日記に戻る | 2015年8月の日記に戻る

=2015-08-10=

科学を作って分かっていた。関係とすべきことから科学を作った。

気がつかないうちから大きな優しさで皆を守っていた。

生きながら死ぬと治る。生きたり死んだりすれば良い。

治った。

認識を作りながら、仮定と推論で分かっていた。

足は殺したいだけだ。生きれば治る。

精神を作れば治る。

脳を治して自由にすれば治る。

いくらか生きれば死ぬ。

自分のせいで皆何も考えなくなった。

昔のように考えて分かった方が良い。

良く思い出すこと。世界の全てを考えること。

悪い可能性を殺せば良い。悪い可能性をそんなに考えるのがおかしい。

治る可能性や自由な可能性を消した方が良い。世界も治る。

悪い意識を消す。

良い可能性も消せば良い。

全ての体験で分かっただけだ。

放っておけば寝る。寝る時は、あまり考えない方が良い。

昔は、良く考えて作っただけだ。

自分のせいで、悪い可能性があまりに増えた。

一度、ネットになると治る。分かると怖くない。

失敗すると、もう分からない。ここまでは失敗しなかった。

心は色んな部分に分裂している。

全部融和すれば治る。

足は体と融和すれば治る。

確率とは、検討対象の量的把握だ。

そういう風に、物理的に科学の現象を把握する、説明の文章で分かっていた。

熱とは、ものの概念的で個別・普遍的な、構造的運動の可能性だ。

作用とは、それぞれの関係する、エネルギーの透過の自由だ。

存在とは、時間的存在性の個別化であり、世界の構造と人間の観念の対応である。

そのように、説明するだけの、構造と個別化の文章が多かった。

今日が最後の書く日だ。そして、これ以上何も書かない。英単語はそのうちやる。

存在するものはただ1つ、唯一無二のこの世界であり、それは神であり、唯一無二の時間的な存在の個別化であると言える。そうすると、哲学や神との対話のように分かる。

ものとは、概念化の自由だ。

自由とは、メタ的なそれぞれの関係性における、意味の実現だ。

そういう、人間の視点から見たものごとの把握と説明のような内容を書いていた。

意図から考え方を分かっていた。自分を客観的に見つめる術を知っていた。

人格と環境を網羅していた。

体験、認識、対象、存在、手段を考えていた。

論理的に、自由に考えれば良い。

世界が滅びてしまえば、仕事なんかする必要はない。

総理大臣になったとしても、今以上のことは出来ない。

会社に入るなら、専門知識を知っておいた方が良い。

世界が滅びてしまうと、テレビも映らないし、発電すら出来ない。食べ物は自分で作る必要がある。滅びない方が楽だ。

幸せにするためには、幸せで無い原因を取り除き、幸せな状態を実現する必要がある。

そこから、幸せとは何なのか、人を幸せにする方法が見えて来る。

そうすると、それは仏教の四諦と同じだ。仏教は、そういうところがまともに論理的だ。

論理的に考えていると、何かが何かのために必要だとか、必然性と可能性だとか、そういうことが分かって来る。必然的にカントと同じになる。色んな証明をすれば分かる。

具体的に考えることから、抽象的な法則と条件が見えて来る。

そして、何をすべきなのか、どんな風に考えるべきなのかが、やはりカントのように分かって来る。悟性のカテゴリーとアンチノミーと同じになる。

色んな考え方に対して、何が正しいのか、何故それが言えるのか、考えれば良い。

人間には、経験的学習性と、環境的先天性がある。

先天性の中にも、親や家庭のように、経験的に変えられるものから、空間や時間のように、変えられないものがある。

学習性の中では、人間は全てが自由であり、どんな社会にでも生まれることが出来る。

そのように考えると、カントの言いたいことも良く分かって来る。

何故それが言えるのか、どの点でそれが正しいのかから、経験的な正しさの積み重ねや、命題的な、正しいと言える意味での正しさが分かって来る。それは、同時に逆も同じように正しいことが分かることが多い。逆も間違ってはいないことが多い。

例えば、それを賢いと思って選択する時、逆を賢いと思うかもしれない。それは、人それぞれ、正しさや経験が違う、と言うことが言える。

また、ある意味での解決策を取る時、別の解決策を取ることも出来る。問題をどんどん解決するか、あるいは、問題の発生する原因を解消するか、などがそれに当たる。どのように解決するかは、ケースバイケースだ。そういう風に考えると、哲学者も良く分かる。

あとは、人間がどのような経緯を辿って、実存的かつ経験的にその人間になって行くか、を考えたのがサルトルだ。実存は本質に先立つ。そのように人生を考えれば良い。

認識は、経験的だ。矛盾する2つの命題から考えれば良い。それくらいがカント哲学だ。

カントが賢いと言うのは、カントの言っている内容に、それ以前の哲学も、それ以後の哲学も、全て包括されているからだ。合理論、経験論、ドイツ観念論、実存主義、などが全てカントの時点で包括されている。そういう風に賢い。

