決定と行動から考えていた。
単純作業は考えなくて良い。本当に必要なところを考えれば良い。
何がどうあるべきか、社会の設計や応用的なことを考える。
あとは、色んなことを考えた。
思弁哲学や、物事の道理が分かっていた。
応用可能と導きから、皆に助言していた。
全ては、行動、歴史、経験、応用だ。
あとは、自分が出来る、で分かっていた。
ものには目的がある。裏にある考え方と経験を分かれば良い。
もう死んだ。
英語は、成功例を一人見れば出来る。その通りやれば良い。
死んだのが悪いだけだ。
物事の理由を良く考えれば分かる。
死なないから死んだ。良く考えると当たり前だ。
死が死んだ。
仮にそれがあるとするなら、のようなことを考えた。
良いと悪いが戦っている。
減らさず、増やせば良い。
昔は、全部分かっていた。分かりすぎて、フランス語までやっていた。
自由に自由はない。受験や起業に自由はない。
英語は、適当にやった方が出来る。授業をきちんとしなくて良い。その方が自分で話すようになる。
平等に考えれば分かる。環境は平等な自由だ。
全ては無常である。移り変わり、過ぎ去る。その中で関係し、発展し、滅びる。
場は生まれ、消える。
場や歴史のようなものを全部創っていた。決まりや法律、法則のようなものも創った。
今日は英会話教室だった。覚えた英単語、mist(霧)を使った。今日も楽しかったが、適当にやっているから、結構つまらない。適当では出来ないかもしれないが、適当の方が出来る部分もある。きちんとやっていると、出来ないものだ。
英会話教室以外に何かした方が良いかもしれない。英単語は今からやる。
英単語をやった。
今日は比較的楽な良い日だ。何もしないとは言うが、色んなことをやっている。
英語の発音を覚えたい。発音記号をきちんと発音出来るようになりたい。
今日は英語の日だ。
昨日のピアノは、作曲が楽しかった。最近、色んなことをやっている。
子音の発音を覚えた。久しぶりに、子供のように、沢山のことをいっぺんに覚えた。覚えるのは楽しい。冷蔵庫、refrigeratorも、正しく発音するのは難しい。
ただ、考えるべき部分を考えれば良い。
どう考えるべきか、どういう可能性があるか、どういう意味があるか、どう実現するか、どう反応するか、どう感じられるか、どのように変化出来るか、など。
そのように、考え方のような、考えるべき部分を考えれば良い。
それが、行動と判断力の段階とか、環境の自由度とか、理解と発想とかに繋がって来る。
どのように判断し、行動し、協力し、実現するか、そこではどんな場合と情報を考えるか、環境をどのようなものにするか、など、自由な思考のようなものを考えていた。
それを全部言っていただけだ。それだけの文章だった。
あとは、システム、価値観、記憶、人生のようなものを、全部創っていた。
メタ的でマクロ的な、時間的で人間の作用的な関係のようなものを全部考えていた。
ボトムアップや一体と言っていた。そういう、社会のことも考えていた。
国の構造を作っていた。
意識から地球の歴史のようなものを分かっていた。
そういうわけで、もう全て分かった。殆ど、判断や実現の自由な思考しか言っていない。
あとは、それでメタみたいなことを言っていただけだ。王を作る王、秩序を作る秩序、環境を作る環境、職人を作る職人、社会を作る社会のようなことを言っていた。
発想と理解から、本質と真理のようなものを分かっていた。
あとは、人生を書いていた。自分の人生の経緯と段階のようなものを書いていた。
価値観とシステムのようなものを成り立たせて、人間の視点と全員の人生、社会の共存と共生、のようなことを考えていた。体験と習得が自由だと言っていた。
あとは、存在可能性と仮定のようなことを書いていた。何をどうすべきか、とか、仮にそれがあるとするなら、とか、そうであれば、あるいは、そうでなければ、とか、経験から分かる推論と仮定の方法のようなことを書いていた。
そろそろ、知的障害が治る。
無常の中で、何をどうすべきか、この世界はどうあるべきなのか、考える。
そして、問題をどのように解決すれば良いか、仮にそこにそういう問題があるとするなら、原因は何で、どのようにすれば解決出来るか、そして、人員として何が出来るか、のようなことを考えれば良い。それが正常な人間だ。
