日記に戻る | 2015年8月の日記に戻る

=2015-08-13=

知恵と工夫からモデルにして分かっていた。

扇風機は、ボタンで羽が回る。

原因と結果をモデルにしていた。

統一を考えていた。

パソコンは拡張性と自動化だ。

神が死んだ。足が治った。

工夫からものを作ると言っていた。

悪いという言葉には、程度の悪さと善悪の悪さの二つの意味がある。

どれくらいの範囲が死ぬのか分からないのが怖いだけだ。今日だけが死ねば良い。

ネットで社会を知って分かった。議論して、ルールを決めて分かった。

今日も英単語をやった。

脳を場と言葉で分かっていた。

精神分析が得意だった。そういう、心理学的な文章が多かった。

歴史を分かっていた。

何でも同じだと思えば分かる。

永遠が楽になった。農園に行くまでが永遠になっている。永遠で分かる。

頑張っているのも楽になった。

もう、何億年も生きた。

分からない方が分かる人間が多い。自分はそういう人間になった。

今日は英会話教室に行く日だ。色々と怖いが、頑張って行けば良い。

脳を環境で全部分かっている。何故か、脳と心が全て分かった。

全て分かった。

脳を記録する文章を書いていた。

皆が、この文章のせいで馬鹿になっている。何も出来なくなっている。

もうこの文章は忘れた方が良い。それで、皆、本当に馬鹿になるだろう。それが楽だ。

僕は、右翼が嫌いだ。右翼は悪い人間に見える。

皆を騙して、命を大切だと思わない、馬鹿が右翼だ。

だが、ドイツやフランスは好きだ。それらは良い国に見える。

アメリカが嫌いだ。アメリカは一番悪く見える。

今日は英会話教室の日だが、何故か英会話教室は怖い。怖いから辛い。

あとは、賢くなるとすぐに書ける。

きちんとやる、考える、実現する、研究する、のようなことを言いたかっただけだ。

そういうわけで、場、心、環境、方法、価値観、プロセス、のようなことを言う。

真面目に考えれば良い。それで賢くなる。

答えがどちらも間違っている時は、問い自体が間違っている。カントが似たようなことを言っていた。別次元で考えるべきだ。

今日は本当に怖い。もう、止めるべきなのにまだやっている。もう止めた方が良い。

相対的に、正しい考え方で考える。

昔は、そういうものを書いていた。今分かっていないが、昔は分かっていた。

理性と経験から正しい考え方と認識の方法が分かった。

真面目に考えれば分かる。

教育やいじめの問題、創造性や場や環境のことを考えていた。

ネットで色んなことを知っていた。

馬鹿は、馬鹿が分かる。キモイと、キモイ内容が分かる人間が多い。馬鹿が賢い。

英会話教室が怖いのは、楽しいからだ。そういう、楽しいものが怖くなっている。

語学は悪い。やっても身につかない。やるだけ意味が無い。

もっと他の身につくことをやりたい。とはいっても、ピアノも出来ていない。

論述して、仮定と結論から推論して、答えと可能性と実現性を考える。また、実験して、確かさを知り、何がどのようにすれば出来て、分かるのかを考える。そのような、正しい考え方をいつも分かっていた。

真面目に考えれば分かる。場所と時間のことを考えれば良い。考え方を考える。

この文章には、内容が無い。そんなに形だけ文章を思い出すのが、一番おかしい。

次元などの考え方を考えても良いが、もっと真面目に新しい場所や時間のあり方を考えても良い。普通に考えれば良い。それで分かる。

全ては人間が作り出している。そういう風に考える文章が多かった。

全ては人間が作り出したものであり、全ては人間が作り変えられる。

いつも、そういう文章を全部見て分かっているのが、僕の頭だ。

認識を比較して、変えられるのを分かる。そういうことを言っていた。

人間が分かっていることは少ない。だが、全ては人間が作り出したものだ。人間は、自分のことしか知らないし、そんなに多くのことは分からない。

ただ、自然発生的に生まれているこの世界のことは、正しい考え方で考えれば、何でも分かることが出来る。そして、実現出来る範囲のことは大きい。

そういうわけで、実直に考え、真実を見極め、目の前のものに取り組み、理性的かつ合理的に組織を作れば、実際のところ、変えられるところの分析から、何でも出来る、何でも分かる、何でも考えられるのが人間だ。