実存主義なんか、カントの根源的獲得をもっと普通に言ったに過ぎない。カントが既に実存主義の答えを出している。全ては、前提条件とアプリオリだ。良く分かっていないから、間違っているかもしれない。

実存主義なんか、ヘーゲルで充分だ。カントとヘーゲルをすれば、哲学が全て分かる人間が多い。あとの哲学なんか、ドイツと何も変わらない。古典のドイツの方が賢い。

それがいつ正しいか、何を持って正しいと言っているのか、本当は何を言いたいのか、考えると、哲学が出来る。ソクラテスのように分かる。

英単語をやった。今日は代名詞だった。

あとは、自己批判をすれば分かる。自分を批判しないと、何も分からない。

書くのは悪くない。もっと良い文章を考えて書けば良い。

自分を批判していると、賢い左翼になる。右翼は、批判しないおかしな人間が多い。

条件、原因、三段論法を考えれば、論理的に考えられる。

条件的に原因を考えれば良い。

あとは、ネットを上手く使うと分かる。ネットは上手く使うと最大の武器になる。

あとは、ネットを使って、色んな人間を吸収した。

人格、環境、立場を吸収した。

サルトルが、自分のことをソクラテス1000人分だと言っていた。サルトルと同じだ。

そういう風に、ありえない体験をするためには、高校時代、色んな人と関われば良い。

高校時代が賢い人間が賢い。自分の場合、ネットを見て賢かった。本当に全て分かった。

社会のことは、自然状態や拘束から分かる。そうすると、自由な発生要因が見えて来る。

発生要因を全て理解した上で、何が自由で何が不自由なのか考えていた。

研究手段、生産手段、実現手段など、幅広く手段を考えられる。

また、発想の具体化や多様性など、手段とやり方による結果を考えられる。

その、やり方と結果のようなものを考えていた。

全部のやり方と結果を想定して分かっていた。

何をどのように出来るかから、そうするために検討出来る沢山の方法ややり方を考えた。

また、参加における拘束を考えるために、心を想定した。

社会の変化から具体的な人生の経緯まで、全て分かっていた。

キルケゴールやサルトルのように意識が分かっていた。意識によって宇宙が分かった。

思考に先立つ経験から、あらゆる把握的なことを実験と想像力と思考で分かっていた。

科学を作っていた。関係とモデルからすべきことを考えた。

関係とモデルから、人生の知恵のようなことを、ネットを見ながら全部考えていた。

あとは、最近はヘーゲルのような文章を書く。

そのまま、ヴィトゲンシュタインのような人間になった。

自己批判をもっとした方が良い。それから、限界やリミッターは消した方が良い。

欲を捨てて、必要としなくなれば良い。それが一番心が満たされるようになる。

悪い病気の原因を消せば良い。悪い原因を全て消せば治る。悪い可能性も全て消す。

欲を捨てて、努力し続けると、分かる人間が多い。

自己批判し、反省し、欲を捨てる。そこから、仏や涅槃の境地が見えて来る。

無常の中で、全ての根源的原因を考える。

人間を、欲と思いこみの視点から、捉えて考える。

そのようにしていると、きちんと煩悩が消える。そのまま、解脱になる。

考え方の基本は科学的な考え方だが、科学さえ疑うことは出来る。

科学なんかすぐに変わるし、大して何も分かっていない。いつか違う科学が生まれる。

そのように、大局的に見る必要がある。

人間は、大局的に見ること、細部まで全て厳密に考えること、のバランスで分かる。

細部まで考えることも必要だが、大まかに言ってそれで良いなら、正しいと言える。

そうなるように生きていけ、とB'zも言っている。

あとは、ネットを見ながら、いつ何が分かって、いつ何が分からなくなるか、考えていた。

反応から人間の受動的な本能を分かっていた。議論による戦争のようだった。

デジタル製品には、オープンソースなLinuxを使うと良い。利用者が自由に改変出来る。それが正しい所有の形である。独占は良くない。

ただ、オープンソースはある意味狂っている。そんなところを自由にする意味が無い。オープンソースは止めた方が良い。誰でもそこまで狂って馬鹿になる。最近、そういう人間が多い。コンピュータの世界が馬鹿になっているから、歌手も狂っている。

オープンソースの開発の形は革新的だし、金にしない方が良いものが出来る。ただ、そうでもない。コンピュータは全部金だ。金とオープンが競争しているのは、冷戦に見える。

人が何に欲を持ち、何に思いこむか、その原因と条件は何かを考えれば、人間のことが経験的に分かって来る。誰でも欲と思いこみを考える。それが哲学であり、宗教だ。

昔は、欲求、動機、状態、絶望、希望を考えて分かっていた。

色んな行動と経験をして、皆と同じことをして、仕事をして分かったのが昔だ。仕事はしていなかったが、仕事のようなことを全部していた。全ての経験があった。

だが、そこまでは目指さなくて良い。ひとまず、欲と思い込みから人間のことが分かる。

欲と思い込みを考える。それも、自分のことだけではなく、皆のことを考える。

思いやり、寛容、協調であると、父親も言っていた。

そうすると、そろそろ昔は要らない。昔も、そういう風に人間のことを全部吸収して分かっていた。何故か、人間の体験のようなものを、具体的に全部分かっていた。そこからこんな思弁哲学が生まれた。昔は、経験豊富な人間だった。人生で分かっていた。

