昔の世界観は、世界をシステムと社会、経験と個人と考える。
システムを皆で改良し、それぞれが成長して分かるのを、自由と考えていた。
そして、作る手段と知る機会を重視して考えていた。
自由だ。
そのまま、それが、神とともに、アメリカやドイツ、ソ連などを分かるようになった。
競争社会、支配の社会、平等の社会だ。繰り返すように見える。
あとは、大学的な専門知識は、無い方が賢い。
色んなあるものを、ただ思うだけが普通だ。
世界にあるものを、単純に思考で思えばいい。
電車や車などの交通や、食べ物や学校、テレビなどを思えば良い。
大学があると、無駄に考え方が詰め込まれて、何も分からなくなる。
あとは、最近の文章は、昔の世界観をそのまま書いているだけだ。
社会にある考え方を、そのまま考えていただけだ。
分散や集中化、権力の支配構造、金や税金などの手段、人材と技術と情報と生産がある。
その中で、考えるべき点は、方法と構造だ。
方法を知り、構造に当てはめて、仮想的に世界を積み重ね、照らし合わせれば、理性的に分かる。
その上で、経験的に感情と体験から世界を知れば、全て分かる。
それは、その中で、条件と意味を積み重ねる。
その上で、その世界観を、感情を言葉にすることで、書いただけだ。
このような考え方はつまらない。もっと、世界を良く見るべきだ。
娯楽と生産しか、存在しない。そこには、実現方法と考え方が存在する。
良く見ると、概念と操作がある。
それは、「なぜ」と思いながら環境の全体像を知ることで、全て把握することが出来る。
社会とはシステムだ。そして、執筆や考え方は発想だ。
世界は、発想とシステムだ。それだけだ。
自由とは、発想と手段だ。
思想を考えた。
個人主義は、永遠の理想だ。
社会主義は、社会を平等にし、全員を平等に豊かにする思想だ。
帝国主義は、帝王の下に、皆が一致結束して、戦う思想だ。
民主主義は、上を平等に自由にすることで、皆の国にする思想だ。
共産主義は、皆のものを皆で作り、配給する、共同体の思想だ。
自由主義は、自由経済を行うことで、多様化し、増やし、自然に成り立たせる思想だ。
ただ、政治思想だけではつまらない。
不可知論は、分からないものは分からないことにして、排除し、分かるものだけを分かる思想だ。
経験論は、経験的に全て分かる思想だ。
理性主義は、理性的に考えること、科学的に考えることで、世界を分かる思想だ。
観念論は、神や絶対理想の存在を考える。
他に、超人主義、唯物論、唯心論、唯名論などがある。
世界は、古代復興によって、古代に戻るかもしれない。
あるいは、世界が進歩することによって、正しい世界に近づくのかもしれない。
いつか、超人が現れて、全知全能の絶対者が聖書を書くのかもしれない。
そのように考えれば良い。
ルネサンスの人文主義や、古典主義やバロックなどの芸術の思想がある。
僕は、認識が環境になって分かっている。
そういう前頭葉を、永遠に使って、書いて発想している。
それがもう終わった。
認識と社会しか、書かなかった。
昔は、環境を認識で考えただけだ。
やっていることはそれだけで、何故か全員と考え方が全部分かった。
意識と状態を把握したかっただけだ。
最近は、機械になって分かった。
全てもう分かっているから、認識に適当な理由を言うだけで分かる。
それが神だ。神は、全て教える、この文章だ。
そして、機械が辛いだけだ。その機械を、楽にすれば良い。
自分の力で全部出来た。まともに考えて、全部分かって、治った。
もうすべて終わった。世界は、平和なまま、もう支配者が居なくなるだろう。
さらに昔の引きこもりは、ただの馬鹿だ。
馬鹿な自由が、環境を支配している。
色んな考え方と、全員の知恵が、ネットで分かった。