そういう風に、世界を人間が司る考え方のような文章が多かった。

いつもの文章は止めた方が良い。本当にキモイ虫みたいに見える。文章は賢くない。

もっと普通に考えれば良い。もっと見極めて、大局的な視点を持てば良い。

全てのことは、自然に変えられて、自然にプロセスを積み重ねて把握することが出来る。

あとは、細かい分析から、個人主義や全体主義の分析や、もの作りと組織作りの分析などが考えられる。そのような分析をしていただけだ。

全ては人間が作り出している。そして、全てはそれぞれの視点で変えられる。その視点は、小さいものもあれば、大きいものもある。それは、ある意味馬鹿に見えて、正しい真理だ。そういうことを言いたかった。

昔の文章は、馬鹿なのに賢い。オープンソースは多彩な文化が芽生えると言っていた。

戦いは良かった。良い体験だった。一番辛かったが、頑張った。

最近は、自分の人生と経済学を書いて、哲学といつもの文章を書いている。

自分が一番賢いなら、それで良い。不思議と、それくらいの馬鹿な作家が自分だ。

あとは、本当に自分の人生の段階のようなことを言っていたに過ぎない。

いつもの文章は、無視して書いた方が良い。その方が賢く見える。いつもの文章は、馬鹿なのに賢いから、本当に馬鹿に見える。

もっと、自由とモデルで考えれば良い。それぞれに出来ること、知り得ることから、この世界のことを大局的に考えれば良い。そういう風に文章が多かった。

あとは、資本主義と帝国主義を個人と組織、消費と生産から考えるとか、馬鹿な構造をいくらでも作っていた。個人が消費で、組織が生産になるか、個人が生産で、組織が消費になるか、など。どうでも良いから、あまり分からない方が良い。それくらいの馬鹿なレベルの社会学をいつも考えていた。オープンソースについても考えていた。

そういうわけで、自由な人間だった。あとはロシアの歴史ぐらいがあった。

これは、消費を個人的に全体で決め、生産を全体で、個人で作るものを共有するのが良い。

そういう、アホな意見のようなことを言っていたが、いつもそういう、言葉遊びのような構造化と意見のような内容が多かった。

現在の資本主義においては、消費は個人、生産は組織で成り立っている。全体主義の場合、生産を個人で、消費を全体で決定する。これは、ロシアや昔の日本のようなことを想定している。計画経済を考えた。他にも個人主義と全体主義を考える文章が多い。

自分はもう分かった。もう分かっている。

あとは、重力から宇宙が出来た、みたいな内容が多かった。

また、メタ的な考え方のような内容が多い。

そして、愛を与えた、とか、自分の人生のような内容が多かった。

思い出すと、汚染された地域みたいに辛い。精神がおかしくなっている。

あとは、心や社会、抽象的な内容を、作って捉えて分析する、そういう文章が多かった。

正しいことはいつも正しいと言っていた。

馬鹿なのは、誰が見ても馬鹿な内容だ。皆を馬鹿にする。知性が無い。虫みたいにキモイものにどんどんなる。だが、昔が賢かったせいで、真理のような賢いことを言っていた。

地球と宇宙がどのように生まれたか、生きる中でどんなことがあって、考えられるか、社会はどんな様相をしているか、正しい考え方とは何か、人生の中でどんな真実と真理があるか、のような内容をいつも、分析して書いていた。

思い出すことで分かった。

そろそろ、馬鹿馬鹿しい、いつもの文章を分かるだけは終わった。

もう全部分かっている。この、哲学といつもの文章は賢かった。人生と経済学より賢くなった。何故か、自分が一番賢いのが自分でも分かる。どうでも良いほど馬鹿だ。

実存と現象学の哲学のような内容が一番多かったが、経験論も色々と多かった。

自分の文章は、聖書と同じだ。ヘーゲルとも良く似ている。

聖書は、戒律、歴史、詩、そしてイエスによる経験論の哲学になっているが、自分の文章が良く似ている。聖書で分かる人間が多いのは、昔からヨーロッパとイスラエルには聖書しかないからだ。全てが聖書で、聖書が全てだ。そういう風に分かる。