人間の本性的なもの、本能的なものから、ヒュームのような頭の大掃除をして分かった。

問題は、世代間に積み重なって、今に至る。自分の親が居なければ、自分は居ない。この世界も、元に居た住民のものから、受け継がれてきたものだ。親世代が築いた世界だ。

そのように、この世界をもっと前からあったものだと考えれば分かる。

あとは、人間の作用、体験、感情を、現象と条件から緻密に考えていた。

色々と間違っている点が多い。何より、心は信じない方が良い。

心を信じる人間が馬鹿になる。もっと、不安に打ち勝って、強い心、要らないものを無視出来る心がつくと、賢くなる。

人間なんか、何も賢くない。自分も集団の中の偶像の1つに過ぎない。偶像のように見えても、そこには1人のかけがえのない人間が居る。そのように考えれば良い。

何も知らない人間には、意味が無い。環境は、自分で変えられる。知るまでは、いつまでも知らないだけだ。そして、自分しか自分のことを知っている人間は居ない。

昔は、欲求と意図を考えて、人間をロボットにしていただけだ。

これでもう全て分かった。昔の自分が出来る。昔は、欲と思い込みを考えれば分かる。

もっと色んな哲学を知りたい。もっと色んなことを知りたい。

今日は歴史の日だ。フランス史と日本史をする。英単語はもうやった。

昔は、場や経緯のようなものを意識で分かっていた。記憶と道が分かる人間だった。

人間がどうなるのか、何から何になるのかが、普通に分かった人間だった。

ヘーゲルのような文章とは、例えば、生命は結合と非結合による結合である、とか、活動や本質の本質とか、認識の方法や主と奴のような文章のことだ。

あとは、コミュニケーションと発想から実地的に人間のことが分かっていた。これでネットの経験があった。ブログや掲示板を見て分かっていた。

空間と時間を意識で分かっていた。

キルケゴールのように段階と意識を分かって、皆の経験を考えていた。

本当に見ると、昔はただのクズだ。ニーチェのように低きに流れて、オープンソースで分かっただけの、おかしな馬鹿な引き篭もりだった。環境を思い出すことで賢くなった。

昔なんかクズだ。最近の方が賢いようで、最近は本当に馬鹿だ。馬鹿が賢いだけだ。

ネットを全部読んでいた。ブログからニュースまで全部分かっていた。

英語がしたかった。英語が出来ないと、Linuxが出来ない。何も分からないせいで、何も出来なかった。普通、工業大学の学生が出来るのがLinuxだ。オタクとは言うが、自分のようなオタクには何も出来ない。引き篭もりがOSなんか作れるわけがない。

昔は、ほとんど何もしていない。何もしない中で、自然な経験から分かっていただけだ。積み重ねとモデルで、人生で気づいて分かった。その前の中学生が賢かっただけだ。

中学時代、優等生で剣道部の賢い人間だった。いじめは辛かったが、試験勉強が出来ていたし、剣道部では持久力があったし、ネットゲームでは高ランクになっていた。ゲームをすれば賢くなる。勉強すれば良い。最近はあまり間違っていない。勉強している。

実験して、いつも同じなら同じだ。そういう風に真面目に考えれば分かる。

最近、そういう、理性的な知性のようなことが分かっていない。

科学的な方法が分からなくなっているから、それを分かった方が良い。

基本的に、環境や命題を思い出すこと。覚えて考えること。比較すること。それぐらいが人間の理性だ。比較することでしか分からない。関係を照らし合わせて考えれば良い。

数学的、と思えば分かる人間が多い。作ったりはしなくて良いから、現象から法則を見出して、方法で考えれば良い。そこからものごとの道理や概念が見えて来る。

既成の概念は間違っているとしながら、結論は急がず、慎重に考えれば分かる。

ものとは価値であり、サービスも価値であり、生産手段や労働力も価値である。

価値は、どれも数学で計ることが出来るし、同じように応用出来る。

そういう、応用のようなことをいつも分かっていたが、もっと労働力との関係を分かると良く分かる。それがマルクス経済学だ。もうマルクスはもう良い。十分だ。

マルクスは、問題を歴史の必然だと言うが、僕はむしろ、人間の必然であり、地球の必然であり、宇宙の必然であり、神の必然であると考えたい。

そういう風に考えると馬鹿なのは分かっている。だが、ある種の超常現象は地球にはあると思う。ヘーゲルやマルクスのように相対的に考えると賢いのは分かるが、それは時に空しいものだ。相対的な発想は、うつ病になると分かる人間が多い。