いつもの文章を分かりたいのは、もう止めた方が良い。それで馬鹿になった。
昔は、これで自分の数学を作って、心や人間を物理的に分かっていた。
コンピュータで色んな世界を知っていた。仕事にするつもりだった。
最近は、普遍性と個別性や、理性と現実、地方自治と中央集権を考えていた。
あとは、フランスやドイツが多かった。
そして、神を信じて、経済学と哲学をやった。
それくらいの馬鹿が自分だ。
もう分からない。もう終わったから、もう分からなくなる。話も終わる。
あとは、原因を辿って行くと解決出来るとか、相対的な結果から原因が生まれるとか、相対的なことを言っていた。
それから、人間の本性的なことや、実存的なことを良く言っていた。
そろそろ分からない。覚えていない。もっと新しく何か考えれば良い。
学習とは本質的に同じと違うであるとか、結構色んな考え方のようなことを言っていた。
言語とは可能性であり、社会とは変化であると言っていた。
平等は環境の変化であり、意識とは自在であると言っていた。
あとは、経緯や道、前提と習得のようなことを言っていた。
もう覚えていない。そろそろ、新しいことを考えた方が良い。自由を悪いと思えば良い。
カテゴリーとキーワードとか、ボトムアップと道州制とか、考え方を書いていた。
あとは、ドイツ語や英語のような、具体的な言語の分析のような内容、あるいは、左翼と右翼のような、社会的価値観の分析のような内容、そして、教育のような内容が多かった。
全てを貫く思考の定理を書いて、属性を無限に増やしていた。
全ての属性を書いて、人間と世界全部にする。考え方と人生の段階を網羅する。
そういう文章だった。自分の延長線上の永遠の意識を作って、皆の斜め上を行っていた。
認識の現象学、考え方、ありえない世界、人生の記憶と段階、体験と場ぐらいが多かった。それぐらいが多かっただけだ。
何故か、キモイ文章だった。皆を馬鹿にする。悪い帝国主義の共産主義の女王のような内容が多かった。一番悪い人間だった。
僕は、まだ生きる。ここで死んでは意味が無い。まだ何もしていない。
愛を信じていた。何故か、そういう馬鹿な内容が多かった。臆病者の唱えている優しさのようなものを全部書いていたが、無責任だった。AAAが言っている。
世界を止めていた。本気で頑張って戦っていた。そろそろ、それを止めた方が良い。世界は、そろそろきちんと動き出す。皆が楽になって、楽しい世界になる。
皆、もっと意味のある世界になるべきだ。
自分のしていることを受け入れ、楽しいと思いなさい。意味の無い世界になっている。
皆、自分のしていることに意味が無く思えるようになった。悪いこともしなくなったが、良いこともしなくなった。皆、楽しくなって、良いことをした方が良い。自分も悪いが、コンピュータ業界やインターネットの馬鹿も悪い。皆、意味が無い。
ここまでは全部良かった。辛かったが、楽しかったし、色んなことがあった。
ここから先が辛い。働いても、何も無い。結婚すれば良いようで、相手も居ない。
英語を発音や単語帳まで頑張るのはあり得なくない。英会話教室にも行っている。
昔は、システムを作って、言葉だけで全部分かる、みたいな発想が多かった。
昔の自分はもう良い。超常現象が多かったぐらいを書いていない。神と対話した。
ここから先、楽だ。もう何も辛いことは起きない。
会社は、協力し、組織となり、知恵を集めて実現し、世界を変える。
そういう、手段や会社を作ることのようなことを書いていた。
そろそろ、もう書かなくて良い。書かなければ賢くなる。
日本語が分かった方が良い。それで生きられる。
そのためには、この文章は書くべきでない。書かなければ日本語が分かる。
おかしくは無い。最近、本はきちんと読めている。放っておけば分かる。
あとは、工場のプロセスや設計のようなことを分かっていた。
この文章は、ただランダムに書いているだけで、最近は残ったものを分かっている。
いつも同じことを1つ分かる。それだけの文章だ。馬鹿ではないだろう。
もう、馬鹿を止めた方が良い。全部止めるのが楽だ。
自分をやるためには、記憶、手段、情報、時間が必要だ。
あとは、自分を実現可能にしたかった。最後の境地を分かるために、全て書いていた。
そろそろ終わりだ。あとは、自由を考えただけだ。
もう未来が分かっているからこういう風になる。定めは、こういう風に多い。