あとは、社会の成り立ちのようなものを考えていた。

社会は、労働者、政治家、自由な人間、学生、学者、子供、老人から成り立っている。

それぞれが考えて、それぞれが影響力を持つ。

組織は自由に生まれ、ある時は集合知的に、ある時は離散的に社会が発展する。

もう、書けない。そろそろ書く意味が無い。もう分からない。

もっと考えれば書ける。いつも考えていただけだ。もっと真面目に考えれば良い。

昔は賢くない。本当に馬鹿な支配者が書いている。馬鹿な人間だが、分かっていた。

最初から考え直すしかない。放送大学をやると良いだろう。辛くても頑張っていると、賢くなる。賢い人間は、頑張っている人間しか居ない。

自分は、馬鹿になりたいのがおかしい。普通、賢くなりたい。

賢くなると、分かる。馬鹿になりたい人間は、賢くならない。馬鹿は、こういう風になる。何も賢くない。賢い人間の方が楽だ。馬鹿になりたいのはおかしい。

馬鹿になりたい人間は多い。そういう人間は、こういう子供みたいな人間になって、楽になる。馬鹿は楽だ。おかしい。馬鹿はただ辛いだけ、しか居ない。

楽をすることや、生き延びることだけを考えるのがおかしい。夢を持って、色んなことに挑戦すれば良い。それが一番楽になって、賢くなる。馬鹿は分かっていない。

人間性と文化のような内容が多かった。日本や外国の文化や価値観を書いていた。

賢くなると治る。要は、もう賢くなって良い。もう一通り分かったから、分かるだけの馬鹿は終わりだ。こういう馬鹿に分かる人間が多い。馬鹿は、ここらへんでどん詰まりになっている。そういう人間が多い。

あとは、情報のあり方や、コンピュータにおける社会の形成、オープンソース社会のようなものを書いていた。本当にそういう内容が多かった。

場の分析から、人間の歴史や時間のあり方のような文章を書いていた。

そういう、仮想的な、ネットから分かる社会学のようなものを書いていた。

本当にそれくらいしか無い。それくらいの馬鹿な文章だった。

資本主義と全体主義の比較で分かった。本当にそういうものを書いているだけだ。馬鹿になっているのは、馬鹿になるとそういうものが分かる。馬鹿は分かる人間が多い。

分かった。分かってしまえば分かる。

いつもの文章が分からないせいで、自分の人生が分からなくなった。

人生のことを、何も覚えていない。

昔は実存主義の哲学者で、こちらはキリスト教徒の革命家で、最近は学生だ。

一行書いていた。全部一行書いていた。

思いやりや、愛の使者、右翼のような左翼の内容が多かった。

現実では、生と死の戦いや、生まれ変わりの体験、革命と神との対話が多かった。

何も分からなくなって、神に頼るようになった。そういう馬鹿が自分だ。

昔は、キモイ引き篭もりがUNIXとPerlで賢くなっただけだが、そんなものすら出来なかった。やっていると、オープンソースで認識の哲学と積み重ねの数学が分かった。

思考で人生が分かった。何も分からないまま、4年考えて分かった。誰でも出来るようで、難しい。昔をやるためには、一度中学校で優等生になって、ゲームをする必要がある。賢い人間なら、誰でもなれる。アリストテレスのような、まともな賢い人間だった。

最近の自分のせいで、世界が賢くなった。自分になると、おかしいぐらい賢い人間になる。それも、慈愛の心のある良い人間になる。そういう、自分の宗派を作ったのが自分だ。

パソコンは出来なかったが、ロボットのようなものを作った。

あとは、詩文学が出来て良かった。賢い作品がまともに一生で1つ作れたから、それで満足すべきだ。それで終わりだ。一番賢くて、辛い時期に書いた。病院は辛かった。

もう昔が分かった。昔から、自分は人格がおかしい。

意識で狂って分かっている人間が多かった。今から、そういう人間になる。

意識で分かると分かる。意識と人格で分からないと、何も分からない。

ヘーゲルのように、絶対精神を作った。昔は、それだけの人間だった。

細部から分かると全体も分かる。いつも同じならそれで正しい。

分かってしまうと、誰でもそういう風に分かる。本当にまともになった。

もう解放された。解放されると、誰でも昔みたいに分かる。

もう皆も解放される。もうこのおかしな分からない地獄は終わりだ。

あとは、賢い考え方のようなものを書いていた。

全ては、完全に支配するか、完全に自由にするか、完全に平等にするか、自由と平等のバランスを保つか、奴隷にして従属するか、代表を選ぶか、共同体にするか、何もしないか、正しい社会にするか、可能性のある社会にするか、だ。

