を解決する。もっと、正しく社会の可能性を考えれば良い。
精神分析で全てが分かる。それくらいが多かった。
神との対話は、色んな国や指導者などと会話した。対話の相手は、天使や独裁者どころか、ブッシュやケネディまで多かった。宇宙人も多い。
困難に立ち向かい、戦って解決すれば、最近が出来る。最近は、導き、支配し、解決する。だが、何も分かっていない。最近の方が悪い。神が多かった。
それぞれが力を持って、自由にして、戦う方が良い。社会主義は悪い。
物理やコンピュータは、計算や証明が出来るのが賢い。ただ、それをしないなら、哲学的に言語で考えることで、同じことは出来る。
全ては、記憶と経験と構築だ。
意識を想定せよ。
全てを可能にせよ。
あとは、いくらか神を止めて、黙って見つめていれば分かる。
それぞれを本当に自由にせよ。
それぞれ、唯一の存在だ。それぞれ互いに関係しながら、確かに自分を持っている。そして、それぞれ独立して、自由な思考と行動と存在を持っている。
環境と変化と人間と世界を、証明し、捉えて実現すること。
人間は、時間の共有であり、環境との関わり合いだ。
生命は、命ある存在だ。
KOKIAも言うように、自分が命あるものに生まれたのは、不思議なことだ。
人間など、ただの子供だ。
他の家は違うが、同じなのは、自分と同じように、人間であり、1人で考え、生きていること、関係していること、独立していることだ。
皆、それぞれの家族が好きだ。当たり前のようで、全く違う考え方をする。だが、共通しているものはある。
環境が極端に変わって、楽になって自由になると分かる。逆に、極端に辛くなると、絶望する。そのように、抑圧は自由で治る。ネットはあった方が良いが、学校は悪い。
最近は、いつまでも希望を信じて、忘れずに、取り組んでいた。それが、神になった。
平和な方が良い。革命は、一番怖い。
あとは、ネットで皆の意見を知って分かった。
最近は、世界に意見するようになった。
環境の距離や意識、質量や変化や関係などを、実感で分かっていた。
物理的かつ、感覚的に分かっていた。
感情と認識とネットの意見で、全てを感覚で分かった。
具体例が多かった。そういう昔が多かった。
日本は、島で、巨大な陸地の一部と思って分かっていた。
他の県や国を、遠い距離が離れていると思って分かっていた。
あとは、環境の自在性と変化の支配が多かった。
経験と思考を、感情と言葉と想像力で分かっていた。
色んな人間のことを知って、色んな視点や状況に立った。
何故そのような状況になるのか、良く考えた。
様相とパターンが多かった。
意識と意識の関係を考えた。場と目線を考えた。
環境の内側と外側の意識を比較した。
色んな状況を考えれば分かる。
孤独、戦い、勝ち負け、協力、競争、滅び、復興、発展、停滞など、考えれば分かる。
ものを食べるなら、それになっているように見える。人間の力で吸収している。
自分の状況を考えれば分かる。抑圧やいじめ、カーストなど。
魂との対話は終わった。もう、対話しなくなる。魂は、終わった。
色んな環境と視点を空想し、推論せよ。
いじめは、子供が何も出来ないから起きる。皆子供のことを考えないし、子供も何をしたらいいか分からない。相手のことを考えないのは、おかしい。学校が悪い。
いじめを無くすためには、自由に好きなことが出来るようにした上で、皆できちんと社会のことを考えるべきだ。
ただ、自由や平等が悪いようには見える。そんなに左翼教育をするのもおかしい。
自由がいじめだから、自由が悪い。それは、当たり前すぎて、意味が無い。
あとは、もうない。社会を知り尽くして、コンピュータが分かれば、昔の僕は終わりだ。
感情に従った方が良い時もあれば、理性に従った方が良い時もある。したくなくても、すべき時はある。そのように考えれば、子供の理性も良く分かる。
あとは、人間の心理的な人生を、段階的に自由に、場面と状況で考えていた。
昔から、成り立たせるのが得意だ。成り立ちを良く考える。
色んな経験をした。色んな人間を知って、世界を分かった。
ブログには、トラックバックが多かった。リンクを全部見て分かっていた。掲示板のログや、グーグルやブックマークも多かった。グーグルが好きだった。会話から検索して、調べて分かっていた。
Wikiは、自分のもののように、全て書き換えていた。今考えるとあまり悪くないが、当時は罪悪感が多かった。
想像力で全部見て、認識を作って分かっていた。
現実とネットを交互に見て、想定した。
仮象を考え、仮定を考え、世界を作れば分かる。
環境は、悪いことをせず、平等にし、きちんと従えば平和になる。自由は悪い。
自由は、創造的で、楽だ。
文化は守るべきであり、制圧は悪い。だが、併合してしまえば、後で平和になる。
平等の方が良い。ただ、それぞれの個性は無ければならない。
不満は、我慢して受け入れれば良い。
本当に辛いなら、逃げてしまえば良い。いじめの解決法は、学校に行かないことだ。
僕の友達にも、不登校や引きこもりが多い。おかしな中学校だったのだろう。
パソコンのインターフェースやヘルプは、直感的でなければならない。分かりやすく、知りやすいインターフェースを開発するべきだ。Linuxで、そういうことがしたかった。