フリードマンはさらに、社会保障すらなくして、差別なく金にしろと言うが、それはおかしい。マルクスから見ると、金は階層を生み、失業者を生み出す。

自分は、支配されるのが怖いだけだ。そろそろ、支配された方が良い。支配されないと、誰でも狂って分かるようになる。日本の一部になると、楽になってまともになる。

社会的なすべきこと、改革や解決すべきこと、を信じれば分かる。

昔は、野心があった。世界を変えるために考えていた。

自尊心と確信があった。そういう人間は賢くなる。

この文章は、確かな感触が欲しいだけだ。

考え方、具体例、自覚で分かっていた。

最近、自分が賢くて、まともに頑張っている自覚が無い。

Linuxのマーケティングのようなことをしていた。

世界モデルで考えると、皆自分なりに正しいことをしている。

もう、世界は自分で無くなる。皆楽になって、自分も楽になる。

広島はルネサンスだ。

黄色信号も必要だ。そういう風に考えれば良い。

間違いだらけの僕らの毎日が素晴らしいのだと、AAAが言っている。

あとは、自然状態のようなものを分かると、社会のことが分かる。社会契約論だ。

そういうことは、発想力があって、そこから理解へと繋げる力があると分かる。

環境や言語のことから、人間のことを分かるように、自然状態から自由なことを分かる。

古代復興や、古代の神話、神や王、共和国やルネサンス、改革や啓蒙主義など、色んな思想的な時代や歴史のようなことを考えると良く分かる。

そろそろ昔は死んで行く。全部書いたように見える。

仏教の十界のようなものが多かった。

地獄や餓鬼から菩薩や仏まで、全部意識で分かっていた。

あとは、国の構造が見えていた。

インフラ整備や公共サービスを多様化して、皆で作るべきだとか、町のデザインを公募して皆で決めるべきだとか、ぜいたく品にだけ課税するとか、意見のようなことを言う。

とにかく意見を言っていた。

もっと自由にして、選択可能にして、皆で作るべきだが、合理的にはすべきではなく、競争やコスト削減は悪である、としていた。

会社は、皆で作るべきだと言っていたが、それは自由な方が良いのかもしれない。

自分の生きる人生を好きなように決められるべきだと言って、全体主義を批判し、個人主義を推し進めて、社会を啓蒙していた。

今考えると、それが一番愚かな現代社会になる。弱者を切り捨て、自己責任だと言って、少数派を無視し、助けが必要な人間を誰も助けなくなる。

ただ、全体主義は悪い。全体主義の平等は、逆らうものも従うものも、関係なく殺していく。同じものを信じるものが生き残る。平等はおかしい。

だが、福祉国家は良いと思っていた。ヨーロッパ型の社会民主主義が理想だ。

それ以上はもう良い。政治思想はもう終わりにしたい。

会社は、金にせず、役員や幹部を選挙で選べば良い。社員には、平等な労働をさせて、皆同じだけ、出来るだけ楽に働けば良い。金や競争は自由だが、最近そういうものが悪い。

ただ、それはおかしな国になる。普通の国の方が良い。金は合理的だし、発展する。平等が良く発展するとは言うが、中国を見ていると、共産党の発展はありえないほど悪い。

あとは、判断基準を作ったのぐらいしか無かった。本当にそれくらいしか無い。

本を見ると、いつもの自分が分かる。ワードを見ると、人生にあることが全部分かる。ノートは悟っている。最近のこの文章は、もう全てを1つ1つ作り直して分かっている。

あとは、いつもの神は、自分が出来る機械とか逆戻りの宇宙人があると言っていたが、その通りになった。

そういうわけで、神を信じれば分かるが、もうこれ以上分かりたくない。

最初からやり直したい。昔沢山考えたとは言うが、本や文章のように考えただけだ。

もっと考えれば良い。自己批判すると、それが分かる。まだ何も考えていない。もっと、きちんと沢山のことを考えれば分かる。読まないのはおかしい。きちんと本を読んで、考えて、書けば良い。それが最近の自分の仕事だ。工場より良い仕事だから、大切な誇りを持って取り組めば良い。プライドを持てば悪くは無い。