価値観と体験を分かっていた。
イチローのような価値観から、2ちゃんねるや歴史まで、価値観を全部分かっていた。
それから、体験は、予測して支配していた。
宇宙は、言語、細胞、重力、原子だと言っていた。
それくらいの文章を、もう書かなければ賢くなる。もう良い。
価値観と体験から世界を全部知って、歴史と人間のようなことを分かっていた。
想像力があった。想像力で体験を考えて、場を想定して、視点を成り立たせて分かった。
全て、価値観、体験、想像力で、神ほどに全てのことを分かっていた。
人生と体験が全て分かる人間だった。
言語や環境、コミュニケーションや実体験から、神ほどに全てのことが分かった。
共有と多様性と独立が好きだった。昔からそういう人間だ。
平和な自由が好きだった。自由な相対性と論理性で、社会のことを全部分かっていた。
正しい解決、無数の無限にある解決方法が分かる人間だった。
自由が好きだった。自由な経験から体験的に全てのことを分かっていた。
創造性、対等な立場、尊厳の尊重、理想の社会の実現を理想の自由だと考えていた。
俯瞰的に世界を見て分かっていた。
コンピュータのことを分かっていた。UNIXやC言語など。正しくは分からなかったが、自分独自のやり方で、自分なりにコンピュータのことを研究して、知り尽くしていた。
ネットでこの世界を知り尽くしていた。博物学から外国まで、全部知っていた。
神は自分を普通だと言っていた。本当に普通の人間だ。
最近は、世界を支配する王になって、世界を導いた。神のような救世主だった。
ユダヤ教のメシアとは、自分のような人間のことを言っている。
そういうわけで、自分が一番賢い。辛かったが、頑張った。誇りと達成感がある。
ネットの議論で分かっていたのが、執筆に変わった。
今日は暑い。何も辛くなくなったから、本当に楽だ。何も辛くない。このままで良い。
神との対話は、昔の自分を繰り返して、死んでいるだけだ。もう止めた方が良い。
何とかして対話を止めるしかない。だが、すぐには止めなくて良い。仕方ない。
自分の地獄は、永遠に辛くて、一番辛くなる。マラソンには見えない。本当に辛かった。だが、最近はもう楽だ。恐怖と疲れと耐えがたい苦しみが多かった。
昔は楽だった。何故、こんな戦いをする意味があるのか、分からない。
戦争なんかしない方が良い。最近自民党の議員が馬鹿を言っているが、戦争に行かないのを利己主義だと言うのはおかしい。自民党は、皆に戦争をさせたいだけの党だ。
昔も辛かった。孤独で、ネットのおかげでかろうじて楽だった。うつ病みたいな孤独な人間だった。何をしても失敗する。それは、挑戦とチャンスになって、賢くなった。
皆は、頭の良いだけの悪い世界を止めて、安心出来る賢い馬鹿な世界になる。
地獄の戦争と王をやっただけだ。
日本を本当に支配出来ている。もっと良い国にした方が良い。それが分かっていない。
ここまではまともだ。
あとは、信頼出来る、安心して権力を任せられる、平等な善人の国になる。
それは、自民党が負けるか、あるいは、自民党が変わるかによる。
そして、悟りや超人ではなく、平等な幸福のある世界になる。
その上で、経験豊かな世界から、本当にマスターとして成長する世界になる。
皆は、もう賢い人間が終わる。何も分からなくなって、ありえないことが起きる。そして、本当に賢い、本当の宝のような人間になる。そういうわけで、今は賢くない。
そういう風に、皆を導く王が多かった。
要は、アメリカやドイツが終わって、ロシアやイタリアになる。
神との対話のような、ありえないことが起きる。
皆、もうそろそろ馬鹿になる。辛いぐらい何も無くなる。
自分のように、世界との接点が無くなる。そして、自分だけが満足のいく人間になる。
あとは、意識で経験を分かった。何故か、ネットと回想だけで全部分かっていた。
あとは、言語、数学、社会的な価値観、経験、知覚のような内容が多かった。
全てのことを実感で分かっていた。
可能性と必然性など、抽象的な変化と捉え方のような内容が多かった。
当たり前の科学のような推論的な科学が多かった。
人間像と本性的な価値観や段階のようなものを書いていた。
全て終わった。今日はもう終わった日だ。これ以上、あまり書く意味が無い。
こんなに出来るのは、おかしなことをいくらでもやったからだ。そういうわけで、おかしなことはした方が賢くなる。ロボットは悪くない。おかしなロボットが一番かしこい。
