日記に戻る | 2014年6月の日記に戻る

=2014-06-07=

書くことを書いて、分かることを分かっていた。自分の作りたい知を全部作っていた。

プロセスは、UNIXにあるプロセスのようなことを社会に適用して分かっていた。

基本的に、文章は新発見をしていた。

認識は、存在価値を知ることだ。

平等は、存在価値を認めることだ。

自由は、存在することだ。

皆が好きだった。神に全部教えてもらっていた。

いつまでも崩壊しないのが辛いから、崩壊する。辛い理由が分からなかった。

真実は、人間を正常にする。

全ては、可能性と具体化だ。

最近の戦いは、一度皆を同じにして、導いて、解放して、全部違うにした。

もう一度、同じになれば良い。

ものをどのように作るべきか?何を作るべきか?何をするべきか?何を決めるべきか?

何から何を生み出すべきか?どのように材料と知恵を集めるか?何のために作るのか?

それは、何故必要なのか?どうすれば、そのようになるのか?

もしかして、それは何なのか?そのように考えていた。

自分が自分の気持ちを正しいと思って、皆を騙すのは良くない。

悪いことを言ったなら、素直に悪いと思うべきだ。

どのような手段で、何を作って、何に応用するのか?どの視点から見て、それを作るのか?

それは、一体、何なのか?本当の意味は、どこにあるのか?

どのような社会と環境を築くべきか?本当の問題はどこにあるのか?どうすれば解決出来るのか?必要な変化は何か?

そのように考えれば、いつもの自分と同じだ。

あとは、想定、体験、学習と、想像力の把握と社会の全体像から、分かることが出来る。

国は、実現力を高めると同時に、高度過ぎない国にした方が良い。

あとは、いつも通り宣言で世界を創れば良い。

行動的に自由な世界になれ。

階層的に平等な世界になれ。

人を知り、愛し、助け、支え、励ませ。

支配するな。認め、許し、自分と同じように相手のことを考えよ。

平和な世界になれ。

自然な世界になれ。

間違った関与や強制の無い世界になれ。

もっと、相手のことを良く知り、自分でなく、他人のことを優先せよ。

もっと、愛と勇気の中で、戦いに己の本当の力で勝つ世界になれ。

信じることと、疑うこと、可能性と確実性のバランスから理解せよ。

平和と愛を信じること。

手助けが必要なら、周りのものに遠慮なく頼ること。

かっこ悪くても、必要なことはある。

あとは、昔、ネットで色んなことを分かっていた。ブラウザと共有が好きだった。

昔の方が良い。最近なんか、ただの虫だ。

昔は、永遠の時間の中で、全ての体験と経験をして分かっていた。

色んな経験をした。醜いことや、その中でも美しいこと、色んなことや人があった。

ソクラテスのような人間だった。

あとは、実現と思えば分かる。実現方法と手段、考え方を与えよ。

あとは、昔は、自分の大学だと思えば分かる。

心理分析や社会分析、認識と体験、ネットでの会話と環境の変化、コンピュータの知識で、自分の工業大学のようなものが出来た。Wikiを書いていた。

色々、認識と想定と体験で分かった。想像力による把握と、新しいことを知る視点、経験による成長、社会の把握と実感、意識の発展を書いていた。

愛と平等が好きだった。秩序は、自由と思いやりから生まれると思っていた。

平和が好きだったが、それぞれが出来るべきだと考えていた。

それぞれの人格を高度に分かっていた。

コンピュータとLinuxの世界にだけ、詳しかった。

色んな自由を分かっていた。どのようにすれば平和になるか、自由に分かっていた。

ネットの王になっていた。

もう、残っていない。それくらいの人間だった。

このまま、社会は、平和になるべきだ。

戦いは、ある程度許容すべきだ。戦わなければ、発展しないし、良くならない。

環境の意識を考えていた。

そこを良く考えれば分かる。色んな意識に変わるのが怖いだけだ。

環境の意識がストップして、何も出来なくなって、辛くなった。

意識を自由にせよ。管理すべきでない。

皆が、出来るようにしたかった。

自由な可能性と手段が、世界を変える。

皆にやらせることで、世界を自由に変えたかった。

昔は、ネットを見ながら、全ての意識と感情を分かっていた。

自分のせいで、世界もおかしくなった。

色んな意識に変わらないのはおかしい。停止したロボットの世界になった。