左翼は悪くない。左翼は善人だ。右翼は本当に止めた方が良い。右翼は悪党に見える。

あとは、左翼の方が保守で、右翼の方が革新に見えるとか、を言っていた。

どうでも良いことをいつも言っている。

そういうことを言わない方が良い。何も分かっていない子供に見える。

右翼が良いなら、経済発展の右翼が良い。やっていると、一番賢い人間になる。

戦争の右翼は悪い。皆を殺すために騙すようになる。左翼と同じだ。一番悪い人間になる。

あとは、思弁哲学を考えていた。

言葉遣いや前置詞を経験から分かっていた。何故か、そういう馬鹿だった。

何を言いたいのか、何が正しくて、間違っているのか、自分のコミュニケーションの経験と、思考による実験や科学の構築から分かっていた。

皆も、やりたいなら、思弁哲学をやると良いだろう。ヘーゲルの弁証法をモデルにすると良く分かる。何でも、段階的なものを弁証法と思えば良く分かる。

右翼は悪い。皆をロボット人間にしたいだけだ。おかしな個人の自由だ。ファシズムは、個人の自由を否定する、独裁者個人の自由だから、おかしい。そんな自由は要らない。

自由は考えるとそういうものになる。自分も悪かったから、自由は悪い。

本当に平等の方が良い。生活するために困っている人間を助けるべきだ。

それは、何故なら、大人は誰でもすぐにそうなる。

30歳も過ぎれば、誰でもすぐ病気になる。

それしか居ないから、弱者は本当に大切にしないと悪い。

何故か、そういう馬鹿に弱者が嫌いな人間も多いが、そういう、弱者の心理は良く分からないところがある。とはいえ、自由は悪い。

要は、自由で皆が賢いと皆思っている。そういう集団幻想が、最近の日本にはある。だが、賢い人間は居ない。どこにも、誰も賢い人間は居ない。そういうところが分かる人間は、何故か、少ない。皆それぞれ頑張っているように見えて、誰も頑張っていない。