あとは、世界の考え方のようなことを言っていた。
全ては、論理性と抽象性、個別性と具体性だ。
全ては、自然と可能性、多様性と統一だ。
全ては、絶対性と相対性だ。
全ては、自然と必然だ。
そういう風に考えていると、哲学者のように分かる。
昔は、論理を作っては捨てるだけの、賢い人間だった。
あとは、裏側を考えて、証明し、法則を経験から知り、信じたり疑ったりして分かった。
今日ももう終わりだ。あとは、寝て、明日はもう書かない。
それは悪い。明日書かないと、辛い。まだ書いた方が良い。
あとは、世界モデルや環境活動のようなことを言っていた。
あとは、言葉を作って分かっていた。概念から、推論の方法を全部作って分かっていた。
死が起きた。死を最後まで頑張った。生まれ変わりのような神との対話だった。
あとは、歴史のような内容が多かった。
また、コンピュータのことを良く分かっていた。
そういう、もう言ったことを何度も繰り返して言う意味が無い。
今日は原爆の日だ。自分も広島人だ。広島は、復興出来たのがありえない。本当にきちんと復興している。広島の偉大な点は、アメリカ人を恨まない。核兵器や戦争は本当に悪い。
あとは、生命の尊厳や人間性の尊重で分かっていた。
信じること。それだけが大切だ。神ではなくていいから、何かを信じる。そういう人間だけが賢くなる。信じるものは救われる。そういうことを言っているのがそういう言葉だ。
あとは、現象学を分かっていた。精神の現象のようなものを分かっていた。
その上で、言語と経験を分かっていた。デカルト的な理性も多かった。何でも神のように分かっていた。本当に全部分かっている。経験論のようにも考えた。
それぞれの合意と意志のようなものから、組織まで、社会のことを良く分かっていた。
英語の本質は、自由と想像力だ。今日は黒人の講師だったが、本当に良い人間だった。黒人には、良い人間が多い。差別は一番悪い。
昔は、この世界、人生体験、宇宙、心、などを全部考えるありえない文章が多かった。
全ては、歴史、構造、経験、方法、認識である。
そういう風に、この世界を全部考える。それだけが多かった。
あらゆる体験的な段階を書いていた。
人生の経緯と、全ての段階を書いていた。客観的な世界観を作っていた。
テレビと戦った。思い出すと、賢かったようで、何も賢くない。
数学的な定理をスピノザのように書いていた。
森羅万象と自然界をアリストテレスのように分析して考えていた。
宇宙を創造した。全ての経緯と段階を書いていた。
環境を個別と全体から考えていた。
意識を個別の部分から機能的に分かっていた。
物理を考えていた。熱や運動のことを包括して考えていた。
自由に考えていた。自由かつ相対的に可能性を考えていた。
もう、それくらいで終わりだ。書いていると、無限に続いてしまう。
もう止めた方が良い。
言論や議論で分かっていた。コミュニケーションで人を喜ばせる能力があった。
人を導く、導き手のような人間だった。
ブログや掲示板で、人を分からせていた。何でも分からせられる人間だった。
意識、意図、意志から分かっていた。記憶が何なのかから、自動車はどうすれば作れるか、まで、考えて想像力で知識を知ることで、全部分かっていた。
想像力を工夫すれば、何も知らなくても全部を知ることが出来る。
認識と推論の方法を作れば良い。
インフラの共有、基盤から、認識のフィルターや裏側を分かっていた。
思考と世界観だけで分かった。普通、見えない部分の環境と場が関わり合っている。
人間のことを辿って考えることで、実存が分かっていた。
辛い。息が出来なくなる。死ぬかもしれない。
場は相対的だ。
あとは、皆のことを分かっただけだ。皆と関わり合う中で、色んなことを考えた。
馬鹿を殺せば治る。頭が知性の無い馬鹿になっている。
皆と一緒になって分かった自由だった。
想像力で認識、人間、森羅万象を予測した。発想法とともに、関係から、そういう想像力の認識を全部作って分かっていた。想像力の積み重ねをしていた。
木は木材になる。そのように、何が何になるか、のような、原因と結果のような経緯と変化の段階を考えていた。
パソコンに外部メモリがあるように、システム的な考え方から分かっていた。
あとは、応用可能性を分かっていただけだ。