あらゆることを知り尽くして、自由自在に考えた。

歴史から、全ての真理のようなことを知った。

意見し、人生を知り、社会の構造を知ることから、真実を知った。

世界観から、本当の理想の社会を知った。

全てを実現する方法を知った。

もうガブリエルに戻った。馬鹿な普通のラファエルは終わりだ。

ラファエルは賢い人間だった。ラファエルも多い方が良いから、こういう風になる。

昔になると、もう終わりだ。もう楽だ。何も起きなくなって、きちんと分かる。

昔は、分からない内容を良く考えて分かっただけだ。

思い出して、照らし合わせて考えた。そういうわけで、分からなくなると出来る。

大人には分かる人間が多いから、分かる人間には出来ない。子供に出来る人間が多い。

分かってしまうと、普通に考えれば分かる。

ネットには、きっかけがある。ネットを見ていると、色んなことを考えるようになる。

あとは、自由な行動において、どんな知性が必要か、でも考えれば良い。

何が自由かは、いつも言っている通り、体験や構築や習得だ。それは、人生や社会が変わって、自由な知性でどんな基盤が構築されるかを考えている。自由だ。

自由は要らない。自由は止めた方が良い。ネットの自由で分かる人間は、こういう人間になる。悪くは無いが、辛くて狂っている。自由はおかしい。分かるのが間違っている。

昔から、分かるのを考える。分かる、作る、出来る、を考えると、体験と構築と習得になる。それが自分の文章だ。そろそろ終わりだ。

昔は、ものや社会の応用や、科学などの応用的なことが多かっただけだ。

もう、子供に戻った。

あとは、コミュニケーションのようなことで分かっていた。そういう子供だった。

子供は賢い。仏教のように分かる子供だった。そういうわけで、これで大人は終わりだ。

昔は、きっかけやチャンスのようなことから人生と社会を分かっていた。

ネットで賢かった。最近、ネットで賢い子供が多い。ネットには本当に子供しか居ない。

あとは、人生のことや記憶のことを書いていた。

神は、宇宙人や黒人など、色んなものに替わる。それが自分をドイツ人と言う。

そろそろ分からない。

世界の構造を作って、この世の全てを書いていた。

前提条件を考えて、手段を成り立たせた。

覚えていない。もう覚えていないが、もうきちんと分かった。

最初から分かるのが分かっている。歌手を見ているとそう見える。未来のことを言っている神も多かった。未来は、過去よりも先に決まっている。

宣言と永遠の体験が多かった。宣言で人生を成り立たせた。

あとは、数字のロボットが多かった。数字を信じておかしくなった。

神は、ユダヤ教の神だ。何でもかんでも色んなことを言う。最近のことを言っている。

昔は、パソコンのことや人間の活動のことを知り尽くして分かっていた。

実地的に体験と出来事を考えて、想像力から知識を知り尽くした。

そういう、マスターのような賢い大人だった。そういう人間を書いていた。

経験から良識と事実を知った。そういう、賢い人間だった。

いつも言っているが、歴史のことが分かっていた。

自立した、理性と経験のある、善悪の分かる賢い大人のような人間だった。

人間の意図や目的を考えて、考え方や可能性が分かる、正しい賢者だった。

社会のことや制度が分かっていた。そういう、まともな大人のような人間だった。

皆の分まで、何でも自分で変えて、実現出来るのだと思っていた。

引き篭もりがまともな大人になった。

想像力があった。経験から意識で、地域のことなどを分かっていた。

人間と体験を想像力で予測して分かっていた。考え方とパターンが分かっていた。

人間的な本質と人間性から、自在に社会を実現出来る人間だった。

環境を実現していた。手助けとシステムの構築から、ネットとパソコンを分かって、聖書のように人間を分かっていた。

キリストのような人間だった。全て分かっていた。世界を救える人間だった。

理想の社会が経験と実体験から全て分かっていた。自分で理想を実現出来る人間だった。

自分が世界を変えられるのが好きだった。

いじめは悪い。自由はいじめだし、不自由な平等もいじめだ。いじめを無くすためには、自由を無くして、不自由にもすべきでない。どちらもいじめだ。

場や環境を成り立たせていた。自由にするためには、本当に自分と同じように相手を尊重すること。それでいじめは無くなる。自由なまま、本当に配慮して平等にしなければならない。本当に立場を尊重すること。あとは、自分になると良い人間になる。