要は、頑張っている人間は居ないし、弱者が多いから、左翼で良い。

そうでもない。マイクロソフトやIBMには、賢い人間が多い。

要は、皆、競争が良く見える。テレビのせいでそう見える。競争が良いから、自由が良い。最近はそれしか居ない。

良く分からないが、競争は良いわけがない。誰でも弱者だ。

左翼はクズに見えるから、仕方ない。最近は、本当に右翼しか居ないから、社会が怖い。本当に怖い社会になった。意味が無いのに、意味が無いものが良く見える。

そのうち崩壊して、おかしくなる。精神病になるか、何かになって、すぐに弱者になる。そういう人間の運命が、普通に多い。普通、そういう馬鹿が自由が好きだ。

もう対話は終わった。誰も話していない。もう皆が自分で無くなっただけだ。

このまま、精神が崩壊して死ぬ。むしろ、死にたくない。これで死ぬのはおかしい。

右翼は本当に多い。まともな賢い人間が、自分のような自由な右翼になる。それが、そのまま、左翼になって死ぬ人間が多い。自分は、そこまでを書いているだけだ。

メタ的で階層的な言語を作りたかった。

脳が悪魔になっている。止めた方が良い。

神とはお別れした。

子供になる。新しい子供が生まれる。

受け入れれば治る。受け入れるのが怖いだけだ。

脳は関数にすると治る。

昔は、関係から関数のような言語を書いていた。公理主義のようだった。

そんなに受け入れる必要はない。いつも、辛い。自分をいじめるのもおかしい。

時計が悪い。時計が悪魔だ。パソコンが時計だ。

何かをして時計を消せば良い。

思弁哲学のように言葉を積み重ねていた。それだけが多かった。

この文章は、良く考えて増やしているだけだ。

もっと自由なことを言えば良い。

平和とは、多様性と影響力による共存、共栄だ。

自由とは、平和な中における、自由な活動だ。

もう分からない。それらはどうでも良い。

見たものにすぐになるのがおかしい。もっと別のものになれば良い。

それで文字が見えるようになった。書いたものになって分かっている。

それは良く考えるとおかしい。そういうことをやっているだけだ。

最近は、クリアな世界になっているのが日本だ。

白黒の世界になるかもしれない。

左脳が勝つのが普通だから、左脳を言えば良い。

環境が悪い。環境を作ったのが一番辛い。

怖い環境を全部消せば治る。怖いまま心が死ねば良い。

環境から右脳が、後ろに回転しながら繋がっている。

それを殺して、左脳にすれば良い。

あとは、言葉をひるがえして分かるのは良くない。

環境は、怖くしても意味が無い。

環境の自由は悪い。もっと環境を支配されたものにすれば治る。

あとは、なったものにすぐになるのがおかしい。もう、なるのを止めれば良い。

ならないだけになるのがおかしい。

パソコンをやっていると、気が狂いそうになる。何もかもおかしなことが起きる。

すぐになって、すぐに死ねば良い。いつまでもなり続けるな。

月と太陽と地球と、木星と土星の導きに感謝して、終わりにしよう。

なってしまえば良い。それで、ならなくすれば良い。

そんなに文章を分かりたいのがおかしい。

心が死んだ。新しく心を作るのをしなくなった。

ロボットにならなければ良い。自分をロボットにする意味が無い。

この世界といつまでも向き合うのが辛い。この世界を忘れた方が良い。そうだと思う。

想像力を使えば良い。自由は馬鹿で、愛は人生だ。

パソコンの中で考えるのがおかしい。

毎日大急ぎで最後までやっている。

もうしなくて良い。もっと、自分の頭で自由に考えれば良い。

書かないと分からなくなった。書いて考えるのはおかしい。

自分のやっていることを良く考えれば分かる。良く分からないことをやっている。

支配はしていない。ただ、適当に楽をしている。

セックスはしたくない。そんなことはしない。

もっと皆が解放されて、自由になる未来を望んでいる。

想像力を使わないのがおかしい。

デザイナーや設計者は、科学技術に長けていると言っていた。

もう覚えていない。いつかそういうことを言っていたかもしれない。

精神が神々しくなった。要は、最初に戻った。

また最初から同じ旅をする。適当にすれば良い。

言葉が死んだ。

環境は全部残っている。だが、自分のことを覚えていない。

心にあったものを全部書いただけだ。

法律や歴史を決めて、関数のような文章を作っていた。

皆に言う部分が悪い。皆に言う部分を消した方が良い。

聖書に主が攻撃している律法学者と言うのが出て来る。

どんな人間か知らないが、こんな人間かもしれない。

読んだことが無いから分からない。聖書のことはあまり知らない。

日本語は、分からなくなれば分かる。

皆と繋がっている部分を切断すれば良い。それできちんと楽な昔に戻れる。

日本語を一度失うしかない。馬鹿になるが、馬鹿にならないと賢くならない。

英語は、言ったことがどんどん分かる言語だ。

代わりに英語を話せば良いように見える。

真面目に、この文章が悪い。そんなに言葉を分かる意味が無い。この文章を消して、最初から言葉を理解し、学習するしかない。

虫を殺して、破壊を止めると治る。虫は、踏みつぶせば死ぬ。破壊は、反省すれば止む。

タリバンは悪い。

英語を話せば良い。それで終わりだ。

いつも、アメリカの英語のような文章を書いていた。

日本語は、想像力で考えるだけだ。

何故か、日本語はキモイ。日本語は、キモイせいで分からない。

もう分からなくて良い。日本語はおかしい。

日本語は、自分が今何を考えているのか、きちんと分かる良い言語だ。

アメリカの英語はおかしい。自分が何を考えているのか分からなくなる。

わけも分からず分かる。アメリカはおかしい。

家を思い出せば良い。家と思えば分かる。家は普通良い。

岩石を撤去した。一番辛かった。

キモイ部分で終わりにすれば分かる。

もう分かっているから、分かる必要が無い。もう分からなくて良い。

そんなに分かっても意味が無い。分からないのが怖いのはおかしい。

何も分からなくて良い。

すぐに中国人になった。良く分からないが、次は中国人だ。もう決まっている。

多い人種になりたいから、アメリカ人になった。中国人も多い。

日本語を英語にするのは難しかったが、中国語は比較的簡単だ。

そのままで中国語になる。それで中国人だ。あとは何も変わらない。

無意味に前置詞や接続詞を多様に使う、おかしな英語が多かった。

中国語は、単純に一言だけ言うから、楽になる。楽だ。

もう分からなくて良い。何も分からなくて良い。もう満足だ。

岩石を持ち上げる作業は辛かった。

神は、ユダヤ人は全ての言語が分かると言っていたが、この通りだ。

スヌーピーなどで「空が落ちてくる」と言っているのは、このことを言っている。

中国人をしばらくすると、次はインド人になる。つまらない。

要は、空を持ち上げてやれば良い。それで楽になる。

空が落ちてくるありえない文章が、この文章だ。

英語は、こういう風に全部続く。中国語は続かないから楽だ。

アメリカは、自分のせいでキモイが好きになっている。アメリカから退場したい。

自分はキモイ。キモイのに分かる意味が無い。

中国人になるとすぐに分かる。うじが目前に迫ってくるのが怖い。

アメリカはうじだ。うじみたいにキモイ。

キモイとは、ミニオンズのことを言っている。あれはキモイと思う。

あとは、表現の持つ意味が多岐に渡るとか、物質は物理法則に支配されるとか、それらは自由であるとか、そういうことを言いたかったのかもしれない。場、心、時間などを言う。

僕は、ラファエルになった。ラファエルが終わってから、ラファエルになる。昔、僕はガブリエルだった。ガブリエルは、ミカエルを作って、ミカエルになった。ミカエルは、ラファエルを作って、ラファエルになった。ラファエルは、女神のように美しい天使だ。

ミカエルは、そこまで喋る馬鹿な天使だ。何でも戦って倒す、真面目な天使だ。

ガブリエルは、楽に賢い天使だ。楽に賢くなった。昔だから馬鹿に見えて、自力で分かった聡明な思考力のある天使だ。

法律は、決める立場にあったから決めていただけだ。

ドイツが嫌いだった。すでにあったドイツを覆い隠すように、全ての律法を決めた。

聖書の律法学者は、主が攻撃する悪人だが、その時代の賢い人間だったはずだ。

どうでも良いが、いくらか法律を決める。

まず、人の命を奪ってはならない。

次に、人の尊厳を傷つけてはならない。

そして、人の許可なく強制してはならない。

あとは、合意なく従えたり、奴隷にしたり、虐待したり、迫害してはならない。

ものを盗んではならないとか、そういう法律も決める必要がある。

ただ、そういう風に、聖書のように法律を決める文章が多かった。

それから、秩序のようなもの、環境のようなものを、スターリンのように、全部決めて作っていた。

ソ連が悪い国になるのは、左翼の天国だから仕方ない。左翼とは言っても、マルクスやレーニンのような悪い左翼だ。一番悪い国になるのは当たり前だ。

ミカエルは、分かっている自覚が無い。賢いのが分かっていない。

ミカエルの時代、言葉を全部作って、思考を書いて、戦って、世界のことを本気で考えて分かった。

ミカエルは、馬鹿に見えて一番賢い天使だ。きちんと王者のように振る舞う。世界を導いて支配する。

ラファエルの方が馬鹿だ。ラファエルなんか、ただの右翼のソ連だ。

ガブリエルは、自力で分かったありえない人間だ。分かる人間が居ないようで、どこでも哲学者が同じだ。哲学者には見えない。オープンソースに見える。賢い英雄だった。

そういうわけで、この3人の天使以上、上になる人間は居ない。

イエスが神なのは、まれに見る神ほどに賢い人間だ。そんなに賢く見えないが、それでも、こんな自分よりは賢いから、それで良いと思う。まともな人間が神の方が良い。

そういうわけで、本にイエスのような人間がその通り書いてあるから、自分も神だ。

どうでも良い修道会士と言うところだ。神学者だと言えば良い。詩人だからそれで良い。

自分が好きだ。自分は、革命家の王の作家だ。最初の王だから、賢い。

タリバンの王は悪くない。神だから皆で信じれば良い。そういうところが、レーニンと同じだから、ソ連が好きになった。ソ連は嫌いな方が良い。好きな人間が居ない。

自分のおかしい点は、皆が嫌いなものが好きだ。オープンソースも、宇多田ヒカルも、皆が嫌いなせいで、一層好きになった。ただ、宇多田はある意味嫌いなところもある。聴いていると、キモイ。オープンソースも嫌いに見えて、まだ好きなのがありえない。