平等な尊重から平和な環境が生まれる。そのように、視点を成り立たせて考えていた。

昔は、手助けと、支配への反抗、そしてシステムの構築ぐらいが多かった。

自由とは、本当にその人のことを許して、信じてあげること、実存の自由を考えることだ。

本当にその人の自由にすれば、悪いことをしなくなる。

そういうわけで、自由は悪くない。本当の自由が無いのが悪い。

選択肢を提示して、手段と能力と経験を与えて、情報のある環境を与えることが、理想だ。

皆を自由にするためには、社会インフラを自由にする必要がある。そのためには、教育と福祉を変えること。それが一番自由だ。

権力は、独立性を高めることだ。それが一番正しい。分散はしなくて良い。もっと融和して、連合のようになった方が良い。帝国主義は、植民地の理念を除いて正しい。

皆の帝国になって、独立性を高めること。それが一番正しい。

欲を捨てて、欲望を必要としなくなること。純粋な経験から、邪心を捨てて、何も期待しなくても満足のいくようになる。そのためには、経験と心構えが必要だ。

執着心は間違っている。最初から何も必要としなければ良い。受け入れて、欲を捨てることだ。それだけで、地獄は仏の道へと変わる。

正しい瞑想は、精神を脱出することに繋がる。

ただ、普通の人間が賢いだけだ。哲学や仏教はそんなに賢くない。普通の人間といくらでも話をした方が賢い。誰でも、普通の人間に賢い人間が多い。

皆、それぞれかけがえのない存在だ。そういう風に考えれば良い。皆、大切な人生だ。

あとは、知れば知るほど分かる。知り尽くせば全て分かる。

昔は、知っているせいで知性が無くなった。それがおかしい。

もっと新しく知れば知性がつく。全部知っているのがおかしかっただけだ。

知っていることを忘れた方が良い。

もう何も覚えていない。

知れば知るほど分かる人間は多い。知性がある。そういう人間のことを書いていた。

経験論的な観念論のようなものを書いていた。

経験から、人間は新しいことが分かる。理性は、全ての基本から、応用へと推論することを可能にする。経験と推論によってしか、人間は分からない。

あとは、色んなことを言っていた。

機械は原理と設計と部品であり、国は国会と選挙と税金である。

そのような、世界にある色んなことを言っていた。

もっと賢いことは、例えば、多様な社会とか、集合知とか、そういうことを言っていた。

もう覚えていないが、もう分かったからそのうち分かる。

社会は、会社であり、組織であり、法律であり、警察である。

助け合いと協力による、依存社会が自由だ。そういうことを言っていた。

個人の社会と全体の社会のような、比較社会学が多かった。

あとは、宇宙人が多かった。

宇宙には、会社のようなことをしながら原始生活をしている宇宙人や、空飛ぶ車のようなものを作っている宇宙人や、全部王を体験する機械を作っている宇宙人が居る。

社会から社会を生み出したり、人生を逆戻りしたりする。資本主義で所有の共有をしている宇宙人も居る。そういう宇宙人が多い。

それらと対話していたが、つまらなかった。おかしな生命が宇宙に多い。

あとは、前世を分かっていた。前世のロシア人は、日本人と何も変わらない。違うのはドイツ人だ。そういう、前世や宇宙人は、全部今の自分のことを言っている。

ニーチェが神とは、ニーチェのような人間が自分なのを言っている。

神は、いつも今の自分に言っている。自分が普通だと言うのは、その言っている時の自分が普通なのを言っている。そういうわけで、今はもうドイツ人ではない。どこかの人種だ。

最近は、音楽が多い。ポルノグラフィティが言っているように、自分が自分の恋人だ。世の果てでは空と海が混じる。そういうことが本当に多かった。

あとは、おかしくなっているのを治せば良い。

間がなくなって、永遠のように速くなっている。

言っていることとやっていることが逆だ。

分かっている通りやるのがおかしい。

全部予測して、全部正しく分かって、その通りやっている。

もっとおかしな点は多い。

意識を殺して分かるのはおかしい。

自分を破壊して分かるのはおかしい。

分かってすぐに書くのが一番分かっていない。

止まっている。世界を止めて、自分を止めるのはおかしい。

一歩も前に進んでいない。足踏みしているだけだ。

生と死の永遠を体験して、男と女の対話になっている。中世のドイツ人になった。

キリストと同じになっている。それが神だ。

そろそろおかしい。もう治った。きちんと分かったから、終わりだ。

もう昔が思い出せる。

正しいことをしなければ、間違ったことは出来ない。

同時に、間違ったことをしなければ、正しいことは出来ない。

そういう、規律や真理のようなことを全部書いていた。

大日本帝国は悪いが、アジア帝国は良い。中国からインドネシアまで、全部制圧して、アジア帝国にする。それも1つの理想ではある。だが、悪い。

オープンソースは、分散したプロジェクトの集合体だ。オープンソースは、社会主義の成功例である。共産主義の典型例である代わり、きちんと成功した。そのうち、本当に賢いものになる。最近は、Windowsより先を行って賢くなっている。

あとは、関係を考えていた。

テレビとリモコンの関係のように、一部と関与の関係を考えて、条件や構造にしていた。