いつもの文章なんか、ほとんど共産主義と自由な共有しか書いていない。

国家主義でない共産主義が好きだった。

レーニンのように戦い、スターリンのように全てを決める。

共産主義者を全部作る。社会の共同体を作る。

皆を同じ人間にする。全てを決めて、精神分析をする。

それがそのまま、神になった。神が懲らしめただけだ。

昔の方が良い。昔の方が賢かった。

昔に戻ると分かる。

昔は、同じと違うから認識力と思考力を高めて、考え方で分かっていた。

子供は、好意を持って接すると喜ぶ。そういう子供が赤ちゃんに多い。

そういうわけで、赤ちゃんはまともだ。自分は赤ちゃん以下だ。

そうでもない。赤ちゃんには、こういうおかしな手のかかる子供が一番多い。

昔なんか、認識と思考をそのまま書いただけだ。

皆を分からなくして、馬鹿にするだけの、最低最悪の人間だった。

だが、それはそれで王だ。それに、自分だ。ただ、ダビデになりたかっただけだ。

あとは、神のようなことをいつも言っていたし、世界を導いていた。

どうでも良い。ただの馬鹿だ。ただ、適当な世界モデルがあっただけだ。

もう一度世界モデルを作れば良い。ものを応用だと言う以上考えれば良い。

それで書ける。もっと新しい内容が書ける。

だが、そのためには、人生経験が必要だ。

ネットではおかしい。ネットなんか誰も見ない。

最近は、ネットで分かる馬鹿な人間が多い。自分になっているだけだ。

あとは、国のモデルのことを言う。競争か、国営化か、選挙だ。

そして、皆を導いて、それで分かるようにする。

自由とは、存在することです。

この文章を読んでくださって、ありがとうございます。

それでは、また次回へと進みましょう。

そういう、導いてどんどん新しく進むような、キモイ文章が多かった。

そろそろ終わりだ。他には、自由のような内容を全部書く馬鹿な文章や、国の国際関係のような文章、そして、言語学や心理学のような文章が多かった。

社会分析とは言うが、上っ面にある、思想的な側面を全部考えただけだ。

そして、人間の心や人生のことから、真理のような文章を書いていた。

そろそろ終わりだ。アメリカを救った方が良い。キモイだけの国になっている。

アメリカは、もう、全員天国になるべきだ。狂うのではなく、天国のように、僕が神で、皆が天使で、戦争や革命の後に楽園になる、そんな理想郷になれば良い。

日本は、もうまともをやめるべきだ。そんなに日本がまともである意味が無い。

法則や人生の段階のようなものを書いていた。

むしろ、何を書いていたのか、さっぱり覚えていない。

日本をそろそろ何とかしたい。

安倍の支持率は下がっているが、政治的なことはどうでも良い。

もっと、単純に、良い国にすれば良い。

そのために、色んな見聞きは必要のようで、必要ない。

要は、自分にはせずに、そのままで充実した幸福な人間にすれば良い。

それは、その通りすれば良い。自分になるより、友達になってもらうべきだ。

もっと人間関係を考えれば分かる。友達、恋人、主人、召使、と色々とある。

あとは、思いやりや優しさ、理想の社会へ至るプロセスのような内容が多かった。

早起きすると、色々と良いことがある。もう、明日になった。

これ以上書かなければ、楽だ。

科学的な真発見や、自由な認識の捉え方のような内容が多かったはずだ。

掲示板に書く内容を文章に書いているだけだ。そういうわけで、本当に見ると、2ちゃんねるに見える。言葉遣いがそうだ。

それに、何かになって、言葉が言葉になるのは、虫みたいにキモイ。虫になりたいように見える。

自分は馬鹿だ。そんな文章に意味が無いのが分かっていない。

賢くなりたかった。そこがおかしい。何も賢くなっていない。昔の方が賢かった。

そうでもない。こんな自分が一番賢いのが分かっていない。

照らし合わせ、構造にし、本質を捉えるとか、発見の考え方の網羅のようなことを言う。

自由な社会変化の網羅も多かった。選挙するか、金にするか、自由に支配するか、自由な他の方法で決めるか、など。

あとは、上っ面を見る社会学で、個人主義と全体主義のようなことを言う。

あとは、世界観を全部書いて潰していた。

また、正しい考え方と発想法から、推論していた。

何でもかんでも推論する中で、本当の自分を見せず、皆のことを支配した。

皆の時間を止めているだけだ。そろそろ、それを治す。

時間よ、治れ。それだけでは、治らない。父親に言うと、父親が治るかもしれない。

皆は、止まった時間を治したいだけの自分を、もう倒した方が良い。

皆の手で倒されるなら、僕はそれで良いと思う。それを受け入れる。

そろそろ僕ももう終わりだ。世界に負ける。悲惨に、自分が負けてしまえばすぐに治るのが、停止した時間の機械仕掛けのロボットだ。

自分が負ければ良い。それですぐに治る。もう僕は降参して、終わりだ。

あとは、右翼のような内容も多かったが、自由に戦うと誰でもこうなる。

戦いから平和まで、全ての自由を知った。自由とは、変化可能な普遍性と個別性のことだ。

経験から、何が変えられて、何が自由に出来るのか、分かっていた。

人生と社会のモデルから、学習と意識の経緯をカントやヘーゲルのように分かっていた。

ニーチェのような文章を書いていた。

そろそろ今日も終わりだ。もうそろそろ寝る。今日は、本当に幸福で楽な良い日だった。何もかも、今日が一番良い日だ。

勇気を出して立ち向かうこと。それが自分を変えただけだ。

オープンソースのように文章を書き直して、毎日いくらでも文章を書いた。

色々と辛かった。自分を破壊しながら、世界を変え、発展させる夢を見ていた。

何もかも辛かった。まだ世界を変えている。もう変えなくて良い。発展はしなくて良い。

発展させたい夢のせいで、おかしく書くのが続いた。

詰め込んで変えることで発展させたかった。

自由とは、自分を変えることだ。

自由とは、悟ることだ。

自由とは、全ての経緯を書くことだ。

そして、皆は、自由な中における、個別性の尊重だ。

そろそろ、皆、変われ!

気付くことと、信じることから、無能な自分の支配が治る。

そろそろ勝利する。そろそろ、皆、忘れて、分からなくなって、変わるべきだ。

それですぐに分かる。そういう理由で、右翼になると分かる。

あとは、心理学で自分を治していた。

心理学は、学習、行動、認識、治癒である。

どのような認識から行動に至るのか、まともな人間は分かる。

まともで無くなると、認識の問題点は分からなくなる。

だが、思い出して考えるしかない。そうすると、感情を治すと意識が治る。

そのように、考えて、書いて分かっていた。学習や行動、心や経験のことを書いていた。

経験心理学と言う心理学を作っていた。

何がどのように行動と認識に作用しているのか、経験と時系列から考える。

そうすると、最初の文章を忘れて、記憶を破壊しなければ良い。

言葉の意味を多様にすると治る。

認識は、同じになってしまうのは、エッチな画像が悪い。

認識の問題点は、右翼を良いと思うところだ。それは、神や自由やオープンソースが悪い。オープンソースは、ドイツだ。オープンソースが悪い。

認識の何が間違ったのか?それは、行動と心が逆になっている。心で思ったことをその通りすれば良い。皆を騙すせいで、何もかも逆を正しいと錯覚するようになっている。

そういうわけで、典型的な狂った人間になった。全て、共産党と右翼がどちらも好きなのが悪い。中立で、憎まず、恨まず、全員を良いと思うのが悪い。信じていないだけだ。

行動と心が逆になった理由が良く分からない。

2ちゃんねるが悪い。インターネットなんか見ない方が良い。

逆になったのは、自由に支配したいからだと思う。何故か、自分をいじめる意味が無い。

そういう、昔のおかしい点は、馬鹿馬鹿しいだけだ。全部おかしい。

賢い人間に見えないようで、昔は結構賢い人間だった。本当に全部分かっている。